07. 魔力切れ
その日の夜。
「ふぎゅう……」
宿のベッドで、私は軟体動物のようにぐんにゃりと伸びきっていた。
体にまるで力が入らない。寝返りすらも億劫だった。
「うぅ……やっぱり、魔力を使いすぎたみたいです……」
「無茶しすぎ。ほんとバカ、魔女のくせに」
弟子がフン、と憎まれ口を叩いたが、そのキツい口調とは裏腹に、ぐでーっとしている私を世話する手つきは丁寧で優しい。今も、冷たい水に浸した布をそうっと額に乗せてくれた。
はぁ……おでこがひんやりして気持ちいいです。
…………それにしても体が重い。
この状態で無理に魔法を使おうとすると、比喩ではなく廃人になりかねない。最悪の場合、死に至る。
しばらく移動は無理だろう。体力と魔力の回復が先ですねえ……
「迷惑かけてごめんなさい……」
「別に今さらだろ……何か食べられそうか?」
「それが、珍しくあんまり食欲がわかなくて。スープとかなら何とか」
「わかった、厨房に頼んでくる。そこから動くなよ」
「動きたくても動けません……」
「とにかく休め」
少年は小さくため息をついて踵を返す。
静かにドアを閉じて、アルが廊下を歩いていく。その足音を聞きながら、私は軽く目を閉じた。
今私達のいる宿は、目的地であるシュレーデンの少し手前。ホントならもう到着してたはずだった。
こうなったのは、ひとえに私のせい。
いつもツンツンしてふてぶてしいアルの滅多に見せないデレに感激し、師匠としていいところを見せようと、うっかり調子に乗ってしまったからだ。
普通なら騎士団小隊に魔法師数人で倒すような魔獣の群れを一人でやっつけて、長距離の移動魔法を連発。
そしたらこの街に着いた途端にぶっ倒れてしまい、宿に運びこまれる羽目になったのである。
魔力が多いばっかりに、己を過信してたのが最大の失敗で、申し開きのしようもない初歩的なミスだった。
大体、魔力切れで動けない魔法師なんて、ただのお荷物でしかない。
だから魔法師のひよっこ達は、「魔力の残存量は常に気にすること」と真っ先に教えられる。私もアルにそうやって教えてた。
なのにこの体たらくなわけですよ。
穴があったら入りたい……!
魔力切れでヘロヘロになった私を宿に運んだアルは、文句を言いながらも、かいがいしく世話を焼いてくれた。
アルの存在は本当にありがたい。
彼を拾って助けたのは私だけど、本当の意味で救われたのは自分かもしれない。時々そんな風に思う。
というか、アルって口調こそ乱暴だけど、頭も性格もいいんですよね。けして顔面だけが素晴らしいわけではない。
今はまだちんちくりんだけど、将来は間違いなく超ド級のイケメンになるだろう。もうオーラが違う。
だからといって、私がアルを将来的にイケメン対象にするかというと、それはない。ナイナイ。
だって弟子をそういう目で見るのはなんか犯罪くさくないですか。
大体、日頃からその手のトラブルで私に迷惑かけられてるアルからすると、非常にキショイのではないかと思う。
私とアルはあくまで師弟。家族みたいなものだ。
東大陸のとある国には、幼い少女を育てて妻にした「光の君」というイケメンの逸話があるというが、自分に置き換えてみるとかなり微妙な気がする……
目を閉じてふわふわと考え事をしていると、少しずつ眠気が増してきた。
うとうと微睡んでるところに、アルが戻ってきた。彼はまっすぐベッドの側にやってきて、私を覗きこむ。
「スープ持ってきた。食べれそうか?」
「うぅ、ごめんなさい。いますごく眠くって………あとで食べてもいいですか……?」
「わかった、欲しくなったら言えよ。いまは寝とけ」
「ありがとうございます……」
部屋に漂う良いにおい。非常に食欲をそそられるけど、睡魔には勝てなかった。
泥のような眠りの底に、ゆるりと意識を沈めていく。
「…………バカ師匠」
眠る寸前の意識の一欠片が、アルの悪態を拾った。すうすうと寝息を立てはじめた私の前髪を、優しい指先がそうっとかきわける。
「いつか大人のイケメンになって、ぜったいあんたを見返してやるからな。首洗って待ってろよ」
不機嫌な囁きは、眠りに落ちた私の耳に届くことはなく、静かな部屋に漂って消えた。
◇◇◇
夢を見た。
──いや、違う。これは夢じゃない。
三百年より前の、古い記憶だ。
辺り一面が雪に覆われていた。
その一部が真っ赤に染まっている。
目の前の瀕死の男から流れ出た血だ。雪の上に仰向けに倒れたその男にすがりついて、一人の女が泣いていた。
「嫌、こんなの……」
「────姫、出来ることなら、生まれ変わって、またお会いしましょう…………」
息をするのもやっとだった男は、苦しげに言葉を紡ぐと、少しだけ笑って静かに息を引き取った。その亡骸にすがって泣きわめいてるのは、過去の私。
──異変があったのは、その時だった。
私の体内でおそろしいまでの魔力が膨れあがる。
想像を絶する痛みを伴って、全身を一から作り変えるような変化が私に襲いかかった。
苦痛に耐える視界の端で、黒と赤の長い髪をなびかせた女が、狂ったように嗤っている。髪と同じく女の目は片側が黒、反対は血のような赤だった。
鮮やかなまでの赤と黒。
その二色を纏った女から、膨大な魔力が迸る。
地響きとともに地面がひび割れ、雪の下から土塊が空中に浮かび上がった。黒い土の塊は、意思があるかのように次々と接合し、巨大な人型を作り上げていく。
やがて完成したのは巨大なゴーレムだった。
見上げるほど大きなゴーレムが、こちらに向かって拳を振り上げる。
だが、ちっとも怖くなかった。
魔女として目覚めたばかりの私は、怒りに任せてゴーレムに向かって魔力を放った。
…………土の魔法と氷の魔法がぶつかり合い、一帯は白と茶の爆風に包まれた。
◇◇◇
────二晩ぐっすり寝て、魔力はほとんど回復した。
体調が悪かったせいか、たくさん夢を見た。
起きたらほとんど忘れてしまっていたけど、苦しいような懐かしいような、おぼろげな残滓だけうっすら覚えていた。
悪夢で魘されていた時は、隣のベッドで寝ていたアルが心配そうに起こしてくれた。
悪い夢から覚めて彼がそこにいると、何故だかものすごくほっとした。そしてまた眠っての繰り返し。
そうして倒れてから三日後、私はようやく、完全復活を果たした。
「それでは移動再開します!!」
魔力も体力も十分戻った私は、宿の部屋で元気よく宣言した。荷物もまとめて準備万端。
ニコニコと機嫌の良い私に、弟子の少年は肩をすくめて憎まれ口を叩く。
「やっとかよ。宿屋に籠りきりで、このままキノコでも生やすのかと思ったぜ」
「ご迷惑をおかけしましたが、今のところキノコの収穫予定はありません!
それより、いよいよ新しい街ですよ!今までにないタイプの素敵なイケメンに出会える気がします!」
「…………なぁにが、"今までにないタイプのイケメン"だよ!!マジでいい加減にしろ!!!」
「あだっ」
強めに頭をはたかれた。暴力反対……!
うちの弟子はすぐ手が出る。困ったものだ。
宿の支払いも済ませたし、お弁当も持った。忘れ物もない。
私は短く詠唱した。わちゃわちゃと言いあう私達の足元で、魔方陣が光り始める。
さて、目指すは教会の街だ。