第一話 屈辱
思えば、琴吹は幼少の時より屈辱的な人生を送っていた。
女だからと虐げられ、満足な教育どころか生きるので精一杯の日々。
絶望しかない人生で、琴吹がそれでも生きつづけたのは、己を虐げた全ての人間へ復讐するという執念があったからだ。
激情を胸の中に抱え、地位を得るためにはどんな手段も択ばず、決して清廉潔白とは言えなかったが、他の誰よりも努力して駆け上がった。
目には命を、歯にも命を。裏切りや琴吹に危害を加えた人間は皆殺しにした。
そのようにして陰陽師一門の当主の座に登り詰めた。
しかしその幸福が今、この男によって潰されようとしている。
激しく燃え上がる本拠地、琴吹の作り上げた功績は見る影もない。命の気配が一つずつ消えて行く。弟子はおろか、一派の人間はもう一人残らず死んでしまった。
琴吹は最奥にある自室で、静かに佇んでいた。
努力した先、結局は屈辱に支配される人生なら、ここで下手に縋るよりも潔く死んだほうがずっと賢く思える。
辺りは煙が充満して焦げ臭く、少し遠くで大黒柱が折れた音がする。
琴吹自身は実力以上の化物と対峙し、満身創痍で座っているのも痛く苦しく、焼け爛れた喉と正常に機能しない肺が、呼吸をするたびに奇妙な音を立てている。
それでも、傷を隠して美しく座るのは、目の前に対峙する無傷の男に、己のもがき苦しむ姿を見られたくないという、せめてもの矜持だった。
不気味に嗤うこの男と琴吹は、生き物としての格が違うのだと肌で感じる。
化物を統べる鬼王、鬼灯の気迫に当てられてしまえば、大抵の人間は気を保つことすら難しいだろう。
「俺を目の前にして、恐怖で命を乞わない人間はお前が初めてだ。」
琴吹は己を見下しながら言い放つ鬼灯へ静かに目線をやり、愛用の扇子を広げて口元にあてる。鬼灯の手前、努めて冷静でいた。
「命乞いなど、痴れ者のすることだ。」
鬼灯はさっさと殺せと言わんばかりの琴吹に近づいて、目線を合わせるようにしゃがんだ。
「お前の愛弟子も、それ以外の人間も全て残らず殺してやった。」
「そのようだな。」
「……それだけか?ははっ、薄情な女だ。」
一体どの口が。
死に物狂いで重ねた琴吹の努力を、鬼王は一夜にしてねじ伏せた。
格の差を弁えて下手に出ていた琴吹だったが、鬼灯の横暴さに堪らずいつもの減らず口が出る。
「噂に寄らず、随分饒舌なんだな。」
琴吹がそう言えば、ケラケラと嗤っていた鬼灯は突然琴吹の首を掴み上げた。コンと床に扇子が落ちた音がする。
脅威ですらない人間の言葉が気に触れたのだろう。なんと沸点の低い男か。
「頭が高いぞ。」
琴吹は身体が宙に浮いて苦しくとも、抵抗するどころか意識を保つことすら難しかった。座っていた場所には血溜まりが出来ており、今も絶えず脚を伝って広がっている。
_ああ、せっかく召し物を取り替えたのに、これでは意味が無い。
ぼんやりする視界の中、琴吹は浅く息を吐いた。
多くは望まぬ。
来世はただ普通の人間でありたい。慎ましやかに、せめてこんな屈辱を味わうことのない人生でありたい。
遠のいていく意識の中で、最期に見た目の前の化物の顔立ちは不覚にも綺麗だと思った。
「益々気に入った。」
そんな言葉を聞きながら。
*
目が覚めると、甘ったるい香りのする湯に浸かっていた。
辺りを見渡しても誰もおらず、傷だらけの身体に堪えるはずの湯は何故かとても心地よくて、ここが極楽浄土であるのかと感じられた。
湯に不思議な効能があるように思われる。傷は消え失せ、元の綺麗な身体に戻っていた。
「琴吹様、お目覚めになりまして?」
琴吹は背後から掛けられた声の方を向く。
そこには、数人の女官がいた。気味の悪いことに、全員が同じ顔をしていて、琴吹に遠慮もなく近づくと琴吹の身体を湯から強引に引き上げて丁寧に触る。
「何をする、やめろ!私に触れるな!」
身体を拭かれながら隅々を触られる感覚が不快で、振り払おうとするが女官共の力は恐ろしく強かった。
「まあ!元々絹のように美しく長いお御髪でしたけれど、蜜で洗い整えると一本も乱れぬ極上の物になりましたわ。わたくし、こんなにも質の良いのは初めて。これは主上がお悦びになりますわ!」
女官の「主上」という言葉に胸騒ぎがした。
「(ここは、黄泉の国では無いのか?)」
思考がまとまらないままでいると、慣れた様子で琴吹の身体に香油を塗っている女官の手が、尻の方にまで触れた。
「っ何をする!離せ。」
「ここを解して差し上げないと……。許して下さいまし、血塗れになるのも宜しくないでしょう?」
それだけで、己がこの後どのように扱われるのか、想像に容易かった。
「主上とは、まさか。」
女官に問おうとした時、戸の開く音がした。
そこで、想像していた最悪の声が聞こえる。
「目覚めたか?俺の妃。」
「鬼灯……。」
「お前を後宮に入れることにした。俺を愉しませてくれよ、琴吹。」
鬼灯の笑みを見た瞬間、琴吹は強い憤りを覚えた。
「(私は……私は死ぬことも許されず、この男の慰み者になるのだ!)」
後宮に入れられ、「妃」として、この男に服従しながら生きていかなければならぬのだ。
これまでにない恥辱に琴吹は狂乱しそうになった。
「殺せ、私を殺せ!」
女官を振り払おうとするが、女官はピクリともしない。恐ろしい力だ。
舌を噛み切って死んでやりたかったが、気を失っている間に細工されたのか、それともこの男の術か、琴吹の身体は言う事を聞かなくなった。
そのまま鬼灯に強い力で引き寄せられる。抵抗しようにも、身体が動かない。
「お前にはこの女官共と静涼殿を与えよう。」
「主上、あすこは彩妃がお住いになっていらっしゃいますわ。」
「そうか、ならば静涼殿を空きにしろ。琴吹はそこに入れる。彩は喰って良い。」
その言葉に悦ぶ女官が恐ろしい。そんな会話を聞きながら、琴吹は鬼灯の住む宮まで姫抱きにされた。
「やめろ!!殺してやる。お前を必ず殺してやる。」
「ハッ!先程までの弁えた態度はどうした?」
「……殺せ。私を殺せ!」
「会話にもならぬ。」
鬼灯は暴れる琴吹を抑えて、徐に己の腕の皮膚を裂き、滴る血を飲ませようとする。琴吹は必死に抵抗するが、この男の力に勝てるはずもない。
鬼の名に似つかわぬ綺麗な長い指で口を広げられ、押し付けられる。鉄の香りが口から鼻に抜けて吐き気がした。
「全て零さず飲め。ほら、頑張れ。」
飲み込んだ瞬間、身体が燃えるように熱くなり、呼吸が出来なくなる。小刻みに息を続けていると、鬼灯は乱暴に琴吹を押し倒した。
「これで晴れてお前は俺の妃になった。鬼の血が入った身体。もう人でも無いだろう。」
「こ、ろせ……!」
「まだ言うか!自死も出来ぬ身体のくせに。俺に組み敷かれるだけでよい。」
「っやめろ!!」
「ははっ、よい。その様に無駄な威嚇をする姿も愛らしい。」
初めて鬼灯に抱かれた日、琴吹は死よりも深い絶望を与えられた。
琴吹が憎しみを持つには充分な屈辱であった。
それから一週間は昼夜問わず気侭にやって来ては手荒く抱かれた。血なまぐさい臭いを纏っている時や、他の妃を先に抱いたのか、甘ったるい香りが纏わりついている日もあった。
抱かれる度、耐え難い痛みしか感じなかった身体が徐々に快楽を得ていることに、琴吹はまた絶望した。




