第三章 22
そんな状況で、利沙はもちろん、スピースとして捕まればいずれどうなるかは知っていた。
当然、そんなことになるはずないと思っていたら、公安の捜査員が来た。
だから、利沙は焦ってしまっていた。
まさか、こんなことになるなんて。というのが、利沙の正直な気持ちだろう。
今、利沙の置かれた状況は、利沙が望もうと望まなくても、決まっている。
しかし、それを打開するために、利沙は何かをするかもしれない。
そんな不安が、今、利沙を取り囲んでいる捜査員にはあった。
それは、利沙がしでかしている、現在進行形の事案が関係している。
利沙は、各国のシステムに侵入しているが、
必ずその国の軍事システムのプログラムを都合よく書き換えている。
特に特定のミサイルについては発射に関するシステムは、スピースの監視下に入ったままだった。
利沙がその気になれば、簡単にミサイルをどこにでもいつでも発射出来るというわけだ。
捜査員が、利沙の持っている携帯電話に注意を払うのは、それを懸念してだった。
もし、携帯電話を使って発射でもされようものなら、戦争が始まる可能性も考えられる。
それだけではない、日本の立場は、取り返しのつかないものになってしまう。
だからこそ、誰もが慎重にならざるを得なかったのだ。
利沙は、それを、おもしろがっていたのかもしれない。
表情は分からない。
でも、利沙が追い詰められているようには、思えなかった。
まだ、ここから逃げ出せるとでも考えているのだろうか。
「友延。いい加減、それを渡して私達と来てもらう。分かっているだろう?
もう、何処にもいく所はない。ここから逃げられるとでも思っているわけじゃないだろう」
柿平は、ずっと利沙の説得に当たっていた。
それに対して、利沙は反応しなかった。
そんな利沙が、
「欲しいなら、取りにくれば?」
と、携帯電話を捜査員に見えるように、もう一度頭の上で振っていた。
それを見た柿平は、利沙の近い位置にいる捜査員に受け取るように指示を出した。
利沙は、近寄ってきた捜査員に、静かに渡すように手を伸ばした。
「ワッ!」
もう少しで渡せる、そう思った瞬間、大声で叫ぶようにして、捜査員に向かって投げた。
投げられた捜査員は、慌てて落としそうになった。でも、何とか受け取った。
「あれっ、びっくりした? ごめんなさい」
利沙は、軽く笑った。
それを見ていた捜査員は、受け取った一人に限らず、一様に驚いた。
何も起こらなかったにも関わらず、焦った。
「ふ、ふざけるな! 渡したなら、そのまま立て」
利沙は、言われるまま立ち上がった。
まだ振り向いてはいない。
そこに、利沙から受け取った携帯電話が、柿平の手に渡された。
すぐに解析するよう指示を出した。
「友延。両手を挙げろ。……そうだ、その手を頭の後ろで組め」
利沙は、言われるまま両手を頭の後ろで組んだ。
それを見て、柿平は続けた。
「ゆっくり歩いて来い。ゆっくりだ」
利沙は、何も言わず振り向き、それからベンチの横を通って公園の中央にある広場に向かって歩いた。
その広場の中ほどまで来た時、
「そこで止まれ、手は下ろすな。そのままだ」
止まった利沙を、捜査員が取り囲み、そのうちの一人が利沙の持ち物を調べるため、服のポケットなどを調べた。
「何もありません」
「手錠をかけろ」
捜査員の報告に柿平は、指示を与えて自らも利沙に近づいた。
捜査員が手錠をかけ腰紐を回した時に、柿平が利沙の目の前に来た。
「友延。君は我々から逃げた。だが、これ以上好きにはさせない」
そう言って、睨みつけた。
それに対して、利沙は平然とした顔で、しかし何も言わなかった。
ただ、視線は正面を向いていたが、果たして何を見ていたのかは分からなかった。
捜査員に両側を付き添われて、公園を出て行こうとした利沙が、
「杖、持たせてもらえますか? ここまでくるまでにも結構歩いていたので、杖がある方が歩き易い」
「だめだ。杖なら我々が持って行く。十分凶器になるものだ」
柿平は、利沙の申し出を受け付けなかった。
確かに足取りはゆっくりしていた。もともと疲れやすくなっていた右足で、三光園から逃げ出したんだ、
多少の無理もしただろう。
だからといって、利沙に杖を持たせるのは、また逃げ出すきっかけを与える。
それは、もうできない。
柿平は、これ以上時間をかける気はさらさらなかった。
少しでも早くスピースこと、友延利沙を連行することだけを考えていた。
そうして、公園の出口には、短い階段があった。
公園が少し道より低くなっているため、五段ほどと短いものがあった。
それを出るともう目の前には車が用意してあった。
柿平が用意させて置いたものだ。
そして、その周囲には規制のためのテープが張りめぐっていたが、
ちょうど利沙が上がっていこうとしている先に、健太とおじいさんがいた。
利沙がその二人に気がついて、一瞬気を取られた。
その瞬間、利沙はバランスを崩してしまった。
そして、両側の捜査員もとっさの出来事で間に合わず、利沙は階段を踏み外し前のめりに転倒した。
利沙は、両手の手錠とつながった腰に巻かれた紐のため受身が取れず、
肩から階段に身を投げ出す形になってしまった。
ほんの一瞬。
あっという間の出来事だった。
捜査員もすぐに体制を整え、利沙の体を引き上げた。
利沙は、転倒した時と、引き上げられた時の二度、呻くように声が出た。
しかし、特にそれ以上、何も言わなかった。
起き上がった利沙は、視線の先にいる健太に微笑んだ。
「おねえちゃん。わるいことしたの? おまわりさんとこにいくの?」
利沙は、少し考えてから、
「そうかも、お巡りさんは正しいから。そうだね、おねえちゃん悪い事したんだよ」
利沙の答えに健太が、
「ふ~ん、おねえちゃんわるいことしたんだ」
「……そうだ。忘れないで欲しいの、健太君。
大好きな人の手は、絶対に放しちゃだめだよ。
放したら、もう会えなくなるかもしれない。
だから、つないだ手は、ぜったい放しちゃだめだよ。健太君」
利沙の力の入った言い方に、健太はきょとんとしていたが、
「わかった」
と、笑顔を返した。
利沙も笑顔でそんな健太と目を合わせた。
「いくぞ。早く来い」
利沙は、捜査員に強引に車に乗せられた。




