第42話 前打ち
次の日。
朝五時に起きると、シャワーを浴び、身支度を整えた。五時半には出かける準備は完了し、俺はただただ、時間がすぎるのを待っていた。
時々窓の外を眺めては楓の車が来ていないか確認した。何度も何度も確認しているうちに待ちきれなくなり、六時になると家の前に立っていた。こんなにワクワクするのは久しぶりだった。
「なんか、すんごいやる気みたいですけど……」
アリシアは俺の隣に立っていた。
「ああ、そうだな。なんだか、嬉しくてたまらない」
「大人な楓に会えるからですか?」
「うーん、どうなんだろ……。もちろんそれもあると思うが、半分は俺の中の小鉄の気持ちなのかも知れん……」
「あぁ、それもありそうですね。飼い主に会えて尻尾をブンブン振る犬みたいな!」
「ああ」
「……スルーですか」
「来た!」
予定時刻の十分前、楓の車が見えた。車が徐々に近づいてくると、楓の顔が見え、楓は車内から手を振った。俺も楓に手を振った。家の前で車が停まる。
「おはよう! 待った?」
「おはよう。いや、全然。丁度、今出て来たとこだ」
「そう? じゃ、乗って」
「おう」
俺が助手席に乗り込むと、アリシアは後部座席に座り、車はゆっくりと動き出した。
「お友達、本当はずっと待ってたんでしょ?」
楓はバックミラーを覗きながらそう言った。
「はい。一時間以上前から、部屋の窓から外を眺めてはそわそわし、三十分前には家の前にいました」
アリシアは答えた。
「いや、お前は答えなくていい」
「あはは、やっぱりねー。ゴメンね、待たせちゃって」
「いや、時間より早く来た。楓は悪くない。……てか、今の聞こえないんだろ?」
「うん、聞こえない。でも、小鉄の慌て方を見たら分かる」
「あ、そっか……。結構、朝早いんだな」
「うん。みんな待ってるからね。それに準備もしなくちゃいけないし」
「待ってる? ああ、動物たちか」
「うん。小鉄ならその気持、分かるんじゃない?」
「あぁ……。でも俺は、小さい頃にお前んちに貰われていったからな……。よく覚えてない」
「そうなの?」
「ああ。人間と同じで、小さい頃の記憶は曖昧だ」
人間になってからも小さい頃の記憶はあまりなかった。
「あ、言われてみればそうかも……」
「だろ? ところで楓」
「ん?」
「その、小鉄っていう呼び方、まずくないか?」
「まずい? どういう意味?」
「いや、お前の会社、施設には他の人もたくさんいるんだよな?」
「うん、いるよ」
「じゃ、マズいだろ」
「ん……? あぁ! バレるとマズいか……」
「ああ」
「うーん……。じゃ、蒼汰くん?」
「呼び捨てで良い」
「じゃ、蒼汰」
「ああ。俺はなんと呼べばいい?」
「楓でいいよ」
「呼び捨てで良いのか?」
「うん」
「楓は、俺のこと……なんて説明するつもりなんだ?」
「え……?」
「いや、突然やってきて、楓を呼び捨てにして、タメ口で会話している高校生って……変だろ?」
「……変かな?」
「変だと思わないのか? ……じゃ、なんて説明するんだ?」
「んー……駅で私をナンパした高校生」
「おい!」
「え……ダメかな?」
「ダメだろ! それだとお前はナンパされてOKして、そのまま付き合っているみたいな、それこそ、結婚前提みたいなことになるだろ!?」
「なるかな?」
「……じゃ、どうしてそのナンパした高校生を連れ込んでるんだ?」
「いや、連れ込んでるとか……人聞きの悪い……」
「でも、普通はそう思うだろ?」
「そうかなぁ……?」
「じゃ、そう聞かれたら、どう説明するんだ?」
「んー……。話してみたら気に入ったから?」
「だから、それだと付き合っているみたいに」
「小鉄は私と付き合ってるって思われるの、嫌なの?」
「そんな訳あるか! 俺はお前の為を思って」
「じゃ、良いじゃん」
「……良いのか?」
「いいよ」
「……じゃ、俺が聞かれたら、楓とはお付き合いさせて頂いている仲ですって、言っても良いのか?」
「うん」
楓は頷いた。
「そ、そっか……」
俺はなんだか恥ずかしかった。昔馴染み、前世の飼い主で、十歳年上の美人なお姉さんと付き合っている前提になってしまったのだ。まぁ、偽装結婚ならぬ、偽装恋愛なんだが……。それでもなんだか恥ずかしかった。恥ずかしくて、嬉しかった。
「うん」
「じゃ、じゃぁ、俺のことは小鉄って呼ばないように、気をつけてくれ」
「うん、わかった。蒼汰♪」
「何だその音符は?」
「え、気に入らなかった?」
「いや、逆だ。その……ドキドキする」
「あはは、そーうた♪、そうたー♪……」
楓は嬉しそうに、繰り返した。
「…………」
俺は十歳年上の楓に弄ばれていた。
「それにさ……」
楓は運転しながらつぶやいた。
「なんだ?」
「付き合ってるって思われてたほうが、多分一緒にいられるよ」
「……あ、そういう意味か……」
俺は納得した。納得して、少し落胆した。偽装恋愛の「偽装」の部分がはっきりと強調されていた。
「あ、だから会えなかったんですね」
アリシアが言った。
「は?」
俺は振り返ってアリシアを見た。
「ほら、駅で待っていても、数日、楓が来なかったじゃないですか?」
「……ああ……だからなんだ?」
「こうやって、車で通うことがあるからですよ」
「……ああ! そういう事か!」
「はい」
楓は昨日、車で新しい飼い主に動物を届け、夜遅くなるとそのまま車で帰っていた。そして今、一緒に車で出勤している。つまり、俺達が数日会えなかったのは、こんな風に車で出勤することがあったからだ。
「なるほどな……」
俺は納得した。
「お友達、何だって?」
楓が聞いた。
「え?」
俺は楓を見た。
「お友達と話してるんでしょ? 後ろにいるの?」
「……いや、そんな奴は居ない」
「……もう隠さなくても良くない? バレバレだし、私、一度会ってるし……」
「いや、忘れてくれって言ったろ?」
「……どうしても隠さなくちゃダメなの?」
「ああ」
「でもさ、そうやって喋ってるのを見たら、普通は変に思うよ?」
「あぁ、それは大丈夫だ」
「どういう意味?」
「俺とこいつは、喋らなくても会話できる」
「そうなの?」
「ああ」
「……ふーん……」
楓は口をとがらせた。
「不満か?」
「少し……」
楓は不満そうだった。
「もしかして、妬いたのか?」
「……そんな事ない」
そうですか……。でも、そういう気持ちもあるってことか……。
「小鉄……じゃない、蒼汰のお友達って、蒼汰を助けてくれるんでしょ? それって、守護霊的なものなの?」
「守護霊……。(そうなのか?)」
俺はアリシアを見た。
「いえ、霊体状態であっても、霊ではないですね」
アリシアは俺を見た。
「(だよな……。でも日本風に解釈すると、当たらずとも遠からずって事にならないか?)」
「あー、そうなっちゃいますかねぇ……」
アリシアは右手を顎に当てた。
「近い……かもな」
俺は前を見た。
「ふーん……否定しないのか……」
「あ、おま! 謀ったな!?」
俺は楓を見て両手を構えた。
「ううん。ただ、蒼汰のことをもっと知りたいだけ」
「え……そ、そっか」
俺は両手を下ろして前を見た。少し恥ずかしかった……きっと俺の顔は赤かったに違いない。
「いえ、楓はただあなたの環境を知りたいと言っているだけで、あなたの事が知りたいと言っている訳ではありませんよ?」
アリシアが補足した。
「うるさいぞ外野」
俺はつぶやくように言った。
放っといてくれ。そんな事は言われなくてもわかってる。ただ少し妄想したいだけだ。
「いえいえ、勝手に思い込んで、振られたら可愛そうだなと思いまして」
「うるさいぞ外野!」
分かってるっての……もうほじくり返さないで欲しい。
「ん? 何を言われたの?」
楓が聞いた。
「いや、何でもない……」
「そう?」
楓は不思議そうだった。




