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境界年代記  作者: 灰神楽ねこ
第一の書 諸王国の成立

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1/8

西門の書記

ポルタの西門で、死者の通行証が見つかったのは、建国紀元二十三年、麦の刈り入れが始まる少し前のことだった。


その日、門の前には朝から長い列ができていた。前夜の雨で東の街道がぬかるみ、荷車が一台、橋の手前で車輪を折ったためである。

ようやく道が通れるようになったころには、羊を追う農夫、麻布を積んだ商人、近郊の村から市へ野菜を売りに来た女たちが、門から半里ほども続いていた。

書記のマティアスは、通行証を調べる机の前で、朝から三度目のあくびを噛み殺した。


「次」


若い門番が声を張り上げると、灰色の外套を着た男が進み出た。

三十代の半ばほどに見える男で、日に焼けた顔には短く刈り込んだ髭があり、右の眉の上に小さな傷があった。後ろには鉄製品を積んだ荷車が二台、御者と護衛が三人ずつついている。


「名前と商売を」

「ルーデン。鉄を扱っています」

「どこから来た」

「東の丘陵から。荷は鋤の刃と釘、馬具の金具です。市の南にある倉庫へ納めることになっています」


男は革袋から折り畳んだ羊皮紙を取り出し、机に置いた。マティアスはそれを開き、印章を確かめた。

古い証文だった。

羊皮紙の端は黒ずみ、折り目には幾度も修繕した跡があったが、市の印章ははっきり残っている。

文字は三十年ほど前まで使われていた書体で、記載された商業特許の形式にも不審な点はなかった。


マティアスは、いつものように証文の名前を読み上げようとして、口を閉じた。


「どうしました」

男が尋ねた。


マティアスは答えず、証文を窓際へ持っていった。陽に透かしてみても、名前の部分を書き直した跡はない。


「ルーデンというのは、おまえさんの名前かね」

「そう申し上げましたが」

「父親の名ではなく?」

「父はヨナスといいました」

「祖父は」

「知りません。私が生まれる前に死んだそうですから」

マティアスは証文を机に戻した。

「この通行証を、どこで手に入れた」

「父から受け継ぎました」

「父親はヨナスだと言ったな」

「ええ」

「ここに書いてあるのはルーデンだ」

「父は商売をするとき、その名を使っていました。父の父が持っていた特許状だからです」

マティアスは男の顔を見た。

「そのルーデンという人間は、三十年前に死んでいる」

男は少しも驚かなかった。

「祖父のことでしょう」

「いや」

マティアスは椅子から立ち上がった。

「わしはその男を知っている」


後ろで待っていた商人が舌打ちした。若い門番は、マティアスがまた昔話を始めたと思ったのか、困った顔をして列の方を振り返った。

「マティアスさん、後が詰まっています」

「この男を詰所へ連れていけ」

「何か問題でも?」

「いいから」

ルーデンと名乗った商人は、門番の顔を見てからマティアスに向き直った。

「私の証文に不備があるのですか」

「調べる必要がある」

「それなら、荷だけ先に通していただけませんか。今日は市で取引があります。鉄は濡らしたくない」

「荷も待たせる」

「困りますね」

男はそう言ったが、声を荒らげることはなかった。むしろ、面倒な手続きに巻き込まれた商人らしい、諦めを含んだ微笑を浮かべていた。


その顔を見たとき、マティアスは初めて、自分が何を恐れているのか分からなくなった。

三十年前に死んだルーデンは、確かに彼の知人だった。

だが、目の前の男はそのルーデンに似ていない。顔立ちも、声も、背格好も違う。何より、年齢が合わない。

同じ名前を使っているだけの、見知らぬ商人にすぎないのかもしれなかった。

それでも、証文を見た瞬間に覚えた胸騒ぎが消えなかった。


マティアスは門番に荷車を脇へ寄せるよう命じ、自分も詰所へ向かった。

その背中に、列の後ろから怒鳴り声が飛んできた。

「いつまで待たせるんだ! 日が暮れちまうぞ!」

マティアスは振り返らなかった。


*


三十年前、ポルタはまだ王国の一都市ではなかった。

市の周囲には小さな領邦がいくつもあり、それぞれが勝手に通行税を取り立てていた。

東から来る商人は山道で税を払い、市の門でまた税を払い、川を渡れば対岸の領主に別の税を払わなければならなかった。

ポルタの商人組合は、近隣の領主たちと個別に協定を結び、できる限り通行を妨げられないよう努めていた。


当時、マティアスは市の文書庫で働き始めたばかりの若い書記だった。

ルーデンという商人を知ったのも、そのころである。

男は鉄を扱っていた。東方から運ばれてくる鉄の棒や農具を買い付け、西方の農村へ売っていた。裕福というほどではなかったが、商売は堅実で、約束した日に必ず荷を届けることで知られていた。

マティアスは何度も彼の特許状を写した。


ある冬、ルーデンは東方への旅から戻った直後に病に倒れた。

最初はただの熱だと思われていたが、三日目に意識を失い、七日目の朝に死んだ。


マティアスは葬儀に参列した。

棺を運ぶ男手が足りず、商人組合の書記たちも手伝いに駆り出されたからである。

ルーデンの棺は重く、雨で濡れた墓地の坂道を登るのに難儀した。マティアスは足を滑らせ、泥の中に膝をついたことまで覚えている。

あのとき、ルーデンには幼い息子がいたはずだった。

名前は何といったか。


マティアスは詰所の椅子に座り、向かいの男を見た。

「おまえさんの父親は、何年に亡くなった」

「六年前です」

「その前は、どこで商売をしていた」

「東の町です。父が死んでから、私が荷を運ぶようになりました」

「ポルタへ来たのは初めてか」

「いいえ。三度目です」

「以前は、どの門を通った」

「北門です。二度とも」


マティアスは、男が質問に淀みなく答えることに苛立ちを覚えた。

嘘をついているようには見えない。少なくとも、急に問い詰められて困っている様子はなかった。


「その証文は、おまえさんの祖父が持っていたものだと言ったな」

「そうです」

「祖父の名前もルーデンか」

「ええ」

「父親の名前はヨナス」

「そうです」

「それなら、どうしておまえさんもルーデンと名乗る」

男は不思議そうな顔をした。

「祖父の名前をもらったからですが」


マティアスは黙った。

ありふれた話だった。祖父の名前を孫につける家など、いくらでもある。


「祖父のことを、父親から聞いたことはあるか」

「多少は」

「どんな人だった」

「商売に厳しい人だったそうです。帳簿の数字が一つ合わないだけで、夜中まで調べていたとか」

マティアスは思わず笑いそうになった。

それは彼の知るルーデンそのものだった。

「ほかには」

「東方へ行くときは、必ず同じ道を通ったそうです。山の南を回る道は遠いけれど、安全だからと」

「そうだ。北の峠は盗賊が出た」

「ご存じなんですか」

「知っているとも」

男はそこで初めて、相手に興味を持ったようだった。

「祖父を知っていらしたんですか」

「葬儀にも出た」

「それは……」

男は少し姿勢を正した。

「祖父がお世話になりました」


マティアスは返事に困った。

あまりにも自然だった。

目の前の男が詐欺師だとすれば、よほどよく準備している。そうでなければ、本当にあのルーデンの孫なのだろう。


「悪かったな。古い名前を見て、驚いたんだ」

「構いません。祖父をご存じの方に会えるとは思っていませんでした」

「証文は本物のようだ。ただし、古い特許状だから、市の記録と照合しなければならない」

「どれくらいかかりますか」

「昼までには済ませる」

男は少し考えた。

「では、荷を見ていてもらえますか。御者たちに昼食を取らせたいので」

「構わんが、荷は動かすなよ」

「もちろんです」

マティアスは若い門番を呼び、商人を外へ案内させた。


詰所に一人になると、彼は机の上に残された通行証をもう一度開いた。

印章は本物だった。

それだけは、間違いない。

問題は、印章が本物であることと、その証文を持っている人間が正当な持ち主であることが、同じではないという点だった。


マティアスは窓の外を見た。

灰色の外套を着た男が、御者たちに何か話している。御者の一人が笑い、男も笑った。

何の変哲もない商人だった。

それでもマティアスは、市の文書庫へ使いを出すことにした。

三十年前のルーデンの記録を持ってくるように、と。


*


昼過ぎ、文書庫から古い帳簿が届いた。

マティアスは、埃を払って革の表紙を開いた。

そこには確かに、ルーデンという商人の名前があった。鉄製品の取引許可、東方への通行権、商人組合への加入記録。いずれも彼の記憶と一致している。

そして、死亡の記録もあった。


建国紀元前四年、冬。


マティアスは、その下に書かれた相続人の名前を読んだ。


ヨナス。


男の話と合っている。


さらに帳簿をめくると、ヨナスが父の商業特許を相続したことが記されていた。相続は正式に認められており、特許状の原本も引き渡されている。

マティアスは椅子にもたれた。

これで話は終わりだった。

彼は門番を呼び、商人を通すよう命じた。


若い門番は安堵した顔をした。

「よかったですね。朝からずっと待っていましたから」

「荷の検査は済んだか」

「ええ。鋤の刃と釘、それに馬具の金具です。申告どおりでした」

「なら、通してやれ」

門番が出ていったあと、マティアスは帳簿を閉じた。


しばらくして、窓の外を二台の荷車が通り過ぎた。

灰色の外套を着た男が、こちらを見上げた。

マティアスが軽く手を挙げると、男は帽子を取って会釈した。

そのまま荷車は市内へ消えていった。

マティアスは、ほっとしたような、少し寂しいような気持ちになった。

三十年前に知っていた商人の孫が、同じ商売をしている。

それだけのことだった。

年を取ると、こういう出来事が妙に胸に残る。

彼は帳簿を棚へ戻し、午後の仕事に取りかかった。


その日の夕方、ポルタ市の南倉庫から、王国軍に納める予定だった鉄製品が持ち出された。

搬出命令には、市の正式な印章が押されていた。

命令書を持参したのは、灰色の外套を着た商人だったという。

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