1 転生の真実を教えます
最近、妙な噂が流れている。大学生の亥櫃歪はその日大学構内でその噂を聞いた。
「事故なんかで死んだら異世界に転生できる。そこでは神から貰ったチート能力で無双できるんだって!」
隣席の学生達が歪にも十分聞こえるような声で語っていた。
「漫画の話?」
「俺も最初に聞いた時に思ったよ。でも実際転生ってしたやつがいるらしいんだよ。そいつから交信が来たんだって!」
「えー、嘘くさっ」「漫画の読みすぎだろ」
噂を語る男以外は当然信じる様子がない。男の方もむきになっているが実のところ大して信じているわけでもないだろう。彼らはその後もフィクションの話をするように話し続けていた。
また学内の別の場所で、別の集団が同じような話をしていた場面に歪は出会った。ただ彼らは先ほどの集団よりも真剣に見えた。
「例の交信者との接触はどうなりました?」
「DMを送ってみたんですが返信はありません。SNSの投稿もなく、彼の友人と名乗る方によるとここ数日連絡が取れないそうです」
「やはり消されたか」
「どうやら政府には異世界の存在は不都合のようだ」
「それはそうでしょう。異世界転生が事実と広がったら上級以外は皆転生を望みますからね」
あまりに陰謀論じみた語り口に歪は思わず耳を塞ぎたくなった。学内にオカルトサークルがあることは知っていたのでもしかしたら彼らがそれかもしれないと歪は考えた。
「異世界に行きたい」
陰気な女の声でそう呟くのが聞こえた。
「異世界でやり直したい」
歪はうんざりしたが、彼らがいかにも不幸そうなオーラを放っているのを見て考え直した。陰謀論が誘うのは孤独な人々だという話を聞いたことがあった。
それならばそういう考えに至るのも仕方ない。だが冷静に考えてみればオカルトじみた話でも他人と共有できるというのは素晴らしいことなのかもしれない。本当に孤独な俺に比べれば。でも俺は異世界になど行く気はない。
話し続ける集団を尻目に歪は一人席を立つ。そして一人で次の講義へと向かった。ただ一人で。
そんなことがあったが、歪が関心を持ったのはあくまで陰謀論を話す集団だった。交わされている噂の内容自体は歪にとって価値はなかった。だから彼がそれを記憶の片隅に置いていたことは偶然でしかなかった。
大学での講義を終えた歪はキャンパス近くの部屋に戻ると、リュックを置いて体をベッドに倒した。
***************
深夜、歪は目を覚ました。帰ってきてそのまま眠ってしまったようだった。
しかし何かがおかしい。
そして歪は気づいた。部屋に誰かがいる。
歪は一人暮らしだ。部屋を訪ねてくるような恋人や友人はいない。だから部屋の中に誰かがいることは不自然極まりないことだった。
泥棒だろうか。人が寝静まる時間に無断で部屋に侵入する者などそれくらいしか考えつかない。
もし起きていることに気づかれたらどうなる? そのまま殺されてもおかしくはない。しかし泥棒でないとしたらこの不審者は初めから俺を殺すために侵入したのかもしれない。それならばできる限り抵抗するために状況を確かめる必要がある。
歪は仰向けのまま目だけを動かした。幸か不幸かその日は月明かりが部屋に差し込んでおり、侵入者の姿を照らしていた。
なんと、部屋の中にいるのは一人だけではなかった。黒いスーツ姿の男が二人。その男達は部屋を歩き回り、棚などを物色している。
金目のものを探しているのだろうか。それにしてもスーツ姿というのが泥棒には似つかわしくない。
そんな二人の男の様子を慎重に観察していると横からスッと顔が現れた。二つの不気味な眼が歪の顔を見つめる。
もう一人いたのだ。歪の足元、死角となっていた場所にじっと物音を立てずに佇んでいたようだった。
「起きてるな」
歪が瞼を閉じるのが遅れたせいか、それとも足元から見られていた時にすでに気づかれていたのか。
歪は諦めて威嚇するように大きく声を上げた。
「な、なんだ! お前ら!」
声の勢いのままベッドから体を起こそうとした。しかし動かない。
歪は顔をできるだけ動かして背中側の様子を見る。歪を見つめている男が片手で歪の身体を押さえている。それだけで身体はベッドに張り付けられたように動かなくなっている。どれだけ力を入れてもその片手一つに敵わない。恐ろしい腕力だった。
歪は自分の立場を知った。
もう抵抗はできない。こいつらに俺の命は握られている。
「金なら、渡す! だから命だけは!」
歪は心の底からそう叫んだ。実際は金目の物などろくにないが、ありったけを渡して許してもらうしか生きる道はない。
しかし背中からの声はすぐに歪には答えなかった。
「しまったな。手間取ったせいで起きちまった」
背中側の男は他の二人の男達に向けてそう言った。そして男はその二人の男に歪の拘束を任せ、歪の顔の先に座った。
「心配しなくていいさ、お前はこれから異世界に行く。異世界転生ってやつだ」
「転生? 何を言ってるんだ? 俺はまだ死んでないし……」
口に出してから歪は気づいてしまった、男が言った転生とは殺すことの隠喩ではないかと。
「そう怯えんなって。安心しろ」
歪のわけがわからないという顔を見て男は笑った。
「お前は異世界に転生したらその時にチート能力がもらえるって噂聞いたことねえか」
歪は大学で聞いた二組の話を思い出し、頷いた。
「そうだな、せっかくだから教えてやるよ。異世界転生の真実ってやつを」
「真実……」
男は歪の体勢を起こさせベッドに座らせた。しかし拘束を命じられた男達はまだ歪の両脇に立って僅かな動きにすら目を光らせている。
「先に名乗っておくか。俺は憎嶋」
ほとんど強盗のようなものなのにその男——憎嶋は妙なところで律儀に振る舞う。それが歪には不気味に思えた。
「さて、早速だが異世界転生の噂についてだが、どこまで知っている?」
憎嶋に尋ねられたので歪は昼間に聞いた噂を話した。
「なんとも都合のいい噂だな。まあ、その方がこっちにも都合がいいか……」
憎嶋は独り言のように呟いた。その隙に歪は尋ねる。
「お前らは異世界なんて本気で信じているのか?」
「俺達がどれだけ本気かはお前の今の状態が表してんじゃねえの」
深夜の侵入、拘束、そして両脇から鋭い視線での監視。歪は確かにそうだと納得せざるを得なかった。
「噂では異世界と交信した奴がいるって話もあったよな。あれもな、事実なんだよ。実際に異世界は存在し、向こうから特別な力で交信しようとしている奴がいるんだ。ただ交信したやつはもう何も喋らないだろう。だから都市伝説以上の大事にはならないな」
「殺したのか?」
「いや、金を積んで黙ってもらってる。優しいだろ、俺達は」
絶対に嘘だと歪は考えた。こんな手荒な真似をする連中のことだ。交信者というのはすでに殺されているのだろう。
「異世界も転生もある。ここまではいいな。噂通りでわかりやすいだろ。
ただ噂には間違いがある。異世界に転生して所謂チート能力を手に入れられるのはごく一部の人間だけだ。ではそのごく一部の人間とは何者なのか。その答えにはチート能力というやつが関係してくる」
憎嶋は部屋を歩き回りながら話を続ける。まるで劇役者のように。それが歪の癇に障った。
「そしてそのチート能力に関しても一つ大きな勘違いがある。
転生の時に神様からもらえるというチート能力、それは実際は転生の時に貰うものなんかじゃない。その能力はこの世界にいる時からすでに素質として持っているんだ、一部の人間がな。
そいつらの能力はこの世界にいるときには覚醒せず、異世界に行ってからようやく目覚める。ほら、それなら異世界に行ったタイミングでチート能力をもらったように見えるだろ。
異世界からこっちに交信してきたやつもそこを勘違いしたんだろうな」
「じゃあ……その素質ある者こそが転生することのできる人間ってことか?」
「その通り。つまり因果関係が逆ってことだ。転生したからチート能力をもらえるんじゃなくて、能力の素質があったから転生できるというのが正しい。
結局は転生も才能なのさ。素質を持つ者しか異世界には転生できないんだからな。そしてお前もその素質を持っている。だからこうなってるんだぜ」
「素質? 俺に……?」
歪は憎嶋の話を理解した上で素直に信じることはできなかった。
「そうだ。嬉しいか?」
そんなことを訊かれたが、この状況がただただ理不尽でそんな感情を抱く余裕がなかった。
「素質のある者だけ……転生するためには死ななくてはいけない……なら……」
自然とその時の考えが口から出た。
「そうか、あんた達はそいつらを強制的に転生をさせているのか」
「正解」憎嶋は小さく手を叩いた。「俺達はそういった能力の素質を持つ人間を能力が覚醒する前に見つけて、殺して回っているんだ」
「どうしてそんなことを」
「わからないか? そんな奴がこの世界に何人もいたらどうなるか。——大混乱だ。悪用する奴も現れるだろう。それを恐れる奴も現れるだろう。待っているのは不毛な争いだ。お互いのためにならないと思わないか?
だから送るのさ、異世界に」
「そんなの理不尽だ」
その歪の言葉に憎嶋の顔が険しくなっていく。
「理不尽? でもよ、よく考えな。普通の人間は死んだら終わりだ。人生は一回きり。なのにお前らは死んでも次の人生が待っている。フェアじゃない、そっちの方が理不尽とは思わないか?」
「…………」
「お前に罪はない。ただ危険な爆弾を神様から押し付けられただけだ。それでも俺達はお前を排除しなくちゃいけない。理解してくれるか?」
一転、憎嶋の声が少しずつ優しくなっていく。駄々をこねる子供に言い聞かせるように。
「それに、転生といっても赤ん坊から生まれ直すわけじゃない。今の記憶・肉体をほとんど保持したまま異世界に移動するだけだ。正確には転移って言うんだったか? 転送って言ってもいいな」
どうでもいいことだ。どちらにしろこの世界から離れるということには変わりはない。
「今の記憶を持ったままの移動だ。それに異世界自体も悪いところじゃない。考え方によってはこっちの世界よりも暮らしやすいかもしれないぜ。向こうの世界に行けばお前は何の憂いもなく能力を使える。そこで能力や知識を使って金を稼ぐもよし、名誉を得るもよし、他人を支配するもよし、最高じゃねえか」
「…………」
無言のままの歪に憎嶋は尋ねる。
「家族のことが心配か? 安心しろ。家族の生活は保護してやる。監視のためだがな。それでも平穏に暮らせる」
「……どうしてここまで俺に話すんだ?」
歪は囲まれており、武器として銃を持っている。憎嶋はいつでも歪を殺せる。こんな話をする必要はないはずだ。
「納得して逝ってほしいだけだ」
「……それじゃあ最後に教えてくれ。俺の能力って何だ?」
歪の問いに憎嶋はかぶりを振った。
「さあな。そこまではわからない。まあ、逝けばわかるさ」
男は懐から銃を取り出し歪の額に当てた。押し当てられる銃口の冷たさと重さがモデルガンなどでなく本物だと確信させた。
「じゃあな、亥櫃歪」
スローモーションで憎嶋が引き金を引くのが見えた。しかし抵抗することもできない。
破裂音が響き、そこで歪の意識は途絶えた。
***************
歪は目を覚ました。先ほどと同じ自室のベッドだった。
確実に頭を撃ち抜かれた実感があった。しかし歪は生きている。憎嶋のいうように異世界に転生しているわけでもない。歪が額を指でなぞるが、穴どころか擦り傷一つすらついていなかった。
夢だったのか? それにしてはリアルだった……。
歪が枕元にある時計を見るとまだ夕方であることがわかった。日付も変わっていない。家に帰ってすぐに眠ってしまいあの変な夢を見たのか?
「何だ……よかった」
安心した歪は外の空気を求めてカーテンを開けた。
ふと近くの道を見ると黒い車が停まっていた。そして歪は気づいてしまった、車の中に夢で部屋に侵入してきた男の一人が座っていることに。
——夢の中の男が現実にも存在している。
この奇妙な事実について考えを巡らせていくうちに歪はある仮説に辿り着く。
あれは『未来予知』だったのではないか。それが自分の能力で、本来は異世界にいかなければ目覚めないはずの能力がなんらかの要因によって開花したのではないか。そしてその能力で今日の夜に起こることを予知したのではないか。
もしこの仮説があっているならば、深夜に憎嶋達は部屋に侵入してきて俺は殺されることになる。憎嶋の言う通りなら転生するはずだが……。
——その予知の通りに異世界に転生するのか?
「嫌だ……」
歪の心の声が漏れ出た。彼にはこの世界に執着する理由があったのだ。
それは家族の存在だった。平凡な理由ではある。ただ歪の指す家族の中には彼の両親は含まれていなかった。
彼と両親は不仲というほどでもなかった。しかし彼は自分の両親について関心はあまりなかった。お互い様と言うべきか両親も彼に関心がなかった。ただそれだけの話だった。
彼が大切にしている家族とはただ一人、妹の秤のことだけを指していた。
彼とは対称的に明るく社交的で、容姿は端麗、能力も高くどんなことでもそつなくこなす。誰もが羨む理想の妹だった。平凡な両親のもとでこのような子が生まれたことは不思議で仕方ないと常々歪は考えていた。
そんな秤が突然姿を消した。もう一年も前のことになる。
妹以外を家族と考えていない歪は天涯孤独の身になったかのように苦しんでいた。だから歪は一人で秤を探し続けていた。警察は頼りにならないと歪は考え、大学に通いつつも休日には自ら足を伸ばし、彼女の友人関係を調べて回った。彼女が家を出て、頼る可能性のある場所を探し続けていた。しかし未だに秤の痕跡すら見つかっていない。
歪は秤を果てしなく愛していた。その想いはもはや家族愛を超えていた。自覚はなかったが完璧な人間の兄であるということが彼のアイデンティティだった。
また秤に会いたい。
何の混じり気もない純粋な願いだった。妹を残して異世界なんかに行くわけにはいかなかった。
——そして歪は決心した。
未来予知の力を使って憎嶋達から逃げる。そしてこの力を使ってあいつらの先回りをする。憎嶋が行く先、そこには俺と同じチート能力の素質を持った人間がいるはずだ。そいつらの中には俺と同じくこの世界で生きたい奴もいるだろう。そんな奴らを集めて憎嶋の組織を潰す。
戦うことを決心した。異世界に転生しないために。




