第二章 17
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雨音。
梅雨になると聞かない時はなくなる。
しかし、梅雨に入る前でも、菜種梅雨、筍梅雨、五月雨など雨に関する言葉は多い。
ただ、この頃の雨には、ざっと降ってさっと止む事も多い。
止んだ後は、それまでの黒い雲一面の空が嘘のように、真っ青の空が広がっている。
ちょっと多めの湿気と、時に勢いよく吹く風との間に挟まれてみると、
晴れた空の心地よさを痛感する。
雨が降っていたと思った。
でも、今は止んでいるらしい。
空気が湿気を帯びていたが、まとわり着くほどでもない。
日差しは、思ったよりも傾いている。
ただ、妙に居心地が悪かった。
頭の芯がキーンとして、痛いような重たいようなとても快適とはいえなかった。
それは、頭の中だけでなく、体も自由がきかなかった。
「おいっ、おいっ。起きてるんだろう? おい」
そんな声が聞こえた。
何かにたたかれる感覚もある。
いや、この感覚は、
蹴られているのか。
「……?」
ハッとした。
蹴られてる。
そう考えた時、いきなり現実が襲ってきた。
目の前には見知らぬ光景が広がっていた。
「目、覚めてるんだろう? 起きろよ」
見た事もない男が目の前にいる。
今、その男に胸倉をつかまれ体を起こされた。
両手は後ろで縛られている。
両足も縛られていた。
どうやら、どこかの倉庫にいるらしく、床というか、地べたに寝転がされていたらしい。
縛られた手が右のポケットに届いたが、本当ならあるはずの物が、ポケットに入っていない。
おかしい。
と、思うと意識がはっきりとしてきた。
「またか」
そう思った。
その時、
「お前、友延利沙。だよな? 去年、宝石店強盗した」
「…………」
その声に、利沙は絶句した。
なぜなら、少年院を出る時に杉原に言われた事があった。
「ここを出たら、気をつけた方がいい。
利沙の情報について、どんな事がどれくらい漏れているか確認できていない。
だから、しばらくの間は警戒して欲しい。
屋外で絶対に一人になるな。
絶対にだ!
今回の強盗が成功したように、また企むやつはいる。
利沙が自ら知らせない限り、お前が関わると正直発見するまでに時間がかかる。
事件は起こる、その可能性は多分高い。
そのために、頼むから一人にはなるな」
それを、今、思い出した。
思い出すのが少し、いや、ずいぶん遅かったかもしれないが。
利沙は、正直こんな事になるなんて、思わなかった。
しかもこんなに早く。
まさか、本当に情報が漏れていた?
そういう事か。
だったら、早くこの事を知らせる必要がある。
でも、どうしたらいい?
利沙の頭の中は、これ以上にないくらいのフル回転していた。
「どうした。友延利沙だろう?」
利沙は、声にならなかった。考えがまとまらない。
「友延。お前、またやる気ない?
まあ、強盗なんていうのは俺達向きじゃない。
今度は、銀行。ちょっと口座にお金を移して欲しいんだよ。
誰のでもいいから、持ってくるのは」
利沙は、呆れた。
そんな事、出来るわけない。
無茶だ。
それでも、
「なあ、やってくれよ。分け前やるから」
さっき、俺達って言っていた。
何人かいる。
しかも、若い。
前の事件の時より若い。
もっというと、学生か? そう、それより若いくらい。
言い換えるなら、幼い。
言葉遣い、態度、身に着けている物、全てが語っていた。
「嫌よ。そんな事できるわけない。第一、するわけないでしょう? そんな馬鹿な事」
利沙は、思い切り馬鹿にした。
すると、いい終わるか終らないうちに、
パシッ。
ドシャッ。
強烈な平手が、利沙の左の頬に飛んできた。
利沙の体は、その勢いで大きく右に飛んだ。
実際は、ちょっと勢い良く倒れただけだが、利沙には飛んだように感じるほどの勢いがあった。
それと同時に後ろ手に縛られたままだったので、右肩と右の頬を床に打ちつけた。
「ウっ」
「馬鹿にしたろ? 今」
上から見下ろすように男は言い、その後、後ろに向いて仲間を呼んだ。
「おいっ、ちょっと来てくれ。こいつ起きたぞ」
遠くの方でいくつかの、
「おう」
と、返事がありそのすぐ後、同じような年の男四人がやってきた。
利沙を囲むと、さっきの男が、
「いつまで寝てんだよ。さっさと起きろよ」
無理やり利沙の体を引っ張り上げた。
利沙の左腕をつかんだのだ。
利沙はその痛みにまた呻いた。
「こいつ、俺を馬鹿にしやがった」
「ば、馬鹿よ。そんな事考えるなんて。出来るわけないでしょう。
……そもそも、罪を犯すなんて、するわけ無い」
「それをお前が言うか?
それこそ、ふざけるなだ。
お前はもう犯罪者だろう?……笑わせてくれる」
「そうかもしれないけど、……だから、余計に分かるんでしょう?
犯罪者は必ず捕まる。やめた方がいい」
「よく言うよ。大丈夫。
お前さえ裏切らなかったら、捕まる心配はない。
腕がいいハッカーだろ?」
利沙は、負けじと強めの口調で応じた。
男は続けて、
「お前はするよ。これ、何か分かるか?」
と、男が利沙の目の前にあるものを差し出した。
利沙は、ギョッとした。
さっきポケットに入っていなかったものだった。
「これ、メモリーだろ? ポケットに入ってたよ。
無造作にな。大事なものか? これ」
利沙の目の前にフラフラさせた。
利沙は、両手が縛られてなければ、すぐにでも取り返したかった。
「返しなさい」
利沙は、語気を荒げた。
「おいおい、どっちの立場が上か分かってないのか? この状況で。
この場合。言っても、返してください。だろ?
まあ、言ったところで、返す気はないけどな」
「……返して下さい」
「返さないって言ったろ? まあ、お前が俺達の条件を飲むなら、返してやってもいい。
銀行にハッキングして、一億ほど盗んでくれたら。
そしたら、返してやるよ。どうだ、やってくれるか?」
「一億? ……なんで、お金がいるの? 働けば少しずつでもお金は貯まっていく。
盗む必要なんてないでしょう?」
「お前に説教される覚えはない。
金なんてのは、あるところには嫌って程あるんだよ。
余ってるところからもらう分には、かまわないだろう?」
なんて無茶な理屈。
利沙はとっさにそう思った。
こんな事を言ってるやつに、正論は通用しない。
しかし、気になるのは、男の手にある、メモリーだった。
「それ、もう見たの?」
利沙は、少し低い声で話した。
自分の考えている事を読まれないために。
「見たよ。すごいハッカーのわりに、たいしたもん持ってねえな?
てっきりすごいもんが出てくると思ったら、ただの写真ばっかり。なんだよ、これ?」
「貴重なものなの。返して」
「貴重ね。それで、こんなのなんで持ち歩いてんだ」
「私には、大切なの。返して、それあんた達には、必要ないでしょう?」
「まあ、そうだけど。でも、十分役に立ちそうだな? おまえを脅すにはちょうどいい」
利沙は、半分ほっとした。
利沙は、自分の使うパソコンやメモリーなどには、
利沙以外の人物が普通に起動しても写真しか見る事が出来ないようにしていた。
それ以外は何重にも保護を掛けている。
たとえ触られても、保護が掛かっている事も気づかせないために。
保護を強くしすぎると、人は無理をしても見たがる。
しかし、何か見る事が出来ると、心理的にそれ以上探ろうと思いにくい。
もちろんこのメモリーにも、保護が掛けてあった。
ダミーの写真ファイルを見られただけで、他のものは見られていない。
しかし、今後どんな事が起こるか分からない。
だから、早めに取り戻したかった。
どうしたものか。
利沙が考え込んでいると、
「どうした? 何か言ったらどうだ」
「……どうしたら、返してくれる?」
男達は、顔を見合わせた。
「だから、言ってるだろ? 銀行にハッキングしてもらいたい。そうしたら返してやるよ」
利沙は、やってしまおうか、
その方が交渉するより早いかもと思った。
が、それだけは出来ないとも思った。
少年院を出てきて間がない事もそうだが、やっぱり犯罪は良くない。
そこへ、意外な人物が現れた。
「夕実? ……どうして?」




