第三章 9
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三光園には、多くの子ども達が暮らしているが、春ともなれば、ここから巣立って行く。
その中には、就職する者、進学する者。それぞれいる。
そこで問題になるのが資金。
就職するにしても、住む場所は、ただでは借りられない。
親の協力が得られれば、敷金や家賃の心配は無いかもしれない。
しかも、保証人がいないと、部屋も借りられない。
進学するには、入学金、授業料の支払いが一時的に多額の出費があり、
それが準備できないために諦める者が少なくない。
三光園には、今年巣立つのは三人。
内一人は就職する。
住み込みの仕事を決めたので、住む所の心配もなく、支度金で何とかなる予定だ。
残る二人の内一人は学校の寮が準備されていて、入学金は奨学金でまかなえる事になった。
しかし、もう一人は大学の入試に通ったが、入学金の準備出来ていなかった。
あと一週間以内に入学金を納めなければ、入学許可を取り消されてしまう。
そんな切羽詰った状況にいた。
そんな時に、三光園のポストに一通の手紙が入っていた。
宛名は、羽郷豊。
切羽詰まった唯一の高校生だった。
会議室には、職員がみんな集められていた。
その中に羽郷豊がいた。
園長が話し始めた。
「私は、これは受けていいと思う。せっかくのこのチャンスを生かしたい。
この、TOM基金について調べたら、まだ設立されて五年だが、
世界中で子ども達の支援を行っていて、一年限りでなく継続しての支援が行われていた」
それを聞いていた、先生の中には、
「でも、いきなり送りつけてくるなんて、失礼でしょう?
本人に確認をするのが先だと思います」
そんなやり取りをしているところへ、
‘トンッ、トンッ’
ドアをノックする音が部屋の中に響いた。
「誰かな? 入りなさい」
園長先生が声をかけると、ドアが開き、
「失礼します。利沙です」
園長先生は、入ってきた利沙にこう告げた。
「今は、大切な話をしている。急ぐ事でなければ後にしてくれるかな?」
「すみません。急ぎです」
利沙は、すまなそうに言い、
「どうした?」
「あの、パソコンの事で、許可をいただきたいんです」
「パソコンの許可は出してるだろう? 今更聞く必要はもない」
園長先生は、冷たく聞こえるように言うと、改めて利沙は言い直した。
「すみません。インターネットの線をお借りしたいんです。
私のは無線なので、有線で接続したくて。
それと、……今から私の個人的なお客さんが来るんですが、その人と使いたいと思って、許可が欲しいんです」
利沙の言葉に、園長先生は、半分よく分からなかったが、
「いいよ、使いなさい。分かったら、ここは大事な話をしている。しばらくここには入らないように」
「はい、ありがとうございます」
利沙が頭を下げて出て行って、少し時間が経った頃、
ある職員が突然気づいたように言った。
「園長先生。利沙って、ここのパソコン使うつもりでしょうか? いいんですか? それ」
園長先生は、その言葉に慌てて部屋の外に出ると、利沙が、お客と思われる男性と話していた。
その内容が、園長先生他、職員の視線を釘付けにした。
「TOM、このメッセージには何があると考える?
私には、明らかな挑戦状に思える。
それしかない!
これに気づいたのは、今日の十時。もう、一時間以上も経ってる。
間に合うか? TOMの力を借りたい」
そこにいたのは、佐々木室長だった。
TOMと呼んでいるのは、利沙。
「でも、そうするとかなりの金額が発生します。
アドバイスくらいなら、影響は無いですが、私が実際にするとなると、……」
利沙が渋っていると、
「わかっています。それは覚悟のうえだ。今、そんなこと言ってる場合ではありません。
それは気にせず、とにかくこの対処をお願いしたい。
時間がない。もう、TOMに頼るしか」
佐々木室長は必死だった。
何があったのか。
それは、ほんの一時間前に佐々木室長のいる橿原分室に、あるメッセージが送りつけられた。
「今日の正午が楽しみだ」
たった一言、それ以外何もなし。
送り主も関係するデーターも何もなかった。
これがいきなり十時になった瞬間に、送られてきた。
正午に何かある。
そう思わせるメッセージだ。
しかし、その中身が何なのかが分からず、社員総出で本社の力も借りているが、全く掴めなかった。
このメッセージが示す正午に、一体何があるのか。ないのか。
それを少しでも早く掴む方法として、佐々木室長は、
本社にR・TOMに依頼してはどうかと早いうちから打診したが、
なかなか返事がもらえなかった。
しかし、佐々木室長は許可が出たらすぐに動けるように準備をしていた。
そのため、一時間後にようやく許可が出てすぐ、利沙に連絡を取り、駆けつけた。
佐々木室長が利沙の元に来たのは、十一時二十分を過ぎていた。
慌てていたのは、そのためで、時間がないのだ。
利沙には、電話で要旨を伝えていたが、原文をコピーしたメモリーを持参していた。
紙に印刷した物も持って来ていた。
利沙は、受けるかどうか決めていなかった。
自分が動けば、当然金銭が絡んでくる。
しかも、利沙自身も時間がなければ、本部のコンピューターを使用する事になるだろうし。
そうなったら、尚の事、余計にかかる事になる。
どうするか決め兼ねてはいたが、とにかく、電話をもらってから、
有線でパソコンが使える環境だけは、準備して佐々木室長を待っていた。
無線だと、盗聴される可能性があるからだ。
そこで、さっきの会話。
「お金に関しては、心配はいらない。本社の許可は取ってある。
そんな事より、もう私達にはTOMしかいない。
助けてくれ、とにかく何が起こるのか?
それだけでもわからないと、対応の手段がない。頼む、TOM」
その言葉に、利沙は意を決したように、
「分かりました。ここの使用許可はもらいました。
すぐ始めます。
そちらのコンピューターにアクセスします。パスワードを」
そう言って、利沙はパソコンに向かい、なにやら入力していった。
そうしながら、ヘッドフォンマイクを使い、どこかと話しているが、日本語でなく英語で話している。
しかも、上手い。はっきりいって、そう簡単には聞き取れないほど早い。
どうも、指示を与えているようだった。
「これから、時間がないので、回線は共有します。
指示は英語で、それぞれ自分に対するものを聞き取るか、画面に従って下さい。
なお、相手の場所が特定されたら、地元警察に連絡、身柄を確保してもらって下さい。
ハードディスクの内容は、我々TOMが管理します」
利沙の指示は早く、的確だった。
しかも、抜かりない。
そう言いながら、利沙の手は止まらない。ずっと動いたままだった。
利沙は、指示を与えながら、パソコンに入力し続けた。
まずは、データーの解析。
これが出来なくて、佐々木室長は慌てていた。
まあ、これが出来れば、全て終ったようなもの。
利沙は、解析は自分が担当し、本部にフォローを依頼。
橿原分室には、分室へのアクセス履歴の再検索を担当させた。
どこかに何かあるはずだ。
利沙が担当した、データーの解析は、意外に早く終った。
中身は、ウィルスが添付されていた。
データーが流失するような物では無いが、コンピューターのデーターを消去するものだった。
しかも時限爆弾のように、時間が来れば作動するようになっていた。
しかし、消去されてしまえば復元できるかどうかは怪しい。
そうなる前にウィルスの特性を分析し素早くワクチンを作成しなければならない。
どこまで感染しているのか、それを確認して早急にワクチンを注入する必要がある。
そして、このメッセージの送り主を特定し、捕まえなければ、
また、同じ事を繰り返すかもしれない。
もしかしたら、他にも被害者が出ている可能性がある。
ワクチンは、すぐに作成。
アクセスしたすべてのコンピューターに注入し終えたのは、十一時四十五分。
利沙が、パソコンを使い始めて、わずか十五分後の事だった。
たった十五分。
何人もの大人が、寄ってたかって出来なかったものを、わずか十五分で終らせた。
これが、利沙の実力。
あっという間の出来事だった。
しかも、正午まで後十分というところで犯人の特定に成功。
すぐに、管轄の警察に依頼して、身柄の確保ができたのが、正午を回った頃だった。
犯人は、気楽にパソコンの画面を見ていたが、そこが特定されるとは考えていなかったらしく、
いきなり警察が訪ねてきて、慌てて逃げようとしたが、逮捕された。
被害届けは、すぐに提出していた事もあって、警察もすぐに動いてくれた。
利沙はというと、ハードディスクの中身をロックしたままにして、
データーを犯人によって消されないようにしていた。
後で、解析に立ち会うつもりでいる。
全て、解決したところで、利沙は本部と連絡を取った。
しばらく何か言い合っていたが、どうやら、金額の事らしい。
そのうち、やっと折り合いがついたのか、
「室長。今回の金額なんですが、その……」
言いにくそうにしている利沙に、
「いいですよ、いくらでも。TOMに私達の危機を救っていただいた。いくらでも払います」
「そうですか? でも、あっ、ちょっと待って下さい」
そう言うと、また話し出した。そして、
「では、二万七千ドルで、どうでしょう?」
利沙は、以外に軽い口調で佐々木室長に話し、佐々木室長も、
「えっ、それでいいんですか? それは嬉しいです」
その返事を待って、利沙はもう一度本部と話し、やっと連絡を終えた。
向き直った利沙は、佐々木室長に対して、立ち上がってこう言った。
「それでは、後日請求書が送られてくると思いますので、よろしくお願いします」
「はい、分かりました。お世話になりました」
お互いに頭を軽く下げた。
利沙は、佐々木室長の顔を見て、にこっと微笑んだ。
「でも、金額やっぱり高くないですか? これでも、かなり下げさせたんですけど、でも……」
遠慮気味に言うと、
「いいえ、安いですよ。三万ドルは下らないと思ってましたから」
佐々木室長の言葉に、利沙は意外に思った。
「そうなんです。最初三万五千ドルって言ってきて、びっくりしてもう少しまけろって言ったんです。
何度かまけさせて、それでも三万ドルって、言うんです。良く分かりましたね」
佐々木室長は、苦笑しながら、
「でも、そんなものですよ。TOMが関わっているんだし、もっと高いと思いますよ。普通なら」
「そうかなぁ。だから、私の関わった分を差し引いてくれって言って、この金額です。すみません」
利沙は、改めて頭を下げた。
「よかったのに、そこまでしていただかなくても。
急な事に、こんなに素早く対応してもらって、本当に助かりました。TOM」
佐々木室長は、利沙の手を両手で硬く握った。利沙も握り返した。




