第16話 summer vacation1
『いけないこと、してるみたい……』
熟れた果実のように赤くなった小さな耳と、血色の良い唇から漏れた恥ずかしそうな声。
『早く……』
鼓膜に触れる掠れた声が、頭の中に蘇る。
学校から帰ってシャワーを浴び、ソファに座って寛いでいたリーフェルトはふと、
昨日歩花から血を貰ったときのことを思い出して一人悶えた。
(いけないことをしてるみたい―――か……)
今思えば、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。
それでも、なんともうっとりするほど官能的なひと時だった。
二人以外誰もいないこの部屋で、甘い禁断を犯してしまったような。
刺激的で背徳的な気分にさせる、たった数分の出来事。
(歩花さん。可愛かったな……)
いつも凛々しい彼女が好きだったけれど。
失望するどころか、目に涙を溜めて自分を見上げる彼女もまた、たまらなかった。
でも結局、彼女は強いのだ。弱いとは思わない。
他人のために恐怖に耐えて、自分が犠牲になる道を選べる女性。
(柔らかかったな……身体)
特に痩せているというわけでも太っているというわけでもない。
肉付きは普通の年頃の女の子だが、一人前のヴァンパイアである自分が力の限り抱きしめたら、容易く壊れてしまうだろう。
それでも友人として自分を信じ、その身を委ねてくれた。
それがリーフェルトにとって嬉しくて、愛しかった。
夏休みに入って間もなく、リーフェルトのスマートフォンに、陽人からのメールが着信する。
『明後日空いてる?』
何かの誘いだろうかと、その日が空いていることを伝えるリーフェルト。
すると、ちょっとした買い物に付き合ってほしいというメールが来た。
『メンバーは小夜と歩花と、中学時代のクラスメートの女子一人。
俺男一人だし、なんだかなーって』
『あれ。辰弥君のほうじゃなくて?』
『まあ、ちょっと事情があって歩花の方で来ることになってる』
……ということは。
(歩花さんの……初めての、生私服―――)
そして、一緒に私服姿で街を歩くのも初めてだ。
『本当に、混ざっていいの?』
『おう。来い』
リーフェルトは心の中で両の拳をぐぐ、と握る。
なんと憎い誘いを寄越すのだろう、彼は。
ありがとう、本当にありがとう。
『来たらちょっと驚くこともあるけど、後でちゃんと話すから。
顔にあまり出さないようにしてくれ。
じゃあ、学校近くの駅に13時な。昼飯食って来いよ』
(……?)
最後。そんな少し引っかかる文章が送られてきたが。
(……あんまり気にしないほうがいいかな。
話すって、言ってくれてるし)
とりあえず、その日になってみないとわからない。
まあいいかと、リーフェルトは今は気にしないことにした。
そして約束の日当日。
待ち合わせ時間より十分早く駅に訪れたリーフェルトの前に、
数分遅れて陽人、見知らぬ女子一人と歩花たちが現れる。
歩花はコンタクトをしているのか、眼鏡をかけていなかった。
「貴方がガーシェル君?」
意外とふんわりした女の子らしい格好で来た歩花に暫し見とれていたところで、
不意に話しかけられ、慌ててリーフェルトは我に返りそちらを振り返る。
「私は市辺真優。よろしく」
「……リーフェルト・ガーシェルです。よろしく」
きっと彼女が、中学時代のクラスメートだろう。
年頃らしい流行のファッションを身に纏ってはいるが、
他の女子とは違う、どこか気品を感じさせる女子だ。
瞳は円らで童顔。愛らしい顔つきのわりに、毅然とした印象を受ける。
「貴方も退魔師?」
「……え?」
「それとも、ひょっとして人間じゃない人?
まあどっちでもいいけど、歩花今日私の従妹ってことになってるから。話合わせてね」
「……―――」
ぽかんとした顔になり、そのまま陽人と歩花の顔を見るリーフェルト。
「……真優」
「だって歩花のこと知ってるんでしょ?」
「……」
諌めた歩花は難しい顔で真優に肩を竦め、
「頼んだ」と、言葉短く自分に言った。
「ああ……うん……??」
疑問符を頭上に飛ばし続けるばかりの自分の耳に、そこで小夜の遠い声が入り込み、
そこで一旦思考を止める。
「お待たせ! ごめん!」
「ああ、別に走ってこなくたっていいのに。待ち合わせ時間遅れたわけじゃないんだし」
「えへへ。だってみんな揃ってるから、つい」
ふう、と一息ついた小夜に、
真優の隣に立っていた歩花が「初めまして」と声をかける。
「市辺歩花です。従姉がいつもお世話になってます」
「あ……うん! お世話してるっていうか、されてるっていうかね……!
木塚小夜です。歩花ちゃん、だったよね?」
「うん! よろしくね、小夜ちゃん」
笑顔で挨拶を交わしあう二人。
陽人が言った、『ちょっと驚くこともある』……というのは、このことだろうか。
本来いつも一緒にいる幼馴染同士が、初対面同士として会話しているこの光景を、
この時、黙ってリーフェルトは見つめることしかできなかった。
電車に乗り、辿り着いた先は大きなファッションビル。
リーフェルト、陽人たち男性陣を連れて真っ先に女子たちが向かったのは、ずらりと色とりどりの水着が並ぶ店。
「……なあ。俺っているか? 選ぶの、女子だけじゃあ駄目だったのか?」
「何よ。男の意見も聞きたいじゃない、年頃の女としては。
ね、笹永君何色好き? ……ていうか、小夜に何色来てほしい? さりげなく勧めてあげるから―――」
「……っ市辺……!」
身を寄せ、ニヤつき尋ねてくる真優に陽人は軽く怒る。
「いいじゃん、正直になりなよ! まあ、あの子なら何着ても似合うだろうけど」
真優の言葉に、リーフェルトは「確かに」と心の中で同意する。
でも小夜の性格的にはきっと、赤や黒といった原色よりは、淡い色が似合うだろう。
(……あれ?)
リーフェルトはそこで目を動かし、
自分たちから少し離れたところでお喋りに夢中になり、水着を見ている小夜と歩花の後姿を視界に入れる。
「……ねえ。陽人君」
「……あ?」
「ひょっとして歩花さんも水着も選ぶの?」
「ああ、そうだろうな」
……水着姿。歩花の水着姿―――。
頭の中で何度かそれを繰り返す度に、
野外の熱のせいで少しぼんやりしていたリーフェルトの頭の中が次第に冴え、クリアになっていく。
それからリーフェルトは無表情のまま陽人にくるりと身体を向けると、
一方的に彼の手を取り、がしりと堅い握手をした。
―――数十分後。
「ど、どうかな……!?」
試着室からカーテンを開けて現れた小夜は、
淡いピンクの、フリルの付いたホルタービキニ。(ただしみんな試着は上だけである)
可愛いとはしゃぐ女性陣を横に、
“写真撮影NG”と書かれてあるにもかかわらず、うっかりポケットの中のスマホに手を伸ばしかけた陽人に、
リーフェルトは唇を引き結んで笑みを押し殺す。
「―――ど? 可愛い?」
真優は明るい水色のシンプルなビキニ。
「涼しげでいいね」とリーフェルトたちが褒める傍ら、「結構似合ってんじゃん」という何気ない陽人の言葉にパッと笑顔になり、
嬉しそうに真優は試着室に引っ込んだ。
……どうやら彼女はそれに決めるらしい。
そして歩花は―――
「え? それ?」
「……そうだけど」
「もっと頑張りなさいよ、サキュバスなんだから」
「お、大きな声で言わないで……!」
ワンピースタイプのものを持って、歩花は試着室へ。
その間に真優は踵を返し、なにやら水着を選びだした。
「……こんな感じで」
普通のワンピースよりもやや丈が短いといったくらいの、可愛らしい水着だ。
大人しいデザインだけれど、これはこれでいい。
というのがリーフェルトの素直な感想だったが。
「はい。これも着てみて」
「……えっ」
「行ってらっしゃい」
押し付けられた水着を両手に呆然としている歩花を試着室に押し入れ、
シャッと真優がカーテンを閉める。
「……待って。なに? これつけるの……!?」
「そう」
「なんでなの!?」
「いいから」
それから一拍の間を置き、ごそごそと微かに揺れる試着室のカーテン。
「……ちょっと」
「何。着たの?」
「やっぱり、嫌―――」
気弱な歩花に、真優は一言断り、勝手に歩花のいる試着室に入っていく。
カーテン一枚隔てられた先から、ひそひそとした会話がリーフェルトたちの耳に入ってくる。
「似合ってるじゃない」
「嫌だよ。私たち歳いくつだと思ってるの……?」
「ていうか。また胸大きくなった?」
「や、やめてよ……」
「ちょっとブラ見せて……ちょっとこれ、E!? Eカップ!! 歩花今歳いくつなわけ!?」
「やめて! そんな大きな声で叫ばないで!」
(E―――!?)
紳士としていけないとは思っていても、
心に強く刻み込んでしまうのは悲しき男の性。
そんなにサイズ、大きかっただろうか。
彼女の顔や首筋ばかり気にして、あまり意識したことがなかったが。
それから暫し、こちらに聞こえないボリュームでごにょごにょ彼女たちは狭い空間で話し合い。
「……あーっ。あー、なるほどねー! へえー! ふうーん」
「な、なに……!?」
「なーんでもないっ♪ ワンピースのやつにするんでしょ? どうせ。着替えてきたら?」
中が見えないように真優はカーテンを最低限開けて、リーフェルトたち側に戻ってくる。
なにか楽しそうな、ニヤニヤとした顔だ。
元の私服姿に戻った歩花が試着室から出てくるのを待って、
女子たちは各々、自分たちが選んだ水着を抱えレジに向かった。
水着売り場から出ると、近くにある専門店でクレープを買い、
リーフェルトたち五人はテーブルを囲み舌を満たす。
どうやら話を聞いていると、
陽人、小夜、歩花、真優たちは、八月に真優の別荘に二泊するらしい。
水着は、その日のためのものだという。
「ガーシェル君も来る?」
「……えっ!」
「折角こうして会ったんだし、何かの縁? みたいな―――」
「真優……!?」
予想外の方向に話が流れたことで、リーフェルトは勿論、その場にいた陽人たちも驚いた顔になる。
自分を見る歩花に真優は「なんでよ」と言い、
「沢山いるほうが楽しいじゃない? 笹永君男子一人じゃ可哀想だし。
それにガーシェル君面白そうだし?」
「で、でも。私たち……」
「ガーシェル君のこと嫌なの?」
「え!? いや、嫌じゃないけど、そういうのじゃなく……」
歩花が口籠るのを置き去りに、ニッコリと小夜は笑う。
「私はいいよ、ガーシェル君が一緒でも。
沢山いるほうがきっといい思い出になるし……。ね! 陽人」
「俺もやっぱ、男一人はハズいしな」
「あ―――笹永君!」
すると陽人は隣に座っている歩花の耳に口を寄せ、何か話しかける。
歩花はすべて聞き終えてから何か考え込むような顔になった後、
「……仕方ないな」
溜め息を交え、そう口を割った。
「よし。ガーシェル君は?」
「え、えっと」
「別に無理強いはしないけど、どうする?」
「日射しとか、結構強いしな。疲れたら自分のペースで休んでいいけど。
ちょっとでも興味あるなら、俺はリーフェルトにも来てほしいわ」
日射しが強いという言葉に一抹の不安を感じるが、
それ以上に友人と泊まり―――という響きに強く惹かれる。
遊び盛りの16歳。
許されるなら、是非経験してみたい。
「……混ざってもいいなら、喜んで」
「決まり。貴方、水着持ってる?」
「ううん」
「そ。なら後で見に行こ。みんなで選んであげる」
遊びに行くメンバーが一人増えて、更に五人の会話が盛り上がる。
別荘に行く日付は八月一日。
その日を純粋に楽しみにしながら、
一日経つごとに、リーフェルトは部屋のカレンダーに書き込む×を増やしていく―――。




