第31話 明けの明星
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
俺はそのつんざくような叫び声を聞き、目を覚ました。
「な、なんだ? あれ、楓? 美月?」
見ると楓と美月の布団がめくれ上がり、部屋には誰も居なかった。
「おい、楓! 美月!」
俺は二人の名前を呼びながら、あたりを見渡したが、誰も居なかった。
「おい、どこい」
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
俺の声を遮って、下から楓と美月の叫び声がした。俺は咄嗟に駆け出し、部屋を出た。廊下を走り、階段の上で立ち止まった……。くっそ……そうだ。
「アリシア! おい、アリシア! どこだ!」
俺がアリシアを呼ぶと、アリシアはぱっと目の前の、階段の上に現れた。
長い金髪を頭の上で結き上げ、全裸でびしょ濡れだった……。
「なんだ、その格好……? って、それどころじゃない! 俺を一階に下ろしてくれ! 早く!」
「は、はい」
アリシアは濡れた手で俺を持ち上げ、一階に下ろした。
「楓! 美月! どこだ!?」
俺は降ろされるとすぐに走り出し、廊下を抜けると大きな部屋へ向かった。真っ暗な部屋へ入ると、誰も居なかった。
「小鉄……」
後ろから、か細い楓の声がした。廊下に出ると、脱衣所の扉が開き、明かりが付いていた。
「楓!?」
脱衣所へ走ると、奥に抱き合って床に座り込んでいる楓と美月が見えた。
「楓!」
「小鉄!」
楓が両手を広げると、俺はその腕の中へ飛び込んだ。
ボフッっと音がしそうな勢いで、俺は楓の腕に抱かれた。
「楓! 大丈夫か!? 怪我してないか?」
俺は楓の頬を舐めた。
「小鉄……で、出た……」
俺を抱く楓の手は小刻みに震えていた。
「出た……? 何がだ?」
「ゆ、幽霊が、出た……露天風呂に、入ってた……」
「は……? 幽霊?」
俺は楓の腕を抜け出すと、浴室に入って外を見た。
「誰も居ないぞ?」
「あ、もう居ないよ……ふわって、消えちゃったから……」
「消えた……?」
俺は楓を見て首を傾げると、露天風呂を見た。
「あぁぁぁ……びっくりした! ……初めて見たわ……」
美月は大きな声でそう言って、恐怖を吹き飛ばそうとしていた。
「わ、私も……」
二人は床に座り込んだまま、互いの手を握っていた。
五分後。
俺と楓は一緒に露天風呂へ出ると、周囲を見て回った。一応、安全のために確認してみたが、周囲は真っ暗で何も見えず、特に怪しいものは見つからなかった。
俺達は一階の電気を消して、二階へ戻った。
寝室に入ると、アリシアがいつもの服を着て、床に座って項垂れていた。
「お前……何か知ってるな?」
「いえ……あの……」
アリシアは言葉に詰まっていた。
「どうした、言えないことか? それならそれで俺にも考えがある」
俺は右手を挙げた。楓と美月が怖い思いをした。その真相をアリシアが知っているのであれば、容赦は出来ない。
「あ、言います言います! 全部言いますから……それだけは!」
アリシアは両手を前に出し、直後両手を合わせると俺に頭を下げた。
「じゃ、話せ」
俺は右手を下げた。
「はい……実は……」
アリシアは項垂れると語りだした。
内容はこうだった……。
アリシアは温泉を体験したかった。俺達がそれ程までに良いという温泉を、一度味わってみたかった。しかし霊体状態のままではそれを体験することが出来ず、なんとかして体験できないかと考えた挙句、夜中の全員寝ている時間にこっそり実体化して体験しようと思いついた。全員が寝ているのを確認し、こっそりと外に出て露天風呂に入っていたのだが、あまりに暗かったので途中で怖くなり、風呂場の電気だけをつけて、再び露天風呂に入った。内風呂の方が良さそうに見えたのだが、取り敢えず露天風呂に入り、その後内風呂に入ろうと思っていた。ところがふと後ろに気配がして、恐ろしくなて振り返ると扉から首が二つ生えていて、思わず叫んで姿を消した。しかし、今になって思えば、それは楓と美月だった。つまり……。
アリシアは実体化した状態で、楓と美月に姿を見られてしまった。
という訳だ。これはまずい……。
「なぁ、楓と美月はお前のこと、幽霊だと思っているが……これってこのままにした方がいいのか?」
「ぜ、是非そのままで! そのままでお願いします!」
アリシアは畳の上で正座し、俺に頭を下げた。
「なぁ、アリシア……このまま幽霊だと思わせ続けるのって、マズくないか?」
「マズい? どうしてですか?」
アリシアは頭を上げて俺を見た。
「この宿に幽霊がいる。そう思わせておくのって、なんか間違ってないか?」
「間違っている……?」
「ああ、もう少し言うと……こう、悪いことをしている……そんな感じだ」
「……どういう意味ですか?」
「そうだな……例えば。別の人がこの宿に幽霊がいると思い込んだら、その人はこの宿を勧めるか?」
「勧めないと思います」
「だよな。だとしたら、それはこの宿にとって、悪い影響を与えていると言えるよな? それはその人が何も公表せず、何も語らなかったとして、でもその人の中にはずっと悪い印象が残り、その人にとって最適だったかも知れない宿を二度と使えなくなる、使わなくなるという悪影響さえ及ぼすよな?」
「……そうですね」
「じゃ、ダメだろ」
「ダメですか……?」
「そう思わないか?」
「思います……」
「じゃ、ルシアに相談しないか?」
「え!? そ、それは……それだけは! どうかルシア様にだけは……!」
アリシアは驚き、両手を合わせるとひれ伏した。
いや、多分相談しなくても知ってるぞ……?
「俺も一緒に罰を受ける。それじゃダメか?」
「だって……これ以上私の評価が下がったら……居場所……私の……居場所が」
アリシアの目からは涙が溢れ出していた。
「ううん……」
俺は暫く考えた。
正直、ルシアに隠し事なんてしたくない。と言うか、多分出来ない。でも、これ以上アリシアを悲しませたくもない。じゃ、どうするか……?
──
「頼む!」
俺は楓と美月に頭を下げた。土下座のように、香箱座りのままで頭を下げた。
隣でアリシアも同じ形で頭を下げていた。楓と美月には見えないが……。
「う、うん……構わないけど……ね」
楓は美月を見た。
「うん……私達が内緒にすれば良いんでしょ?」
美月は楓に頷くと、俺を見た。
俺は楓に五十音表を要求すると、風呂に入っていたのは俺の友達だったと言った。誰にも見つからないように温泉を体験したかったのだが、見つかってしまったと、そう語った。そして、このことも誰にも言わず、見たことをすべて忘れてほしいと頭を下げていたのだ。
こうすることで、宿に対しても、楓と美月に対しても、アリシアが与えたであろう悪影響、業は解ける。それこそがもっとも重要で、それでルシアは大目に見てくれるんじゃないか? そう思った。それにこれなら、最初のルール「天界、及び天界人について知られてはならない」は達成される。
すべてが丸く……ではないかもしれないが、それでもこれ以上出来ることは何もなかった。
「ああ」
俺は頷くと目の前の五十音表を指した。
『いいのか』
「うん、良いよ。わかった」
「ええ、わかったわ」
『ありがとう』
俺はそう伝えると、再び頭を下げた。
「ありがとうございます、ありがとうございます……」
アリシアは俺の横で、繰り返し頭を下げていた。
「じゃ、すっかり体が冷えちゃったし、もう一回入ろっか?」
美月は楓を見た。
「うん。良かったらお友達も一緒に」
楓は俺を見た。俺はアリシアを見た。
「いえ、いえいえいえいえ! それは遠慮します!」
アリシアは顔の前に両手を挙げて横に振り、再び頭を下げた。
「丁重にお断りするとさ」
俺は首を振った。
「そっかぁ……小鉄のお友達、お話してみたかったな……」
「スマンがその願いは叶えてやれん……」
俺は少し困った。と言うか、申し訳なかった。
「あ、違うよ! 無理にそうしたいって訳じゃないよ!?」
楓はそう言って両手を前に出して振った。
「ああ」
「いつかはそうできると、そんな日が来るといいなって……そう思っただけ」
楓は笑った。
「だな」
俺は頷いた。
「よーし、もうひとっ風呂浴びよう!」
「おー!」
美月が右手を突き上げると、楓がそれに続き、俺を見た。
「お、おー……」
俺も右手を挙げた。
「あれ……もう明るくなり始めてる……」
楓が先に露天風呂に入って、それから内風呂にはいると良いよと言い、二人は裸になると内風呂のガラス戸の前から、空を見上げていた。夜空の端、雑木林の木立の奥が白み始め、木々の形が見え始めていた。
「あ、もうそんな時間なのね……なんか今から寝たら起きられなそうね……」
「うん……もう少し我慢してたら……」
「我慢?」
美月は楓を見た。
「ううん、何でもないの! 何でもない……」
「そう……。おぉ、寒い……ほら、入るわよ」
美月はガラス戸を開けた。
「うん」
「ふあぁぁぁぁ……いい湯ね……」
美月と楓は露天風呂に入った。
「うん……このぬるさが丁度いい……おいで」
楓は俺に両手を差し出し、俺は楓に抱き上げられると、ゆっくり湯に浸けられた。
「おぉぉぉ……暖かい……」
「気持ちいいね」
「あぁ」
「あ、まだ見えるわね」
美月は空を見ていた。
「え? あ、本当だ……綺麗……」
楓は美月の視線を追い、空を見上げると、端から白み始める空にはまだ星が瞬いていた。
「この状態で見えるっていうのも凄いわね……あ、あれ。明けの明星かしら?」
美月の指差す星は一際明るく輝いていた。
「うん。多分金星……。正に星降る宿だね」
「そうね……都会では見えないもんね……」
「うん……」
いや、金星は見えるぞ。流石に。
十分ぐらいして、俺達は内風呂に移った。
二人は風呂を上がると、やっぱり寝た。
朝食まで三時間無いのに、布団に入って寝た。スマホのアラームをセットしていたが、二人は起きない気がして、仕方がないのでアリシアに二時間立ったら起こすように頼み、俺も寝た。今回の罰ゲームみたいなものだ。
──
実際の所、スマホのアラームで俺が起きた。
「おはようございます」
アリシアはちゃんと起きていた。
「おお、おはよう……」
俺はアリシアを見てそう言うと、大きくあくびをした。
だが思った通り、スマホのアラームが三分ほど鳴って、鳴り止んでも二人は起きなかった。
「楓、起きろー」
俺は楓の頬を舐めた。
「ん……もうすこし……」
楓は反対側をむいた。
「ダメだ、もうすぐ朝飯の準備で宿の人が来るぞ!」
俺は反対側へ行くと、楓の頬を舐めた。
「ん……」
楓は布団の中に顔を引っ込めた。
むむ……。楓、許せ。
カプッ。
俺は楓の頭を軽く噛んだ。
「痛っ! ……くない……あれ……」
楓は頭を抑えて飛び起きた。体を起こしたが、まだ寝ぼけていた。
「楓、もう起きろ」
「ん? あ、小鉄……おはよ」
「おう。そろそろ宿の人が来るぞ」
「ん……? 今何時?」
楓は首を傾げるとスマホを見た。
「七時四十五分!? お母さん! 起きないと宿の人が来ちゃう! お母さん!」
楓は時間を見て驚くと完全に目が覚め、美月を揺り起こした。
「……ん。何時?」
「あと十五分で宿の人が来ちゃうよ!」
「え……。あと十五分!?」
「うん。ほら、急いで!」
「う、うん」
楓と美月は起き上がり、布団を畳んで部屋の隅にまとめると、急いで着替え始めた。
ピンポーン。
「あ、来ちゃった!」
「楓、開けてあげて!」
「うん!」
楓が先に着替え終え、急いで部屋を出た。美月も着替え終わると、俺を抱いて一階へ降りた。
台所のある部屋、食堂ではテーブルの上に朝食が並べられていた。朝食はこちらで作るのではなく、出来たものが運ばれてくるだけだったらしい。なので、美月と俺が降りて行った時には、もう宿の人は帰っていた。
その後、朝食を済ませ、身支度を整えると、ロビーに電話して宿の人を呼び、破損チェックをしてもらった。その結果、チェックに引っかかったのは最初に傷つけた畳だけ。四千円の追加料金だけで済んでいた。これには美月も楓も胸をなでおろした。
そしてタクシーを呼ぶと、富士山駅へ行き、俺達は再び富士山ビュー特急に乗り込むと、一路大月へ向かった。言うまでもなく、電車が走り出すと全員すぐに寝た。そのまま終点の大月に到着すると特急かいじに乗り換え、再び新宿まで寝た。そこからは乗り慣れた電車で、いつもの様に家に戻った。
こうして俺達の初めての一泊二日の「家族旅行」は幕を閉じた。




