第53話 人間、行動開始
「だぁーかああぁーらぁあああ!!」
翌日の早朝―――二階堂家。
和室のリビングから、苛立つ女の声とテーブルに両手を叩きつける音が響く。
「こいつの性格は元々だっつってんだろうが!!」
「そんなわけあるか! 貴様らが歪めずして、こんな可哀想な性格になるか!!」
レジェスが隣に座っている主のちあみを指差し叫んだのに対し、
辰弥の姿の歩花が彼女に負けない声で怒鳴り返す。
「魔法少女だのなんだのというのも、貴様らが無垢な少女の憧れにつけ込んだ結果なんじゃないのか!?」
「そりゃ……っ、……最初はそのつもりだったけどよ……!」
「そのつもりだったんじゃないか! この悪魔ども!!」
歩花と茜がいつも食事をする台所と一緒になった食卓では、陽人、みやび、勇治郎、リンドウが椅子に座って茶を啜っている。
「ちあみさん、その魔導書手放そう。
それは人間が持つものじゃない。まだ正気でいられるうちに……! そうすればそのおかしな性格も戻せる!」
「……真剣にちあみちゃんのこと心配しとるみたいやけど、なにげにめっちゃ失礼なこと言ってんな……」
和室から聞こえてくる歩花の懸念の声に、微妙な顔で勇治郎はぼやく。
首を捻ってハテナを飛ばしながらレジェスと歩花の会話を見守っているちあみ。
そんな彼女を中心に、レジェスとは逆隣に座っていたリゴベルトが溜め息を吐き、
陽人たちのいる部屋では、壁に背を預けていたヴェルナーと、リンドウの膝の上でくつろいでいた茜が同時に大きな欠伸を漏らした。
リーフェルトがアジトに潜入した翌日。紅柳女子―――。
授業中にもかかわらず、真優は窓側の席からぼんやり外を見つめていた。
『おばさんね。吸血鬼になろうと思ってるの。……娘を守るために』
(……私。結局、どうすればいいんだろう)
小夜と彼女の母親の仲が良好なのは知っている。羨ましいほどに。
ならば小夜が自分のために、自分の母親が人間を辞めようと思っていることを知ったら、
更に塞ぎ込んでしまうのではないか―――そう思ったら。
(どう説明すればいいの……?)
言葉を間違えれば、小夜が自ら死を選ぶ可能性もある。
嗚呼、考えたくない。
友達が自殺するところなんてこれっぽっちも想像したくない。
しかしこのままでは、小夜が大きなものを失ってしまうのは、
漠然としていながらも薄々理解できた。
(ガーシェル君は……? どうするんだろう)
優しい彼のこと。小夜の母の頼みを聞くだなんてことはないと思いたいが。
『でもね。今はおばさんが吸血鬼になりたいって思ってること、言わないでくれって言われているの。
今は歩花ちゃんの彼が頑張っているところだからって―――』
(なら。先回りしなきゃ……)
小夜の母親の決意は本物だった。
それに圧されて彼女の願いを叶えてしまうということも考えて、今のうちに自分がリーフェルトに言っておこう。
絶対に小夜の母親を、吸血鬼にしないでほしい、と。
既に歩花から聞いているかもしれないが。
できることはなんでもしたい。もう、見て見ぬふりはしたくなかった。
同刻―――南実先高校。
リーフェルトも同様に頬杖を突き、授業中に空を見上げていた。
昨夜。寝る前に夜分遅くに非常識だと怒られるのを覚悟に、
ラインで歩花に問いかけた。
『法は、何のためにあると思う?』
既に眠り、既読が付いていなくてもおかしくなかった時間帯だったが、
送った後間もなくそれが付いて、返ってきた彼女からの返事は―――。
『何のためにあってほしい?』
そう問われ、考えている間に、もう一つラインが来た。
『君は、どんな王子になりたい?』
午前の授業がすべて終わり、昼休みになって弁当を机の上に出すリーフェルト。
歩花も陽人も、退魔師の仕事のために学校を休んでいる。
小夜はクラスメートの別の友人と食事をするだろう。
弁当の包みを広げようと手にかけたところで名前を呼ばれて振り向けば、
机をくっつけ合ったクラスメートの男子たちが自分を誘っていた。
リーフェルトは、それまでぼんやりとしていた灰色の瞳に、ふ、と柔らかな笑みを宿して、
呼びかけに応えてその輪に入っていった。
リーフェルトがちあみを遊園地から連れ出す際、リゴベルトたちの手から彼を守ったのは陽人ではなく、陽人の攻撃に見せかけた歩花の幻覚だという。
『黒魔導に属する者を怯ませるにはやはり聖書の力に限る。
そういうわけで、リリアーヌたちにはあの光だとかは見えていないから、君が不審に思われることもない。
メールや電話がリリアーヌから着ても普通に返して、君は僕たちに構わず、今日は普段通りに過ごしていい』
(普段通り―――か……)
『いや。僕も手伝うよ。今まで手伝えなかった分―――』
『敵対するということは、その手で殺すということよ。貴方、その覚悟があるの?
半端な気持ちで戦いに参加しないで。足手纏いよ』
自分の言葉を遮りハッキリ言ったみやびの科白と、そんな彼女に何も返せなかった自分。
歩花はリーフェルトを責めることなく、ただ「お疲れ様」と、優しく微笑んでくれたけれど。
ヴァンパイアと退魔師―――人外側と人間側。立場の違いという壁が、厚い。
そのことを心の奥底で、歯がゆく思うリーフェルトだった。
廃墟遊園地、トゥインクルユニバースランド敷地外。
陽人が付着させた聖の発信気で、十五時頃に暇を潰しに外に出たカシュパルたちの留守を狙い、
退魔師、ヴァンパイアハンター、夢魔のソフィらは皆そこへやってきていた。
施設の中から戻ってきたヴェルナーと、彼の力を借りた勇次郎から見張りの人数を把握した歩花たち。
「よし……早く全員助けてやらなきゃな」
陽人の科白に、強く頷く皆。
カシュパルたちがリーフェルトと酒の席にいた時、
実は里央と美央のヴァンパイア二人はヴェルナー、勇治郎と共に、透明化して人質たちが匿われている建物に侵入し、彼らを解放していた。
といっても、怪我をしていない者たちだけではあったが。
ヴァンパイアの中には、ただの擦り傷切り傷でも血の匂いに勘付いてしまうような者たちもいて、
昨夜見張りが多くいる中で助け出せたのは、成熟したヴァンパイアとなった里央と美央の嗅覚に引っかからない人間たちだけとなった。
そして減った分の人質をアウロラ、バルバラの仲間のエンプーサであるエルセが幻覚で補い、怪我をしているものたちの周囲を固める。
彼らが幻覚に食いつき、残りの人質に手を出していないことを一晩祈るしかない。それはカシュパルたち、見張りたちの目を盗んで人間たちを助けるための苦渋の手だてだったが、幸い昨夜犠牲になったものはいなかったらしい。
辰弥の姿の歩花は「よし」と言うと、勇治郎、みやびに札を各々手渡し、
陽人に目配せしてアイコンタクトを取った。
(リーフェルトの集めた情報通り、見張りたちが忠誠ではなく洗脳状態にあるというのならば、話は早い―――)
歩花とソフィ、札を渡された者たちは、遊園地の施設内に足を踏み入れた。
リリアーヌに化けた歩花、パンジーに化けたソフィ、狐の札でカシュパル、ヴィートに化けた勇治郎とみやび。
歩花がすう、と思いきり息を吸い込むと
「はーい、貴方たち! 全員着いてきて」
見張りのいる場所から場所へ。勇治郎の先導のもと、歩花とソフィは手を叩き見張りたちを集めだす。
昨夜リーフェルトが録音したものから、歩花とソフィはリリアーヌ、パンジーの大体の口調は掴んだ。声そのものが二人のものであっても、夢魔の幻覚能力と魅了の合わせ技で、相手の耳にはリリアーヌたちの声に聞こえている上、
見張りの男たちは二人の魅了効果でとろんとした目になって大人しく着いてくる。
見張りの者たちがパンジーとリリアーヌの情欲を満たす役目も負っているなら、男たちの情欲も洗脳の過程で削がずにおいているのだろう。
致すためには、男の欲無しでは成立しないのだから。最後までしているかどうかはエンプーサのエルセに確認済みだった。
<見張りは男だけですか? 女は>
<俺たちが確認した中では、男しかおらへんかったな>
男たちを引き寄せつつ広い遊園地を周り、入り口付近に戻ってくる。
ヴェルナーに見張りの数を数えてもらっている間、エンプーサのアウロラたちに拾い損ねた者がいないか確認してもらう。
<うん。意識干渉で引っ掛かるのは人質だけだよ>
<最初数えた人数通りだよ。始めて>
歩花は次いで、意識干渉でここに囚われているインキュバスに確認をとる。
<洗脳操作で見張りを量産する役は女たちの仕事で、
男たちは見張りたちに対してはまったくの無関心。この情報に間違いはないな?>
<ああ>
それならば施設の外にもし取り巻きたちを連れ出していても、リリアーヌとパンジーだけならば大した人数ではないだろう。
歩花は「そこでじっとしててねー」とリリアーヌの顔で微笑み、他の三人と一緒に踵を返して男たちと距離をとる。
<陽人>
元相棒に声を届けると、自分の呼びかけに応えるように、見張りたちの足元が淡く輝きだす。
それは、歩花たちが見張りたちを集めている間に陽人が詠唱し、用意していた聖なる陣。
光は徐々に強さを増していき、やがて一瞬、近くで見ていたみやびたちが直視できないほどの輝きに陣が包まれたと思うと、すぐにその光は消え失せた。
見張りの男たちの姿も、忽然とその場から消え去ってしまっている。
「……塵になってもうたんか?」
あんなにいたヴァンパイアたちが跡形もなくなったことに、歩花に話しかける勇治郎。
歩花は「いえ」と言い、
「半年だけ封印しただけです」
「封印?」
「事が終わったら封印を解いて、夢魔の世界に連れてこいと従兄に言われたので」
「ヴァンパイアの世界やなく?」
「夢魔の世界で治療した後、将来起業したときの戦力としてコキ使いたいとか」
「なんやそれ……」
「あと―――今まで自由に生きられなかった分、夢魔の世界で多少ハメを外した生活をさせてもバチは当たらないだろう。とも」
「……―――」
眉間に寄せた皺を取り去り、勇治郎は目線を戻して見張りたちが先程まで立っていた場所を無言で見つめた。
勇治郎もみやびもソフィも、敵の姿のままで哀れみの表情を浮かべて彼らを想う。
元々ヴァンパイア、元人間、どちらであろうとも、彼らとて普通に親兄弟のいた者達であったろうに。理不尽にそれを奪われ、心と人生を壊されてきた者達が一体あの中に何人いたことだろう。
「せやな。そうかもしれん」
ヴァンパイアになった者は二度と戻れない。それならば、せめて第二の人生を謳歌してほしい。
働く先や生きる理由を示す者、正気に戻す手伝いをしてくれる者がいる―――それは、彼らにとって確かに幸せなことだ。
行く場所も帰る場所もわからず、途方に暮れるよりは、少なくとも。
隠れていた陽人とリンドウ、ヴァンパイアハンターたちが、歩花の声に応え遊園地のゲートに集合した。
「ほな。残りの人質を助けだそう」
リンドウの肩に乗っていた狐姿の茜が義理の娘の肩に飛び移る。
鼻の利く彼女もまた人質探しに最適だということで同行したのだ。
<エンプーサの方々とメロンさんは外の見張りをお願いします。
敵の姿が少しでも見えたら、僕たちのうち誰か一人に知らせてすぐに逃げてください>
夢魔の魔石で意識干渉を使える老猫のメロンの手も借り、退魔師たちは皆一斉に動いて遊園地施設を駆け回った。
放課後。たまたま寄り道せずまっすぐ帰宅したその日、小夜は玄関の靴置き場に、母のものではない女性の靴が置いてあるのを見て首を捻る。
奥へ歩いていくと母の声がリビングから聞こえたのでそっと覗いてみた。
母がテーブルに座り、母の向かい側に座っているのは、ウェーブがかった長い後ろ髪をバレッタで止めた女性。
小夜が目を丸くして戸惑っていると、
知らないバレッタの女が不意に彼女のほうを振り返った。
「! こんにちは」
彼女が顔をこちらに向けたことと、少し縺れた日本語から、外国人だと悟る小夜。
ばっちりとした大きな瞳を細めて、彼女は自分にニッコリ微笑みかけてきた。
「……? こ、こんにちは?」
「貴方が小夜ちゃんネ? ミヤちゃんから話聞いてるよ!」
「みやちゃん……?」
「天澤みやびのセンセイです。ミヤちゃん今日から隣の家に泊まって、代わり私ここに泊まる。よろしくネ!」
「は……はあ……―――?」
明るく挨拶する客に状況が掴めないながら、ちらりと小夜は自分の母を目配せするが、
母のコズエは何事もなかったかのように台所に立って、お茶のおかわりを用意している。
(さっきお母さん、泣いてなかった……?)
気になってさりげなく母の隣に立ち、父が帰宅する時間でも尋ねてみれば、
いつも通りの時間帯だと返ってくる。その声をよくよく聞いてみたが、いつも通りの母の声だった。
(気のせい……ってことで、いいのかな……?)
小夜は怪訝に思い、やはり心配が拭えないので暫く様子を見ようと考える。
(この人……みやびちゃんも、なんなのかな……)
母の淹れたお茶をゆったり飲んでいる外国人に、
落ち着かない気持ちになる小夜だった。




