第三章 23
8
車の中で利沙は、当然後部座席の中央にいた。
その両側には捜査員がいて、そのうちの一人は、柿平だった。
蓮堂は助手席にいる。連絡係らしい。
スピースの身柄を確保し連行中である旨を報告していた。
車の中で柿平は、利沙に話しかけた。
「友延。なんで逃げた? しかもあんな場所に。逃げられるとでも思っていたのか?」
柿平は、普通に話しかけた。
責めるようにではなく、ただ聞きたいといったように。
「…………」
利沙は何も言わず、ただ前をじっと見ていた。
そこに柿平は、
「どうして、公園に行った。何かあるのか?」
すると利沙は、
「別に。……それより、私を捕まえて、困るのはもっと上の方の人でしょう。それとも、他に理由があるの?」
柿平は、詳しく話そうとはしなかった。
確かに、スピースを確保したなんて、今の段階では、公表すると決まっていない。
その後は、特に何も話もせずに、車は公安警察に向かって行った。
公安の入り口に入って、車から捜査員がいるその部屋の前まで来た時、部屋の中が騒然としてるのに気づいた。
何かざわざわとしている様子が、ドアを開ける前から伝わってきた。
ドアが開けられ、柿平や利沙が入っていくと、そのざわつきが、一気に静まり返った。
まるで、水を打ったよう、とはこの事か。と、でもいうように。
そんな捜査員が注目する中を、利沙は平然と連れられて行った。
まるで、ショーでも見学するかのように。
利沙を見つめるいくつもの視線の中に、以前に見た顔があった。
それに、利沙が気づいたかどうか。
その視線の主は、以前サーバーの管理者としての利沙に会いに家まで訪ねてきて、
利沙をフラワーポットとして捕まえた、杉原だった。
業績が認められ、公安に抜擢されたのだった。
その業績の中には、フラワーポットの件も含まれる。
杉原が公安に移ったのは、利沙が二度目に少年院に入っていた夏だった。
公安にはサイバー犯罪への対応を厚くするため、全国から前線で動ける人材を集めていた。
その中の一人が、杉原だった。
杉原が配属された時には、すでにフラワーポットのパソコンの解析が進められていた最中だった。
パソコンの解析が進むにつれて、信じられない事実が明らかになっていった。
杉原のみならず、捜査員は驚愕した。
フラワーポットが、スピースだったという事実は、
公安とか警察レベルの問題ではないと、誰もが知っていた。
利沙のいう、もっと上の人のレベルだった。
それというのも、スピースが世界中からどう見られているかといえば、
情報源としてのハッカーだけではなく、もっと重大な犯罪者としての評価が高かった。
テロリスト。
利沙が、スピースとして侵入した国に共通しているのが、あるミサイルを持っている、
もしくは、持っているかもしれないといわれている国だった。
しかも、そのミサイルのシステムをジャックしていた。
これが利沙を、スピースをテロリストと断定する理由だった。
そのミサイルとは、核ミサイル。
世界中の何千発と言われる核ミサイルの、そのほとんどを手中に収めるスピースを、
スピースの被害に遭った国は元より、どんな国でも欲しがる。
これは、当然かもしれない。
反対に、誰にも奪われたくないと思うのも、当然の考え。
テロリストとして、世界中で捜査が進む中を、
利沙は平然と暮らしていた。R・TOMとして、ソフト開発にいそしんでいたわけだ。
世界中から追われていたとは、到底考えられない活躍を遂げている。
そして、利沙の開発したソフトは、スピースの被害にあった国でも使われていた。
まさか、同一人物が作ったものとは思っていなかっただろう。
そして、TOM基金の奨学金にも多くが頼ってくれているのも、事実だった。
皮肉にも、国の若者を助けるためにも、そして戦争の危険にさらしているのも、利沙が関わっていた。
それに、誰も気づけずにいた。今まで。
スピースは、もしかしたら、利沙が思っている以上に、広い範囲で深い影響を与えていたのかもしれない。
利沙は、公安の捜査員の見つめる中を、堂々と歩いていた。
両側に付き添う捜査員よりも堂々と取調室に入っていった。
取調室、公安とはいえ、警察の取調室と変わりなく、机と椅子があるだけだった。
少しくらいこっちの方が広い程度だった。
利沙は、机の奥にある椅子に座らされた。
ちょうどその目の前の壁に鏡があった。
これがマジックミラーになっているとは、容易に想像できる。
そして、その向こうに部屋があり、
取調室に入れない捜査員でも、この中で行われる様子を見られる、話す内容も聞けた。
入ってすぐ手錠をはずされ、その跡を少し触っていた。
利沙は、椅子に座るとすぐに鏡に向かって微笑んで見せた。
手まで軽く振ったりして。
それを見た捜査員は、一様に驚いた。
そして、ざわついた。
今までここに通されてこんなふざけた態度をとった者は一人もいなかった。
三光園にいた利沙は、少しおびええた感じがあった。
ここに来て、いや、公園にいた頃にすでに態度が変わっていた。
利沙の態度は、ほんのさっきまでとは、人が変わってしまったようだった。
「友延、ちゃんとしろ。ここに遊びに来てるわけじゃないんだ。ふざけるな」
柿平は、利沙に対面して座っていた。
その表情は、厳しいものだった。
それにもひるんだ様子のない利沙に、余計に苛立ちが募ってきていた。
それでなくても一度逃げられて、面子がつぶれかけそうだったし、
大人数での捕り物に、柿平のプライドが、いや立場が揺らいでいた。
「友延利沙。お前が、スピースだな?」
「そうよ。だから、ここに連れてきたんでしょう?」
利沙の態度は、開き直っていた。
のか、現実が見えていない? のか。
「だとしたら、ずいぶん楽しそうだな?」
「そう? もう、どうしようもないでしょ。分かっちゃたんだし、だったら、……何しようが勝手でしょ」
利沙は、まるで「今日は雨が降ったから、家の中で遊ぶのよ」とでも言っているようだった。
「自分が何をしたのか分かっているのか? お前は、テロリスト……」
「だったら、どうするの?
それに、こんな話する前にスピースを捕まえましたって、さっさと公表したら?」
利沙は、言い方はともかく、表情はふざけていなかった。
「スピースでいいんだな? フラワーポットもスピースも、噂どおり同一人物だったという訳だな?」
柿平は、真剣だった。
「だから、そうだと認めているでしょう。公表するなら、すればいい」
「それが、どういう意味か、分かってるのか?」
「知ってるつもりだよ。
そちらの言う通り、私は十一歳の時からずっとスピースを名乗ってる。
間違いない。
当たってるよ。
……まあ、見つかるとは思ってもなかったけど。
まさに、親に売られた気分だね」
利沙は、半分笑いながら話していた。
「お前は、スピースが世界からテロリスト扱いされていると知っていて、そんな風に言えるのか?」
「知ってるって言ってるでしょう?
こっちだって命がけでやってる。
どんな風に言われようが、私が認められないって分かってる。
でも、……全部が間違ってるとは、思ってない」
柿平は、利沙の言葉に気になるところがあった。




