【第二話】私に妹はおりませんが。(1/3)
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「口答えをするな!」
「ヒッ……!」
とても貴族の集まる学園とは思えない、下品な怒鳴り声が人気のない廊下に響く。
「ふん。万が一この婚約が無くなれば、お前のような能無しに新たな嫁ぎ先があると思うか?」
「それは……」
「黙れ。お前の家の貧相な農産物を運ぶには、我がバルクマン侯爵家の領地を通るしかない。わかっているだろう?」
男はそう言い放ち、その場をあとにした。
残された令嬢──イルゼ・フォン・マイヤー子爵令嬢は、青ざめた顔で立ちすくんでいた。
◇
アイゼンハルト伯爵令嬢──フリーデリケは急ぎ足で、しかし優雅さを損なわない歩みで、閑散とした廊下を進んでいた。
婚約者であるヴァイマン伯爵令息がうっかり紛失してしまった課題のノートが、教師の研究室に届けられているとの情報を得たからだ。
「……!」
声だ。この先の廊下に人がいる。
姿が見えないにもかかわらず、ここまで声が聞こえるとは。この声の主は随分と激情家らしい。
廊下の角を曲がると、そこにいたのは顔色の悪い令嬢ただ一人であった。
「マイヤー様」
フリーデリケの冬の清流のような澄んだ声に、令嬢はビクリと肩を震わせてこちらを振り返った。
「あ、アイゼンハルト様……」
勉学、礼法ともに優れたフリーデリケは、あまり表情の変わらない顔も相まって、令嬢たちからは一目置かれると同時にやや恐れられていた。
そんなイルゼを気にした様子もなく、フリーデリケは彼女に尋ねた。
「先程この辺りで大声が聞こえたように思うのですが、何事ですか」
「……も、申し訳ございません」
フリーデリケの片眉が上がる。
「では、マイヤー様のお声だったと」
イルゼは慌てて否定した。
「いえ! その、お恥ずかしながら婚約者と少々言い合いに……」
「左様ですか」
マイヤー子爵令嬢の婚約者といえば、バルクマン侯爵家の令息、ディートリヒのはずだ。
バルクマン侯爵領は王都への街道を有しており、子爵領の主要産業である果物の輸送路になっているとフリーデリケは記憶している。
それにしても、人気がないとはいえ学園の廊下で声を荒らげるなど、侯爵令息の振る舞いとしては褒められたものではない。
黙り込んだフリーデリケ──実際は情報を整理しているだけなのだが──と向かい合ったイルゼは、梟に見つめられる小動物とはこんな気分なのかと震え上がっていた。
たった数秒の沈黙に耐えきれなくなったイルゼが、おずおずと話し始めた。
「実は……」
彼女が語った婚約に関する事情は、フリーデリケが記憶していた情報と概ね一致していた。
子爵領の果物を輸送する際に便宜を図るかわりに、侯爵家が後ろ盾となっている商会へ優先的に卸すという契約だった。
「なるほど。さらに家格の差もありバルクマン侯爵令息に強く出られない、と言うことですね」
フリーデリケは納得したように頷いた。
「はい。あの街道以外に、マイヤー領から王都へ向かう道はありませんから……」
そこまで話したイルゼは、突然ハッとしたようにフリーデリケへ視線を向けた。
「申し訳ございません。アイゼンハルト様にこのようなことを……!」
「いえ。それが事実であれば、マイヤー領の南に隣接するアイゼンハルト領も無関係ではありません」
「えっ?」
「隣領の治安の安定は、我が家にとっても重要課題の一つです」
混乱するイルゼが口を挟む間もなく、フリーデリケは畳み掛けた。
「私の方でもその件に関して事実確認をいたします。不明点があれば別途マイヤー様にお尋ねすることもあるでしょう」
「は、はい……」
「それでは、失礼いたします」
一礼をして去っていくフリーデリケの背中を、イルゼは口を半開きにしたまま見つめていた。
◇
教室へ向かうフリーデリケの背後から、廊下を駆ける慌ただしい足音が聞こえる。
「おーい、フリーデリケ!」
彼女の婚約者である、カール・フォン・ヴァイマン伯爵令息だった。
息を切らした彼は捨てられた子犬のような顔をしている。
「ごめん、課題のノート見つけられなかったんだ」
課題のノート。
その言葉を聞いた瞬間、フリーデリケの意識は己の両手へと移った。
もちろんその両手には何もない。
「……教師の研究室にそれらしきノートが届けられているとの話を聞きました」
「そうか! 行ってくるよ、ありがとう!」
カールは駆け足で去っていった。




