不象者だった男
「ねえ、じいちゃん。」
これといって特徴のない現代の田舎の一つの瓦屋根の下、老人とその孫が寝る準備をしていた。
「神話時代のお話して。」
布団の中に横になって枕に頭を乗せた孫は、布団の横に座ってその頭を撫でる祖父に言った。部屋は薄暗く、開かれた襖奥の部屋の明かりだけで照らされていた。
「そういえば話を聞かせるって言ったっけな。」
忘れてたらしい。祖父は座り直して話をする体勢に入る。
「むかしむかし、1つ前の宇宙の話…」
宇宙に2つの生命が発生した。1つは「象徴」と呼ばれる物理現象を操る遺伝子を持つ者、「象者」。1つはそれを持たない「不象者」。この二者より生命は派生して誕生していった。
リベラ国のとある薄暗い家。黒い髪の一人の男、ベル・グレイがベッドで目を覚ました。立ち並ぶビル群から少し離れた郊外の民家。その景色はさながら現代と何ら変わりないものだ。テレビをつけると最近の事件について取り扱っていた。
「レベル3の”爆発”を象徴するスズメバチによりメルト町が壊滅しました。警察と駆除業者はこのハチへの対策を…」
ベルはそのニュースに対して特に何も思うことなくただじっとぼうっと見つめていた。
ベルは不象者であった。そして、5人家族のはずだった。不象者は潜性形質。だが不幸にもこの5人家族は4人が不象者であった。唯一の象者である姉は4人を捨てて失踪。残った両親とベルで4人分の生計を立てていたが、最終的にはベル一人となった。象者と不象者の間には確かな差があった。能力を持たない者はどうしても社会的弱者の位置に置かれる。差別される。結果的に借金に手を出す他なかった。一人でも象者がいれば十分持ちこたえることはできたのだが。今頃例の姉は優雅に生活でもしているのだろうか。
ある日父親は死んだ。闇金に手を伸ばした結果だった。インターフォンがなって、ドアを開けるとそこには取り立て屋がいた。抵抗する父は脳天を撃ち抜かれ、妹は連行されていった。きっと裏社会で人身売買するためだろう。払えない金はこれで取り返される。その時19歳だったベルは合理的にも妹を助けようとはしなかった。この惨事により狂った母親は数週間後キッチンで首を貫いて自殺した。
ベルは生きていた。生きたいから生きているのではなく、死ねないから生きていると本人は感じていた。
仕事場に行こうと着替えを終えた時、インターフォンがなった。扉を開けるとそこには黒い服を着た男が立っていた。顔についているギラギラしたアクセサリーや顔つきを見ればそいつが取り立て屋などすぐに分かった。
「もう金は借りてないはずだが。」
ベルは特に恐れることもなく淡々と言った。
「悲しいことにあの娘一人じゃ貸した金に相応する金額は出なくてな。不象者にしては高く売れたが…。家のものを貰っていくぞ。」
「金目のものは何もないぞ。あるならそもそもお前らに金は借りてない。」
ベルの言葉を無視するように男は土足で上がり込んできた。リビング、キッチン色々見て回る。ベルはその様子をそばから眺めていた。
「…なにもねえじゃねえか。」
「だから言っただろ。」
「お前、どうやって金を返すつもりだ?」
「俺今一人暮らししてて収入は一応黒だ。月に数ドルくらいなら継続して返せるぞ。」
「お前ふざけるなよ。」
「じゃあ今度は俺を売るのか?こんな奴誰も買いたがらないだろ。」
「…この家は?」
「もう売った。もうすぐ退去する予定だ。」
「その金をよこせよ。」
「ええ…。」
ベルはブツブツと文句を言いながら棚の奥から札束を出した。
「…はあ?50ドル?嘘だ、そんな訳ないだろ。一戸建てだぞ?」
「まだ契約時の金だからな。引き渡しの時は残りの4950ドル手に入る。見てわかるだろ。こんなボロ家、売れたのが奇跡だ。」
ベルの言う通り、はした金で建てたこの家は常に数度ほど前方に傾いているほど老朽化しており、いつ崩壊してもおかしくない錆付きだった。
「それで足りるか?」
我慢の限界に達した男は金を、体の前で叩きつけ、右手の平を上に向けた。「印」。これは生物が体内のエネルギーを操作する際に取る姿勢。個体によって印の形は全く異なる。手の上に炎が浮かび上がったと同時に家は炎に包まれ、ガスに引火して爆発した。この男はレベル2、象徴は”火炎”であった。
生物には1から5のレベルが存在する。繁殖能力が高い生物ほどレベル1の割合が大きくなる。人間はおおよそ9割5分がレベル1である。レベルが1つ違うと1つ下のレベルの者が数百万体いたところで上のレベルには勝ち目がないほどの格差が生まれる。ベルはレベル2。
爆発から飛ばされたベルは空中で体をひねり体勢を立て直す。ここは住宅街、爆発に巻き込まれ火が移った家から人々が避難して行く。
立ち昇る煙の中男はこちらに歩いてくる。体のいたる所が燃え盛る。能力を使用すると溢れたエネルギーが体に一時の変化をもたらす。ベルを殺しても貸した金は返ってこない。男の目的はもう取り立てではなく、目の前の生意気な人間を殺すことになっていた。能力を持たないベルは接近戦を図って住宅に紛れて近づく。時速は百と数十㎞。レベル1の人間から見れば、レベル2同士の戦いは大怪獣バトルと大差ない。
死角からベルは脇腹にブローを打つ。
この世の物体は今では考えられない強度を誇る。現代の人間がこの世界の人間に核爆撃をしようがまず傷1つつかなければ付近の建物にも敵わない。この世界の生物に傷をつけるにはエネルギーを制御することが必須となる。切る、打つ、当てる。多種多様な動作により生じた衝撃力を含めた音、光、熱、運動エネルギーを制御して分散を抑止し、対象の一点に集中させることでその威力は爆発的に増大する。これは遠距離でも可能である。要するにこの世界では、一見小規模に見える攻撃こそが洗練された一撃となる。
不象者はエネルギーを操作できないわけではない。主力となるエネルギー出力を持たないだけ。だがそれが象者と不象者を隔てる決め手だった。印は象者のみ持つ、本能に刻まれたエネルギー操作の形である。印を持たない不象者は感覚だけでエネルギーを操作することができない故に乱れる。制御が困難となる。
ベルの放った打撃は男に負傷を負わせるには不十分であった。男に腕をつかまれて投げ飛ばされる。追撃の”火炎”を避けることができなかった。血と火傷で覆われたベルは、無意識に生きようとする自分に驚いた。だがその生きる力は貧弱で、火傷で手足はまともに動かない。次一撃を貰えば死ぬ。歩いて来る男を見上げる。勝ちを確信した顔。ベルは諦めのため息を吐く。
「あなたにすべてを託します。どうかこの力を使ってください。」
気づけば、反射的に前に出て男を追い越していた。男は四肢と頭部が胴体から瞬時に切断され、その場に崩れ落ちた。
「…なんだこれ。」
体の傷も火傷もすべて再生していた。男の方を振り返ると頭部から胴体がゆっくりと再生していっていた。エネルギー操作による物質の創造。細胞の生成。エネルギーが枯渇しない限り生物は体を再生させることができる。この世界において、エネルギーは0から1を生み出すための道具である。
「てめぇ!何をした!」
苦痛と怒りに塗れた表情でこちらを見てくる。体と同時に服も再生されていく。男は再び印を示して攻撃態勢に入る。
「は?」
男の目に映ったのは、左手を地面に押し当てるベルの姿だった。印。ベルの赤い瞳が強く光る。不象者のはずだったベルにも象徴が授けられた。
次の瞬間辺り一面に静寂が訪れた。さっきまであった避難する人気も、鳥の存在も感じなくなっていた。
ベルが使用した象徴、”仮想”。存在しないものを生み出す。男を仮想空間に転送した。そこにはベルと男しか存在しない。
ベルは体勢を低くして攻撃の構えをとる。男は印を示す。しかし男は”火炎”を発動させることもなく、ベルの拳の一撃で頭部に拳型の大穴が空いた。音のない超高速打撃。ベルの身体能力はレベル2とは言えないものとなった。
生物が死亡する条件、エネルギーの完全枯渇ともう一つ。脳などの中枢神経の破壊。生物に肝臓はなく、中枢神経が代わりにエネルギーを蓄え、エネルギー操作の指令を出している。脳が機能しなければエネルギーは制御できない。
元の空間に戻ったベルは男の死体を前にして空を眺める。手に入った象徴と同時に脳に刻まれた使命、「怠惰の四神を玉座に戻す。」
象徴を二つ所持する類稀な者を、神に準ずる者として例外なく神族と呼ぶ。国の統治者はすべて神族であり、神族は本人の意思に関係なく玉座に座らせられた。それ故に現れた、国の統治を放棄する4人の神族、”怠惰の四神”。彼らを玉座に連れ戻す。それがベルに力を与えた存在の頼みであった。
その日ベルは仕事を辞めた。不象者を受け入れる数少ない職場の一つではあったが、四神がどうこうなっている今では仕事は到底続けられない。何よりベルは食事、睡眠が不要になるほどのエネルギーを持っていた。気が付くと髪の一部が赤く染まっていた。象徴を得たからだろう。
次の日の朝、テレビを見ると、神族の訃報が流れていた。ガヴラス国の管理の神、アテナ・ストラトスが死亡した。象徴”付与”と”奪取”。アテナは世界の均衡を保つ神として知られていた。管理の神の死はここしばらく報道されるほどの大事であった。
祖父は続ける
「この世界の光は今よりずっと速くて、ほとんど無限だったと言われているな。」
「じゃあもし、''光''の象徴を持つ人がいたらものすごく速いってこと?」
「それはそうなんだが、''光''の象徴を持っていた生物は記録上全く長生きできなかったらしい。」
「どうして?」
「扱いが難しすぎて幼体の時期での暴発で死んじゃうんだ。」




