おわりに すべてがあやふやなのである
そもそも、世の中に「確実なこと」というのがどれだけあるのでしょう、という話です。
この疑問について、哲学から派生した現代思想という学問は既に答えを提示しています。
「確実なことなんて何一つないのである」
と。
あんまり深追いはしません。ざっくり話します。現代思想の誕生前は、「絶対的な事実はどこかにあるものだ」という視点が確かにありました。けれど、現代思想にあっては、「そもそも人間が絶対的なものでない以上、絶対的な事実なんてあったとしても人間の側で感知できない」という風になってしまったんです。そして、この考え方はすべての学問に移入されていきました。自然科学、社会科学、人文科学の別を問わずに。
実は、さっき見た歴史学の方法論というのは、他の学問でも言えることです。
たとえば、自然科学の分野でのスキャンダル、STAP細胞問題でもいえることです。
あの問題が大騒ぎになっていた頃、「結局STAP細胞は存在するのかしないのか」という話題が持ちきりになりましたが、どの科学者や評論家も「ない可能性が高い」という風に濁していらっしゃり、素人としてはやきもきしましたね。これは、科学者や評論家が当事者じゃないことにより慎重になっている、という言い方も出来ますが、「あやふやであるゆえに100%肯定/否定することはできない」という現代の考え方にのっとった言い方だと言えます。けれど、これ、素人から見れば、
「で、結局どっちなんだよ!」
ってことになりかねません。また、そういう風に迫ると大抵の科学者は、
「ない可能性の方が相当高い」
と答えることでしょう。けれど、我々素人は、
「ええい、イエスかノーかはっきりしろい!」
ということになってしまいます。
これ、どっちがいい悪いではないんですよ。ただ、これが世間知といわれるものと専門知といわれるものの間に走っている深い断裂なのです。
わたしがこの小稿をUPしたのは、世間と学問の間には深い断裂があることを提示したかったのと同時に、その断裂を少しでも埋めようと思ったからです。そして、その断裂の隙間に入り込んで他人を騙そうとしている連中を見破るための視点を提供できたとすれば、この小稿は大成功です。