ドレイク王国1
茜色に染まる雲海にヘスティアは飛び込む。
一瞬で周囲は真っ白に染まり冷たい空気が肌を刺激する。雲海を息つく間もなく抜けたその先の大地は、微かに陽の光が差込み夜の帳が落ちようとしていた。
徐々に高度を下げていくヘスティアの後をカオスたちが追従する。大地の草木がはっきりと目に映り、目を凝らした先には街が見えた。
ヘスティアは街の上を大きく旋回すると広場に降り立つ。
古代竜を目にした竜人は祈りを捧げるように平伏している。
幾人かの竜人が深く頭を下げ一礼すると城に向かって駆け出した。ヒューリへの報告だろうとヘスティアはそれらを無視して人間の姿に変わる。
続いてカオス、アテナ、ニュクスと次々と降り立っては姿を変え衣服を身に纏う。
竜人たちは古代竜が人間の姿に変わったことに驚きつつも誰も声を上げようとはしない。
周囲を取り囲むように平伏す竜人をレンは見つめる。
これが竜人か、大きさは人間と変わらない。肌は鱗で覆われ背中から翼を生やし、お尻からは尻尾が覗いている。まさに、人の形をした小さな竜だ。
鱗の色は様々だが、男女問わず力強さを感じる逞しい体躯をしている。
身に纏う衣服には細かな刺繍が施され彩り豊かだ。周囲を見渡すと建物の扉には細かな細工や装飾が施され文化レベルの高さが窺える。
こうして見るとレンの方が見窄らしい格好だ。遭難したことで着ている防寒着は薄汚れ、背負っているバッグも所々ほつれている。とても竜王には見えない。
途端に恥ずかしくなり俯いてしまう。宝物庫から衣服を持って来れば良かったのだが、今となっては後の祭りだ。
レンが俯いているなか無情な言葉がカオスから投げかけられる。
「レン様、折角の機会です。この者たちにもレン様のお言葉を授けては如何でしょうか」
なんだと……
唯でさえ羞恥心で消え入りそうなのに、これはなんの罰ゲームだ。
しかし、このまま黙っているわけにもいかない。
溜息を吐きたくなるのを必死で堪えて声を張り上げる。
『私が新たな竜王、レン・ロード・ドラゴンである。みな楽にするがよい』
竜人たちに変化はなく、黙して平伏す。時より啜り泣くような声が微かに聞こえてくる。
長い静寂のなかレンは動揺する。
態度には出さないが心臓は激しく脈打ちまともに思考が働かない。
そんななか、レンなりにこの静寂の原因を考察する。
そして出た答えは……
まずい!あまりの見窄らしい竜王の姿に泣き出すものまでいる。
このままでは竜王の威厳がなくなる、なんとかしなくては……
縋るようにカオスを見ると。どうだ、と言わんばかりの満面の笑みを浮かべ竜人たちを見下ろしている。
何が嬉しいんだ、嫌がらせなのか?
後ろを振り返るとニュクス、アテナ、ヘスティアもカオスと同じように自慢げに笑みを浮かべていた。
レンは泣きたくなるのを堪えながら思う。此れからどうすればいいんだと。
上空を旋回する古代竜を竜人は見上げる。
あれは今朝お会いしたヘスティア様、しかも古代竜らしき影が他に3つもある。もう一度お目にかかりたい。その思いが中央広場に向かわせた。
この街に古代竜が降り立てるような開けた場所は中央広場しかない。
案の定、中央広場に古代竜が次々と降り立つ、がなんと人間の姿に変わっていくではないか。
力ある竜は姿を変えることができると聞いたことがあるが真実とは。
だが分からないことがある。古代竜の手から降りてきた見窄らしい服装の男は誰なのであろうか。
疑問に思いながらも広場に平伏し古代竜に祈りを捧げる。
「レン様、折角の機会です。この者たちにもレン様のお言葉を授けては如何でしょうか」
レン様?僅かに顔を上げ様子を覗うと見窄らしい男が口を開いて声を張り上げた。
『私が新たな竜王、レン・ロード・ドラゴンである。みな楽にするがよい』
途端、男の声が魂を震わせる。雷に打ち抜かれたように体が硬直し動けなくなった。その後、湧き上がるような感動が体を駆け巡り歓喜の涙が溢れ出る。
あの方が竜を統べる竜王とは。
外見で判断していた自分はなんと愚かなのか。
竜人は畏敬の念をこめ偉大な我らが竜王に更に深く頭を下げた。
街の上空を大きく旋回したヘスティアの姿は城の衛兵の目にも止まり、その情報は直ぐにヒューリにも届けられていた。広場から駆けつけた竜人からも順次、情報が入ってくる。
それを聞いてヒューリは馬車を走らせた。
自ら飛んだ方が早いのだが竜王を歩かせるわけにはいかない。
逸る気持ちを馬車の中でグッと堪えると心を落ち着かせる。馬車はこれ以上速くは走れないのだ。竜王に失礼の無いようにと、身だしなみを再度整える。
一緒に乗る従者も緊張のためか言葉数が少ない。
広場が近づくにつれ緊張のためかヒューリの手が震えだした。
今からこんなことではまずい。
ヒューリは拳に力を入れ固く握り締めると、気合を入れるように自分の頬を殴りつけた。
ゴンッと鈍い音が馬車の中に響きわたる。目を見開き驚く従者を横目に「なんでもない」と一言だけ告げ自分の手に視線を向ける。
震えは止まった。
大丈夫、そう自分に言い聞かせヒューリは近づく広場に視線を向けた。
広場中央でレンがどうしようかと途方にくれるなか、平伏す竜人を掻き分け一台の豪奢な馬車が近付いてくる。
馬車はレンの目の前で止まると二人の竜人が降り立った。一人は豪奢な衣装を身に纏った大柄な男の竜人。
もうひとりは仕立ての良い衣服を身に纏い、後方に控えるように佇む竜人。
後に現れた竜人は、先に現れた竜人の従者であることが窺い知れる。
「ヒューリ出迎えご苦労、こちらにおわす方が新たな竜王レン様であらせられる」
ヘスティアが労いの言葉を送ると同時にレンを紹介する。
竜人は豪奢なマントを翻し目の前で跪くと、レンを見据えて口を開いた。
「お初にお目にかかりますレン竜王様、私はこのドレイク王国の国王ヒューリ・ルボルトスでございます」
レンは竜人の王を見下ろす。
豪奢な衣装はまさに王に相応しい作りで、身に付ける装飾品も意匠を凝らした素晴らしい物ばかりだ。宝石やアクセサリーの価値がわからないレンでも、高価なものだと一目でわかる。
『私のことはレンと呼ぶがよい。ヘスティアのことは知っているな。他の三人はカオス、ニュクス、アテナだ。私共々しばらく世話になる』
三人に視線を向け順次紹介していく。互いに紹介を終える頃には、陽は完全に落ち辺は闇夜に包まれていた。
竜王の声を聞き感動で打ち震えていたヒューリだが、闇夜の中で竜王を立たせていることに気付くと直ぐに馬車へと案内する。
「直ぐに城までご案内いたします。どうぞ馬車にお乗りください」
近くで見る馬車には、外側に細かな彫刻が施され、宝石も埋め込まれていた。扉を開けると中は見かけよりも広く、足元には絨毯が敷き詰められている。
『カオス、私の荷物を持て』
足を踏み入れるとふかふかの絨毯の感触が心地いい。椅子に腰を落とすと程よいクッションが体を包み込む。天井には光りを灯す道具が備え付けられ、馬車の中を明るく照らしていた。
レンに続いてカオス、ニュクス、アテナ、ヘスティア、最後にヒューリが乗り込む。詰めるともっと乗れるのだが当然そんなことはしない。乗れない従者の男が残念そうに馬車の傍で佇んでいる。
最後にヒューリが乗り込むのを確認すると馬車は城に向かって走り出した。
レンは気になっていたことをヒューリに訪ねる。
『ヒューリ、城に風呂はあるか?』
「風呂でございますか?当然ございます。我々は水浴びしかしませんが他種族との交流もございますので、城や貴族が滞在する貴賓館などには全て備え付けております」
よかった、風呂があるのか。
登山を開始してからもう何日も風呂に入っていない。
体中が汗でベトベトして気持ち悪い、とにかく風呂に入りたい。
『城に行ったら先ず風呂に入りたい。準備をして欲しい』
「畏まりました。すぐにご用意いたします」
『それと風呂上がりに着替える衣装も用意してくれ』
「はっ!そちらもご用意いたします」
これで少しは落ち着けるだろう。
移動する馬車から町並みを眺める。所々街頭のような物で照らされて、行き交う竜人の姿が見える。馬車の通りと歩道も分けられ、石畳で整備されている。
もっと原始的な世界かと思ったが、思った以上に街が整備されているな。
「レン様、なにか気になられたことがおありですか?」
物珍しそうに外の様子を覗うレンにヒューイが尋ねた。
『いや、所々明かりを灯して文明が思ったよりも高いと驚いていたのだ』
「そのような事でしたか。各国が交流し情報を交換し合うことで、互いの技術を高めあった結果です」
『そうか、結構じゃないか。お互い切磋琢磨し競い合う。悪いことではない』
「そうなのですが……最近は他種族との関係も悪化しております」
途端にヒューリの顔が曇り俯いてしまう。
何かあったのだろうか?
世話になるお礼に力になりたいが……
話だけでも聞いてみるか。
『何かあったのか?力になれるかもしれん。話してみよ』
ヒューリはどうしようか戸惑いながらも話し始めた。
「この国の東には荒野が広がっております。数百年前までは緑あふれる豊かな土地で、その土地を巡り4つの国が争いをしておりました。4つの国とは北の国ノイスバイン帝国、東の国エルツ帝国、南の国サウザント王国、そして西の国、我がドレイク王国でございます。各国がその豊かな土地に陣地を築き、一歩も引きませんでした。戦いは長きに渡り、豊かな大地は踏み荒らされ、魔法で焼き尽くされました。結果、土地は荒れ果て生物は姿を消し、死の大地と呼ばれるまでになります。奇しくも豊かな大地が無くなった事で停戦協定が結ばれ、死の大地は不可侵領域と定められました。この争いから数百年、互いの国は国交を結び共に発展してきたのです。しかし、数年前から北のノイスバイン帝国が我が領内に侵攻し困っております。まだ互いに牽制し合うだけで大きな被害は出ていませんが、これからどうなることやら……」
戦争か?滞在先で戦争なんて冗談じゃない。
話し合いでどうにかならないのか?
『話し合いには応じないのか?』
「使者は幾度となく送ったのですが取り合ってもらえず。最近では送った使者が戻ってくることもございません」
相手はやる気満々か勘弁してくれ。
『何故この国なんだ?他にも隣国はあるだろうに』
「我が国は豊かな大地に恵まれております。ノイスバイン帝国は近年の天候不順で食糧難が続いておりますので、恐らくそのためでしょう」
『食糧支援でなんとかならないのか?』
「恐れながら、一時的な食糧支援は我が国でも行いましたが、恒久的に行うことは不可能です。それはノイスバイン帝国も承知しているからこそ、近年の侵攻なのでしょう」
よし、お手上げだ何も聞かなかったことにしよう。
「レン様、丁度良い土地が見つかってなによりです」
カオスなにを言っているんだ?
『丁度良い土地だと?』
「はっその通りでございます。不可侵領域なる土地です。誰の土地でもないのですから、レン様の土地といたしましょう」
えっ!ダメだろ何言ってんだ?
それに荒野だぞ、実りが期待できなければ収入を得ることが出来ないじゃないか。
『それは問題があるのではないか?抑も荒野だぞ』
「ヒューリ、不可侵領域は4カ国によって定められた。つまりそれ以外のものは出入り自由、そうだな?」
「その通りでございます」
「この通り我々には何の問題もございません。他の国が入れないのであれば、レン様の土地にしても問題ないでしょう。勿論、土地は我々の固有魔法で豊かな大地に再生させます」
はぁ?なんだそりゃ……
そんなゴリ押し無理だろ、しかも土地を再生?
『少し無理があるのではないか?他の国が黙っているとも思えない』
「ご安心ください。歯向かう国は後顧の憂いがないよう全て殲滅いたします」
誰か助けてぇ~、今のカオスさんには言葉が通じない。
ヘスティア頼むなんとかしてくれ。
『ヘスティア、お前はどう思う』
「はっ妙案かと存じます」
本気か?お前までそんなことを言うのか?
『アテナ』
「カオスにしては中々いい案かと」
ぐっ!何故だ!
『ニュクス』
「このドレイク王国以外は今のうちに滅ぼした方がよろしいかと」
聞いた俺が馬鹿だった……
ヒューリが呆れているじゃないか。
もう知るか、どうにでもなれ。
『カオス、全てお前に任せる。ただしこの国の国益を損なうような真似はするな』
「畏まりました」
なんで考え方がこんなに極端なんだ。もう少し穏便に行動しようとは思わないのか?
深い溜息を吐くと脱力感に襲われ背もたれに寄りかかった。
柔らかいクッションが優しく背中を包み込み、その感触に苦笑いを浮かべる。
カオスたちも、もう少し柔軟な考え方をして欲しいものだと。
いつの間にかレンの頭からは、ノイスバイン帝国侵攻のことなど抜け落ちているのだった。