第14話 君に初めまして
<馬鹿なのか? 君は>
陽人に向かって吐かれた声は、いつもより一際低い、なんとも冷たいものだった。
時間は少し前まで遡る。
学校から帰宅し、ゲームなどしてくつろいでいた陽人のスマホにリーフェルトからメールが送られてきたのだ。
『退魔師の仕事って、どんな感じ?
―――僕が陽人君や歩花さんのパートナーになるって、難しいかな?』
驚いた陽人はなるべく早くセーブ場所を探してゲームを切り上げ、リーフェルトに電話をかけた。
『いきなりどうしたよ』
『うん。あれから陽人君に言われたこと、色々考えて……』
『うん?』
『僕が自分の意思で何かできるようになったら、きっとみんなも安心するって言葉。
その通りかもしれないって思って。……ていうか、特に兄さんたちからは何もできない奴だって思われてる気がする……』
自嘲気味にそう苦笑するリーフェルト。
『だから、色々学びたいんだ。いつか兄さんの仕事を近くで手伝うために、なんかこう、他人をサポートするやり方っていうか、姿勢というか。
大丈夫。絶対に邪魔はしないし、君たちがやりたいことに沿うにする。
君や彼女に恩返しだってまだしていないし。……卒業するまで、たとえ気持ちは伝えられなくても、せめて歩花さんのために何かしたい―――』
そんな真摯な友人の言葉に胸を打たれて、早速歩花に意識を送ったところ、
最初の科白が返って来たというわけだ。
<でも、歩花だって普通の人間じゃな―――>
<それは私が完全に人間側だからだろう。
だがリーフェルトはどうだ? 彼はヴァンパイアでしかも王家だぞ>
<……それ以前に、友達だろ?>
<では、友達の友達は? もしリーフェルトの友人やら身内やらが私たちの敵になるようならどうするんだ>
<説得してもらえばいいじゃん>
<本当に同じ種族を相手に、リーフェルトが私たちの味方をすると本気で思っているのか?
彼にも立場があるんだぞ。人間を下に見ているヴァンパイアたちも少なくないのに。
……それにリーフェルトがもし私たちの味方をしてくれても、王家の血をひく奴が人間に命を助けられましたなんて、彼自身が気にしなくたって彼の親兄弟にとってそれは末代までの恥になるだろうよ>
<……そこまで―――>
ハッ、と歩花の短い溜め息が、陽人の頭の中に響く。
<これから先、私は彼と大きな借りの貸し借りをするつもりはない。
リーフェルトが人間側を助けるほど、私たちもあいつの種族を助けなければならなくなる>
<……それって、なにか悪いのかよ>
<じゃあ、今度こそあのダンピールたちの敵になるつもりか? 折角リーフェルトから手を退いてもらったのに。
ヴァンパイアがどんな種族かを考えれば、人間側に都合がいいのはあの兄弟たちの方だ>
<都合―――>
<いいか。人間には人間の都合があるように、ヴァンパイアにはヴァンパイアの都合がある。
ヴァンパイア側の都合に踏み入るほど私たちは人間側に戻れなくなるし、人間側の都合に踏み入るほどリーフェルトはヴァンパイア側に戻れなくなる。だから線引きが必要なんだ。
彼の身内がどうなろうと、それはリーフェルトの問題であり私たちの問題じゃない。
彼が結局ヴァンパイア側に回るようなら、敵対することも覚悟しろ。
冷たいことを言っているようだが、これは友人として、互いの立場のためでもある>
<……>
<幸い私が血を与えたことで、娯楽以外の理由で彼が人を襲うことはもうない。
被害を被る人間が一人減ったと考えれば、私たちのしたことは無駄ではなかった。……もうこれで十分だろう>
押し黙った陽人に、歩花は言い聞かせるようにゆっくりと、そして少しだけ柔らかい口調になり、
<人間とヴァンパイアとの板挟みで、これ以上リーフェルトを苦しめてやるな。彼は優しすぎる。
ただでさえ私の血を吸ったことで命を長らえたことに対し胸を痛めているのに、何故私が女だと彼に伝えたんだ。
罪の意識を煽り余計な同情心を植え付けて、更に人間の手伝いまでさせて、陽人は彼の立場まで奪うつもりか?
彼が何故、私たちのパートナーになりたいと言ったのか。よくよく考えてみろ―――>
翌朝。一緒に登校しながら歩花を説得できなかったことを詫びてきた陽人に、リーフェルトは笑って首を横に振る。
「悪い、俺考えなしで。お前のこと余計に追い詰めてたみたいで」
「そんなことないさ。……でもなんか、敵わないね。君にも、彼女にも」
陽人は陽人なりにリーフェルトのことを思って幼馴染に掛け合って。
歩花は歩花なりにリーフェルトのことを思って、それに反対して。
二人とも方向は違っても、自分のために真剣に考えてくれている。
結果がどうであれ、それが堪らなく嬉しいような気がした。
自分は人間ではないのに。
もしかしたらヴァンパイアの友達より、ずっと真剣に考えてくれているかもしれない。
「でも陽人君。
彼女のことを教えたことが僕を追いつめたなんて、そんなことは絶対にないよ。
彼女に気付いて、彼女を好きになって、本当によかったと思う」
だから、自分で考えなければならない。
ヴァンパイアとして、自分として、一体彼女に何をしてあげられるのか。
今隣にいる友人に、何をしてあげられるのか。
学びたいことは沢山あるけれど。
まず最初にそれを考えていきたいとリーフェルトは今、改めて思う。
「兄さんたちが勝手に決めた留学先だけど、ここに来て本当に良かった。
―――ありがとう、陽人君」
素晴らしい友人に巡り会えて、自分はなんて幸せなのだろう。
その幸せを噛み締めながら、素直に彼は陽人に対し礼を述べた。
授業の合間の休憩時。
移動教室のため陽人と廊下を歩いていると、背後から声をかけられ振り返る。
「……ああ。一緒に行く?」
「……」
無言で自分の前に佇み、見つめてくる歩花の姿。
今、傍に小夜の姿はないようだ。
尋ねたリーフェルトには付き合わず。
歩花はまじまじと、リーフェルトの体つきを頭からつま先まで眺める。
「? 辰弥君―――?」
「……すまない」
「……え??」
「リーフェルト。君で良い。その、放課後、頼みたいことがある」
それは今まで見たことのない、かつてないほど複雑そうな表情だった。
頼み事? 彼女が? この自分に?
リーフェルトが目を見開きぽかんとしていると、
歩花は深く頭を下げ、再び「すまない」と少し大きな声を上げた。
「家に来てくれ。訳はそれから話す。頼む―――!」
「! っ、そんな、頭なんて下げなくても……!!」
寧ろずっと力になりたいと願ってきた相手が、自分を頼ってくれたのだ。
力にならないわけがないとリーフェルトは歩花の頭を上げさせて、
ニッコリと安心させるように微笑む。
「僕でよければ、なんでもするよ! 力になるから、安心して」
「……申し訳ない。友人である君に頼みたくなかったんだが」
「友人なら尚更だろ? 大丈夫! なんでも言っていいよ!」
「本当にごめん……」
やっと少し、恩を返せる時が来た。
何を頼まれるかわからないが、できることならなんでもしてあげたい。
しかも幼馴染の陽人でもない、自分に声をかけてくれたことが嬉しくて、
彼は頬を紅潮させるほどに有頂天だった。
そして時はあっという間に経過し、放課後―――二階堂家。
「……あの。歩花さん……??」
歩花の部屋をノックし、部屋の中にいる友人に向かって、
まるで蚊の鳴くような声を出すリーフェルト。
歩花に頼まれるまま行動はしたものの。
家に着くまであんなに声を弾ませ意気込んでいたリーフェルトのテンションが嘘のようにダダ下がりだ。
「どうぞ」
「……どうぞ、って。あの―――」
ドアを開けて、「恥ずかしいんだけど」と外から顔を半分覗かせる。
しかし歩花は「入れ」と容赦なく促し、
リーフェルトは挙動不審な様で彼女の部屋に入る。
彼女は椅子に座ったまま勉強机に頬杖を突き、リーフェルトを眺めると、冷静に第一声
「……余裕で抱けるな」
「君からそんな言葉聞きたくないよ!!」
セーラー服にハイソックスという女装姿でスカートを抑えながら彼は、歩花に対し涙目で叫んだ。
一体なんだろうかこれは。
好きな人のためだと思って来て見れば、好きな人にとんだ羞恥プレイをされている。
この状況は一体なんだ。
「すまない。恥ずかしいだろうが、彼女が来るまで待っていてくれ」
「……?? 彼女……?」
「そろそろこの時間に―――」
そこで不意に、歩花の部屋の窓を外からコツコツと叩く音。
「たーつやくーん♡」
「……!?」
次いで艶めいた女性の声に振り返り、リーフェルトはぎょっとする。
一体どうやってよじ登ったのだろう。
二階の窓の外で頬杖を突き、涼しい顔で成熟した女性が部屋の中にいる辰弥に向かって手を振っている。
歩花はため息を吐いて椅子から立ち上がり、窓の外を開けるなり、
「誰かに見られでもしたらどうするんです」
「いーわよーぅべっつにー」
「……何しに来たんです」
「んふふ」
手足を伸ばし、歩花の部屋に侵入しようとする女性。
少し動く度に白シャツの胸元から露わになったむっちりとした胸が揺れる。
彼女は脱いだ靴を床に放り、すらりとした片足を着いた瞬間、
もう一方の足を窓際に引っかけてしまったかと思うと、色っぽい悲鳴を上げて前のめりによろめく。
「あら―――ごめんなさい」
躓いた拍子に、少年のなりである歩花の胸元に凭れかかり、
女性は自然と身体を押し付けるような体勢になる。
完璧な顔の角度で長い髪を掻き上げ、ちょっとした上目遣いで歩花を見るが、
無論そのような誘惑に、本当は同性である彼女が乗るわけがない。
歩花は無表情で彼女の身体を優しく押し返し、冷めた顔で肩を竦めた。
「……帰ってくれないか? 彼女に誤解される」
「……彼女??」
女性はそこで初めて、呆然と立ったままでいるリーフェルトの存在に気付いたらしい。
少し驚いたような顔をしてリーフェルトを眺めた後、また歩花の方に目を戻す。
「……本当にいたのねえ」
「清い付き合いだ。帰ってくれ」
「ふうん。ま、アタシが恋しくなったらいつでも声かけて。お仕事で暫くはこの国にいるから。
じゃーね♪ ドーテイインキュバス君」
「はいはい……」
「可愛いお嬢さんも、縁があったらまたいつか夜に。ね……♡」
女性は靴を履き直し。窓の外からふわりとヒールを鳴らして飛び降りる。
驚いて窓の外に身を乗り出し見入ったリーフェルトの目の先で、
ぶちぶちと白シャツが破れ大きな羽が背中から生え広がる。
あの羽の形状は、インキュバス、サキュバスたちのものだ。
「……高校に入ったばかりの頃だ。
退魔師の仕事中にばったり出会って以来、どうもしつこくてな」
昼下がりだというのに堂々露出の高い服で街中を飛行しながら遠ざかっていく彼女を尻目に、
歩花はまた椅子に座り直す。
「成人の歳になっても半人前のままの夢魔は珍しいとかで、からかいに来るんだ。暇な奴め。
……最近あまりに鬱陶しいから、最近彼女ができたと嘘をついたら会わせろとはしゃいでね。
嘘だということがもしバレていたら、これから先も奴は、奴の仕事期間以内ギリギリまで僕に粘着しては馬鹿にし続けるんだろう」
「……陰湿すぎない?」
「あれが夢魔として典型的といえば、典型的だ」
「……」
他人事ながらなかなか不快なことをすると、無意識に眉をひそめてしまうリーフェルト。
そんな彼の表情から、彼も自分と同じ考え方をするのだろうと感じ取ったのか、
歩花の口調は次第に愚痴のようなものへと変化していく。
「どれだけ早く何人と関わりを持ったか競い、自分が一番大人だと鼻高々に歩く中坊と何が違うんだか。
高めるべき強さや己の価値はそんなもので決まるわけじゃない.
確かに一人前になることで以前より飛躍的な力を手に入れられるのは事実だが、本当の強さとはもっと別のところにある」
「……そうだね」
心の底から同意する。
種族として一人前になったといっても、それは必ず精神的な一人前をも指すわけではない。
リーフェルト自身、それを既に身を持って痛感している。
「そもそも僕は人間界で生まれ育ち、人間界のルールの中で生きているんだ。
夢魔の血をひいているからといって、向こうの考え方でものを言われたって困る」
「……でも歩花さん。その、戦いに身を置くなら―――言いにくいけど、
一人前になった方がいろいろと都合が良いんじゃ……」
「ああ。力があるに越したことはないな。
だけど私は戦いに身を置く者としてではなく、一人の女として胸を張って、この人だと心に決めた男性にすべてを捧げると決めている。
今時退屈で面倒な女だと思われるかもしれないが、そこだけは死んでも絶対に譲るつもりはない」
きっぱりとした言葉に、迷いない強い瞳。
まっすぐ自分を見据えているのは、きっと、たまたま自分が話し相手だから。
それでもその凛とした双眸に捉えられ、リーフェルトの胸は容易く撃ち抜かれた。
「……リーフェルト」
「……っ、は、はいっ……!」
「着替えてきていいよ。多分もう、私のところに奴が来ることはないだろう」
「あ―――う、うん……」
リーフェルトは歩花の部屋から一度出ていき、階段を降りて脱衣所へ向かう。
自分が最初に着ていた学校の制服に着替え直しながら、
なんともいえない想いが落ち着きなく騒ぐのを、胸の中で必死に抑えていた。
歩花の部屋にまた戻ると、テーブルの上にはジュースが並々注がれた二つのグラス。
自分が着替えている間に持ってきたのだろうか。
歩花は「すまなかったな」と言い、テーブル近くの座布団と飲み物をリーフェルトに薦めた。
「お菓子もいるか? 必要なら用意しよう」
「ありがとう。でも、お構いなく」
「そうか? でも遠慮はしなくていい。君には恥をかかせてしまった」
「え、そんなことないよ! そりゃあ、確かに恥ずかしかったけど」
仕方がなかったのだろう。歩花の事情を知る者は数少ない。
別にリーフェルトを馬鹿にするためにあのような格好をさせたわけではないし、
何より女装をさせられた恥ずかしさよりも、何も恥じるようなことをしていないのに歩花を嘲笑い、貶め辱めようとしたあの夢魔の根性に憤りを覚える。
それなら自分の女装くらい安いものだ。
そう考えられるのは、惚れた弱みもあるのかもしれないが。
「では私に何かしてほしいことは? 多少我儘でもいい。こっちの我儘を聞いてもらったんだからな」
「いいよ、別に。そんな―――」
女装くらいで。と続けようとして、ふと、リーフェルトはあることに思い立ち言葉を止める。
セーラー服。女装。女の格好―――女の子の、姿。
頭の中でチャンスだと囁くもう一人の自分の声。
セノフォンテの古い携帯の中でしか会ったことがない、本当の彼女の姿が記憶から蘇る。
これは。このタイミングなら……
「……じ、じゃあ……」
「? なんだ? 何か思いついたか」
「……その。お―――」
緊張に乾いた口内を潤すため、こくりと唾を呑み込み喉を鳴らす。
ようやく。
ようやくこの時が来るのだろうか。
リーフェルトは椅子に座っている歩花と向き合いながら、
座布団の上で正座に座り直し、腿の上で汗ばむ拳を握りしめた。
「……女の子の。
本当の歩花さんに、会いたい。……会ってみたい」
それを言い終えた途端、頬だけが燃え上がるように熱くなる。
―――言ってしまった。ついに言ってしまった。
衝動的に口からそう叫びたくなるほどのリーフェルトの胸中とは対照的に、
歩花は少し目を見開き、心底不思議そうに、
「そんなことでいいのか?」
「はい……っもう、それさえ見られれば!」
「何故敬語なんだ君は。……まあいいけど。ちょっと待っていてくれ」
歩花は椅子から立ち上がり、窓の戸締りを慎重に確認しだす。
更にカーテンを閉めて、外からの光を完璧に遮断した。
「……一応な。暗いけれどまだ外は明るいし、ヴァンパイアなら気にならないだろう?」
「う、うん……」
「では」
彼女は椅子の上に戻り、脚を組んだ姿勢で目を閉じる。
ドキドキと胸を弾ませているリーフェルトが見守る中。
歩花の肩は見る見るうちに細くなり、身体は全体的に、女性特有の丸みを帯びていく。
そう時間はかからない、刹那の変化。
リーフェルトが知っている少年の姿は、もうそこにはない。
自分が着ているものと同じ制服を着た、見慣れぬ少女が今、目の前に座っている。
ずっと会いたいと、焦がれていた少女が。
「……こんな感じだ」
「―――」
「同じ顔ではないので少し失望させたかもしれないが、多少パーツが変わってしまうのは致し方ないことでね。
幻覚でそのように見せることはできるんだが、そっちのほうを見てみるかい?」
「……! ううん、そのままでいいよ! ていうか、そのままがいい!」
「? そうか?? 正直、この覇気のない目つきがコンプレックスで―――」
「可愛いと思うよ!!」
「そ、そうか……」
「可愛いよ! 抱きしめるよ! っていうか抱けるよ!!」
「フォローになってない。セクハラだそれは」
「殴られるぞ君」と笑う歩花。
素直な笑顔がとても綺麗で、心を奪われる。
男子の制服など気にならないくらいだ。
寧ろ身に纏っているシャツもズボンもぶかぶかで、ちょっぴり幼い甘さが絶妙に混ざり、可愛らしくもある。
クールでも、年相応の女の子の笑い声。
それでも中指で眼鏡を押し上げる仕草は、少年のなりをしていた時とまったく同じで、何一つ変わらない。
間違いなく、彼女は自分の憧れの人。
そして彼女は、彼女の本当の姿。
「……こっちに来て」
「ん?」
「もっと君と、お話ししていい?」
やっと辿り着くことができた興奮が、冷めないうちに。
テーブルを挟んだ自分の向かい側に歩花を座らせて、
リーフェルトは他愛のない会話、一つ一つに酔いしれた。




