第二章 13
ホームに帰ってきた利沙を、俊一が満面の笑顔で迎えた。
啓太がパソコン教室の事を他の子にも話していた事もあって、
利沙は、子ども達に受け容れられていた。
何より、利沙が今までよりも嬉しそうにしているのが、先生達にも嬉しかった。
夕ご飯の後、小立先生が、
「落ち着いたら、利沙がパソコンについて、少しずつ教えてくれるので、明日から以降に聞いて下さい」
そう言うと、子ども達から歓声が上がった。
そして、夜の八時を過ぎた頃、利沙が依頼していたパソコンがホームに届いた。
利沙は、小立先生から許可をもらい、パソコンのセッティングを始めた。
さすがに人数分のノートパソコンは、見ごたえがあった。
子ども達は、興奮気味だったが、大きい子以外は、九時になって眠るように促され、
しぶしぶベッドにもぐりこんだ。
「明日は土曜日。お楽しみは明日」
こんな事を口々に呟きながら、眠りに入っていった。
大きい子達も十時になって部屋に帰っていき、残ったのは利沙だけだった。
準備に時間がかかるとはいえ、ずっと起きていて良いわけはなく、利沙も十一時には、ベッドに入った。
利沙は、久しぶりにゆっくり眠った。
翌朝。子ども達はいつもより早く起きてきた。
それよりも早かったのは、
「おはよう。利沙はずっと起きてたの?」
一番乗りの俊一が、(いつも間にかおねえちゃんとは呼ばなくなった)
自習室でパソコンを触っていた利沙に向かって話しかけた。
利沙は一度手を止めて、俊一を見た。
「おはよう。寝たよ、今起きたところ。俊も早いね、よく眠れた?」
「うん。いっぱい寝たよ。楽しみだったんだ。それ……僕のもある?」
俊一は、目をキラキラさせて、期待いっぱいの顔で言った。
「あるよ。着替えて朝ごはんを食べてからね。
準備できたら言うから、それまでに勉強済ませてね」
「ええぇ。そんな、すぐしたいよ。そのために早く起きたのに。利沙の意地悪」
「いいから、そうしないと、私が先生に怒られるよ」
「……そっかあ、利沙が怒られるのか。だったら、勉強しとこうかな?」
「ありがとう。俊。優しいね」
その言葉に、俊一は恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
利沙は、その後姿を見送った。
そんなやり取りを見ていた他の子達が、
「後で、教えて」
と、それぞれが自分に与えられた勉強を始めた。
意外に早く終わらせてから、次々に自習室に集まってきた。
利沙は、ずっと準備の手を休める事なく整えていった。
その顔は真剣で、子ども達は簡単には声を掛けられずにいた。
「みんな、もう終わったの? いつもより早いよね」
机には九人分のパソコンが準備されていた。
一台一台が並べられていても、きれいに整理されており、
パソコンの電源用、ノートパソコンと利沙の使うホストコンピューターをつなぐためのケーブルなど、
コード類が邪魔になる事もなくスッキリした部屋だった。
「入っていいよ。好きな所に座って」
その子ども達の中に夕実がいた。
パソコンの前に座った子ども達は、わくわくしながら利沙の指示に従って、
電源を入れたり、画面の操作を習っていた。
一人一人が出来る事は違っていたが、利沙は、一人一人がしたい事を優先してさせて、
それぞれのメニューを作ってあった。
内容は、マウスの練習から文書の作成まで、多岐にわたっていた。
続けても飽きないように、数パターンが準備されていたり、
また自分のレベルを確認できるようにもなっていた。
長時間続けないように、一定の時間がくると、休憩を促すような警告のメッセージが表示されるなどの、
補助するシステムも搭載されて、本人が時間を管理しやすくなっている。
練習するにもレポートの作成にしても、便利な機能が充実されたものだった。
そんなパソコン教室の一番の特徴は、困った時や、何度も同じ間違いをしていると、
利沙が最適なアドバイスをしていた事だった。
何よりもその方法が変わっていた。
どうしてか、本当に最適なタイミングで、パソコンの画面に表示させたり、直接指導に当たっていたのだ。
本当に絶妙だった。
子ども達の反応は、もちろん上々だった。
その日以降、学校から帰ってきて、
宿題や勉強をとっとと済ませると、すぐにパソコンの画面に向かった。
そんな子ども達のために、利沙は、パソコンに触れているだけで勉強が進むソフトを考案。
みんなの反応は良かった。
そんな様子に先生達の受けもよく、
利沙は、先生用にもパソコンを詳しく解説した冊子を作った。
その中には、施設や施設に関する事、また子ども達に関する必要な書類が、
空白を埋めるだけで完成するソフトも組み込まれていた。
先生達の書類作成に大いに役に立っていた。
このため、利沙はいつの間にか子ども達の中に溶け込んでいた。
時には手取り足取りといった感じで、丁寧に接していた。
だから、子ども達もほとんど全員が、利沙に対して好意を持った。
パソコン教室が始まってからというもの、子ども達は自習室にいる時間が長くなっていた。
宿題や決められた勉強が終わると、そのまま自習室でパソコンに向かっていた。
その中でも、啓太と啓太に誘われた宏の二人は、パソコンの勉強ソフトに夢中になっていた。
志望校に応じた、受験勉強に最適なソフトを構成して、
受験生それぞれのパソコンに入れてあった。
不明な事なら、パソコンの事から、どんなに難しい問題にも、利沙は分かりやすく答えた。
それが高校三年生の高度な問題にも、躊躇したり考え込んだり、何かのテキストを見る事なく、
すぐに答えるための考え方や正答が、利沙の口から出てきた。
そんな利沙に対して、子ども達は答えを全部知っているのだと思っていた。
そのうちにパソコンに入っていない問題にも同じように、
利沙は時間を置かずにヒントを与えたり、答えが合っているかを言っていた。
その事があまりにも自然で、誰も不思議に思わなかった。
宏や啓太が、そんな利沙に好意を持つのに時間はかからなかった。
事ある毎に利沙と話をしていた。
「利沙。この問題だけど、簡単に解く方法ってある?」
「あるよ。これは、この公式よりも……」
「利沙、こっちも頼む。ここが良く分からない。なんでこうなるんだ? こう考えるのもありだろう?」
「だけど、こうすると。……どう、分かりやすいでしょう?」
「そうか。考え方か。でも、よく知ってるよ?
俺だってなかなか理解できないのに、利沙、こんなの習ってないだろ?」
「習わなくても、さっき教科書見たし」
「見ただけで分かるって? それがすごいんだよ」
宏や啓太が、利沙に対して親しく話しかけ、利沙もそれに特に抵抗なくすぐに答えを返す。
こんなやり取りが毎日、学校から帰ってくると繰り広げられていた。
しかし、以前なら、受験生も自主勉強もメンバーが違っていた。
本来、利沙はここにはいた事がなかった。
そして、勉強の相談相手も、利沙一人に聞くのではなく、みんなで考えたものだった。
一方的でなく、みんなお互いに、得意な分野を教えあったりしたものだった。
特に高校生の三人は仲が良かった。
利沙が来る前もパソコンはあった。
自習室に二台のパソコンが置いてあった。
しかし、利沙がパソコン教室を始める前は、調べ物や、インターネットを楽しむ程度で、
特に何かをするといった事に使っていなかった。
だからこそ、パソコンを自由に使える利沙が、子ども達の目には、珍しく写った。
そして、羨ましかった。
利沙がハッカーとして少年院に入っていたと知って、半分ホッとした。
特異な感じに思っていたのと、自分達とは違っていると思う事で、納得したかった。
パソコンが使える事は、いい事ばかりではない。
反対にそこまで使えない方がいいのだと、言い聞かせる事でパソコンに対する劣等感をぬぐいたかった。
……いいタイミングだった。
しかし、考えてみればこんなにいい先生はいない。
パソコンを教えてくれるなんて、学校でもしれている。
何より、いつでも最高の技術を見る事も出来る。
利沙は、仕事も自習室で行うようになっていた。
専門的に習っている学生からも実力を認められるほどの、
こんなに適した人を、これからも見つけられないだろう。
だったら、少年院に入っていた人間が、一度でもここに一緒に生活した事に変わりはない。
それをいい方向に考えるなら、有効に使えるなら、
少年院に入っていた事実は事実として、パソコン教室を開いてもらう事で自分達に、
恩返ししてもらいたいと考えた。恩返しというより、
迷惑を掛けた事の対価として。
利沙は、小立ホームに居場所を作る事が出来た。
利沙がパソコンを教えるようになって、利沙も変わった。
以前より自信を持っていた。
話し方、接し方一つ一つが今までの印象と少し違って、全体に明るくなった。
週末の二日間で子ども達の気持ちを、利沙自身に向けさせ、
なおかつ一気に自分のホームグランドに仕立てたのだ。
それは、月曜日になっても変わる事はなく、
今まで分からない事は、基本的に年長者に聞いていたが、
今では利沙に聞きにくる。
しかも競っていたから、見ようによっては違和感を覚えなくもない。
ただ、効率は格段に良くなった。
必ず正確なヒントや答えが得られる上、自分でも気づかないほど、勉強が楽しくて仕方なくなっていた。
あれほど苦痛に思っていた宿題さえ、
パソコンがしたいばかりに、とっとと、しかもあっさり、終わらせる事が出来た。
全員ではないものの、いい効果と言えた。
そんな日が過ぎていき、木曜日。
利沙は、リハビリの日になった。
朝から小立先生と一緒に病院に向かって行った。
その日は、利沙の帰りは遅くなっていたが、いつも通りに宿題を済ませて、パソコンに向かっていた。
今日は、利沙の助言が受けられないかと思っていたら、パソコンを開くと利沙からメッセージがあった。
その日の注意点や、課題など一人一人別々に色々な内容だった。
利沙は、毎日一人一人が何をしていたのか、どれくらいが出来ているのかをチェックして、
翌日のメニューを組んでいた。
利沙がいなくても、同じようにサポートできるような仕組みが出来ており、
子ども達はいつもどおりパソコンを楽しみながら勉強していた。
利沙は、細かい所まで、困っている所がどこなのか、
克服したいと思っている事、興味のある事についてなど、次の段階に進みやすいように、
事前に個々のメニューを組んでいたのだが、それに日々修正を加えていた。
利沙は、病院に着いて受付を済ませると、リハビリ室へと向かった。
リハビリ室では、綿木先生が待っていた。
利沙は、綿木先生に心配を掛けた事が気になっていた。
先週の夜病院に泊まった時、何度か病室に来てくれたらしい、看護師さんが教えてくれた。
「綿木先生、心配そうに覗いて行ったわよ?」
そう聞いていたので、綿木先生に元気な姿を早く見せたかった。
だから、
「綿木先生。おはようございます」
利沙は、元気良くあいさつをした。
その声を聞いて、
「友延さん。よかった、来てくれないかもって思いましたよ」
綿木先生も笑顔で迎えてくれた。
「そんな事ありませんよ。これからは無理しませんから。よろしくお願いします」
「よかった。一緒に頑張りましょう」
「はい」
利沙は、一通りあいさつし、周りにいた人ともあいさつを交わしてからリハビリを始めた。
もちろん、無理しない程度に。
午前中いっぱいリハビリに費やし、少しばかり疲れていた。
食堂で昼食を取っていると、江元先生が利沙の元にやってきた。
「こんにちは。友延さん」
「こんにちは。江元先生」
「どう、午前中リハビリだったでしょう。疲れた?」
江元先生は、笑顔で利沙に聞いた。
「まあ。でもそんなには疲れてないです。どうしたんですか?」
利沙は、特に意味なく聞いてみた。
すると、
「……午後は、リハビリはしなくていいから、相談室に来て欲しいの」
「相談室? 何ですか、それ?」
利沙は、初めて聞いた。
「あ、相談室は、カウンセリング室って言った方が分かりやすいかもしれない。
先週してもらったテストの結果を伝えたくて」
「でも、リハビリいいのかな?」
「大丈夫。綿木先生には許してもらってるから」
「そうかもしれないけど?……」
「大丈夫、時間があればリハビリしていいし、来週だって来るでしょう?」
「それはそうですけど、あとで綿木先生に会ってきていいですか?」
「もちろん」
江元先生は、お昼ご飯を食べながらニコニコしながら答えた。
利沙は食べ終えると食堂を出て、リハビリ室に行った。
そこに綿木先生はいなかったが、綿木先生に伝言を頼んで、リハビリ室を後にした。
伝言はメモにした。
「今日は、楽勝だったよ。先生ありがとうございました。
来週もよろしくお願いします。
でも、お手柔らかに。友延利沙」
あとで、これを見た綿木先生は、
「今日は特別。来週はもう少しだけ頑張ってもらおうかな?」
と、言っていたそうだ。
もし、利沙がこれを聞いていたら、
「楽勝って、そういう意味じゃないのに」
と、悔しがっただろう。
しかし、実際には翌週のリハビリは行われなかった。




