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魔包使い、シンジ

 翌朝の食卓、トマトの赤がやたらと鮮やかだった。

 サラダに混ざった角切りのトマトを口に運ぶと、程よい酸味とみずみずしさが広がり、噛みしめるごとに仄かな甘みとしっかりとした歯ごたえが追いかけてくる。


「……うま……」


 思わず漏れた声に、近くで待機していた仮面の“アイ”がわずかに反応したように見えた。


 この世界に来てからというもの、初日の夕食で出されたトマトパスタがやたらとうまくて、あれ以来、何度か同じものを頼んでいる。  サラダやスープでもトマトが使われていると嬉しくなるくらい、もともとトマト好きだったが、ここのは格別だ。


 ――もし、この美味しさを共感できない人がいたら、なんか寂しいかもな。


 ふと、そんな考えがよぎり、口を開く。


「なあ、アイ。あのさ、条件って……追加できるんだっけ」


「はい。追加の参加条件は、シンジ様の意思でいつでも調整が可能です。内容によっては制限を受ける場合もございますが、基本的には自由です」


「じゃあ……“トマトが嫌いじゃないこと”っていうのを、追加してもいい?」


 一瞬の沈黙。仮面の奥の表情はわからないが、場の空気がわずかに揺れた気がした。


「……はい。可能です。ですが、念のため確認させてください。本当に、それでよろしいのですか?」


「うん。だって、将来ずっと一緒にいるかもしれないんだろ? 俺が好きなものを、一緒にうまいって言えるほうが、きっと楽しい」


 そう答えると、アイは一拍置いて、静かに頷いた。


 朝食が終わる頃、ちょうど窓から差し込む日差しが柔らかくなってきていた。


「今日から始める、魔法の練習は、少し広さが必要なので庭で行います」


 そう促され、シンジは食後の余韻を飲み込むように立ち上がった。

 いよいよ、“魔法”の時間が始まる。


 庭に出ると、朝の光が白い石畳と芝を照らし、空気は少し冷たいが、心地よかった。


「さて、シンジ様に今から魔法をお教えいたしますが、これは単にバスケットを楽しむためだけのものではございません」


 そう前置きしながら、アイは芝の上に魔法陣のような模様が描かれた布を敷いた。


「この世界では、自身の魔力によって、ロックの解除や身元の照合を行うことができますし、一部の魔道具の使用にも魔力が必要となる場合があります」


「え、魔力ってそんな身分証明的な扱いなの?」


「はい。もっとも、こうした機能は都市部に限られておりますし、シンジ様には特例的な処理がなされておりますので、直接困ることは少ないかと」


「じゃあ、別に覚えなくても……」


「ですが、覚えていただきたい理由が二つあります」


 アイは指を二本立てると、静かに語り出した。


「ひとつは、シンジ様の身体を丈夫にするため。魔力によって身体を強化すれば、怪我をしにくくなり、病気にもかかりにくくなります」


「ほう……それは助かるかも」


「そしてもうひとつは、“世界告白魔法フェスティバル”の本戦において、出場者たちが放つ“告白魔法”の凄さを、より深く感じ取っていただきたいからです」


「……ああ」


「魔法の操作に理解があればあるほど、どれほどの研鑽が積まれているか、どれほどの想いが込められているかを、より強く感じ取っていただけるはずです」


「そっか。まぁ……せっかくだし、やってみるか」


 シンジは伸びをしながら、足元の魔法陣を見下ろした。

 確かに、魔法がどんなもんなのか、ちゃんと知っておいた方がいい気がしてきた。


 一呼吸置いて、アイが言葉を継ぐ。


「この世界では、生まれてからおよそ3年ほどで、赤ん坊が魔力を感じ取れるようになると言われております。そこから少しずつ魔力の操作を覚えていくのが一般的です。ただし、世界告白魔法フェスティバルの開催に間に合わせるためには、通常の成長速度では間に合いません」


「え?じゃあ、どうするの?抜け道みたいなのがあったりするの?」


「はい。ただし、シンジ様がゆっくりと学ばれたいとお望みであれば、その選択も尊重いたします」


「いや……手っ取り早いほうがいいかな。危険なの?」


「危険はありませんので、どうかご安心ください。この方法を使えば極短期間で魔力を感じ取れるようになります」


「……どんな方法なんだよ、それ……ちょっと気になるな」


「では、そこの布の上にお座りください」


 アイは振り返り、後方に控えていた別のアイに声をかける。


「準備はできていますか?」


「はい、そろっております」


 その合図とともに、屋敷の中や庭の奥から、仮面のアイたちが次々と姿を現した。  10人、20人……気づけば100人近くが芝の上に集まり、静かに動き始める。


 彼女たちは二重、三重の輪を描くようにシンジを囲み、やがて一斉に手を取り合った。


「今から、この空間を“悪意のない、高密度の魔力”で飽和させます。シンジ様は、中心でただ目を閉じ、なるべくリラックスしていてください。瞑想をするような気持ちで、約1時間お過ごしいただければ、それで結構です」


「……え? 1時間? いや、3年に比べたらだいぶ早いか……なんか、すごい儀式っぽいな」


 仮面の向こうで、誰かがかすかに微笑んだような気がした。


「えっと……体、かゆくなったりしたら、かいてもいい?」


「ええ、大丈夫です。無理に動かさないようにだけ、ご注意ください」


 シンジは少し緊張しながら目を閉じ、深呼吸をした。


 最初のうちは、何も感じなかった。

 だが、しばらくすると空気の密度が変わったような、不思議な違和感が肌をなでる。


 ――なんか、ぬるい風に包まれてるみたいだ。


 暖かいような、落ち着くような、でもどこか異質な感覚が続く。

 さらに時間が経つにつれて、その空気は徐々に重く、まとわりつくような圧に変わっていった。


 身体の表面が、目に見えない膜で包まれていくような感覚。

 呼吸をすると、肺から身体中にじんわりと何かが巡っていくのがわかる。


「シンジ様、いまから、魔力を霧散させ、通常の状態に戻します。ここだけは少し感覚を研ぎ澄ませてみてください」


「わかった」


「では、いきます」


 次の瞬間、ふっと周囲の空気が軽くなり、それと同時に、自分の身体の中を何かが流れているのをはっきりと感じ取った。


 目を開けると、さっきまで大勢いたアイたちは消え、10人ほどしか残っていなかった。


「あれ、他のアイたちはどうしたの?」


「シンジ様の周りを高密度の魔力で飽和させるのは、一人あたり5〜6分が限界なのです。ですので、100人近くで交代しながら、輪を維持しておりました。他のアイたちは、現在別の場所で体を休めております。しっかり食事をとり、睡眠をとれば、1日で回復いたしますので、ご安心ください」


「え、じゃあ今いるアイ達も休まないと!」


「ありがとうございます。ですが、余裕をもって人員を確保しておりましたので、私たちは2分ほどしか維持していません。ですので、大丈夫です」


 そう返しながら、アイは少しだけ姿勢を正して続ける。


「それよりも、シンジ様。魔力は感じられるようになりましたでしょうか?」


「えっと……体中に、ぬるま湯みたいな空気?が流れてるのを感じる。これが魔力であってる?」


「ええ、それが魔力です。本来、魔力は体内で作り出されるのが主なのですが、一部は周囲の環境から取り込まれるものもあります。今回のように高密度の魔力に包まれることで、身体が外部の魔力を取り込み、内部を循環させる――それが、今シンジ様が感じている状態です」


「……なるほど。じゃあ、これが“魔力が流れてる”って感覚なんだな」


「はい。一度でもその感覚を掴めば、あとは比較的早く慣れていくと思います。人によって個人差はございますが、この方法は、もともと魔法を扱えない流転者様のために確立された手段です。少々強引ではありますが、ほぼすべての方が魔力を感じ取れるようになります」


「……へぇ。俺、才能ある感じ?」


「才能の有無というよりは、環境に素直に適応できるかどうかの違いかと。ですが、感覚の面では十分に順調でいらっしゃいます」


 アイはどこか嬉しそうな声でそう言った。もちろん仮面の奥の表情は見えないけれど、なんとなく、伝わってくるものがあった。


「ちなみにさ……魔力って、どこで作られてるんだ? 心臓とか?」


「いえ。魔力は、主に“血が作られる過程”で生じます。つまり骨髄などが中心です。血液そのものが魔力の塊であり、体内を巡る魔力の流れは、まさに血流そのものと重なるのです」


「……じゃあ、魔力って、俺の血がそのまま流れてるみたいなもんか」


「まさにその通りです。ただし、ここで少し補足がございます」


「補足?」


「はい。確かに魔力の“生成”には血の生成が関わっておりますが、使用された魔力は、すぐに再び体内に“再吸収”される性質を持っています。ですので、完全に魔力を使い切らない限り、休息や食事、呼吸などによって、ある程度の魔力は短時間で回復いたします」


「……ふーん、つまり、血で作って体の中でリサイクルしてるって感じか」


「そう考えていただければ正解に近いかと。たとえば睡眠中には、体内で消耗した魔力が自然と循環・吸収され、翌朝にはほとんど回復していることが多いのです」


「なるほどな。じゃあ、完全にカラになったら……?」


「その場合は、血の再生成を待たねばなりません。それには1日以上かかるため、極端な魔力の消耗は控える必要がございます」


「……気をつけよ」


「なお、現在のシンジ様の魔力量は、赤ん坊と同程度でございます。本来であれば、これほど全身に魔力が巡ることはございません。しかし、今回の瞑想によって外部からの魔力を強制的に取り込んだことで、一時的に流れを感じやすくなっております」


「ふーん……じゃあ、今後はもっと増えるってこと?」


「はい。この瞑想を日課にしていただければ、体が取り込める魔力の量も次第に増え、それに伴い体内で自然に生成される魔力量も増してまいります。ただ……」


「ただ?」


「本日と同様の規模で瞑想を行うには、毎回100人のアイが魔力を使い果たすような運用となってしまいます。現在、島内でこの“魔力飽和”を行えるアイは約170人ほどです」


「え、それって……さすがに負担が大きすぎないか?」


「はい。ですので明日からは、1回につき約50人で交代制とし、無理のない形で継続いたします。シンジ様の成長に合わせて、負荷も調整してまいりますので、ご安心ください」


「うん、まあ、やるならちゃんとやるか……」


 シンジがそう呟いたのを確認してから、アイは軽くうなずき、次の説明へと移った。


「それでは、次は魔力の“コントロール”についてご説明いたします」


「お、いよいよ魔法っぽくなってきたな」


「まず前提として、魔力は“体内ではコントロールできません”。流れを早めることは可能ですが、形や方向を操作するには、一度体外に出す必要がございます」


「……体外って、どうやって出すの?」


「たとえば、お風呂に入っている時や、激しい運動のあとに湯気のようなものが全身から立ち上ることがございますよね。あれは魔力の放出を“イメージ”する際に役立つ比喩ですが、実際には魔力は非常に微細で目には見えません。自然に放ってしまえば体外へと垂れ流されてしまうため、まずは魔力を体の周囲に留めるという感覚を覚えていただく必要がございます。


 魔力を意図的にコントロールし、身体の周囲にまとわせたり、放出の方向や比重を調整することで、身体能力の一時的な向上や、外部からの衝撃への抵抗力――すなわち防御強化を行うことができます。このように体外で魔力を維持することを“魔包まほう”と呼び、これが“魔力操作”の基本となります」


「なるほど……それで強くなれるのか」


「はい。ただし、いわゆる“魔法”――術式や詠唱による現象発生は、また別の理論と技術が必要になります。魔法陣の知識や、脳内での理論構築、さらには魔力の変質などが関わってまいります。こちらは非常に奥深く、長い時間をかけて学ぶ必要がありますので、今は焦らず、まずは魔力そのものの扱いに慣れていきましょう」


「了解。まずは出すところからだな」


 それから、シンジの修業は日課となった。


 最初こそ慣れない感覚に戸惑ったが、意外にも、魔力を体の外に留める感覚はすぐに掴めた。毎朝の瞑想も習慣となり、交代制となったアイたちに囲まれながら、魔力を体に染み込ませていく日々が続いた。


 魔力の流れを速める訓練や、身体の周囲にまとわせる練習も、アイたちが丁寧に教えてくれたおかげで、1か月もしないうちに、それなりの形になった。


 そんなある日、世界中に“第4回・世界告白魔法フェスティバル”の開催決定が知らされる。シンジはそれを、屋敷の食堂の壁に貼られた魔導報板で目にした。


 時間は確実に進んでいる――そう実感する瞬間だった。


 バスケットの練習も日課のひとつに加えられた。

 最初は軽く動くだけだったが、魔力操作ができるようになったことで、ジャンプ力や瞬発力に目に見える変化が現れ、シンジは目を輝かせてボールを追いかけた。


 空いた時間には、この世界のことが少しずつわかってきた。魔法が発達したせいで、科学技術の進歩は遅れており、複雑な魔道具はほぼ一点物として扱われていること。今自分が暮らしているこの地域は、年中気候が安定しており、嵐や酷暑とは無縁であること。

 また、この世界では長らく女性しか生まれなくなった影響で、大規模な戦争はほとんど起きておらず、国同士の争いも極めて少ないこと。そして空や山には、ドラゴンやその他の魔法生物が今もなお存在していることなど――


 毎日があっという間に過ぎていった。 目まぐるしくも、どこか心地よい日々。


そして、気づけば半年が過ぎていた。“世界告白魔法フェスティバル”は、すぐそこまで迫っていた。

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