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5. 記憶の中の姉

 隣でスヤスヤ眠る紗世を見ながら、蓮は何度目か分からない寝返りをうった。


(眠れない。眠れるわけない)


風呂場での紗世の姿を思い出し、蓮は顔を覆った。


(記憶がないと、こんな感じなんだ、姉さん)


 蓮にとって、姉はいつも静謐の人だった。静かで穏やかで、冷たく美しかった。ただ黙って静かに、兄の後ろにいる。

 彼女に触れていいのは兄だけだ。それは比喩的な意味でも、現実的な意味でも。

 姉弟だと殊更強く告げたのは失敗だったかもしれない。たぶんそのせいで、紗世は蓮に対するガードを低くしてしまっている。

 こんな風に同じベットで眠るなんて、以前ならありえなかった。さっきの風呂場でのことだって。


 厳密にいえば、紗世と蓮は兄弟ではなかった。

 村では、ある吉兆が現れた年に子供たちの選定が行われる。そして特別に力の強い子供が、本家へ引き取られ育てられる。

 兄は本家の血筋だったが、紗世と蓮は違った。だから三兄弟は遠い親戚筋ではあったが、本物の兄弟とは言えなかった。

 もっとも、子供のころから一緒に育ってきたため、蓮の意識では紗世は「姉」という認識ではあったが。


 紗世が小さく唸って、蓮に背を向け寝返りをうった。髪が広がる。艶やかでまっすぐな、綺麗な黒髪。

 蓮はそっと、紗世の髪を一房手に取り、唇を寄せた。

 つい今朝まで、紗世は近くて遠い人だった。感情を決して見せない、淡々とした口調とまなざししか、自分には向けてくれなかった。

 彼女が自分に許すのは、髪と指だけ。そこだけは触らせてくれた。口づけることを許してくれた。

 それ以上を望むと、途端に身を離された。冷たい目で拒絶して、確固たる強さで蓮の体をつっぱねる。

 そうして兄がやって来て、彼女を連れて行ってしまうのだ。

 自分を嫌ってるわけじゃない、そのことは分かっていた。何か、理由があって、姉は他人との接触を極端に避けているのだと。

 それは分かっていたのだけれど。


 兄に手を引かれ去っていく紗世を見るたび、蓮は思った。

(僕の方が先に生まれていたら、何か変わっただろうか?)


 紗世の視界に入りたい。自分を見てほしかった。その手を取って、引き寄せることが出来たら。それだけで。


 叶わぬ夢だ。

 だけど。


 ほんの数時間前の出来事が、蓮の脳裏に浮かぶ。

 結界の間で倒れていた大勢の人。その中心で、同じように倒れ動かなかった姉。

 血の気が引いて、必死にかき抱いて名前を呼んだ。肩を揺さぶって、縋るように。

 紗世の目が開いたときは本当に嬉しくて、その目が自分を見たときは、ああこのまま彼女を守って死んでも良いって、そう思うくらいだった。

 けれど目覚めた紗世の言葉に、蓮は身を凍らせた。


『誰……?』


 様子がおかしい。すぐに分かった。姉の自分を見る目が、明らかにいつもと違ったから。

 こんな感情的な目は知らない。怯え戸惑う目は。

 手を繋いでも、何も言わない。不安そうにこちらを見上げ、指示を待っている。

 自分の名前も、蓮のことも、役目のことも何も覚えていない。兄のことすら。

 心に冷たいものが溜まる。心臓を刺されたような恐怖。彼女が力を失ったら、村はどうなる?僕らはどうすればいい?

 でも。


『逃げよう、姉さん。ここは危険だ』


 蓮の言葉に、紗世はうなずいた。

 記憶があったら、絶対に了承しなかったはずだ。姉が逃げたりするものか。役目を捨てて、自分の命を優先するなんて。そんなことをするものか。

 僕がどんなに願い縋ったって。


 だから。

 これでよかったのかもしれない。


 姉さんが風呂場へ行ってからすぐ、新島は蓮にこう聞いた。

『本当に彼女は記憶喪失なのか? その割には随分と冷静そうだけど』

『間違いないよ。明らかに変だ。あの人は、兄さん以外を頼ったりしない』


 自分で言ってて哀しくなる。でも事実だ。

 兄さんは、いま、どこにいるんだろう。


 蓮は目を閉じた。



◇◆◇



 ふ、と紗世は目を覚ました。

 暗い部屋。固いベットの感触。いつもならすぐに目に飛び込んでくるはずの非常口の明かりがない。


 ここはどこ?


 無意識に手がナースコールを探す。ない。不審に思い身を起こそうとしたとき、そっと背後から声がかかった。


「姉さん、どうしたの」


 ビクッと体が跳ねる。思わず飛び起きた。声の方を振り返る。

 蓮が、目を瞬いてこちらを見ていた。ゆっくりと起き上がり、紗世の肩に手を置く。


「どうしたの、僕だよ」


 紗世はああ、とぎこちなく笑った。

 そうだった。ここは病院じゃない。ここは……、何だか分からないけど、ゲームの中だ。

 あるいは夢の中かもしれない。


「ごめんなさい、ちょっと、寝ぼけてたみたいで……」


 力なく言う紗世を、蓮は探るようにじっと見つめ、肩に置いた手をそのまま紗世の背にスライドさせた。

 そしてゆっくりと撫でる。


「大丈夫だよ姉さん、僕がいるから。大丈夫だからね」


 紗世を安心させようと、蓮は何度も大丈夫と繰り返した。

 それは確かに信頼に値する声に聞こえる。けれども紗世の脳裏には、ひとつだけ、言い知れぬ不安がよぎっていた。


 秀悟に弟の描写は出てこない。

 玄野蓮は、少なくとも自分の知識の中には存在しない。


 君は本当にゲームのキャラクターなのかな?


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