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三話


「もういい! もういいから降ろしてよ!」


 顔の痛みも引いたころ、冷静になった私は自分の置かれている状況にさらに顔を赤くした。


「ああ? めんどくせえ奴だな。お前が動けないとか言うから運んでやってるってのに」

「言ってません! そんなことはひとつも言ってませんから!」

「耳元で騒ぐなよ。うるせえな。ほらよ」


 なんだこの男は。口の利き方から女の子に対する接し方まで全部がなってない。


「じゃあ、あとは自分で保健室まで行けよ」

「…………」

「何だよ急に黙って」


 ようやく地に足がついたが、その足でどこに向かえばいいのか私にはわからない。私はまだここの学生じゃないのだ。保健室の位置なんか知るはずがない。


「まさかお前、保健室分かんないのか?」

「…………」


 無言で首だけをこくりと動かして頷いた。


「なんで知らねーんだよ。ありえねーだろ? めんどくさい感じだなお前」


 そこまで言う普通? 本当に嫌な奴だ。


「ちゃんとついて来いよ」


 そのまま私の前をすたすたと歩いていく。


「……分かった」


 まだ少しだけ足を引きずっている私よりも、目の前を歩く性格の悪い男の歩く調子は早い。だから五歩ほどの差がつくたびに振り返り、「はぁ……」だの「ふぅ」だの嫌味ったらしく溜息をついていた。


「お前さ。痛いなら痛いって言えよ。俺が運んだほうが早いんじゃねーの?」

「お断りします。あと、次私に触れたら大声だすから」

「はあ? なんで俺がお前みたいな奴に積極的に触れなきゃなんないんだよ。馬鹿なのか? 自意識過剰なのか? まぁ、ボール蹴ろうとして自分で転ぶような奴だもんな」

「くっ……」


 何度でも言おう。こいつは最低だ。性格がとてつもなく悪い。


「おら、ここだよ。まったくなんで保健室の場所知らない奴がいるんだよ。俺はそれが不思議でしょうがないね」

「悪かったわね」


 私をここの学生だと勘違いしているこの男。訂正しようかとも思ったけど、もう関わりを持つことはないだろうし、黙っておくことにした。


「よー、カズミちゃんいるー?」


 景気のいいかけ声でドアを開ける。


「イタル君……。先生を名前で呼ぶのは辞めなさい」

「へいへい」

「それで今日はどうしたの。また怪我でもしたのかしら?」

「俺じゃねーよ。こいつ」


 後ろに立っていた私を前のほうに突き出す。あ、どうもと


「あら、イタル君が女の子連れてくるなんて。何したのよあなた」

「だから俺は何もしてないって。キャプテンもカズミちゃんも俺のせいにするのな。こいつはボール蹴ろうとして空振りして自爆した運動神経ゼロのめんどくさいやつだ。保健室の場所知らないっていうから連れてきたの」

「そう……、それは珍しいわね」


 うう……。なんでそういうこと人前で言うかなあ。


「じゃあ俺練習あるから、こいつ頼んだぜ」

「はいはい。いってらっしゃい」

「おうよー! 今度デートしようぜカズミちゃん!」


 保健室のドアをピシャリと音を立てて閉め、イタルと呼ばれたデリカシーのない茶髪のサッカー部員は去っていった。


 うん。あいつ嫌い。。


「それで、大丈夫かしら? 足を引きずっていたけど」

「あ、はい。でもちょっと擦りむいただけですから」


 転んで動けなくなるのは久しぶりだ。これでも最近は気をつけて歩いていたし、膝を擦りむくなんて、そう、一ヶ月に一回くらいしかない。


「見せて頂戴。あらぁ、見事にやっちゃってるわね。女の子でここまで綺麗に擦りむくのは珍しいわ。ちょっと染みるけど我慢してね」


 手馴れた手つきで傷を洗い、消毒してガーゼを当てていく。


「それで、これは部活中に怪我したの? 保健室の利用状況とか提出しないと行けないから、怪我をした状況とか教えてくれると有難いのだけど」

「それは……」


 言ってしまうべきだろうかと一瞬悩む。


「実は私、この学校の生徒じゃないんです」

「え? どういうことかしら」


 保健室の先生と私という電池の切れかかった人間とは接点が多い。高校に入学すればここにはきっと頻繁に通うだろう。だから嘘などついて後々面倒なことにはなりたくなかった。


 この先生は優しそうだしね。嘘なんてつかずに、ちゃんと仲良くなっておきたい。


「四月からの新入生なんです私。今日はちょっと見学でもしようかなと思って来たんですけど、それでボールにぶつかっちゃって……」

「そうなの。でも、イタル君はボールを蹴ろうとしたみたいに言っていたけど」

「…………。ボールが顔に当たったので、頭に来ちゃって……。それで蹴り返そうとしたんですけど……」

「それで空振りして転んじゃったわけね?」

「はい……」

「ふふふ、面白い子ねあなた」


 笑われてしまった。


「それにしてもイタル君に大分言われてたみたいだけど。大丈夫?」

「そうなんですよ! あいつは嫌な奴です。もう最低なんですよ!」


 私はあいつがどれだけ失礼な奴なのか、保険の先生に熱く語りだした。先生は笑いながら私の話を聞いてくれた。そんなに長い話でもないけれど、私はこの先生が好きになった。


 人の話を聞くのがとても上手だ。大人だなぁと思う。年は30……にはなってないかな。とても美人さんだからきっとみんなにも人気があるんだろう。さっきはカズミちゃんなんて呼ばれてたし。そう呼ぶのはあの馬鹿男だけかもしれないけど。


 この人が保健室に居てくれるなら、私の高校生活も少しは期待できるかもしれない。私はきっとここの常連になるのだから。

 そういう風に考えてしまう私は、ちょっと打算的。


「はい、これでお終いね」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。それともうひとつ」

「何でしょうか」

「あなたちょっと痩せ過ぎじゃないかしら。まぁ今の時期だとやっぱり細い事だけに気が向いちゃうでしょうけど。それでももう少しちゃんと食べて、大きくなりなさい。一番大事な時期なのよ。その年は」

「わかりました。頑張ってみます」


 ありがたい忠告だ。

 でも、頑張って、頑張って、もりもり食べても食べても私の体は大きくならない。少しだけ(少しだけだよ……)ぽっちゃり系な友達に羨ましがられたりもしたけれど、ちっとも自慢じゃない。


 この際、カズミ先生には私の体のことまで話してしまおうかと思ったけれど、今日は遠慮しておくことにした。いくらなんでも初めて会った日にする話じゃないし、私はまだこの学校の生徒ではないから。


「色々ありがとうございました。また四月からも宜しくお願いしますね。先生」

「はーい。気をつけて帰るのよ」


 保健室から出た私はもう少しだけこの学校を回ってみることにした。少しだけまだ痛みは残っているけど、歩けない程じゃない。今日は学校を見学に来たのだ。ここに来てすぐにボールにぶつかったのだから私はまだ散歩の目的を十分に果たしていない。


「さて、次はどこに行こうかな」


 せっかく校内に入ったのだからまずは学校の中を散策しはじめる。


「綺麗な学校だなぁ」


 さすがは私立の名門。入るのにお金がかかるだけのことはあった。

 どんどん進んでいくと美術室、音楽室……、ここは何だろう。

 色んな工具が転がっているけど。工作室? 小学生じゃあるまいしもっとそれっぽい名前なんだろうけど、部屋にかかっているプレートが折れていて名前が分からない。

 入学したら聞いてみることにしよう。


 空白だった私の予定表にひとつやることが書き込まれる。


 15年までと考えて過ごしてきた。だから私のやりたいこと、私の目標とかは今は空っぽ。心の予定表は全部が空白だ。


 みんなはそこに将来の夢とか、好きな人との未来とかを書き込んでいるのだろう。15年目のページまではぎっしり、それはもう悔いのないようにいっぱい書きつめていたのだけど、これから先は控えめにこれから書き込んでいくんだ。


 あんまり長い文章を書くのは禁止事項。だって書いている途中で次のページが無かったら私の物語は完成しないから。短文で、細かく、きっちりと書いていこうと思う。怠けることはしたくないんだ。

 考え事をしながらぐるっと校舎の中を回りきる。大体は見て回ったつもり。総合評価は九十点かな。残りの十点、足りないのはひとつだけ。


 それは普段ここにいる生徒達だ。やっぱり学校はガヤガヤうるさい位のほうが楽しい。私は輪に入ることはあんまりしないけど、それでもそっちのほうがいいと思う。

 はやく四月になって百点満点の学校を見るのが楽しみになった。


 歩き回って疲れたので、どこか休む場所を探してまた歩いた。学校っていうのは以外に腰を落ち着ける場所が少ない。自分の席が普通はそうなるんだけど、まだ私の席はないしね。


 一度校舎から出て、中庭に足を踏み入れる。運動場のほうにはベンチなどが置かれているのを思い出す。


「うーん。またあそこに行くのは嫌ね」


 さすがにもう一度ボールが飛んでくることはないんだろうけど、気が進まないものはしょうがない。どこか別の場所を探しに中庭から続く細い道に入る。


 ――ヒュン。


 目の前を白い影がものすごいスピードで横切った。


 カキーン。


 金属音がして、こちらに向かってボールが飛んでくる。今度は……野球の硬球だ。


「きゃー、ストップ。やめてください! ここに人がいます! 死んでしまいます!」


 私に向かって飛んでくるボールが止んだ。


「はぁはぁはぁ……。私に硬球に当たったら保健室じゃすまないわよ」


 悪態をつきながら私は白いユニフォームを来た野球部員を見た。ここで彼は練習しているのだろうか。


「なんでこんな狭い場所で練習してるのよ……」


 そういえば、グラウンドに野球をしている部がなかった。高校部活動の花形である野球部が、なぜこんな片隅で練習をしてるのだろうか。


「君、大丈夫? ごめん。人が来るって思ってなくてさ。ボール、当たったりした? 本当にごめんな」


 謝罪の言葉はどこぞの無礼者で最低の茶髪サッカー部員とえらい違いだった。

 どうやらこの坊主頭の野球部員は礼節ってものをわきまえているようだった。




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