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レヴィ教授の環境魔導学  作者: 紅茶


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核心

 隔離病棟から弾き出されるようにして、レヴィは救護院の裏庭へと転がり出た。


 すかさず駆けつけてきた医師たちにセリアの処置を委ねるしかなかった。魔法薬が効かない以上、彼らにできることも限られている。それでも、最悪の「劇薬」を盛ってしまった自分よりは、彼らの方がはるかにマシだった。


 冷たい石畳に膝をつき、レヴィは乱暴に防毒マスクを引き剥がした。


 酸の臭いが直接肺を焼くが、今の彼にはその痛みすら、自分へのふさわしい罰のように思えた。


「ああ……っ、クソ……!」


 汚れた地面に両手をつき、嘔吐くように顔を歪める。


 自分の浅はかさが憎かった。生態系は複雑に絡み合ったパズルだとうそぶきながら、いざという時に自分は「スライム(毒)にはキノコ(中和剤)」という、単細胞な足し算と引き算しかできていなかった。


 事象の表面だけを掬い取り、得意げにメスを入れた結果がこれだ。


『先生。うちの学部は予算少ないんですから、このままだと私たちの昼食は野草になりますよ』


 呆れたように、けれどどこか楽しげに帳簿を叩くセリアの声が脳裏に蘇る。


 王立学術院の粗大ゴミ置き場と揶揄される『環境魔導学部』。実績も出せず、魔物を保護する変わり者として孤立していた自分のもとに、彼女はただ一人、自ら志願してやってきた学生だった。


『だって先生の研究、面白いじゃないですか。誰も見ようとしない、世界の本当の回り方を調べてるみたいで』


 そう言って笑った彼女の、未知を探求しようとする純粋な目を、自分はあんな絶望の濁りで塗り潰してしまった。良かれと思って打った薬が、彼女の命をあんなにも残酷な形で削り取ってしまった。


「私は……何を見た気になっていたんだ……」


 石畳に額をこすりつけながら、それでもレヴィの「学者としての脳」は、呪いのように思考を止めようとはしなかった。


 絶望の底で、凄惨な結果から「真実」を逆算し始める。


 薬を打った直後、スライムの粘液が消え去ったセリアの皮膚から漏れ出したあの『光』。あれは一体何だったのか。あの光こそが、スライムの奥底に隠れていた真の致命傷ではないのか。


(だとしても、なぜ私だけが……)


 ギリッと奥歯を噛み締めたその時、救護院の正門のほうから、重々しい馬車の車輪の音と、ガチャガチャと金属が擦れ合う音が響いてきた。


「第一陣、到着したぞ! 荷馬車を中庭へ回せ! 岩塩と砂糖だ、すぐに煮沸した水に溶かせ!」


 よく通る、凛とした声。


 顔を上げたレヴィの目に飛び込んできたのは、純白の外套と銀の甲冑を纏った一団だった。


 王城への要請が通ったのだ。彼らは荷馬車にいっぱいの麻袋を積み込み、パニックに陥る救護院の中で、的確に物資の搬入を始めている。


 指示を出しているのは、先ほど大通りで見かけた聖堂騎士団の小隊長だった。


 重い麻袋を軽々と肩に担ぎ、黄色い霧が立ち込める中で、彼らは汗一つかかずに立ち働いている。息を乱すことも、咳き込むこともない。まるで、彼らの周囲だけ別の世界から切り取られてきたかのように、圧倒的に「健康」だった。


 レヴィはふらつく足で立ち上がり、幽鬼のように彼らへと近づいた。


「……なぜだ」


 掠れた声に、小隊長が振り返る。


 ボロボロの白衣を纏い、顔を涙と泥で汚したレヴィを見て、小隊長は怪訝に眉をひそめた。


「貴様は……。なぜこんな裏庭にいる。ここも安全ではないぞ」


「なぜ、君たちは平気なんだ……?」


 レヴィは小隊長の胸当てを掴まんばかりの勢いで、血走った目を向けた。


「どうして君たちだけが、この空気の中で、平然と息をしていられる!? 魔法の防壁でもない、物理的な体力でもない! 君たちと、倒れた患者たちの間に、一体どんな決定的な違いがあるというんだ!」


 すがるような、あるいは八つ当たりのようなレヴィの叫びに、小隊長は冷ややかな、しかしどこか沈痛な色を帯びた視線を返した。


「……平然としているように見えるか?」


「なに……?」


「勘違いをするな、学士。我々とて無敵ではない」


 小隊長は、忙しく立ち働く部下たちを一瞥してから、静かに首を横に振った。


「ここにいるのは、あくまで『動ける者』だけを集めた結果に過ぎない。……今朝の時点で、第三小隊と第四小隊の半数が、市民と同じようにあの泥を吐いて倒れた。我々の中にも、感染した者は確実にいる」


 その言葉は、レヴィの脳天をハンマーで殴りつけるほどの衝撃だった。


 全員が無事なわけではない。


 同じように鍛え上げられ、同じように城で寝食を共にしているはずの魔法騎士団の中でも、「平気な者」と「倒れた者」が明確に分かれている。


「……共通点は」


「は?」


「倒れた君たちの部下に、何か共通点はなかったか。 年齢、出身地、最近の任務、なんでもいい。倒れた者と、今ここに立っている君たちを分かつものはなんだ!」


 血気盛んに詰め寄るレヴィに、小隊長は不快げに顔をしかめた。


「落ち着け。そんもの、聖堂騎士という1点のみだ。我々は皆、等しく聖堂に誓いを立てた騎士。勇者様と共に魔を討つために、日夜同じ訓練を積んでいる。そこに違いなど……」


「隊長」


 ふと、傍らで荷下ろしをしていた若い騎士が、戸惑うような声を上げた。


「……そういえば、第三と第四で倒れた奴ら……全員、新米じゃないですか?」


「新米……? 今年の叙任組か」


「ええ。俺たちみたいに、まだ一度も、勇者殿と『遠征』に出たことがない連中です。……偶然だとは思いますが」


 若い騎士の何気ない一言。


 しかしそれは、レヴィの脳内に散らばっていた無数のピースを、強烈な磁力で一つに結びつける決定的な『鍵』だった。


 ――新米は倒れ、ベテランは立っている。

 ――彼らは『勇者』と共に旅をした経験を有している。


 では、レヴィ自身はどうだろうか。

 王立学術院の端くれである彼が、なぜこの猛毒の中で無事なのか。


 それは、レヴィも彼らと同様に、かつては聖堂騎士として、勇者の旅に同行したからではないか。


 レヴィもまた、かつて『勇者と関わり、長期間行動を共にした経験』があった。


「……勇者……」


 レヴィの口から、呆然とした呟きが漏れる。


 私と、この無事な騎士たちの共通点。


 それは、過去に勇者のそばに長く滞在し、あの圧倒的な『浄化の光』を日常的に浴び続けていたということだ。


「ま、まさか、勇者の、ひかり……?」


 新米の騎士たちは、違う。王都の市民も、貧民街の住人も、セリアも。


 彼らが初めてあの大規模な『光』を直接浴びたのは、わずか一ヶ月前――あの、パレードの日だ。


 ドクン、と。


 レヴィの心臓が、恐怖で冷たく跳ねた。

 パレードでばら撒かれた、奇跡ともてはやされた浄化の光。


 その光の残滓が、耐性のない市民たちの体内に突き刺さり、そこに居座っていたのだとしたら。

 

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