第三章 15
佐々井先生は、この利沙との会話を、少年院の指導官に報告した。
すると、こんな反応だった。
「それで、信じるとおっしゃる訳ですね。佐々井先生は?
専門家がきちんと審議したものが違うと?」
指導官は、全く信じなかった。
しかも、こんな事まで、
「見られましたか、友延利沙が最初に補導されて、どんな事をしていたか?
ふつうパソコンを使うとき、画面を見ながら入力するでしょう。
それが、友延は入力画面を見ないまま、ハッキングしていたんです。
二重画面というらしいですが、偽の画面をハッキング用の画面の上に重ねて、
誰が見てもハッキングしているようには、全く分からないように。
そんな子ですよ? あの子は人をだまして、それを楽しんでいたんです。
……佐々井先生も、その手にはまったんです。
気をつけてください。友延には」
そう言われると、そうかも。
佐々井先生も冷静になって考えると、ただ利沙の迫力に負けただけの様にも思えてきた。
数日後、利沙は医務室にいた。リハビリのためだった。
利沙が、メモを見せた。
「この前の事、信じた?」
これに、佐々井先生は答えられなかった。
すると、利沙から、
「いいよ、信じなくて。言われたでしょ? 指導官に、私は嘘つきだって。だから、信じなくていいよ」
「どうして。どうして信じなくていいの?」
佐々井先生は、つい、聞いた。
「だって、私が本当の事を、今更言うと思う?
今、言ったって、何も変わらないのに?
……それに、人のいい先生なら、何を言っても信じてくれそうだしね」
佐々井先生は分からなくなった。
信じた方がいいと思いながら。
「ありがとう。あの時は信じてくれた。
それで、もういい。
……先生、リハビリは今日で終わりにしてほしい。もう、ここには来たくない」
そう書いて、利沙は医務室を指導官と出て行った。
佐々井先生は、止める事が出来なかった。
なぜなら、利沙が出て行って、ほっとしたからだ。
利沙は、この時、悔しいと思った。
でも、それは誰にも伝えなかった。
それ以降利沙は、メモの量が一気に少なくなった。
表情も、少年院に来たばかりの頃のようになった。揉め事はなかったが。
それから二ヶ月が経った頃、状況が一変した。
あの、男五人組の内の一人サトルが、
良心の呵責に耐えかねたのと、マサノブ達の自分の扱いに腹を立て、
警察に証拠の写真を手に出頭してきた。
サトルは、以前から自分に対する態度に、不満を持っていた。
だから、利沙を利用した。
サトルが仕入れてきたにもかかわらず、大した役目もなく、ただの使いっ走りで終わった。
その後も、その状況に変わりがなかった事実。
いつか使おうと、利沙を拉致した場面。
倉庫に連れてきた利沙の体を紐で縛っていた場面。
利沙にハッキングを強要している場面。
多額の現金を手にして喜んでいる四人。
最後に、利沙を暴行している場面。
全てを携帯電話で撮影していた。
その写真を手に、警察に現れた。
これが、利沙の境遇を、大きく変えるきっかけになる。
本来こういう事があってはならないが、事件が再度捜査され、いくつかの新しい証拠も発見された。
当然議員の息子にも満遍なく捜査の手は及んだ。
もう権力は通用しなかった。
しかし、そう簡単には、審判のやり直しには至らなかった。
そのため、利沙自身に再度捜査されている事が知らされたのは、捜査が再開されて一ヶ月も後だった。
審判が始まったのは、それからすぐだったが、なかなか結論が出ず、
ハッキングした事実は存在するわけで、保護観察中の再犯。
理由は考慮されたものの、本人が自己弁護するに至らない現在、少年院入所に変わりはなかった。
しかし、期間は大幅に修正され、一年未満となった。
それが、利沙に何か影響したのかは、はっきりと見られなかった。
利沙は、あれから医務室でリハビリもしなかった。
利沙には、時々手紙が来ていたが、利沙が個人的に契約している、パソコン関係の仕事先からの物ばかりだった。
その日届いた中に、一通だけ普通郵便があった。
小立先生からだった。
内容は、今のホームの様子。
残していたパソコンを今も活用している事。
宏の進学先が決まりそうで、同時に進学する資金も心配がなくなった事。
(TOM基金から奨学金が出る事になった)最後に俊一の里親が決まって、ホームを出る事になった事。
それが便箋四枚にびっしりと書かれていた。
そして、みんなの寄せ書きがあった。
俊一の書いた利沙の似顔絵や、奈月と智代の二人で書いたホームの見取り図小さな顔がそれぞれ書いてあった。
中学生達はコメントを、宏と啓太もコメントがたっぷり書いてあった。
夕実は差し障りのない事が、少しだけ書いてあった。
その一つ一つが、利沙には嬉しかった。
この手紙を指導官から渡される時、
「きちんと返事は書くように」
と、告げられたいた。
もらった時は何の事か分からなかったが、内容を見て納得した。
検閲時に指導官も見ていたから、言ったのだろう。
ただ、どう返事を書いたらいいのか、利沙はしばらくの間返事が書けずにいた。
そうしているうち、利沙に面接が申し込まれた。小立先生だった。
小立先生は、利沙が話せないとは知らされていないはずで、利沙は面会を拒否した。
その代わりメモを指導官に託した。
「面会に来てくださってありがとうございます。先日のお手紙ありがとうございました。
返事は必ず書きます。もう少しだけ待って下さい。
私は、まだ小立先生には会えません。今日はありがとうございました」
小立先生は、それでも会いたがっていたらしいが、利沙は会おうとはしなかった。
話せないからか、悪いと思っていて会えないのか、それは定かではない。
しかし、一方の面会を拒否された小立先生は、自分に非があったので、利沙は許していないのではないか?
それとも、利沙の中では、事件は今も続いていて、自分達の様に過去にはなっていない。
そのため、自分に迷惑を掛けまいとしているのかもしれないとも思った。
利沙は、返事の中で、小立先生には感謝している。
他の子に余計な心配を掛けてしまって申し訳ないと思っているが、直接会うのは少し待って欲しいと書いていた。
利沙は、自分が話せない事には触れなかった。
しかし、自分を気に掛けている人がいる事実は、利沙が自覚するより早く心に余裕を与える。
話を聞いている間の美菜は、じっと利沙を見ていた。
利沙の話が一段落すると、
「それから、どうなったの?」
メモではなく、美菜の口から出た言葉だった。
本人はそれには気づいていないらしく、利沙もそれには触れず、続きを話した。
「それから、やっぱりしばらくは話せなかった。
けど、作業中に隣の子が物を落としてしまって、それがその子の足に当たりそうで、つい、叫んでたの。
あぶないって」
「叫ぶ? 声、出せなかったのに?」
美菜は益々興味津々だった。
利沙は、それにも口調を変えずに話した。
「そう。でも、なぜか、その時には声が出たの。
不思議だった。こんな声だったんだって。
それから、ずっと話せたわけじゃなくて、少しずつ声に出せるようになっていったの。
一ヵ月位後には、ちゃんと話せてた。普通にね」
「そうなんだ。すごい、で、どれくらい話せなかったの」
「半年くらいかな。話せるようになってまだ四ヶ月程しかたってないの」
「え、そうなんだ。全然分からなかった」
美菜は、まるでおとぎ噺でも聞くように、目をキラキラ輝かせていた。
「美菜ちゃんも、もっと先生に話してみれば?
顔は怖そうな先生もいるけど、似合わないほど、優しいから」
美菜は、それには同意しなかった。
でも、
「分かってはいるんだけど。
話せば話すほど、私の所から離れていくし、お母さんも仕事が忙しいって、何にも聞いてくれないの。
学校の先生なんか、はじめから、私が万引きしたと決め付けて、何言っても信じてくれないし。
もう、どうでもいいやって思っている時、おばあちゃんは倒れるし。
私はこんな所に入れられるし、ついてない。
で、いっそ話せない振りでもすれば、みんな私に同情してくれるかな?
って、なんにも話さなかったら、思ったよりも、みんな優しくしてくれるし、いいこと尽くめ。
……おもしろかったよ」
言い方が、すごく軽い感じだった。
へらへらした言い様と態度が、人を騙して楽しんでいる。
それが伝わってきて利沙は、
「それで、どうだった? 今まで話せない振りして、他にどんな収穫があったの?」
「そうねえ、そんな収穫なんてないけど。
そうだ。お母さんが面会に来てくれて、色々話してくれたり、差し入れしてくれたり少しはいい事もあったかな?」
「そう、良かったわね。それで、お母さんにはあいさつしたの?
来てくれてありがとう、とか。差し入れありがとう、とか」
美菜は呆れて、
「そんなのするわけないでしょう?
話せない振りしてるのに、話すわけないじゃない。
それに、親だよ?
子どもが困ってる時に、来るのは当たり前でしょう。
しかも、こんなに窮屈な所に押し込められて。
私は、何者なの? 私は迷惑なのか? っての」
いかにも、これが正しいと言わんばかりの言い方だった。
「そう、それで、これからどうする? これからも話せない振り続けていくつもり?
それとも、もう振りはやめるの?」
「……えっ?」
美菜はいつの間にか話していたのに、今、気づいた。
「どうするかは、自分で考えなさいね。まあ、……私はどっちでもいいけど」
利沙は、美菜がどんな気持ちでそんな事をしたのか、半分あきれながら、
美菜をそこまで追い込んだ社会に対して、腹立たしさも感じていた。
「まあ、元々あんな性格なのかもね」
利沙は、しばらく同室のままだが、特に関わる事もなかった。
美菜は一人っ子ではなく、三歳上に兄がいた。
兄は私立の中学に通っていて、母親はその学費を稼ぐため、朝早くから夜遅くまで働いていた。
本当は美菜も中学受験する予定だったが、それも出来なくなったのも、影響していると思われた。
とにかく、甘えるのが上手い。
男の子だけでなく女の子でも、つい手を貸そうか? となるから不思議だ。
美菜は、母親にも事実を話し、一緒に祖母の見舞いのため外出して行った。
その日一日かけて母親との時間を満喫し、夕食まで一緒に過ごした。
帰って来た時の表情は、少し肩の力が抜けたように見えた。
学校にも通えるようになり、美菜は順調になじんでいった。
それでも、美菜の希望で利沙と同室のままだった。利沙も拒否しなかった。
「美菜って変わってるな。あの利沙と一緒って、楽しいか?
今まで誰かが一緒になってもすぐに変えてもらってたのに、つまんなくない」
「そんな事ないよ。楽しいよ?」
そんな会話が繰り返されていたが、そのうち、利沙と美菜が同室である事に違和感がなくなっていた。
まるで、ずっと前からそうであったように。
そういうなんでもない日が繰り返されていた。




