探偵は明後日へ
「あーあ。また彼氏に振られた」
刑事課に悲嘆が響く。そんな悲嘆を机に伏しながら出していたのは天沢麗美だ。
「そうだっ、またあの子に愚痴を聞いてもらおーっと」
そう言って麗美はあの子に何度も連絡をかけるも繋がらない。
「あれ……? 寝てるのかな」
「天沢さん、事件です」
「話しかけないで。北岡くん」
「あのね、俺たちの関係が終わったとしても、俺とあなたはどこまで行っても上司と部下という関係なんです。ほら、報告書読み上げますから。起き上がってください」
「……分かった」
「――これだから職場恋愛は嫌なんだ」
「なんか言った?」
「――深夜未明、青年が複数人に黒色のバンに乗せられ、どこかに連れらて行ったと目撃証言が。そしてそれを元に現場近くの防犯カメラを照合したら――彼でしたよ」
「え?」
「攻城椎名。かなりの変人。またの名を、探偵」
「ということは……拉致った集団も限られてくるわね」
「ナチュラルか、その周辺組織――」
「組織対策部に伺い立てておいて。一応、副課長にも。もしかすると……」
「捜査一課長のお出ましか……分かりました」
北岡は刑事課を出ていく。
「……彼、部下としては有能だったんだけど、恋人としては……」
麗美は少しにやけていたことを自覚し、頬を叩き、自戒する。
「さぁ、仕事よ。今日は山場になるわね」
彼女も刑事課を後にする。
□■□
組織四課による捜査本部が立ち、持て余す全ての人間を使っての人海戦術を行った。
それが、新宿・渋谷を縄張りとするナチュラルを主に摘発し、椎名の居場所を吐かせるという作戦である。
警察による新宿の占領――「新宿占領作戦」とも呼ばれることになる。
だが、総務省事務次官はこの決定に反対した。
警視庁長官は困り眉をさせながら、「ですが、議会の決定です」と言うが、事務次官は頑なに否定する。
このことが報道されることになった。事務次官の発言が露見したのだ。それを、文科省から次いで情報を得た片桐大三郎が発信する。
そのことで、世間の注目が集まったため、和田峰に対する集中砲火が始まった。
「ナチュラルを摘発させないことは、つまりは事務次官の組織に対する忖度ではないのか?」
そんな世間の声が大きくなり、事態を重く見た総務大臣は、和田峰事務次官を退官させる。
――世間としても、電撃退官となった。
警察が廃工場に到着したときにはまだ意識はあった。
緊急搬送された椎名は、その後脳停止。
財布にあったドナーカードにある、心臓移植の欄にでかでかと丸を書き、同意を強く主張しているこれに基づき、心臓を移植する運びになった。
4
最初、あの世って真っ暗で寂しい世界なんだって思った。こんな世界にずっといなくちゃいけないなんて……
だけれども、音が聞こえて、瞼を開けるとそこには両親の泣き笑いが見える、温かい世界がそこにはあった。
「生きていてくれて……ありがとう」
のちに、心臓移植が行われていたことが判明した。どんな病気、事故がその方に遭ったかは分からないけれども、ありがとう。これから、長く、強く、生きていきます。
退院するために、一生懸命リハビリを頑張った。心臓がうまく機能してくれているってことが、これほど嬉しいことなのか。
いつか、大学に通って……学芸員になるんだ。
リハビリを半年間し、ついにお待ちかねの退院日が来た。
その日に、父親がなんとも言いにくそうな顔をしていながら、「ちょっといいか」と言う。
「どうしたの?」
「椎名くんのことなんだが……」
「あぁ、“あいつ”お見舞いにも来ないで。ったく」
「実は……お前を混乱させないように言わないでおいたんだが……椎名くんは亡くなったんだ」
「え?」
「すまない。言うのが遅くなって……本当に」
私はその場に崩れ折れた。
どうして……彼なの。彼ばかり……
――長く、強く、生きていけるのだろうか……そう誓ったばかりなのに。
アパートに誰かが来る。玄関の扉を開けるとそこには麗美さんがいた。
「――お体に障らないようにすぐに帰ります。これを彼から」
手渡されたのはスマホだった。彼――椎名のものだろうか。
「何かあった時のために遺書を残されていたのです。それに、あなたにスマホを渡してほしいと」
「どうして? ……すみません、分からないですよね」
「いえ、遺書にはスマホのメモ帳に日記を残していたと。それを、死んだときにあなたに見せたかったらしいんです」
「そうなんですね。分かりました」
「では」
「あの……」
「――っ」
彼女はもう、破顔してしまっていた。きっと、感情が我慢を超えて、張り裂けてしまったのだろう。
去っていった彼女を窓から見下ろす。心の中で私は何度も、何度も謝った。
それから、スマホの画面を開き、メモ帳のアプリをタップする。
十八歳のときから換算して二年分。日記があった。
それをじっくり、じっくり読み込んでいく。
何度も嗚咽がする。見たくないと脳が拒絶した。それでも、彼が読んでほしいと望んだのなら読むべきなのだ。
彼のことが、大好きだから。
【2026年7月某日。麗と結婚の約束をした。こんな俺が、婚約者がいるなんて。びっくりだよ。大事にするからな。一生。】
ありがとう……椎名くん。それとゴメンね。
5
一ヶ月後。私はある家に訪れていた。
玄関から出てきたのは無精ひげを生やした男性だった。
「こんにちは」
「……俺に女の知り合いはいねぇな。帰りな」
「なんですか。知り合いぐらいいますよね?」
「初対面なのにずけずけ……この言いぐさ、まさかな? ――椎名のことは分かるか?」
「分かります。彼は亡くなりました」
「は?」
「聞こえなかったですか? ならもう一度言いましょうか?」
「やめてくれ。失礼……というか変な人だな」
「それから、会わせたい人がいるんです」
「全部が唐突すぎる!」
そうした会話を繰り返しながらも、なんとか外に出すことに成功した。
「どこに連れて行く気だ」
「いいから。行きましょう」
江ノ電に乗り込み――昼時の車両は観光客で沢山だ――車席に座る。
「なぁ……ひとつ質問してもいいか?」
「何でしょう?」
「お前、どこか病気を患っていたか? 例えば心臓とか……」
「はい。昨年まで虚血性心疾患という難病でした」
「それで、心移植を受けて今に至る、と?」
「概ねそうです」
「概ね?」
「いえ……それで、今回会わせたい人ですが……って話聞いてますか?」
姫島は顎元に手を置き、思案をしているようだった。
「綾川翔さん、ご存じですね。その方です」
「……会ってどうする?」
「え?」
「いや、会ったところでだぞ。あいつと俺は袂を別った。それだけだ。なんの感動的なドラマもない……」
「……」
「それよりもお嬢ちゃん……話が変わるがいいか?」
鋭い目でこちらを窺ってくる。その瞳の中では私はあられもないように白日の下で晒されているのではないだろうか。
「お嬢ちゃんには会ったことがないはずなんだ。それなのに、この不思議な既視感……椎名は死んだ。お嬢ちゃんは心移植をして生きている。それはつまり――」
「……分かっています……そんなこと、私が一番分かっているんです」
「そうか」
「でも、受けいれられないんです。彼が歩むべきだった人生を、私が代わりに歩むことになるなんて」
「――臓器移植の結果、 ドナーの趣味嗜好や習慣、性癖、性格の一部、さらにはドナーの経験の断片が自分に移ったと感じていることが報告されているらしい。特に心臓移植や腎臓移植のあと自分の趣味嗜好が変化したと感じている例が多いそうだ。……だからなにが言いたいかって、その人が歩むべき人生をもらったわけではなく、『記憶』をもらったんだ。だからな、その人――椎名と一緒に人生を歩めるだろう。もはや完全なる一心同体だ――」
そんなことを言ってくれるなんて。私は少し泣いてしまった。
「ありがとうございます。私、『彼』と頑張ってみます」
「ああ。夢に向かって頑張れよ」
姫島探偵事務所は再開。ときどき、私も手伝いに行っている。
それと同時に学芸員の資格取得に向けても頑張っているのだが、なかなかに難しい。
でも楽しい。
彼と一緒なら、どんなことだって――
了




