表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レヴィ教授の環境魔導学  作者: 紅茶


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/13

侵略外来種指定:勇者

「ああっ、なんてことだ……ごめんよ、痛かっただろうに」


 レヴィ・アシュフォードは、灰色の砂にまみれながら悲痛な声を上げた。


 王立学術院の環境魔導学部に籍を置く彼は今、丸眼鏡をずり落ちさせ、新品のコートの裾が汚れるのも構わずに地面へ這いつくばっている。


 彼が必死に撫でているのは、倒木の陰でガタガタと震える、若木のような姿をした魔物だった。


 頭頂部に一枚だけ緑の葉を残した、深緑のトレントの幼生。大地の魔素を吸い上げ、大気中に循環させる『森のポンプ』である。だが、その根の半分は、ひどい火傷を負って黒く炭化していた。


「ひどい……生態系のキーストーンにこんな傷を負わせるなんて。少し我慢してね、今すぐ薬を塗るから」


 レヴィは半泣きになりながら救急箱を開け、軟膏を根に塗り込む。


 周囲には、幹の芯まで白く変色し、立ち枯れた木々が墓標のように連なっている。


 三日前。時の王に選ばれた『勇者』の一行が、この『迷いの森』を通過した。彼らが掲げる聖剣の光は、魔を退ける奇跡としてもてはやされているが、実態は土壌バクテリアから魔素まで根こそぎ消滅させる、最悪の広域除草剤だ。


 このトレントの幼生は、その『浄化』の光から必死に逃げ延びた数少ない生き残りだった。


「よし、もう大丈夫。一緒に私の研究室へ――」


「そこを退け、学士」


 背後から響いた冷たく硬い声に、レヴィはビクッと肩を震わせた。


 振り返ると、白銀の鎧を纏った三人の大男が立っていた。胸元に輝く聖教会の紋章。勇者が通り過ぎた後、生き残った魔物を掃討する『浄化部隊』の聖堂騎士たちだ。


 先頭の隊長は、レヴィの腕の中で震えるトレントを見て、忌々しげに剣を抜いた。


「勇者様が討ち漏らした『汚れ』が、まだ残っていたか。……下がれ。我らが灰にする」


「ま、待ってください!」


 レヴィは慌てて立ち上がり、幼生を背中で庇うように両手を広げた。


「この子は森の血流を担う要なんです! 殺せば、この土地は二度と再生しなくなってしまいます! どうか、どうか見逃して――」


「異端の言葉に耳を貸す義務はない」


 隊長は聞く耳を持たなかった。白銀の刀身が、ジリジリと熱を帯びた『浄化の光』を放ち始める。


「魔を庇うのであれば、貴様も同罪だ。共に灰となれ!」


 怒声と共に、三人の騎士が一斉に踏み込んでくる。


「ひぃっ!?」


 レヴィは情けない悲鳴を上げ、幼生を抱きしめたまま後退りした。本物の殺意を前に、学者の細い足はもつれ、無様にドスンと尻餅をついてしまう。


 だが、倒れ込んだ拍子に、レヴィの視界に「あるもの」が飛び込んできた。


 突進してくる騎士たちの足元――白化した土壌に群生している、紫色の斑点を持つキノコ。


(マンドレイク・スポアの変異株……!?)


 天敵である昆虫やスライムを勇者が根絶やしにしたことで、この数日で異常繁殖した危険な菌類だ。強い熱や光の刺激を受けると、防衛本能として猛毒の胞子を大爆発させる。


 そして今、隊長の剣は猛烈な熱と光を放っており、しかも彼らは勢いよくその群生地帯に踏み込もうとしている。


 今の距離で爆発が起きれば、騎士たちは致死量の胞子を肺の奥深くまで吸い込み、確実に死ぬ。


「ああっ、待って! ストップ、ストップ!!」 


 レヴィは恐怖も忘れ、血相を変えて叫んだ。


「そこは踏んじゃダメだ! その剣の熱を近づけたら、キノコが――!」


「言い訳など見苦しいわッ!」


 だが、突進の勢いは止まらない。


 隊長が大きく跳躍し、熱を帯びた聖剣を振り下ろす。


「バカッ、死ぬ気か!!」


 レヴィはすくみ上がる足を無理やり蹴り出し、逃げるどころか、逆に騎士たちの方へ向けて身を乗り出した。


 彼は白衣のポケットに手を突っ込み、土壌調査用の中和剤が入ったガラス瓶を乱暴に掴み出すと、振り下ろされる剣の軌道上へ向けて力いっぱい投げつけた。


 ドォォンッ!!


 聖剣の熱線がキノコを刺激し、紫の胞子が火山の噴火のように爆発した。


 だが同時に、レヴィの投げたガラス瓶が空中で砕け散り、中和成分の液体が胞子の中心に降り注いだ。猛毒の紫が急速に色を失い、無害な白い煙へと変わっていく。


「なッ……が、ぁ……!?」


 騎士たちは、勢いよく中和された胞子を吸い込んだ。


「ゲホッ、ゴホッ! なんだ、これは……浄化、された、はず……」


 隊長が喉を掻きむしり、よろめく。続く二人の騎士も剣を取り落とし、金属の重い音を立てて灰の地面へと折り重なるように倒れ伏した。


「ケホッ、ゲホッ……ま、間に合ったか……?」


 舞い散る白い煙の中、レヴィはむせながら顔を上げた。


 彼は急いで這いずり、倒れた騎士たちの首筋に指を当てる。


 ドクン、ドクンと、力強い脈が打っていた。猛毒は中和され、強力な睡眠作用によって気絶しているだけだ。


「……よかったぁ。死んではいない」


 レヴィはその場にへたり込み、安堵の息を長く吐き出した。


「全く……私の虎の子の試薬をこんな形で使わされるなんて。勇者が目に見える魔物を殺したからといって、微生物の生態系まで大人しくしているわけがないだろうに。環境を舐めすぎだよ」


 彼は痛む尻を擦りながら立ち上がり、倒れた騎士たちの横にそっと水筒を置いてやった。目が覚めれば、ひどい二日酔いのような頭痛と渇きに襲われるはずだからだ。


 そして、腕の中で震えを止めたトレントの幼生をホッと撫でる。


「さあ、帰ろうか。私の研究室ラボは安全だよ」

 幼生を大事そうに抱き抱え、レヴィは枯れ果てた白の森に背を向けた。


 星の免疫系を狩り尽くし、世界を砂漠へと変えていく『勇者』という存在。


 生態学者レヴィ・アシュフォードは、その人間本位な正義から自然と無知な命を守るため、明日の予算増額申請書をどう書くかですでに頭がいっぱいだった。


 聖なる剣も、奇跡の魔法も必要ない。


 これは、魔物も人間もひっくるめた生態系を守るため、愚直に奔走する学者の物語。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ