カエルが24匹 心はいつわりなく
翌日、カルラはカエルのふりをしていました。天頂をとうに通過した太陽が、木々の下に透かし編みの影をつくり出しています。
「んむむ、このトルテは絶品です!」
美しく飾り付けられた菓子を容赦なく突き崩し、口に運んだ隣国の王女様は、まばゆいばかりの笑顔を見せました。さくらんぼのような唇についたかすは、布を持った手が伸びてきて拭っていきます。
「んむっ……」
「トルテのかけらで、王女様のかわいらしい甘そうな唇が、もっとおいしそうになっていましたよ」
「むむ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
布を置いて砂糖漬けの果物のように優しく、鮮やかに微笑してみせたのは、ヒュプシュ王国の第三王子でした。髪とついになるような黒い瞳が、同じ色彩を持つ従妹姫を映しています。
木陰のお茶会。円卓につく五名のうち、三名までがこの色彩でした。王妃様と末の王子と隣国のお姫様。
お茶会の主催者である王妃様は、自分に似たふたりと末息子の婚約者にばかりに話しかけ、隣に座る長男にはほとんど目もくれません。
「ああ嬉しいこと。最愛の息子に大親友の姪、これだけでも幸せなのに、そなたも合わせて午後を過ごせるなんて。本当に夢のようですよ、テオドラ」
「伯母様伯母様、あたくしの名前はフェオドラです。どうしてちっとも覚えてくださらないのです?」
ややなまりのある発音で抗議するお姫様。隣国の王太子の長女にして、ヒュプシュ国の王妃の姪であるフェオドラ王女は、おんとし十三でした。
今日はお茶会、明日は観劇と忙しく過ごして、十年後には、伯母様そっくりの美女に成長すること間違いなしの美少女です。……です、が。
卓の下、たっぷりと布地の使われた裾から、ぱたぱたと交互にのぞく尖った靴先をながめ、カルラは思案しました。この際この王女様が本物のお姫様なのに、またもや黒髪ということは置いておくとしても。
――十年後とかせめて五年後ならともかく、今の年齢で王太子殿下と結婚するのは、ちょーっと若すぎる気がするわ。
でも確か、このお姫様にはすでに、王太子殿下との結婚を力ずくで阻止しようとするほどの、熱烈をきわめる求婚者がいるのよね。世の中ってわからないもんだわ、うん。
優雅なお茶会の舞台である円卓の脚にへばりつき、ただのカエルになりきろうと努力する、へんなカエルの存在のほうが、人びとは不思議に思うでしょう。
しかしカルラは大真面目でした。昨日王太子にこのお茶会のことを聞き、道に迷いながら、なんとかたどり着いたところだったのですから。
あたしはカエル――ただの盗み聞きカエル。
開始時間が分からずかなり早く出てきて、さんざん迷ったために、時間切れでカエルに戻ってしまったのでしたが……。おかげで首尾よく、卓の下という盗聴に絶好の場所を手に入れたのです。こんな機会はそうそう巡ってくるものではありません。
貴婦人の裾の中身が見えそうな場所、たとえ純金の羽が何枚落ちてきたって、拾うためにかがみ込んでのぞく人間なんて、存在しないに違いないわ!
少なくともエーデバルト王子はしないでしょう。そしてカルラは彼にさえ見つからなければ、間違いなくただのカエルです。ぐふふあたしって天才と、どこぞの院長のように得意になってしまいます。
ところが、しばらくして。
高貴な女性三人は、王妃様の「咲き初めの珍しいバラを見に行きましょうよ」というひと声で、近くの小道へと入っていってしまったのです。陽光の祝福を受けるバラの小道に、日傘の花がみっつ咲きました。
円卓に残ったのは、ついに母に存在を忘れ去られたらしく、誘われもしなかった王太子と、熱心に誘われたにも関わらず、なぜか断った末王子だけでした。
離れて立っていた、護衛らしき近衛の制服を着た者たちはみな、ぞろぞろと貴婦人たちについて行ってしまいました。 給仕の召使いたちも、ずいぶん前に下がらせています。
残ったのは、ほんとうに兄弟ふたりきり。
お茶会はとたんに静けさに支配されました。
より気まずかったのは兄のほうだったようです。カルラの頭上、王太子のいるほうから、カチャンと磁器のうつわを置く音がしました。なにやら決意の込められたような音です。
「あー、こうして話すのも久しぶりだな」
話題に困って、それでも兄らしく振る舞おうと、濃紺の瞳に穏やかな親しみを湛えて口を切った様子が、見えなくとも頭に浮かんでくるような口調でした。
「元気にしていたか、エーデバルト」
「はい王太子殿下」
対する末王子の声も、緊張しているかのようにやや硬く、どこか皮肉っぽい響きを持っているように聞こえます。ただ、これは嬉しさを押し込めようとしている声音だろうと、カルラは直感しました。
「殿下もご健勝そうで。相変わらず生真面目そうなお顔をしていらっしゃる」
「そうだろうか、ありがとう」
「褒め言葉ではありません」
兄弟の間に一瞬沈黙が落ちました。尊敬の言葉なのよねと、卓の下でカエルが一匹うなずきます。
「そ、そうか。だがなんというか……お前は、もう少し真面目になったほうがいいと思うぞ」
「ぼくはいつでも真面目に生きていますよ」
エーデバルトの口調は、いつもより不真面目そうでした。つくられた不真面目さです。とはいえ、つくりものにちっとも気が付かないらしい兄王子は、真剣にさとしました。
「いいや。いい機会だから言わせてもらうが、お前の日々の……特に女性に対する態度は感心しない。ローゼティーネ嬢に悪いとは思わないのか? 彼女はふたりといない素晴らしい女性だぞ」
「どんな女性もふたつとない花ですよ」
ここで「それもそうだな」となぜか納得して、いったん引き下がってしまうのが、王太子らしいところでした。お茶が注がれる間の抜けたような音がして。
「だがお前の金の指輪を受け取るのは、ローゼティーネ嬢ただひとりだ。わたしの指輪は戻ってきてしまったが……」
小道の向こうから風にのって、貴婦人たちの上品な笑声がかすかに届きます。ひときわ高く、弾けるような声はフェオドラ王女のものでしょう。
「あの小さな王女様を妃になさるのですか?」
「いずれ誰かをめとらねばなるまい。王女はまだ幼いが、母上やお前が気に入ったのなら、いずれ父上も彼女と結婚するようにとおっしゃるだろうな」
弟の手前か、なんでもないように言っていますが、なんとなく気配がどんよりです。ゆうつつそうな空気が、カルラのところまでただよってくるようでした。
にぶいカルラは「あらまあ昨日聞いたお友だちと同じように、ご自分も結婚問題に悩んでるんだわ」と王太子を気の毒がりました。
頭上で、ふたたび磁器の触れ合う音がしました。
「恩師に懇願されて、そうやって誰でもいいからと妃にした、一度目の花嫁を亡くされたのに。また愛してもいない女性と結婚するのですか? むいていませんよ」
からかうような話かたでしたが、長兄を案じる気持ちがにじみ出ているのが感じられます。しかし――王太子殿下は亡きお妃様のことを今でも愛して、想い続けているのだと泣いていたひとがいるような。
ハテと首をひねったカルラの下の地面に、食事用の小刀が転がってきました。王太子が落としたらしく、卓の角にぶつけた手を擦るのが見えました。
「な、なんでそれを知っているんだエーデバルト。父上ですら、わたしがまだ亡き妻を愛しているのだと、信じ切っていらっしゃるのに」
「その亡きひとの上の兄ぎみに聞いたんです」
「イェレミアス殿に? なつかしいな。あのひとは妹亡き後爵位を弟へ譲り、神に仕える身になって……それ以来会っていないが、どこかで会ったのか」
「都の孤児院の院長をしていますよ」
エーデバルトが思い出し笑いでしょうか、くすりと笑う気配がしました。「じつは伝言があるんです」
「わたしにか」
「ええ」
「なんと?」
ひと呼吸分の静寂。
「妹が死床で指輪をあなた様にお返しするとき、申し上げたはずですよ。あなた様が『今度こそ愛するひとと結ばれますよう』それが、あの妹の最初の願いで最期の望みでした――と」
王太子が息をのみました。言い終えた黒髪の弟王子は、椅子を引いて立ち上がりました。
「じゃあ、ぼくもバラを見に行ってきます」
「あ、ああ」
ついにお茶会の会場に残ったのは、ひとりきりになってしまいました。最後のひとりは卓上を眺め、ようやく自分の小刀がないことに気付いたようでした。
弟が去ってから変わらぬ、難しい表情のままかがみ込んで、銀製の小刀を拾い上げます。カルラと目が会ったのは、そのときでした。
「……ん?」
「ゲッ」
ぴとっと彫刻のある木製の太い脚にへばりついた、冷や汗でも出しそうなカエルに、王太子の眉間のしわが消えます。代わりにあらわれたのは、とびきり感じの良い笑顔でした。
「お前は、いつかのカエルじゃないか。この綺麗な瞳は間違いないな、そうだろう?」
「げ、げこ」
「わたしに会いにきてくれたのか」
「ゲコッ」
手袋をした手のひらに乗せられて、至近距離で濃紺の目に覗き込まれると、ついついドギマギしてしまいます。カエルと小刀を持って体を起こした王太子の、目の前に立っていたひとの顔を見たときほどの、ドキマギではありませんでしたが。
「……忘れ物か、エーデバルト?」
のんきに兄が弟に声をかけました。かなり遠ざかっていたはずなのに、瞬間移動でもしたような弟王子は苦笑しました。「ええ、そんなところです」
カルラは、カエルであるがゆえに分かってもらえないであろう、へろっとした笑顔を彼に向けました。
はあい、王子。
見下ろすエーデバルトは困り顔です。
「どうやって逃げ出したんだい、カエルちゃん」
聞いた王太子がきょとんとしました。
「なんだ。お前のカエルなのか」
「ぼくの友だちなんです」
「そうか、友だちか」
エーデバルトは兄に手渡された友だちを、隅から隅まで眺め回して、怪我のないことを確認しました。様子を見ていた王太子はにこにこしました。
「お前にそんな良い友がいたとは知らなかったな。綺麗な赤珊瑚の瞳だ。魔女の使い魔かもしれないぞ」
「魔女?」
「ああ、そういえば昨日魔女に会ったな。そのカエルのような魔性の目を持つ、お前の衣装係の魔女殿だ。古風な服を着ていた。愛らしくて、いい娘だな」
黒い目の王子はぴくりと身じろぎました。褒め言葉に顔をほてらせているカエルを見つめ。けれど「そんな者は知りません」などと事実を言うこともなく、短いお礼の言葉を置いて、歩きだしました。
今度は、三本の日傘の咲くバラの小道とは、まったく違う方向に。
離宮への帰路、エーデバルトは困ったように眉を寄せたまま、ひとりで外に出るのはどれほど危険かということを、こんこんとカルラに言って聞かせました。
「誰かにふまれたり捕まえられるかもしれないし、猫やら蛇におそわれるかもしれないし、鳥につつかれるかもしれないし、足をすべらせてどこかの池や泉に落ちたり脚を骨折したり、泥に埋まったりするかもしれないし、木から枝が落ちてくるかもしれないし、風に飛ばされてきた葉っぱでケガするかもしれない」
カエル部屋を出れば……ひ、ふ、み、よ……たくさんの敵あり。小動物が生きるって大変です。
いかにも悲しげに、ひとつひとつ危険を数え上げられるので、カルラはどんどん悪いことをした気になってきました。それに確かに王子がいなければ、離宮に無事戻れた気もしませんし。
「ね、危ないだろ。だからできればあまり、ひとりで外に出てほしくないな」
「ごめんなさい……」
「ううん。ただ……ぼくが勝手に心配してるだけ。退屈だった? やっぱり贈り物は気に入らない? きみはなにを贈れば、喜んでくれるんだろう」
真珠貝の骨の扇子、香水、装飾付きの手鏡……。
素敵だけど、どれも人間だったらねとカルラがため息を吐けば、エーデバルトはひどく形容し難い、奇妙な表情を浮かべました。
「な……なによ」
「いいや、なんでも」
途中、ちょうどカルラが時間切れを迎えた地点を、偶然にも通りがかりました。そこには着ていた人間だけがこつ然と消えたような、古風な服一式が落ちていました。なかなかに不気味な光景です。
しかし発見したエーデバルトは特に何も言わず、カルラを肩の上に移動させました。そして持ち前の手癖の悪さを発揮してか、ごそごそと服一式(ただし靴は無し)をまとめて抱え、何事もなかったかのように、歩みと会話を再開したのでした。
聞き覚えのある声に呼び止められたのは、離宮に続く小さな白樺林の中でのことでした。エーデバルトが顔を向けると、保護色のような、白と緑の衣服をまとったリヒャルダが、離れたところで手を振っていました。せっかくの保護色も派手な赤毛でだいなしです。
赤い髪の美女は近衛士官服姿のブルーノを従えて、二度三度つまずきかけながら、木々の間をすり抜けてきました。
「隣の国の王女様の様子はどうだい、エーディ。――アンデルス伯爵が、マティルダに計画をもらしてくれたらしくてね、知らせに来たんだよ」
「ありがたいね。いつだって?」
「明日」
「そりゃ急だ」
「でもそんな気はしてたはずだよ。何でも王女様は観劇に行く予定だそうじゃないか。自分から城を出てきてくれるならちょうどいい、ってさ」
「母も行くそうだけど……。まあ、考えようによっては王太子派にとって都合がいいかもしれないね」
「イヤな世の中だねえ」
美女の赤い唇から、心からうんざりしたようなため息がもれました。
「……ところで証拠は手に入れられたんだろうね」
「協力を得られたから、とっくに」
「そうかい」
じゃあ詳しいことはこれを見とくれと、リヒャルダは服の隠しから丸めた紙を取り出して、エーデバルトの上着の中に滑り込ませました。じゃまをするように抱えられた布のかたまりを、うさんくさげに見下して「ところでこりゃなんだい」とつぶやきます。
「お姫様の抜け殻さ」と王子様は答えました。




