第四章 招かれざる者(2/4)
多少ショッキングな表現がありますのでご注意下さい。
あたしのせいだ――
ドロドロとした溶岩のような自責の念がディナの心を焼き尽くす。燃え盛る怒りの炎は幼いシェサを人質にとった聖堂騎士へと向けられたものだけでなく、自分自身への怒りでもある。あまりの怒りに視界が白く明滅するほどだった。心の中で燃える炎の熱気を吐き出さんが如く、ディナが口を空けて怒声を発しようと思った瞬間に別の怒声がそれを遮った。
「シェサを放せッ!!」
怒り狂うディナだったが、それに負けず劣らず感情を高ぶらせている者がいた。
人間と魔族が手を取り合う未来を誰よりも夢見る者。異世界から来た黒髪の勇者。ユウ。
「子供を盾にするとか、あんたらそれでも大人かッ!」
ユウの叫びには耳を貸さず、シェサを拘束している一人がはたと気付く。
「黒髪の子供……あのガキがラドカルミアの勇者か。ちょうどいい、機会があれば始末しておけとのお達しだ」
聖堂騎士がギリリとシェサの締め付けを強くする。涙で塗れた顔がさらに歪められて、くぐもった悲鳴が漏れた。
「テメェッ!」
飛び出そうとするディナを黒い毛に覆われた大きな手が抑える。肩を押さえたその手には筋張るほどに力が込められており、テヴォの内心を物語っていた。
「魔族に人質が通用するかどうかは賭けだったが、これは予想以上だ。よし……魔族共、このガキを殺されたくなくばまずその勇者を殺せ!」
その瞬間、レイが長剣の柄に手をかけ、セラがユウの腕を引いて抱き留めた。シェサには悪いが、レイ達にはユウを護るという使命がある。例え狼人族達に恨まれることになってもそれだけは譲れない。ユウ本人がよしとしても、だ。
だが、テヴォはユウの方には見向きもしなかった。
「断る」
思案する時間すらない。あまりの即決に聖堂騎士が困惑するほどだった。
「それじゃあ例え生き残っても、友人を犠牲にしてしまったとシェサの心に傷が出来ちまう。そんな提案飲めねぇな」
「友人?友人だと!?魔族が人を友と呼ぶだと!?やはりアムディール様の考えは間違っていなかった!ラドカルミアは魔族と結託している!勇者は人間の敵だ!」
もはや自分達が誰の指示で動いているかを隠そうともしない。
次期教皇の座を狙う枢機卿アムディール。この聖堂騎士たちは“組織”の監視者からもたらされた情報を元に派遣されたアムディールの子飼いの兵だった。
「その子を放してやってくれねぇか。何もせずに森から出てくれりゃあ、俺達は一切手は出さねぇ。ここからもすぐ出ていく。約束する」
そう言いつつ、一歩前へ。
「そ、それ以上近づくなァッ!」
シェサを拘束する一人が半狂乱になって叫び、その手に持つ刃物をチラつかせた。
説得の通じる状態ではない。怯えているのはシェサ以上に彼らの方だ。この狼人族の集団の中にあって、人質がいなければ自分達はどれほど無力であることか。騎士とはいうが同じ騎士のレイとは相手にしているモノが違う。聖堂騎士が普段相手にするのはロクに訓練も受けていない野盗程度。魔族との戦いなどまったく想定されていない。人数さが同程度ならば戦いになった時の結果は見えている。
「うちが狙いなんか!?やったらうちが代わりに人質になったるわ!やからシェサを放せッ!」
「よしなさいユウッ!」
自分の身など一切省みず前に出ようとする勇者を護衛の魔法師が腕を掴んで行かせない。これほどまでに興奮し、激昂しているユウの姿は護衛の二人も初めて見る。誰かが誰かを傷つけることを極端に嫌悪するユウだが、それに加えて保身のために自分より弱い者を虐げる行為が逆鱗に触れた。
もといた世界でも、嫌と言うほど見た光景であったから。
「セッちゃん放してッ!シェサを助けんと!」
「貴女が行ったところでどうにかなる話でもないのよッ!」
もがいて腕を振り払おうとするユウを必死でセラは繋ぎとめた。そう、状況はユウが行ったところでどうにもならない。聖堂騎士達にとって人質は生命線。確実に安全が確保されるまで手放しはしまい。そして人間であるユウに狼人族に対する牽制効果は少ないと彼らは思っているはずだ。故に人質の交換はできず、行けばただ殺されるだけ。
どうすればいい。暴れるユウを押さえつけながら、セラは考えた。そしてふと、前にいるテヴォと目が合った。
「……お互い苦労するな」
その黒い毛に覆われた顔に苦笑が浮かんでいるのを見てとり、セラは困惑した。なぜこんな時に、そんな表情を……。
そしてテヴォは、さらに一歩前へ。
「それ以上近づいてみろ……こいつの命はないぞ!」
震える声、震える手でナイフがシェサの首筋に押し当てられる。毛皮越しに刃物の冷たい感触を感じてシェサはくぐもった呻きを漏らした。もう泣く気力もない。ナイフの冷たさが首を通して全身に伝わりガタガタと身体が震えだす。怖い、痛い、寒い――
立ち止まったテヴォは、シェサのその様子にスッと目を細めるとやおらその場に両膝をついた。
「そいつを放してやってくれ。俺はこの集落の族長だ。人質なら俺がなる」
「ば、馬鹿を言え!貴様が人質になど――」
「暴れるのが怖いってぇなら、ここで両腕を斬り落とす。あんたらには無理でも、後ろの勇者の護衛ならすっぱりやってくれる」
確かにレイの長剣とその技量ならばそれは容易い。容易い、が。
「頼む。何なら、片足の腱も斬っちまえばいい。それなら逃げようもない。なぁに、それぐらいじゃ死にゃあしねぇよ。こちとら人間と違って頑丈なんだ」
そして、両腕を上げて頭を下げる。
いつかどこかで見たような光景にレイは息を飲んだ。かつて聖堂騎士達の場所に、自分はいた。
「そいつはまだ子供だ。これからなんだ。だから頼む。殺さないでくれ」
喧騒に満ちていたその場がいつの間にか静まり返っていた。人間に懇願する族長の後ろ姿を見やる他の狼人族達は固唾を飲んでその光景を見やり、激怒していたユウもテヴォの覚悟にあてられて押し黙る。
「親父……」
今まで見たことのない父の一面に、ディナもそれ以上の言葉が出てこない。魔族領から逃げ、安住の地を求めて人間領までやってきた狼人族。人間領という四面楚歌の環境で同胞達を不安がらせることなくまとめてきた族長。覚悟なしでは務まらない。その重責、その重荷。娘は父の大きな背中が背負い続けてきたものの一端を垣間見た。
「う……あっ……」
頭を下げられた聖堂騎士は言葉にならない呻きを漏らし、二の句が継げないでいる。魔族に頭を下げられるというあり得ざる光景に、脳の処理が追いついていない。その感覚はレイにはよく分かる。
そのときだった。
――やめなさい
どこからともなく声が響いた。心臓に氷を押し当てられたような怖気を誘う冷たい声色。
次いで聴こえてきた文字にすることのできない奇妙で奇怪な音に誰よりも早く反応したのは魔法師であるセラだった。
「伏せてッ!!」
咄嗟にセラがユウを伴って倒れ込むように地面に身を投げ出した。ほぼほぼ条件反射でレイもそれに続いた刹那。
――〈見えざる刃、舞え〉
ぶぉんという何かが空を裂く音。その音を耳にした人間で、以降の光景を見ることができたのは狼人族側にいる四名だけだった。
「――え?」
突然拘束が解かれたシェサが何が起こったのか分からずに呆然と声を漏らす。視界には同じような表情でこちらを見やるテヴォ達。
そして背後で何かが倒れる音が十ほど聴こえた。恐る恐る後ろを振り向くと――
「う、あ――」
地に転がった首と、目が合った。