第20話 無常
翌朝、王都にはまだ昨日の戦いの痕跡が残っていた。
門の周辺には倒された魔物の身体が並べられ、戦場となった西側では兵士たちが後片付けに追われている。通りにも細かな傷跡が残っていたが、大きな被害は免れていた。防護壁は機能しており、空から侵入を試みた魔物は一体も王都へ入ることができなかった。門から入り込んだ魔物についても、死者は出たものの、ルカや警備兵たちの働きによって被害は最小限に抑えられている。
エインはその報告書を机の上に並べながら、昨日から何度目になるか分からない同じ数字を見直していた。
西から現れた魔物の数、確認された種類、進行した距離、発見された場所、そして魔物たちの状態。
どれを見ても、偶然と言い切るには引っかかる部分があった。
けれど、それ以上に気になっていたのは、今回の襲来が以前の出来事とどこか似ていることだった。
エインは一枚の報告書を手に取った。
三週間ほど前に起きた、北東側からの魔物の異常侵入。そのときはダンジョンの存在が確認され、そこから出てきた魔物が王都へ向かっていた。原因は完全には解明されていないものの、少なくとも発生源が存在していたことは分かっている。
ならば、今回も同じなのではないか。
そう考えるのは自然だった。
だから昨夜のうちに西側へ部隊が派遣されていた。
夜が明ける頃には、調査結果も届いていた。
「西側、周辺一帯を確認しましたが、ダンジョンはありませんでした」
報告に来た兵士が机の前に立っている。
「地下への空洞は?」
「いくつか確認されています。ただ、いずれも自然にできたものと判断されています。魔力の流れにも異常はなく、ダンジョンに見られる反応もありません」
「魔力溜まりは?」
「確認されていません」
エインは頷き、報告書へ目を落とした。
やはり、ない。
昨日の魔物たちは、ダンジョンから出てきたわけではなかった。
「分かりました。ありがとうございます」
兵士が敬礼して部屋を出ていく。
扉が閉まると、エインは椅子の背へ身体を預けた。
ダンジョンではない。ならば、自然発生した魔物の群れということになる。
それ自体は珍しい現象ではない。
魔物が人里へ現れることは、これまでもあった。だからこそ、今回も最初はそう考えられていたのだろう。
だが、エインは机の上に並べた二つの報告書を見比べた。
北東。
西。
三週間ほどの間に、二度。
しかも、どちらも王都を目指している。
「……偶然、か」
呟いたところで、扉が開いた。
「エインさん」
リナだった。
手には新しい書類が抱えられている。
「中央評議会から呼び出しです。今回の件について、説明を求めているそうです」
「分かりました」
エインは立ち上がった。
今回の件を説明する。
それだけなら難しくない。
ただ、何をどこまで理解してもらえるかは別の話だった。
王国中央評議会の会議室には、すでに多くの人間が集まっていた。
軍務を預かる者、領地の管理を行う者、魔術関係を統括する者、そして王都の防衛を担当する者。それぞれが長い経験と立場を持つ人間たちだった。
エインが入ると、視線が一斉に集まる。
正面の席に座っていた男が口を開いた。
「今回の魔物襲来について、調査結果を聞こう」
エインは用意された席についた。
「西側へ調査部隊を派遣しました。ダンジョンは確認されていません。魔力溜まりもなく、魔物が発生した痕跡から見ても、自然発生と考えるのが妥当です」
「つまり、今回も特別な原因はなかったということか」
「いいえ」
エインはすぐに否定した。
何人かの視線が変わる。
「今回、ダンジョンはありませんでした。ただ、それだけです」
「それだけ?」
「はい」
エインは机の上へ二枚の報告書を並べた。
「三週間ほど前、北東側で魔物の異常侵入が起きました。そのときはダンジョンが原因でした。そして昨日、西側で大規模な魔物の襲来が起きた。こちらにはダンジョンがありません」
「発生源が違う。それだけではないのかね」
「違うから問題なんです」
会議室が静かになる。
エインは二枚の報告書を見ながら続けた。
「以前なら、魔物が王都へ来ること自体が稀でした。だから、何か異常が起きたときには、その原因を一つずつ探せばよかった。でも今は違います」
「違うとは?」
「三週間の間に、王都は二度襲われています」
誰も口を挟まない。
「一度目はダンジョンが原因でした。二度目は自然発生です。原因が同じではないのに、結果だけが似ている」
エインはそこで言葉を切った。
「僕は、こちらのほうが重要だと思っています」
軍務側の男が腕を組んだ。
「だが、自然発生した魔物がたまたま王都へ向かっただけという可能性もあるだろう」
「あります」
「ならば、今回の件を異常だと判断する必要はないのではないか」
「今回だけを見るなら、そうかもしれません」
エインは否定しなかった。
「ですが、三週間前の件があります」
「偶然が二度重なっただけかもしれん」
その言葉に、エインは少しだけ考えた。
「そうですね」
あっさりと認めたことで、何人かが意外そうな顔をした。
「偶然かもしれません」
エインは静かに続けた。
「だから、僕には断定できません」
「ならば――」
「でも」
エインは顔を上げた。
「分からないことを、偶然だったと決めてしまう理由もありません」
空気が変わった。
「過去に魔物の襲来が少なかった。だから、今回も一時的なものだろう。そう考えることはできます。でも、それは今回が過去と同じ条件で起きたことを証明していません」
そのとき、会議室の後方から静かな声がした。
「私も、エインさんの意見に賛成です」
ノエンだった。
彼は立ち上がり、手元の資料を開いた。
「魔術的な観点から申し上げますと、今回の襲来を過去の自然発生と同一視するのは危険です」
評議員の一人が眉を寄せる。
「何が違う?」
「魔物の数です」
ノエンは淡々と答えた。
「自然発生した魔物が人間の生活圏へ近づくこと自体は、珍しくありません。しかし、今回確認された規模は、通常の自然発生で説明される範囲を大きく超えています」
「大きく、と言うほどかね?」
「はい」
ノエンは資料を示した。
「発生地点から王都までの距離、魔物の種類、群れの規模。そのいずれも単純な移動としては不自然です。魔力の流れに明確な異常が見つからなかったことは事実ですが、それは異常が存在しないという意味ではありません」
「魔力的な原因が確認できないなら、魔術の問題ではないのでは?」
「確認できないことと、存在しないことは別です」
ノエンの返答は穏やかだった。
「今回の調査で分かったのは、少なくとも既知のダンジョン形成や魔力溜まりによる現象ではないということです。それ以上については、現時点では判断できません」
それまで黙っていたヴィタが口を開いた。
「身体のほうも、似たようなことが言える」
視線が集まる。
ヴィタは椅子に座ったまま、昨日回収された魔物の記録を手にしていた。
「昨日の魔物は、普通の自然発生個体と比べて極端に異常だったわけじゃない。だから、そこだけを見れば説明はつく。でも、何匹かには共通した特徴があった」
「どのような?」
「長距離を移動した形跡。食料不足。それと、群れの中で争った痕跡」
ヴィタは資料を机へ置いた。
「つまり、王都へ来るまでに何かがあった可能性がある」
「それは魔物同士の争いでしょう」
「そうかもしれない」
ヴィタはあっさりと認めた。
「でも、どうして争ったのかは分からない。何を食べていたのかも、なぜあれだけの数が同じ方向へ動いたのかも分からない」
彼女はエインを見る。
「少なくとも、身体だけを見ても『いつもの自然発生』とは言い切れない」
会議室の中で、誰かが小さく息を吐いた。
それでも、評議員たちの表情は大きく変わらなかった。
「しかし、現時点では原因がない」
「はい」
「異常も確認できていない」
「はい」
「ならば、過剰に反応する必要はないのではないか」
エインは少し黙った。
ノエンも、ヴィタも何も言わない。
三人の話を聞いて、それでもなお「偶然」とするなら、ここから先はそれぞれの専門分野ではなくなる。
エインは机の上に置かれた二枚の報告書へ視線を落とした。
「……原因が分からないことと、対策が必要ないことは別です」
「何?」
「今まで魔物が王都へ来ることが稀だったから、防護壁も兵力も、その前提で整えられている」
エインは顔を上げた。
「でも、その前提が崩れ始めています」
誰も口を挟まなかった。
「今回の襲来が偶然だったとしても、次が偶然とは限らない。次も自然発生かもしれないし、ダンジョンかもしれない。まったく別の原因かもしれません」
エインは一人ずつ評議員を見る。
「僕たちは、原因を決められないんです」
静かな声だった。
「だったら、原因が何であっても対応できるようにするべきです」
それは魔術の話でも、医学の話でも、軍事の話だけでもなかった。魔物が増えた理由が分からなくても、増えたときに対応できるようにする。ダンジョンが原因でなくても、ダンジョンだった場合と同じように調べられる体制を作る。過去の記録にない現象が起きても、過去の記録を理由に否定しない。
エインが伝えたかったのは、ただそれだけだった。
長い沈黙のあと、評議会の議長が口を開いた。
「……陛下へ報告しよう」
その言葉に、何人かが顔を上げた。
「今回の件を、陛下に?」
「そうだ。判断を仰ぐ」
その日の午後。
エイン、ノエン、ヴィタの三人は、王城の謁見室にいた。
三人の前には、王が座っている。
年齢を感じさせる落ち着いた顔立ちだったが、その目には眠そうな色も、退屈そうな色もなかった。
「話は聞いている」
王は三人を見渡した。
「まず、確認したい。昨日の魔物は、ダンジョンから来たわけではないのだな?」
「はい」
ノエンが答える。
「西側一帯を調査しましたが、ダンジョンは確認されていません」
「魔術的な異常は?」
「既知のものは確認されていません」
王は頷き、次にヴィタを見る。
「魔物そのものには?」
「長距離を移動した形跡と、群れの内部で争った痕跡が確認されています。ただし、それだけで原因を特定することはできません」
「なるほど」
最後に王の視線がエインへ向いた。
「そして、お前は今回の件を偶然で終わらせるべきではないと考えている」
「はい」
「理由を聞かせてくれ」
エインは少し考えてから答えた。
「今回だけなら、僕も偶然だと思います」
王は黙って聞いている。
「でも、三週間前にも魔物が王都へ侵入しました。あのときはダンジョンが原因でした。今回は自然発生です。原因は違うのに、王都が襲われるという結果は同じでした」
エインは続けた。
「だから僕は、原因そのものよりも、今までの前提が変わっている可能性を考えるべきだと思っています」
王の眉がわずかに動いた。
「前提とは?」
「魔物が王都へ来ることは稀だ、という前提です」
静寂が落ちる。
「昨日も、その前提がなければもっと早く対応できた可能性があります。次に同じ規模の襲来が起きたとき、今まで通りの兵力で足りるとは限りません」
「原因が分からなくても、備えるべきだと?」
「はい」
エインは頷いた。
「原因が分からないからこそです」
王はしばらく何も言わなかった。
やがて、静かに背もたれへ身体を預ける。
「……分かった」
その一言で、空気が変わった。
「魔物の襲来が今後も増える可能性を前提として、防衛体制を見直す」
王は側に控えていた者へ目を向けた。
「軍務部へ伝えよ。防護壁の運用も含め、王都の防衛体制を再検討する」
「承知しました」
続いて王はエインとノエン、ヴィタへ視線を戻した。
「それから、もう一つ頼みがある」
エインが顔を上げる。
「軍の戦力を上げたい」
その言葉に、エインは少しだけ目を瞬いた。
「昨日の戦いの報告を見た。お前とアインが前線で戦ったことも聞いている」
王は穏やかに続けた。
「二人とも、非常に高い戦闘能力を持っているそうだな」
「……アインも、ですか?」
「当然だ」
王が笑った。
「お前一人だけを評価しているわけではない」
エインは少しだけ黙った。
「僕たちに、何を?」
「軍の者たちを指導してほしい」
エインが目を瞬く。
「指導、ですか」
「魔纏を含めた身体強化。それだけではない。お前たちが持っている戦闘技術を、可能な範囲で軍へ伝えてほしい」
エインはすぐには答えなかった。
自分が人に教えることについて考えていると、王が続ける。
「もちろん、すべてを真似できるとは思っていない。魔纏を使える者が少ないことも理解している。それでも、今までのやり方だけでは足りないのなら、新しい方法を試す必要がある」
その言葉を聞いて、エインは少しだけ笑った。
「……分かりました」
王は頷く。
「アインにも伝えてくれ」
「はい」
謁見室を出るために、エインは踵を返した。
扉へ向かいながら、ふと昨日の戦場を思い出す。
巨大な魔物。
魔纏。
アインと並んで振るった剣。
そして、王都へ入り込んだ魔物たち。
これまでなら、珍しい出来事として片付けられたのかもしれない。
けれど、もう以前と同じではない。
何かが変わり始めている。
それが何なのかは、まだ分からない。
だからこそ、エインは歩き始めた。




