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カエルが25匹 賽はすでに投げられて

 離宮に戻ったカルラは召使いに渡され、綺麗な水でじゃぶじゃぶ洗われました。王子は行ってしまい、洗われ終わったあとはまた、ひとりで部屋に逆戻り。

 ――と思いきや。カルラの戻された室内には、椅子ではなく床に座るエーデバルトの姿がありました。小さな木琴を叩いて音遊びに興じています。

 彼が発した声もまた音楽的でした。


「やあカエルちゃん。けがは本当になかった? しみたところはない、気分が悪かったりとかも」

「しない。……なんでいるの?」


 エーデバルトの横に置かれた椅子の座面に、カルラをおろした召使いが部屋を出ていきます。王子はばちを持つ手を止めて、演奏を中断しました。


「いないほうがいいかい」

「忙しいかと思った」

「やっておくことはほとんど終わったんだ。それに見張ってないと、ぼくのカエルちゃんは翼もないのに飛んでいってしまうから」


 カルラはちょっと面食らいました。あたしが外に出てたことに、よっぽどショックを受けたのかしら。考えるとうしろめたい気もしてきます。

 それもそうよね……。王子はあたしがカエルのままよく分からない危険をおかして、どうにか外へ行ったんだと思ってるだろうし。

 カルラは心配させて悪かったという気持ちを込めて「大丈夫よ」と、せいいっぱい優しく言いました。


「大丈夫、出てったりしないから。ほら、なんたって外は危険がいっぱいらしいもの」

「ほんと? 忙しかったからって、このごろずっとここに押し込めてたこと怒ってない? 物だけ渡して、ほとんど放ったらかしにしてたことも」


 カルラは今度こそびっくりしました。てっきり王子はカルラに嫌気が差したために、この部屋に追いやって、置いてきぼりにしたのだと思っていたからです。彼があんなに否定していた魔法使いが、今なお存在することを証明してしまったから。

 ――でも違ったんだ、忙しかっただけだった! カルラはにわかに活気付きました。機嫌よく五、六歩王子に歩み寄ります。


「そんなのこれっぽっちも怒ってないわ。この部屋も気に入ってるし、贈り物にも毎日じつは大喜び」

「よかった。もしかしたら明日から、とうぶん贈り物はできなくなるかもしれないけど、許してくれる?」

「ぜんぜん気にしない! これ以上もらっちゃうと、もらいすぎるくらい。部屋からあふれそうだし」

「数日中に引っ越すことになるかもしれないけど、それも気にしないかな?」

「しないしない、まったくしない!」


 カルラはほとんど何も考えずに、いきおいで言い切ったようなものでしたが、エーデバルトは光を透かしたような純粋な微笑を浮かべました。くるりと手に持った木琴のばちを回しています。


「ありがとうカエルちゃん。心が軽くなったよ、絶交だって言われたらどうしようかと思ってた。これで気がかりなことはもうない」

「うん? よかったわね」


 テ、トト、テ、ティン、タ、ティト。先っぽのまあるい、かわいいバチが踊るように音盤の上をはねて、明るい音を鳴らします。そうしていると、黒髪の王子はほとんど無邪気に見えました。

 ティン、ティン、タ……。白い横顔に視線が吸い寄せられ、よたよたと椅子のふちまで来ていたことに気付いたカルラは、慌てて頭を振ったのでした。

 午後はそうして過ぎていきます。

 やがて太陽がいつものように空色のころもを脱ぎ、琥珀と金の夜会服の裾をなびかせて去るころ。召使いがふたりぶんの夕食を運んできました。


「いっしょに食べるの?」

「今日はアスパラガスのスープ(シュパーゲルズッペ)があるからね。きみがお皿に落っこちないか、見張ってようと思って」

「先週も出たわよ」

「そうだっけ」


 エーデバルトがようやくカルラの部屋を辞去したのは、無限の夜と星を連れた月が、優しく人びとを眠りに誘う時刻になってからでした。

「良い夢を。カエルちゃん」おやすみなさいのキスはなし。けれど翌朝も、彼は朝食が運ばれてくるより早く現れ、おはようとカルラの(ベット)を覗き込んだのでした。




 当然のように二人前運ばれてきた朝食を口に運びながら、エーデバルトは器用でありながらも行儀悪く、書き物をしていました。

 利き手でさじを握ってゆで卵をすくっており、文字は逆の手で書かれています。がたがたの筆跡ですが、腕を動かす速度はなかなかのものでした。


「なにやってるの」

「ん……ちょっと手紙を一通出すのを忘れててね」

「なんの手紙?」

「宝探しのおさそい」


 わけがわかりませんが、カルラがひょいと手もとをのぞき込むと、確かに「探す」のほか「星のような」や「宝石」または「宝箱」などの単語が見えました。

 すばやく書き上げられた手紙には、宝箱用だという小さな金の鍵が入れられました。たらしたロウで封をされます。召使いを呼んだエーデバルトは、手紙を渡すのと一緒に奇妙な指示を出しました。


「大至急王太子殿下に届けてくれ。私室に投げ込もうと矢文にしようと、懐にすべりこませようと手段は問わない。――ただし決して、ぼくからのものだと悟られないように」


 慌ただしい朝でした。手紙を持って駆けだしていった召使いと入れ違いに、べつの召使いが飛び込んできます。一大事を告げるように従僕は言いました。


「たいへんです殿下。王妃様が今日は気が乗らないから観劇はやめると、フェオドラ王女に言伝てを」

「ふぅん? となると計画はおじゃんかな」

「おそらくは……」


 計画とは、この前リヒャルダのトレーネ館でおこなわれた密談の……王女誘拐計画(おまけ付き)もしくは王太子殿下グサッ計画のことでしょう。そういえば今日実行されるというような話を、昨日リヒャルダが持ってきていました。

 中止となると、どこまで白紙に戻るのでしょうか。

 カルラの視線に気付いたエーデバルトが、気にしないでと言うように目を細めました。

 そこに扉を蹴破るように入ってきたのは、年若い女中でした。ほとんど続くようにして、またべつの女中がすべり込んできます。ふたりは同時に叫びました。


「「たいへんです!」」


 一瞬顔を見合わせ、眼力で勝った年かさの女中のほうが先に口を開きます。


「王后陛下が観劇の約束をほごになさったようで。フェオドラ姫がでは陛下の代わりにと、グラナート家のローゼティーネ様に使いを出したようです」


 年少の女中がちょっと気まずげな顔をしました。


「ローゼティーネ様のところに、フェオドラ王女からの使者がいらして。『迎えに行くから一緒に観劇に行きましょう』という旨の伝言を」


 きれいに時系列順に並びました。

 エーデバルトは「ようするにローゼティーネのところからの情報が、いちばん早かったわけか。使ったハトちゃんの能力差かな」などとうなずいています。

 どうやら彼の息のかかった者は、あちこちにもぐり込んでいるようです。はたで聞いていたカルラは、顔を引きつらせました。……ハトちゃん……?

 動物にちゃん付けするのが大好きな王子は、報告を終えた召使いたちが部屋を出ていくのを見送って、食事を再開しました。冷めてしまった食べものに、あわれっぽい顔をします。


「ぼくが離宮(ここ)の生活でいちばん気に入っているのは、いつでもできたての、温かい食事が食べられるってことなんだけどな」

「命令するだけで?」

「ぼくが作ったっていいんだけど、厨房は料理人の城だからね。入るとすごい顔で追い出されるんだ」

「怒られるの?」

「いいや。泣かれるんだよ」とエーデバルト。「けどそこは料理人じゃなくて、ぼくに興味を持ってくれるべきところじゃないかな」


 彼に食事が作れるかどうか。料理をする王子様なんて、まったくもって『王子様』らしくありません。もしもあの金髪碧眼の王太子殿下が料理をする、などと聞いたら、カルラは多少なりとも幻滅に近いものを感じることでしょう。

 彼女は不愉快そうに、黒髪に黒い瞳のエーデバルト王子を見上げました。


「どうせ作れるんでしょ。簡単なものだけね、とか言いながら絶対にあたしより上手なんだわ」


 不愉快なのは、そう確信してしまうことではありません。それによってこの王子の何かが損なわれているとは、少しも思えないことです。

 そもそもこのひとが王子様らしくないのが原因なのよと、カルラは自分に言い聞かせました。このひとはいつもこのひとでしかない、っていうのがいけないのよ。本物の王子様のくせに……いつもいつも……。

 おまけに返されたのが「きみに料理ができるなんて知らなかったな。かわいいカエルちゃん」なんて頬笑みだったので、カルラはそっぽを向き、強引に話題を変えたのでした。


「いつ行くの」

「え?」

「劇を観に行くんでしょ、襲われる予定の王女様とローゼティーネ嬢助けに。いつ行くの?」

「ああ、そのこと。ひとりの女王を巡っての血みどろ劇だけど……。見たいのかい、カエルちゃん」

「う……あんまり見たくないかも」


 エーデバルトはずっと聞いていたくなるような、ほがらかな笑い声を立てました。


「大丈夫、無理に見に行く必要はないよ。彼女たちが襲われるのは帰り道だから。喜劇になる予定の誘拐劇を見物したけりゃ、待ち伏せしてればいいのさ」

「助けないの」

「そういうところでお姫様たちを助けに入るのは、本物の王子様であるべきだって、きみなら言うと思ってたけど」


 そういう問題じゃないでしょう。むっつり顔のカエルの緑の頭を、金の指輪のはまった指で軽くなでて、末王子はつぶやきました。ま、王子様がいたって


「ローゼがいるんじゃ出番がなさそうだけど」

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