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僕と異種族な君の青春日誌<前編>  作者: 有坂まの
二年生編
59/142

第29話 気付かない女

「……ねえ、母さん。

 父さんのところに嫁ぐって決めたとき、母さんは不安じゃなかった?」



 アゼリヤが帰った後。

 畳の部屋で狐姿の義母にブラシを通してやりながら、

 それまで黙っていた元の姿の歩花は、唐突に問いかける。



「……お母さんは、もう一度左一さんに会いたいって気持ちだけで来てしまったから。

 気付いたら不安を感じるより先に、足が勝手に山を下りてたわ」

「知らない世界での生活って、怖い?」

「そうね。戸惑うことばかりだったけど、私の場合は運が良かったわね。

 レインさんが全部教えてくれたし、支えてくれたから」



 『レインさん』とは、歩花の実母のことだ。


 左一と歩花の父親の退魔師の師の家に住まわせてもらっていた彼女は、

 左一のことも幼い頃からよく知っていたという。


 小夜とは異なるが、生まれついて特異体質であったが故に両親に捨てられ、親戚中をたらい回しにされた過去から、

 左一は相当捻くれた子供で、大人になっても茜に心を許すまで、人間不信が服を着て歩いているような人間だったそうだ。


 だが唯一彼は動物には優しかったらしく、修行先の山の中で罠にかかった茜を助け、

 彼に一目惚れした茜は数年後、家族の反対を聞かず山を越えて人間世界に訪れた。



 最初はやはり色々あったそうだが、

 長年の恋心がようやく義父に通じ、現在に至る。




「リーフェルト君のこと、どう思ってるの?」

「……好き―――だけど」




 リーフェルトのことは、好きだ。

 誠実で、責任から目を逸らさない強さを持っていて、尊敬できる人物だと信じている。




「不安?」

「……」

「貴方なら大丈夫よ」

「……うーん」

「リーフェルト君に似合う女性になれるようにって、勉強だって頑張って来たじゃない」

「……」




 ヴァンパイアの世界のこと。王族としての教養、マナー。

 嫁ぐとすれば、覚えることが沢山あるのはまあ、覚悟できる。



 しかし―――




「他にも、ほら。競争率とか……」

「リーフェルト君は貴方が良いんでしょう?」

「今はね……。でもいつか、後悔しないかなって。

 私たち、まだ学生だし……婚約するって口で言えば簡単だけど、もっとこう、沢山悩んで欲しい―――かな」

「貴方はリーフェルト君とどうなりたいの?」

「そりゃあ……今の時点ではだけど、彼のご両親もご兄弟も、人間の立場から見ても信頼できると思うし。

 結婚は勿論、彼が良いなら、してもい―――したい、けど」

「自信がないのね?」

「うん……」

「でもあなたには、果たすべき約束があるのでしょう?」

「……約束……」

「今貴方は若いから、すぐには決断できないかもしれない。迷うのも仕方ないことよ。

 でも、リーフェルト君の隣に貴方の女の幸せがあると少しでも感じるなら、最後まで頑張りなさい。

 貴方“たち”には、幸せになる権利がある」




 そう。それは、幼い頃の記憶。




「うん……そうだった」




 『自分たちには幸せになる権利がある』

 幼い“彼”にそれを言ったのは、他でもない自分だった。


 一緒に約束したのだ。

 『必ず、幸せになろう』と。



 その約束のために、どんな手段を用いてでもと、自分は人間界に根を張り続けてきた。




「幸せに、ならないと」

「そうよ。そのために、後悔しないように頑張ればいいの。

 貴方より過酷な運命を背負ってきたあの子が頑張っているのに、歩花が頑張らなくてどうするの」




 茜は義理の娘の頬に自分の頬を寄せ、「大丈夫」と囁いた。




「貴方は一人じゃない。

 左一さんや私たちも、いつだって貴方の味方よ」


「……うん。ありがとう、母さん―――」




 歩花は頷いて、茜の柔らかな身体を抱きしめた。












 翌日。学校への登校中、朝からなにやらリーフェルトはそわそわしていた。




「あ―――あのさ」

「?」

「その……」

「うん」

「……なんでもないです」




 気になっているのは言うまでもなく、リーフェルトの長兄と歩花のこと。



 尊敬するアゼリヤと恋人の歩花のことは信頼している。

 別に、二人の間にいかがわしい何かがあったのでは―――などとは疑っていない。


 一体どんな会話が行われたのか。

 そこがちょっぴり……否。とても、気になっている。



 しかし、第三者の自分が好奇心でそれを聞き出すのは、やはりあまりに失礼だと自制した。




(だけど……もし、『不甲斐ない弟で本当に申し訳ない』、とか)




 歩花の血を吸って生き延びた、去年の自分の不覚。


 そんなことを兄に言われたとなったら、落ち込むどころじゃない。



 気になる。怖い。気になる。怖い。失礼だから聞かないほうがいいだろう。いや……。

 なんてことをもやもやと考えてしまい仕方がないのだ。




 一人難しい顔をしている辰弥の姿で、歩花は頭の上にクエスチョンを浮かべた後、




「……そういえば昨晩、君のお兄さんと話したとき」

「!! う、うん……っ?」

「君がとても凛々しくなったと言っていたぞ」

「えっ! あ、そう、なの……? そうなんだ―――」

「ああ。あと、君と僕の関係のことはもうパルさんたちから聞いているそうだ」

「……!? ほ、本当に……?」

「僕が君たち側に行くこと自体は構わないそうだ。だけど、大きな条件があると言われてね……」




 つまり、婚約自体は許してくれる―――ということなのだろうが。


 思いがけない言葉を耳にして、「条件……?」と首を捻るリーフェルト。




「別種族との争いの火種は潰しておきたいということで、

 僕がそっちに行くと正式に決まったら、ヴァンパイアとして生きてほしいそうだ。

 加えて素性がなるべく公にならないよう、僕のメインの力の方を、一生涯封印させてもらうと」

「……それは」




 彼女の夢魔の力を封じてしまうということか。

 確かにそれならば、彼女の中に残るのはヴァンパイアの力のみとなり、

 羽の形状も普通のヴァンパイアのものへと変わる。死ぬまで隠し通すことは可能だろう。


 おまけに歩花が狙われるリスクも低くはなるし、メリットは沢山ある。

 とはいえ自分が彼女の立場なら―――




「……難しいね」

「難しいかな……? 僕は、別に構わないけど」

「え? だって、亡くなった君のお母さんから受け継いだものなのに。

 それを簡単に捨てるっていうのは……」



 『構わない』と、あっさり言い切れるものだろうか。

 もっと迷うものだと思うのに。



「血の繋がりが大事か、大事じゃないかなんて、僕にとっては本当に今更な問題だよ。

 力なんてなくったって、それは血の繋がりを否定しているわけじゃない。

 死んだ父さんや母さんから受け継いだものは沢山ある。

 名前だって、死んだ母さんが付けてくれた名前だ。『自分の幸せのために、前を向いて歩いていける人になれ』ってね。

 別に、『自分の血を誇れ』とか、そんなことを願って付けたわけじゃないと思う。純血だった母さんの立場を考えれば―――ね」




 思わずリーフェルトは、唇を閉ざしてしまう。


 混血である恋人でさえ幼い頃からインキュバスたちに狙われ続けてきたのだ。

 おそらく歩花の母親は、歩花よりも過酷な日々を送っていたのかもしれない。




「狐の母さんだって最初は義父との結婚をみんなに反対されたみたいだけど、最後には許してくれたって。

 義母曰く親っていうのは、そういうものだってさ。そして実母が生きていても、きっと自分と同じことを言うだろうって。

 ……大切なことだし、もっと真剣に考えたいから、今のところはまだそっちに行くとかっていうのは、はっきり決められないけどね」

「あ……うん。それは、好きなだけ時間をかけてくれていいけど」

「ありがとう」




 安心したように笑う歩花。


 そんな彼女に小さく笑い返してから、リーフェルトは暫し考えた。




 つまり。歩花を自分の妻にすることは、彼女を夢魔たちの魔の手から大きく遠ざけることに繋がり、

 世間の夢魔への偏見や、そういったものと戦う必要もなくなるということか。




(でもまだ決められないってことは、僕が男として頼りないってことかな……)




 などという心配が、一瞬リーフェルトの頭を過ぎるが。




(いやいや。だけど、大切なことだよね……。

 僕だって、このまま死ぬまで人間界に住んでくれなんて言われたらすぐには決められないし)




 不安になる気持ちは、とてもわかる。


 とりあえずは、高校卒業までは人間界にいることは決まっていることなのだから、

 それまで彼女を守り通さなければ。




(ちゃんと、待ってあげないと)




 婚約したいと言い出したのは自分。

 彼女が自分を想うより、自分が彼女を想う気持ちが強いのは最初からわかっていたことなのだから。


 これくらいでむなしくなってはこの先やっていけないと、リーフェルトは自分に言い聞かせた。













 休日。

 リーフェルトが駅近くをうろついていると、背後から肩を叩かれ、振り返る。



「ハイ」

「……市辺さん?」

「久しぶり」



 気さくな笑顔を浮かべて立っている真優に、「久しぶり」と自分も笑って返す。



「何やってるの?」

「本を買いに来たんだ」

「ああ。便利だもんね、あそこの本屋」



 買った書物を掲げて見せたリーフェルトに、真優は納得した声を出す。


 自分がいつも世話になっているそこは大きな本屋故、品揃えが豊富なことから、

 隣駅や数駅離れた場所から移動してくる人間も沢山いるのだとか。



「ね。貴方、今暇? 時間あるならちょっとそこでお茶しない?」

「うん。いいよ」

「サンキュー♪ 奢ったげる」

「自分の分くらい自分で出すよ」



 そういえば彼女と会話をするのは夏休み以来だなと考えながら一緒に喫茶店に入り、

 窓際のテーブル席でリーフェルトは真優と向かい合い座った。



 間もなくやって来た甘い物とコーヒーを頂きながら、

 二人は他愛のない話に花を咲かせる。




「最近はどう? 学校楽しい?」

「うん。二年になって、みんなとクラス離れちゃったけどね」

「らしいねー。……あ、歩花とはどうなの?」

「ああ、うん。上手くやってる……かな?」

「なに? その自信なさそうな返事。

 大丈夫でしょ。あの子貴方にベタ惚れだから。

 ただ変なところで真面目すぎたり不器用だから、ちょっとわかりにくいだけよ」

「そうかな……」

「そうよ。だって中学時代と雰囲気が全然違うもの。

 特に貴方と話してるときは、本当に女の子って感じ」



 歩花の義母である茜も、確か同じことを言っていたかと、リーフェルトは頬を掻く。



「いーね、両想いって。

 お互いが好き合うって、奇跡みたいなものよね」

「……そう、かもね」



 自分が歩花を好きになったこと。

 彼女が自分の初恋に、自分を選んでくれたこと。


 陽人や小夜のように好きな人が噛み合うことなく、

 片想いに苦しむ人たちも沢山いる中、お互いを見つめ合える人と出会えたことは、真優の言うように奇跡的なことなのかもしれない。


 少し何かが違えば、歩花は陽人や他の男性を好きになっていた可能性だってあるのに。



「両想いになれたのは、市辺さんたちが背中を押してくれたおかげもあると思うよ」

「? 私が?? 貴方の背中なんて押したことなんてあったっけ」

「うん。本当に、ありがとう」

「うーん。思い出せないけど、まあ、受け取っとく」

「市辺さんは、好きな人とかいないのかい?」



 リーフェルトが聞くと、真優は一瞬きょとんと目を丸くしたが、

 すぐに首を横に振って笑った。



「私は、そういうのはあんまり」

「そっか。僕も、何か手伝えたらと思ったんだけど」

「ん……ありがと。優しいね」



 「歩花の男を見る目は確かだね」と茶化す彼女に、また照れてしまう。


 真優は頬を緩ませて頬杖を突き、



「あーあ。小夜も早く気が付けばいいのに。

 ……今あの子、別の学校の先輩が好きなんだって?」

「聖アイテールの星野尾君だね」

「そうそう。この前、その人のバイト先のカフェに付いて行ってくれって頼まれちゃった」

「それは……へこむだろうね。陽人君」

「本当に、ね」

「でも最近、陽人君頑張ってるみたいだよ。

 夏休み中に二人きりで買い物に誘ったりとか」

「……へえ」

「歩花なしで、一人で精一杯努力してみるってさ」

「大した進歩じゃない。

 あとは近いうちに、あの子が本当のことを受け止められたらいいんだけど―――ね。

 過去のこととか、全部含めて」

「……うん」



 もし歩花がこちら側に来ると決めてくれた時までに小夜が自分の運命を見つめられなかった場合、

 彼女は女の方の歩花に気付かないままになってしまうかもしれない。



 折角の幼馴染なのに、相手のことを何も知らず、

 また、自分のことを何も知ってもらえない関係で終わるというのは、あまりに寂しい気がする。



 それでも歩花は笑って、小夜の幸せを異世界から願い続けるのだろうが。



「このままじゃ、ちょっとね……」



 珈琲の取っ手に手を添えながら。

 リーフェルトはウィンドウ越しに、遠い目で外を見つめた。














 同刻。


 高級マンションの一室にて、歩花は辰弥の姿でシュガーの胸倉を掴み上げ、

 「いい加減にしろ」と肩で息をしながら静かに怒る。


 服や髪型は乱れ、眼鏡も少しずれている。



 時は数十分前に遡り、

 なにやら『真優が今大変だ』とシュガーに騒がれたので、慌ててシュガーとミリーらがシェアしているというマンションまで退魔道具を装備し来てみれば、

 人間の女子二人がかりにいきなり襲われ、服を脱がされかけるというおかしなことが起こった。



 シュガー曰く。彼らが先週ナンパに成功した、“割り切った関係のお友達”ということらしい。



 真優はどこだと問い詰めれば、「ああ、あれ嘘」とあっさり言われ、

 どういうことだと立て続けに聞けば、「卒業させてあげよっかなーと思って♡」とニッコリ悪びれる様子もなくシュガーは歩花に微笑んだ。



 そして、今に至っている。



「……何怒ってんの?」



 シュガーは歩花に胸倉を掴まれながら、心底怪訝そうな顔で首を傾げている。



「本気で。僕が。どうして怒っているのか、君にはわからないのか……!?」

「んー……?」

「卒業するとか、しないとか。僕にとっては余計な世話だと言っているんだ」

「なんで??」

「『なんで』……!?」

「だって本能じゃん。何我慢してんの? 何と戦ってんのお前」

「あのなあ―――」



 何を言ってやろうかと考え始めた瞬間。

 背後から細い腕を回されて、歩花は思わずぎくりとする。


 柔らかな身体が背中に押し付けられ、自然と顔が引き攣った。



「高校で卒業してないとか。恥ずかしーよ? 辰弥クン?」

「そーそー。ウチらがちゃーんと教えてあげるからさー」

「折角カッコいい顔してんだから。勿体ないよ~?」



 背後から勝手な持論を展開している女子二人に、

 自分の手の中で、「うんうん」と首を縦に振るシュガー。


 歩花は彼から手を放し、女子たちと向き合う。




 ……別に彼女たちのような人間がいようといまいと、それは構わないが。




「他人がどういった目で見ていようと、僕は今の自分を変えるつもりはない。

 考えを、勝手に押し付けるんじゃない……!」



 すると二人は顔を見合わせて肩を竦め、今までいたリビングへと帰っていく。


 溜め息を吐いて彼女たちを見送る歩花に、シュガーも何故かそこで溜め息交じりに



「駄目だろー? 女の子に恥かかせちゃーさー」

「……ああ、そうだな! だから合う人間同士だけで楽しくやってくれ!!」

「んー……」

「―――おい。まさか、真優までそっちの道に引きずり込む気じゃないだろうな」

「……さーあね? まあ、なかなか良い身体してるとは思うケドねー」

「貴様ら二人、彼女に指一本でも触れてみろ。僕は、陽人のように甘くはない」



 歩花がそう容赦ない鋭い双眸で言い放てば、相手は少し驚いたような顔をしていたが、

 やがて噴き出し、「なにそれ」とクスクスと女子のように笑い始める。


 まるで滑稽なものを見るような目で歩花を見返した。



「だっさー、ナイト気取り??

 まさか、真優ちゃんが嫌々ミリーのナンパに付き合ってやったとか、そういう風に思ってんの?」

「……」

「薄々気付いてんじゃなーい?

 あの子がどうしてナンパ後もミリーと関わるようになったのかってさ」




 歩花は思わず、口を閉ざした。


 シュガーとミリーのメイドたちが住んでいる邸宅で会った真優が、

 ミリーたちと話していてとても楽しそうにしていたのを思い出していた。




「夢魔に声をかけられる人間ってのは、それなりのワケがあるってコトだねえ。

 人間界生まれのドーテイクンにはわかんないだろーけど、

 だって僕たち、“そういう”ターゲットを狙っておシゴトしてるわけだし?

 まー普段不満を感じてても、なんとか踏みとどまって誘いに乗らないのもたまーにいるけどね」




 リビングにいるあの女子二人も、そうなのだろうか―――。


 ふと、肩越しにその部屋に通じるドアを一瞥した歩花に、

 「君だって同じだよ?」といった嘲る声。




「僕の家で会ったとき、『なーんでこいつ、こんなタマッた顔してんだろー』って。

 ひっどい顔だったよ? あの二人よりもずーっとね。

 だから誘ってやってんのに、カッコつけちゃってさーあー?

 でも我慢してんの見え見えだから、すっげーだっさいよ?」

「……不満―――?」

「笹永たちといるのってつまんなそうだしねぇ……。

 それでもお前がどうしてもあいつらとつるみたいって言うならもう誘わないケ・ド―――」




 シュガーはその名のように、砂糖菓子を思わせる甘いマスクで、無邪気に歩花に囁いた。




「……素直になっちゃったほうが、ずーっと人生楽しいよ?

 ドーテイインキュバスクン―――?」

「……馬鹿馬鹿しい」




 しかし歩花は、そう吐き捨てて踵を返す。



 人生など不満の連続だ。

 溜まらない方がおかしいというものだろうと、彼女は彼の部屋を後にした。




(所詮は、甘やかされて育ったドラ息子の戯言か……)




 生まれてきたころから他人より思いどおりになってきた人生だから、

 思うようにならない些細なことさえ我慢できないと見える―――。




 歩花は鼻で冷たく笑い、

 マンション内にあるエレベーターのボタンを押し込んだ。









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