06. 闇蜘蛛
「ではそろそろ行きましょうか!」
目的地は決まった。そっぽを向いた弟子に、私はニコニコと上機嫌で声をかける。
椅子がわりにしていたトランクから立ち上がり、移動魔法を唱えようとした──その時だった。
ざわり、と全身が総毛立つ。
鳥の群れが何かに驚いたように飛び立った。
はっとして辺りの様子を探る。
森の奥で邪悪な気配が膨れ上がった。ものすごい速さで何かが近づいてくる。それも一匹や二匹ではない。両の手指に余りそうな数だ。
禍々しい魔力の気配。間違いない──魔獣だ。
負の魔力から生まれた、人や生き物を襲う狂暴な化物。それが明確な殺意をもって私達の方に向かっていた。
「アル、あなたは私の後ろに隠れていてくださいね」
まあ、戦わずに逃げてもいいのだけれど、この数の魔獣が里に下りたら厄介だ。
すぐに駆けつけられる騎士団や冒険者が近くにいればいいが、いなかった場合、かなりの被害が出るだろう。
もう一つ、逃げなかった理由は、デレた弟子にちょっと格好いいところを見せたいなぁ……なんて欲を出してしまったからだ。
そんなところが私のアホたる所以である。
「ロゼ……」
「静かに。心配ありません、全部きっちり倒します」
不安と焦りを浮かべた少年に笑いかけて、魔獣が来る方角に向き直った。
抑えていた魔力を解放する。
ハイ迎撃よーし!
間を置かず、墨で塗りつぶしたかのように黒々とした巨大な蜘蛛が十数匹、木々をなぎ倒して醜悪な姿を白日の下に晒けだした。
大型の蜘蛛の魔獣──闇蜘蛛だった。
「この私に正面からケンカを売るとは、いい度胸ですね」
目を細めて嘯くと、空中に氷の槍を出現させた。
生成した槍は三十本以上。巨大な槍の雨が、空中で静止しているかのような光景だった。
私は魔女のなかでも魔力が多い。このレベルの魔法なら、連続で放てる。
常に腹ペコで燃費の悪い体質だけど、その分、火力は折り紙つきだ。
「ではいきますよ!」
氷の槍が木漏れ日を弾く。ひやりと冷たい空気が頬を撫でた。
右手を垂直に下ろすと、氷の槍は空気を切り裂いて魔獣に襲いかかった。群れの前方にいた四体が串刺しになり、しゅう、と紫色の煙になって消滅する。
続けざまに槍を放つ。
さらに二体の闇蜘蛛が串刺しになって消えた。
槍をかいくぐった残りの闇蜘蛛は、密集して一網打尽になるのをおそれたのか、素早く散開し、私達を囲むような陣形に変えた。
「意外と知恵がありますね」
感心しながら、下から上に両手を振り上げる。
今度は、地中の水分から生成した氷の槍が、地面から何本も突き出した。地中からの攻撃に不意を打たれ、避け損なった巨大な蜘蛛が、腹を貫かれて絶命する。
ギギィ、という、金属を擦りあわせたような断末魔が森に響きわたった。
そこでいったん攻撃の手を止めた。
代わりに、私とアルの周りに頑丈な結界を構築する。残りの五体が、いっせいに尻を上げて攻撃体勢に入るのが見えたからだ。
闇蜘蛛の尻の先から吐き出される毒糸。これがなかなか厄介で、この糸にさわるとたちまち麻痺と毒におかされ、あっという間に絡めとられて彼らの餌食になってしまう、かなりえげつない代物だ。
私は毒や麻痺にいくらか耐性があるけど、後ろに庇ってるアルにはない。
彼が糸に触れたら一貫の終わりだ。防御大事!
次々と吐き出される、毒々しい緑色の糸。それが、べしゃ、べしゃ、と私の結界に粘っこく張りつく。
見ていて非常に気色わるい。
「……うげぇ」
背後で、弟子のげんなりした声が聞こえた。その気持ちはすごーくわかります。
「私もこれ苦手です……」
「生理的に無理だよな……」
「私が炎魔法に特化してたら、跡形もなく焼き払えるので簡単でいいんですけどね……」
まあ無い物を嘆いても仕方ない。私が魔女として特化した魔法は、炎ではなく氷だった。
──魔女という存在は、みんな、元人間の女だ。
この世界における魔女は、魔力の強い女の一部が、ある一定の割合で"変質"し、長い寿命と膨大な魔力を手に入れる事で誕生する。
そして魔女に"変質"すると、一つの魔法属性に特化し、その属性は桁外れに強くなる。
私のそれは氷魔法だった。
通り名である"氷花の魔女"もそこから来ている。
「ちょーっと寒くなりますけど、我慢してくださいね!」
アルに注意を促し、結界を維持しながら氷魔法を展開する。
闇蜘蛛は糸を吐くのを止め、結界のすぐ側まで迫っていた。力に物を言わせて、物理的に結界を壊すつもりらしい。
でも、そんなの私が許すわけがない。
「ぶっ潰してやりますよ」
今の私はきっと、酷薄な笑みを浮かべている。もう目の前の敵しか見えていない。
魔力の出力を上げ、一帯をすべて氷結させていく。急激に温度が下がり、空気中の水分が凍って、ダイヤのように煌めく。
数度瞬きをした後には、私とアルを除き、半径十数メルカ内に存在する物体が、漂白されたように真っ白な氷に変わっていた。
「すげえな……蜘蛛も糸も全部凍ってる」
氷の塊になった糸と魔獣。それらを結界の内側から眺め、少年が驚嘆したように呟く。
私はふっと息を吐き、くるっと振り返った。
「そうでしょうすごいでしょう!」
まあ、今の魔法はまわりに誰もいない時限定だ。何でも無差別に凍っちゃうし。
ここぞとばかりに「有能な師匠」を強調すると、アルはため息混じりに「ああ、すごい」と頷いた。
凍った糸の残骸を風魔法で吹き飛ばし、結界を解いて、あらためて周囲の様子に目をやる。
雪が張りついて真っ白なオブジェと化した森の木々。霜が降りてパリパリになった草花。ガッチガチに凍って氷の塊になった魔獣。
自分でやっておいて何だけど、自然環境には非常によろしくない。大規模な環境破壊と言われても仕方のない所業だ。
でも、魔獣を倒したので、良しとしましょうよ。ね?
「…………」
「アル、どうかしましたか?」
と、そこで、弟子が浮かない顔をしているのに気がついた。
……これはアレかな。
「魔女ってやべえ」と引かれてしまったかな……?
魔女は異質な存在だ。それは否定しようのない事実である。
でも、いいところを見せようとして、拒絶されてしまったら悲しすぎる……
少ししょんぼりしたけれど、どうやらそれは杞憂だった。
「……こんなに魔力使って大丈夫なのか?」
「えっ」
「体は大丈夫か聞いてる」
「あっハイ全然平気です!何たって魔女ですから!……うわぁ、ひょっとして私のこと心配してくれたんですか!?」
「心配なんかしてねえし!!」
アルは怒ったように叫ぶと、ぷいっと後ろを向いた。
あらら、素直じゃないですね。だけど、うちの弟子にもかわいい所があるのだ。たまにだけど。
いや、本当言うと少しばかり魔力を使いすぎちゃったんですが、これくらいなら大丈夫でしょう!
…………と、油断したのがいけなかった。
調子に乗った私は、長距離の移動魔法を連発し、目的地につく前に見事にぶっ倒れたのだった。




