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第六章‐1

 アッシュは、午前中、自分で片付けた『彼女』の屋敷の居間のソファに寝転んでみる。買い物袋はテーブルの上に置いた。チッピィの玩具の詰まった寝床の籠は、とりあえずソファの足元に置いてある。チッピィがぴょんとソファに飛び乗ると、彼の足の間に入り込んで丸くなった。部屋に入ったときに、照明は自動で点いている。

「さて、泊めさせてもらったのはいいけど、なにするかな……」

 独り言を呟いた。

(チッピィ、遊ぶ)

 それを聞いて、足の間からチッピィがそうせがんでくる。アッシュは真面目に話を聞く気もないように、そのままの姿勢で応じた。

「……ああ。後でな」

 今は、とりあえず、『彼女』の家の雰囲気を味わっていたい気分だったのだ。アッシュは起き上がり、屋敷の中を改めて見てまわることにする。チッピィも、彼の後をとことことついてきた。

 キッチンはまだしも、トイレ、バスルーム等を覗いても、特に感慨は湧かない。雑多なものが詰め込まれた広い納戸を覗き込んでも、この未整理のままとにかく押し込んだ、という感じが『彼女』らしい、と苦笑するだけだ。二階へ上がる。手前の客用寝室を覗いても、意味はないだろう。

「ていうか、今日はここで寝させてもらうか……」

 呟いてから、隣の『彼女』の私室に移動した。ぐるりと部屋を見回してみる。自分が片付けてしまったせいか、それとも、『彼女』がこの部屋で生活しているのを見たことがないせいなのか、やはりそれほどの感慨は湧かなかった。アッシュの中の『彼女』のイメージは、彼の部屋のベッドに座っているものだ。その前に椅子を引いてきて腰掛け、よく話をした。思い付いて、アッシュは、この部屋のパソコンデスクの前の椅子をベッドの前まで引いてきて、腰掛けてみる。少し低くなった視点から、もう一度、部屋を見回した。ほんの少しだけ、『彼女』がここで暮らしていた姿が想像出来たような気がする。軽く息を吐くと、立ち上がって天蓋付きの大きなベッドを見下ろした。さすがに、この中に潜り込むのはまずいだろう、という良識が頭をもたげる。

「まぁ、あいつは、平気で俺のベッドを占領してたけどな……」

 そこは男女の差なのか、それとも『彼女』のずうずうしさなのか、よくわからなかった。枕に触れてみる。当然、温もりなどは感じられなかった。もう一度、軽く息を吐くと、椅子を元のようにデスクの前に戻す。『彼女』のパソコンを起動してみようか、とも思ったが、このパソコンのキーボードは、イメージが投影される魔装機の操作端末とは違って、実体があるものだ。異星の言語のキーが並んだキーボードでは操作は覚束ないだろう、と思い直し、パソコンの電源を入れるのを止めた。

 アッシュは、次に、広いウォークインクローゼットに踏み込んでみる。ずらりと並んだハンガーに掛けられた、彼の星の衣服と大差ないようなデザインのものから、全く理解し難いセンスの異世界風の衣装まで、一通り手に取って眺めてみた。やはり、青系統の色の衣服が多いようだ。それから、午前中に発見した装飾品が入ったケースを取り出し、その中身も一通り眺める。服か装飾品の類でも、形見分けとして貰っていこうかと思い付いたのだ。しかし、一通り眺め終えたところで、アッシュは頭を振ってその考えを捨てると、ケースを元の場所に仕舞った。どれが『彼女』のお気に入りの品だったかわからなかったし、それになにより、

 ――『彼女』の遺してくれたものなら、既にここにある。

 『彼女』の魔装具を着けた、自分の――『彼女』の右手を見下ろした。今、彼は『彼女』の一部と共に生きているのだ。これ以上の形見はあるまい。

 そう思うと、アッシュは急に、今、自分のしていることが意味のないことに思えてきた。ここは、かつて『彼女』の暮らしていた空間ではあっても、ここには、彼と『彼女』の思い出はないのだ。部屋の真ん中に立って、もう一度ぐるりと部屋全体を見回し、大きな溜め息を吐くと、アッシュは居間に戻ることにして踵を返す。くるくると彼の後をついてまわっていたチッピィも、おとなしくその後を追ってきた。

 居間に戻り、アッシュがソファに腰掛けると、チッピィはソファの足元に置いてあった彼の寝床の籠の中にぴょんと飛び込む。アッシュは、買い物袋から緑茶に似た飲み物のボトルを取り出して、一口飲んだ。お菓子のチッピィの箱が目に付いたので、それも取り出す。開けて見てみると、どうやら、彼の星のチョコレートに似た菓子らしかった。一つ取って、口に入れてみる。噛むと、チョコレート状の殻の中から、トロリとカスタードクリームのようなものが溢れ出した。ものすごく甘い。もう一口、緑茶に似た飲み物を飲んで、口の中の甘さを洗い流した。チッピィが、ふんふんと鼻を鳴らしながら後肢で立ち、ソファに前肢を突いて、こちらを見上げている。

「チッピィ、食うか?」

 言ってから、こんなものを食べさせて大丈夫かな、と不安になったが、チッピィは、

(チッピィ、食う)

 と答えて、彼の手からお菓子のチッピィを銜えると、コリコリと食べ始めた。ひょっとすると、『彼女』にもよく貰っていたのかもしれない。

「これが、『彼女』の好きだったお菓子か……」

 そう呟いて、もう一つ口に入れた。

(レーナ、いつも、食べる)

 チッピィが念話で応じてくる。こんなカロリーの高そうなお菓子をいつも食べていて、よくもあの細身の体型を維持出来たものだ、と感心した。そういえば、エリカたち三人も、とてもスレンダーだ。サーニャなどは細過ぎて、いっそ心配になるほどだった。太った魔法使いというものを、今のところ、見たことがない。やはり、魔法使いというのは、カロリーを大量に消費するものらしい。

 その後は暇になってしまったので、テレビを点けてみることにした。適当にチャンネルを切り替える。最初のうちは立体映像(ホログラフィー)で映し出されるその映像が物珍しかったが、元々あまりテレビを見る習慣がない上に、全く馴染みのない異星の番組だ。すぐに飽きてしまい、結局、テレビを消してしまった。

 思い付いて、チッピィと話をしてみることにする。なにか、『彼女』にまつわるエピソードでも聞けるかもしれない。アッシュは、チッピィの籠からボールを取り出すと、それを転がしてやりながら尋ねてみた。

「なぁ、チッピィ。おまえ、『彼女』に飼われる前はどこにいたんだ?」

 『彼女』が、野生だったのを捕まえたのか、それともペットショップででも買ったのか、と思い、聞いてみる。チッピィは籠から飛び出してボールに追いつくと、それにじゃれつきながら答えた。

(チッピィじゃなかったチッピィ、ガラスの中、いた)

 ペットショップのほうだったらしい。

(チッピィじゃなかったチッピィ、バフスクの仔、オス、九と五と〇と〇だった)

「……妙なこと、覚えてやがる」

 チッピィの言葉に、アッシュは苦笑する。その九千五百というのが、彼の値段だったのだろう。このセレストラル星系の通貨価値がわからないので、それが高いのか安いのか判断出来なかったが、バフスクなどという魔法を使うほど知能の高い珍しいペットだ。おそらく高かったのだろう、と思う。

「『彼女』は、おまえみたいな毛むくじゃらの、どんなとこが気に入っておまえを買ったんだろうな?」

 聞いてみるが、そんな難しいことはチッピィにわかるはずもない。チッピィはボールに覆いかぶさるようにして一緒にごろんと床に転がると、そうして横になったままで、別のことを話し始めた。

(チッピィじゃなかったチッピィとレーナ、初めて、一緒、家、来た。レーナ、チッピィじゃなかったチッピィ、初めて、チッピィ、呼んだ。チッピィじゃなかったチッピィ、チッピィ、なった)

 チッピィチッピィ言ってばかりで要領を得ない。自分が現国の教師だったらバツを付けるところだろう、とアッシュは思う。どうやらそれは、先ほど聞いた、『彼女』に飼われる前にいた場所の記憶に続く記憶である、『彼女』に買われて初めてこの家に来て、『チッピィ』と名付けられたときのエピソードらしい。それは嬉しい記憶なのか、チッピィは床に座って、舌を出し、尻尾をパタパタさせている。

「そうか、おまえも『彼女』に名付けてもらったんだな。……俺も『彼女』に『アッシュ』って名付けてもらったんだ。一緒だな」

(チッピィとアッシュ、一緒!)

「なんか、それだけ聞くと腹立たしいな」

 チッピィの念話に、アッシュは苦笑した。アッシュは、また緑茶風の飲み物を飲んで、話題を変える。

「ところで、おまえ、攻撃魔法にセイフティ掛けられないのか?」

 安全装置(セイフティ)が掛かっていないと、いざというときでも、危なくて攻撃魔法は使わせられない。チッピィは小首を傾げて、彼を見上げた。

(セイフティ、なに、アッシュ?)

「えーと、確か、チェル・ゼキューストとか言ったかな」

 『彼女』から聞いた、このセレストラル星系の言葉で言い直してみる。しかし、チッピィはまたも首を捻った。

(チェル・ゼキューストとか、なに?)

「やっぱり、通じないか。まぁ、それが出来るんなら、『彼女』がそう躾けてたはずだろうしな……」

 ということは、やはり、滅多なことでは、チッピィに攻撃魔法は使わせられないな、と肝に銘じる。それから、もう一つ聞いてみた。

「おまえ、飛べないのか?」

 昨日の戦闘で、チッピィは跳ねるだけで飛行魔法は使っていなかったのだ。

(チッピィ、飛ぶ!)

 だが、チッピィはそう言って一声吠えると、階段でも上るように、ぴょんぴょんと空中を駆け上がった。

「なんだ。飛べるんじゃねぇか。なんで昨日は飛んでなかったんだ?」

(チッピィ、大きい、飛ぶ、出来ない)

 聞いてみると、そう答える。どうやら、巨大化しているときは飛べないらしい。生来魔法が使える生き物といっても、万能ではないようだ。

「そうか……」

 そこで、ふと思い付いて、魔装機の操作端末を開いた。

「確か、この辺に――」

 先日整理したばかりなので、どこになにが入っているかはだいたい覚えている。すぐに発見した、目的のアプリケーションを起動した。魔装具を着けた『彼女』の右手を、チッピィの首の下の、魔装機の役割をするという朱い石に押し当てる。

(なに、アッシュ?)

「ちょっと、おまえの魔力を測定してみようと思ってな」

(魔力、測定?)

 チッピィは、生まれながらに魔法の使える生き物だからか、魔力を測定する、という意味がよくわからなかったらしい。

「いいから。動くなよ。痛くないからな」

 かつて、『彼女』が彼の魔力を調べるときに言った台詞を口にしてみる。

(痛い、ない?)

「ああ。――なになに、魔力値、二百六十? ……俺より高いじゃねぇか。生意気な」

(チッピィ、生意気?)

「ああ、生意気だ」

 彼の測定魔力値は二百五十二。わずかだが、チッピィに負けていた。

「おまけに、魔力特性まで持ってやがるのか。ますます生意気な。――『増幅』? アリーセと同じだな。そういや、『彼女』が、比較的多い、って言ってたっけ」

 これは勝ったな、と『停滞』と『減衰』というレアな魔力特性を二つも持っているアッシュは、仕様もない優越感に浸る。チッピィがこちらを見上げてきた

(チッピィ、生意気?)

 もう一度、聞いてくる。

「ああ、生意気だな。毛むくじゃらのくせに」

 アッシュはそう言って、朱い石に当てていた右手で、チッピィのもさもさした白い毛に包まれた頭を、くしゃくしゃと撫でまわした。

(チッピィ、生意気の毛むくじゃら!)

 頭を撫でられたので褒められたと思ったのか、チッピィはぴょこぴょこと飛び跳ねながら、ふんふんと鼻息を荒くして、床の上をくるくる回る。その様子が、あまりにもおかしかったので、アッシュは思わず吹き出した。

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