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第二章   12

               3

 利沙が戻らなかった日の小立ホームは、小立先生と香先生がなにやら真剣に話し合っていた。

 子ども達は、その事が利沙に関係する事なのだとすぐに気づいた。


 出先から戻った小立先生は一人だったから。


 本来なら、病院でリハビリをしていた利沙も、一緒に帰ってくるはずだったからだ。

 帰ってくるはずの利沙がいなくて、真剣に話している先生達からは、

 その話が利沙に関する事だとは、容易に想像できた。


 その日の夜、自習室では高校生達が話し合っていた。

 もう夜も九時半を過ぎていて、自習室には、宏と夕実と啓太の三人だけだった。


 本当ならここに中学三年の二人がいてもいいのだが、行事で疲れたらしく、

 九時になって早々にベッドに入って行った。


 まず、口火を切ったのは啓太だった。


 部屋に帰ろうとした夕実を呼びとめて、

「夕実、ちょっと待ってくれ。聞いて欲しい話がある。……宏もたのむ」

「何、急に? それも、ずいぶん真剣そうね。啓太」


 夕実は呼び止められて、啓太の側の椅子に座った。

 啓太は元々入り口から一番遠い椅子に座っていたので、その周りに夕実と宏が集まった。


「何だよ、啓太。そう言えば、今日は何か言いたそうにしてたよな?」 

 宏は勘ぐるように話し、夕実は、

「そういえば、夕ご飯一回しかお替りしなかったわよね?」

 夕実の言葉に、少しがっかりしながら、


「そんな事はどうでもいいんだよ。そんな事より、とんでもない事が分かったんだ」


 啓太の差し迫った言い方に、夕実も宏も引き込まれていった。

「利沙の事、俺なりに調べてみたんだ。

 あいつ西城高行ってたって聞いて、西城高の友達に聞いてみたんだよ。そしたら、……」


「利沙の事か?」

「利沙の事なんて、調べなくても、たいした事ないでしょ。悪い噂を確認したかったの?」


 宏も夕実も、一気に興味を削がれた。

 立ち上がろうとする二人を、


「だから、悪い事が聞けるのかと思ったら、全然違ってた。ヒーローだって言ってたんだよ」


 強めに言うと、宏と夕実がほとんど同時に、


「ヒーロー?」


 言った二人が顔を見合わせた。

 声が大きめで、啓太はびっくりした。


「ヒーローって、どういう事だよ?」

 宏が、声のトーンを下げて言うと。

 啓太も二人に聞こえる程度の声量でこう続けた。


「今から言うのは、西城高に通ってる友達に聞いたんだ。

 文句を言わずに最後まで聞いてくれよ。なかなかの内容だぞ」


「分かった。で、どんな話だよ?」

 二人の興味津々の顔を見て、話し始めた。


「小学校の時の友達なんだけど、俺、中学からここに来ただろ? 

 受験の時に会って、あいつだけ合格したんだけど、そのおかげで話が聞けたんだ」

 啓太は、一息ついた。


 電話の内容はこんな風だった。


「……一年の時、退学した奴っている?」

「いるよ。何、そんな事聞くんだよ?」


「いるんだ。俺のとこいないけど、学校によって辞めていくやついるだろう。

 大体がついていけなくなって。西城高って難しそうだから、多いのかなって思って?」


「辞めるやつあまり聞かないけど、でも、去年いたぞ。一人だけ」

「一人。やっぱり成績悪いやつか?」


「違うよ。全然違う。その正反対。しかも学校中のヒーローだぞ」


「ヒーローって。なんだよ、それ。ヒーローがなんで辞めるんだよ?」

「出来が違うんだよ。良すぎるのも問題があったって事だろう?」


「そいつ男? 女?」

「女。

 しかも天才。元ハッカー様だよ。

 警察からも一目置かれるほどの腕前で。

 うちの先輩達の中に、とんでもない事しようとした人がいて、

 もう少しで警察に逮捕されるところを助けたんだぞ」


「逮捕。って、何したんだ?」


「ハッキング、どこかの企業のコンピューターに入ろうとして、見つかったらしいんだ。

 被害届が出されて、警察が学校に乗り込んできて。

 最初は辞めた子が疑われたんだけど、自分の汚名を晴らした上に、真犯人を突き止めて。

 しかも、被害届が取り下げられるように、後の処理までさっさとすませたらしい。

 だから捕まらずに済んだんだよ。すげえだろ? 俺、びっくりしたもんな」


「へえ、そんな事あったんだ。それで辞めたのか?」


「違う。それで退学になるのはちょっと早い。その後がある」

「その後。何があったんだ?」


「それがあったのが、四月の事で、それからっていうもの、その子の人気はたいしたもんだった。

 しかも、何聞いてもすぐに答えが返ってくるんだぜ。

 パソコンに関する事は、知識も技術も段違い。

 その辺の先生に聞くより、簡単に分かりやすく教えてくれるんだよ。

 それに、夏休みに同級生だけにパソコン教室してたみたいで、

 そいつら、今じゃ三年生より何でも知ってるし、出来るようになってるんだ。

 だから、みんなが言ってたのは、なんで学校に来る必要があるんだろうって、良く話してたよ。

 ……悔しいよ。何で同級じゃなかったんだろう。そしたら俺だって……」


「グチるなよ。それより、辞めた理由は何だよ?」


「ああ、ごめん。ええと、……そうだ、確か事件に巻き込まれたって事になってる。

 それがすげえ事件だったんだ。

 先生達ははっきりと言わなかったけど。時期がぴったり合う事件があって。


 それがなんとあの、宝石店強盗なんだよ。


 間違いないよ、先生はあれには全く触れない。

 インターネットに関係がある事なのに、聞いたって無視されるんだから。

 その後、退学して行ったんだ。時期がそこしかないなんだよ。

 その発端は、うちのほかの生徒が、ハッカーを探してた犯人のグループに、

 その子の情報を売ったらしい」


「お前が怒るのも分からなくはないが、そいつ、やめた後どうしたか知ってる?」


「さあ、良く分からない、情報が入って来ないからな。

 噂じゃ少年院に入ったらしい。被害者なのに、変だろ?」


「そうなんだ。でも、やっぱり悪い事だろ?」

「何にも知らないやつは、そう言うよな? 

 でも、誰がなんと言おうとあいつは凄いやつなんだよ。今でもヒーローのままだ」

 そう言って、電話を切った。


 啓太は一通り電話の内容を話してから、


「俺なりに、宝石店強盗について調べたんだ。

 そうしたら、三億円以上の物を、あっさり誰にも気づかれる事なく盗ませた。

 天才ハッカー再び。って新聞に記事を見つけた。

 あいつ、昔からハッカーの中でも一番有名だったんだ」


 そこまで言って、


「それでさ、提案なんだけど」

「提案? 何?」

 と、宏が反応すると、啓太はニヤニヤしながら、


「ここで、パソコン教室してもらわないか? 利沙に」


「? ……な、何? 何をいきなり言い出すかと思えば、パソコン教室だって?」

「そうだよ。いけないか? 電話してて思ったんだ。

 学校でも評判になってたくらいだし。

 そんなに凄いやつなら、パソコンにほとんど素人の俺達に、パソコン教えてもらえないかなって。

 だって、なかなかないだろ? こんなチャンス」


「……そうかもしれないけど、でも」

 それには、夕実は反対の姿勢だった。


「いろんな意見はある。でも、俺にはチャンスなんだよ。

 これからはパソコンが使える事が、進学にも就職にも役に立つ。

 俺だけじゃない。ここにいる、みんなのためになると思うんだ」


「でも、……」

 言いかけた夕実を遮って、


「それは、いい考えだ。確かに有利には、なるよな」

 宏も啓太の意見に乗ってきた。


「だろ? だから明日の朝、先生に聞いてみようと思うんだ。すぐってわけにもいかないだろうけど」

「そうだな。俺も付き合う」


「二人とも、何言ってんの? そんな事。犯罪者だよ。利沙は」

 夕実は、あくまでも反対だった。


 しかし、二人は聞く耳など持っていなかった。

 二人はさっさと部屋に帰って行った。

 夕実は呆れて何も言うまいと、思った。


 翌朝、啓太と宏が昨夜の提案について小立先生に報告に行った。

 二人の顔を見ると良い返事がもらえたらしい。


「夕実。やった。利沙さえよければ、オッケイだって」

 啓太は、勝ち誇った顔で言ってきた。


 夕実は、あっさりと、

「良かったね。」

 と、返しただけだった。



 利沙の目が覚めたのは、お昼ご飯が配られた時だった。

「友延さん。良く眠れた? お昼ご飯、食べられる?」

「はい。ありがとうございます」

「二時ごろお迎えに来てくれるそうよ」

「そうですか。分かりました」


 看護師とそんなやり取りをして、昼食と着替えを済ませて、ベッドに座って外を眺めていた。

 特に何かを見ていたと言うわけではなかった。

 ただ、何の音も話し声も聞いてはいなかった。

 だから、迎えが来た事を知らせに来られても、はじめは気づかなかった。


「友延さん? そろそろ下へ行きましょうか」

 何度目かに掛けられた声で、初めて気づいた。


 心療内科の診察室に行くと、小立先生が江元先生と話をしていた。

 しばらくの間話し込んでいたようだった。


 利沙が入っていくと、

「友延さん、もう帰っていいですよ。来週また会いましょう」


「……はい。ありがとうございました」

「それでは、失礼します」

「さようなら」

 挨拶を済ませて、廊下を歩いていると。小立先生が、


「利沙。昨日は頑張ったらしいね。

 一晩泊まらせたいと言われた時は、驚いたけどね。良く眠れた? それともあまり寝てない?」


「眠れました。知ってるんでしょ? 何があったか」

 すると、小立先生は平然と言った。


「知ってるよ。でも、それは専門家に任せよう。私達は今を生きてるんだよ」


「今?」


「そう、今。これからを生きて行こう。一緒に。

 ……そうだ、そういえば、啓太達が面白い事を言ってきた。

 利沙がパソコンが得意だって聞いてきて、ホームでパソコン教室を開いて欲しいと言うんだ。

 どうかな? 利沙さえよければ、うちにあるパソコンを使っていいから、教えてやって貰えないかな?」


「聞いてきたって、どこから?」

 利沙が、不思議そうに聞くと、小立先生は、微笑みながら言った。


「啓太の友達が西城高に行ってるとかで、その友達から聞いたらしい。利沙が、どんな生徒だったかを」


「……啓太が? そうか受験したって言ってた」

「そこは落ちたけど、友達は受かったんだ。

 その友達が、利沙をヒーローだって言ってたそうだよ」


「ヒーロー? 何、聞いた事ない」


「それはそうだろう。本人を目の前にしては、言いにくかったんじゃないか。

 それより、どうかな、パソコン教室の件、受けてくれるかい? 

 私としては、利沙が他の子ども達に受け入れられるなら、良いと思っているんだが」


 利沙は、少し考えてから、

「良いですよ。ただ、電気代を持ってくれるなら、きちんとした事をしたいです。

 例えば、一人に一台のパソコンを準備したいと思います。

 もちろん、パソコンは、私が準備する手段があります」


 笑顔で利沙は答えると、小立先生は意外な事を聞いた、という風に、驚いた。


「いや、そこまで本格的にする事はないよ。ただ、子ども達に教えてもらえれば、それで良いんだが。」


「それって、手を抜けって事ですか?

 たぶん、西城高での事を聞いたのなら、啓太は不満を言うでしょう?

 そこはきっちり最初だけでもさせて下さい。様子を見て変えていきますから」


 利沙が真剣に言うので、小立先生も利沙の意見に賛成した。

 すると、

 

「膳は急げと言いますし、準備をしたいので、電話してきていいですか?」

 利沙は、小立先生から許可をもらうと、公衆電話に向かって行った。

 器用に杖を使って。

 電話が終わると、


「すみません。終わりました。

 多分、夜には持って来てくれると思います。ありがとうございました。先生」


 利沙がこういう顔、すなわち嬉しそうな顔をするのを、久しぶりに感じた。

 あの、車の中で見た顔が、利沙に帰ってきたのが、小立先生も嬉しかった。


 だから、今回の啓太の提案を受け入れて良かった。


 同時に利沙をこのまま引き受けて良かったと、この時はそう信じていた。


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