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レヴィ教授の環境魔導学  作者: 紅茶


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9/15

盲進

 王城への道を逸れ、レヴィは再びあの「死の森」へと馬を飛ばした。

 本の数週間前までは深緑に満ちていた『迷いの森』は、今や見る影もない。勇者の放った『浄化』という名の暴力的な光によって、あらゆる生命のサイクルが断絶し、視界のすべてが白く乾いた灰に覆われている。


 鼻を突くのは、生命の腐敗臭ではなく、無機質なオゾンの臭い。


 しかしその生物の死滅した無機質な香りが、今のレヴィには救いに思えた。


 レヴィは防毒マスク越しに荒い息を吐きながら、記憶を頼りにあの群生地へと這いつくばった。


(……あった)


 白化した倒木の根元。そこに、毒々しいほど鮮やかな紫色の菌糸が、醜悪なまでの生命力で脈打っていた。マンドレイク・スポア。天敵を失い、死の土壌を唯一の糧として異常繁殖した、森の癌細胞。


 レヴィは震える手でピンセットを操り、繊細な胞子嚢を傷つけぬよう、慎重にガラス瓶へと収めていく。一度刺激すれば、この一帯を消し飛ばす胞子爆発が起きる。死と隣り合わせの収穫作業。だが、レヴィの脳裏にあるのは、自身の恐怖ではなく、救護院のベッドで泥を吐き続ける助手の姿だった。



     *



 ラボへ戻る道中、王都の崩壊はさらに進んでいた。

 路地裏からは、下水道から逆流した黄色い霧が這い出し、逃げ惑う人々の足首を絡めとっている。誰かが上げた悲鳴が、酸の霧に溶けて湿った音に変わる。


 レヴィは街を呑み込む「巨大な胃袋」の拍動を感じながら、地下の研究室へ駆け込んだ。


 すぐさま、採取した胞子をプレパラートに乗せ、顕微鏡の光を絞り込む。


 レンズの先では、地獄のような「領土紛争」が繰り広げられていた。


 スライムの粘液に胞子を投下した瞬間、紫色の菌糸が猛烈な勢いで触手を伸ばした。それは食い合うというより、塗り潰すような侵略。スライムが細胞を守ろうと分泌する消化酵素を、キノコの胞子が「餌」として瞬時に取り込み、さらにその勢力を拡大させていく。


「……勝てる」


 レヴィの乾いた唇から、確信に満ちた言葉が漏れた。

 

 スライムが街を『消化』しようとするなら、その消化プロセスそのものを、このキノコに『分解』させればいい。毒を以て毒を制するのではない。生態系の歪みを利用して、別の歪みを相殺させる。


 勇者の光が招いた二つの災厄を、互いにぶつけ合わせることで、この生態系の変化を強引に「ゼロ」へ戻すのだ。


 レヴィは棚から薬品を次々とひったくり、乳鉢で胞子と触媒を摺り合わせ始めた。


 激しい化学反応に伴い、フラスコからは不気味な紫の煙が立ち昇る。

 

 壁の時計は、午前三時を回っていた。


 貧民街の住人の例でいえば、発症から「終わる」まで、もう猶予はない。

 

 セリアの呼吸音を思い出す。


 あの時、彼女が握りしめてきた手の、震えるような冷たさ。

 

「……休んでいる時間なんて、一秒もないんだ」



 ふと視線を落とすと、自身の白衣の袖口から覗く左腕に、じわじわと赤黒い斑点が浮かび上がっていた。

 先に打った『天敵』が、レヴィの身体を攻撃し始めている。視界が時折、熱に浮かされたようにぐにゃりと歪む。


「これに関しては、早まったね……」


 レヴィは朦朧とする意識を、自身の舌を噛み切るほどの激痛で呼び戻した。

 

 勇者の奇跡でも、聖堂の祈りでもない。


 泥臭い観察と、狂気じみた実験。


 それだけが、この「胃袋」に風穴を開ける唯一のメスになると、信じて。

 

 レヴィは紫色に煮え立つフラスコを掴み、ふらつく足取りで、救護院へと向かって行った。



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