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49 これもうちの子と思えばいい、のか?


 うちの子達は可愛い。色合いは私に、そして顔立ちは妻に似た双子だが、性格はどちらにも似なかったので、その行動を見ているだけで心が和む。

 私は娘をウサギのようだと思っているが、バーレミアスはタヌキのようだといい、娘のクラブメンバーの一人にはビーバー呼ばわりされているようだ。

 いつか娘も年頃になれば、恋する男から花に(たと)えられて愛を告げられる、そんな日が来るのだろうか。

 私はそこで現在求婚予定者のガルディアスとグラスフォリオンを思い浮かべた。

 アレナフィルを気に入って数年後に求婚予定の二人は、アレンルードを実の弟のように可愛がっている。アレナフィルといる時間よりも長く過ごしているだろう。


(実はルードが本命ってか。確実に爵位を継ぐ上、まだよそに取り込まれてない)


 少女という時間が、どれ程にその姿を変えてしまうかを知っているからなのか。

 傷ついた小動物に涙を流していた令嬢が、数年後には平然と誰かを傷つける命令を出すように。

 野原で摘んだ花一輪に頬を赤く染めて喜んでいた少女が、高価な宝石の数々を平然とねだるように。

 愛を語る男にも身分や資産といったランク差があることを知ってしまった乙女達は、瞬く間にその姿を変えてしまい、二度と清純な時代を取り戻しはしない。

 そういう生き物だ。だからこそ無垢な時を大切に思ってしまうのか。


(うちの娘、そのあたりは十分に理解した上でアレなんだがなぁ)


 男には経済力という目に見えにくい価値があると幼い頃から割り切っていた娘は、高い物が欲しい時、父や弟にねだって買い物に出かけていた。父親の私ではないところがさりげなく残酷だ。

 しかもそのことを隠しておらず、

「残業代と休日出勤。パピー、頑張ってフィル達、育ててくれてるの。だからね、フィル、お金の心配、パピーにかけたくないの」

と、父や弟には説明していた。父親を思い遣っているようで、実は甲斐性なし呼ばわりしているところがさりげなく冷酷だ。

 頼られるのが嬉しい二人は、私がそこまで生活に困ってない現実をアレナフィルに告げなかった。あの二人はさりげなく身勝手だ。

 周囲の生徒達や社交界の貴族達に色々と吹きこまれ、数年後には自分達が気に入ったアレナフィルの中身も変わってしまうことを覚悟しているだろう二人の求婚予定者達だが、きっと数年後にも娘の性格は変わらない。

 アレナフィルは自分の財布を持ったことがない時から賃金や物価が存在する経済社会を理解していた。

 そんなアレナフィルと私よりも長く「家族」をしてきたこの異国の青年にとって、今の彼女は変わってしまったのだろうか。それともやはり同じだからこそ姿かたちが違っても執着したのか。

 

(やりにくいな。普通の父親なら娘を誘拐した奴なんぞまずは一発殴るってもんだが、あんな会話を聞いてしまったら同情しかできん)


 そんなことを思いながら、私はユウト・トドロキと名乗った青年をヴェラストール駅近くのアパートメントに案内した。


「うちのアパートメントですが、ワンルームで大丈夫ですね。好きにお使いください。明日の朝には上の階に来てくれれば、パンとコーヒーぐらいはお出しできるでしょう。最上階は私達家族のフロアとなっているのです」

【彼は、この部屋で今日はゆっくり休んでほしい、最上階はウェスギニー家がフロアまるまる使っているから、明日の朝は上がってきてくれればパンとコーヒーを出せるだろうと言っている】

【はい。えっと、

「ありがとうございます、おやすみなさい」

でしたね?】

【うん、お上手。 

「では、おやすみ」

 隣は俺の部屋なんで、何かあったら遠慮なく起こしてくれていいから】

【はい】


 バーレミアスは、彼がアレナフィルのかつての弟だと知っているので好意的だ。それを感じ取っているのか、隣の部屋だと聞いて彼もほっとしたらしい。

 私がいなくなったら相談もしやすいだろう。


「おやすみ。さて、ルードはもう寝ちゃったけど起こしてシャワー浴びさせるのも可哀想か」

「寝かせてやれよ。じゃあな、フェリル。俺も今日はもう寝るわ」

「ああ。また明日」

「んー。大丈夫、です、・・・父上。ちゃんと、シャワー、浴びます。フィルに話、聞かないと」

「もうフィルは寝てると思うから、お喋りしたいなら明日にしなさい」


 私の背中でうとうとしている息子が何やら主張しているが、目が閉じたままで口調もぼんやりだ。

 ガルディアスとグラスフォリオンは、あの辺り一帯の封鎖や、ホテルの屋上占有といった事態の後始末をすることになっている。それによりアレナフィルの名前が出ることなく全てが終わるわけだ。

 この街にはミディタル大公家の別宅もあるので別行動の方がいい。アレナフィルはやりすぎていた。


(フィルを妃に欲しがっているのがガルディアス殿下で良かったというところか。エインレイド殿下では揉み消しなどできなかった)


 そんなことを思いながらひょいひょいと階段を10段、11段、12段と、飛ばして上がっていく。昇降装置を使うよりも速いからだ。

 最上階の扉が開放されていて、廊下にいた弟が微笑みかける。


「お帰りなさい、兄上」

「ただいま。悪かったな」

「いえ」


 いつしか一言で通じ合うようになっていた弟が、浴室の扉を開けてくれた。そして玄関の扉を二つとも閉めると、アレンルードの服を脱がせるのを手伝い始める。


「ルードの目がもう閉じきってますね。ほら、あと少し頑張って立ってなさい、ルード」

「ああ。もうフィルと一緒に寝かせとこうと思うんだが、あの子は汗臭いとすぐ文句言うからな」


 そのまま寝かせてあげたいのは山々だが、アレナフィルはそういうことに対してとても口うるさいのだ。


「父上ぇ」

「ん?」


 息子と一緒にシャワーを浴びながら髮や体を手早く洗ってやり、怪我がないか確認しつつ拭いてやれば、眠そうな声で抱きついてくる。レミジェスは、息子の髪の毛を拭くのを手伝ってくれていた。


「あの人、フィルのお兄さんですか? 僕、フィルと従兄妹(いとこ)だったりするんですか?」

「私とリーナの子はお前達二人だけだ。お前達はちゃんと双子で生まれてきたよ」

「うん。・・・なんでだろう。あの人、フィルと兄妹みたいだ。そんな筈、ないのに。なんでフィル、あいつを・・・」


 眠いから頭がふらふらしているのだが、それだけは聞いておきたかったのだろうか。


(そうか。あの二人の空気は家族、それも兄妹のようだとルードは感じたのか)


 アレンルードがぐしゅぐしゅっと鼻を啜りながら目を腕でゴシゴシ拭う。双子の妹が取られそうで悲しかったのか。


「だけどいい線だ、ルード。お前は勘がいい。あの外国人は気づいていないが、フィルの家族なのさ」

「え? じゃあ僕とも?」


 目がいきなり冴えたのか、アレンルードが中腰になっているレミジェスと共に私を見上げた。


「いいや。私やレミジェス、そしてお前とは赤の他人だ。フィルだけが彼の家族だ。フィルはお前とも彼とも兄妹なのさ。だけど彼はまだフィルが家族ってことに気づいていない。フィルは気づいているけど言っていない。お前は彼より先に気づいてしまったんだな。直観力が優れているんだろう」

「だって・・・」

「ちょっと待ってください。そんなこと、どうやったらあり得るんですか、兄上」


 確かにそんなことはあり得ない。だが、姿が変わっても見つけ出してしまう程に愛していた家族なら交流させてやりたいと思うのは自己満足だろうか。

 そして兄だからこそアレンルードもその空気を感じ取った。


「そこはまだ内緒だ。レミジェス、今は何も気づいていないフリをしておいてくれ。さて、ルード。この秘密をお前は守れるかな?」

「分かんない。意味分かんないです。だけど、・・・もちょっと考えます」


 褒められたことと、自分の感覚が正しかったこととで安堵したのか、アレンルードが唇をへの字にしながら正解が分からないからと保留を告げる。


「ああ。何年かけようとお前はいずれ真実に辿り着くだろう。だけどまだ知るには早すぎる。今は何も気づかないフリをしてなさい。フィルもあれでパニックを起こしているんだ。これ以上混乱させると何をやらかすか分からないからね。同じフィールドで対応できるのはお前だけだ」


 いつか正解を教えてあげるという確約を感じ取り、その上でお前ならば自力で真実を見つけ出せるだろうと言われたことでやる気になったのか、アレンルードも私に抱いていた反発心を引っこめたようだ。

 知るには早すぎると言われたことで、言えない事情があることも理解したのだろう。


「うん。父上、・・・クソ親父って言って、ごめんなさい」

「いいよ。私がフィルを切り捨てたように思ったんだろう? だけどルード。お前達は私とリーナが望んで生まれてきた子達だ。愛してるよ」

「うん」


 普通ならそこで妹に問いただすのだろうが、アレンルードはアレナフィルを観察してその先を読むゲームをする気になったようだ。以前からアレナフィルはアレンルードの観察により、秘密にできていると思っていることが実は秘密になっていない。

 アレナフィルはピンクなウサギの着ぐるみパジャマで寝ていたので、同じベッドにアレンルードを寝かせてみたら、ごそごそと二人で手を繋いだかと思うと、やがて寝息も同じリズムになった。

 弟と二人でリビングルームに行けば、問うような赤い瞳が私を見つめてくる。


「兄上。一体どういうことですか」

「すまない、レミジェス。私もまだ分かっていないことが多い。そしてフィルは自分が私達に拒絶されるのが怖くて言い出せない。あの子は怯えているんだ。だから何も聞かないでやってくれ」


 アレナフィルがファレンディア人だった頃のことはまだ謎が多い。たとえば狂気に満ちた科学者が国をまたいで記憶を植え付ける人体実験を行ったという可能性だってあるのだ。その対象者があのユウト・トドロキとアレナフィルだという可能性はゼロではない。

 そうなれば姉弟だと思い込んでいるだけのただの他人だ。


「フィルは以前から不思議なところがありました。ファレンディアのものばかりにこだわって。クラセン殿があの子と一緒にいるのは・・・」

「その通りだ。バーレンは私がつけた監視役だ。あの子を追い詰めるな、レミジェス。安心しろ、分からないフリをしているが、バーレン程度には私もファレンディア語が分かる」


 それでレミジェスも私が数年がかりで娘を監視していたのだと理解したらしい。

 あの家は子供達を保護していたのか、隔離していたのか。レミジェスは記憶を辿っていることだろう。


「訳が分かりませんが、兄上がそこまで周到に動いておられるのなら知らないふりをしておきます。それでいいんですね?」

「ああ。だけど珍しいな。お前がフィルをあの子の部屋で寝かせてたとは」


 てっきりレミジェスの部屋で一緒に寝ていると思ったのだが、アレナフィルの部屋であの子は眠っていた。ここに連れてきたのは初めてなので、知らない部屋では落ち着かないだろうに。

 アレンルードを一緒に寝かせたのはそれもあった。

 二人でいれば怖い夢も見ない。目覚めても安心していられる。性別的にいつまで使える手なのか分からないが、一緒にしておくだけで深く眠る。


「青いレースが重なり合う天蓋ベッドや金細工つきの家具、ダークブルーを基調とした絨毯やコーナーミラーと、全てがお姫様のお部屋だって大喜びだったんですよ。あの子にはまだ大人すぎるだろうと思ったんですが、高貴さが漂ってるとか言ってもう・・・。ルードはまだ大丈夫ですが、男なんて連れこめないベッドサイズにしておいたのが失敗でした」


 ベッドサイズそのものはダブルサイズだが、抱きかかえられるタイプの円柱形枕やふかふかしたクッションなどがここぞとばかりにどどんと置かれているものだから、ほとんどセミダブルサイズだ。

 一人で優雅に眠る為のベッドである。


「仕方ないから俺と一緒に寝るか、レミジェス。明日の朝にはあの外国人もバーレン達とやってくるだろう。まだ分かっていることは少ないが、情報の共有は大事だ」

「そうします。つまりルードには聞かせたくなかったんですね」


 レミジェスも愚かではない。バーレミアスがアレナフィルを預かったりしていたのはまさにリンデリーナが亡くなってすぐだと思い出したのだろう。

 この年になってどうして兄弟で同じベッドに寝るのかといった違和感も、子供達の添い寝でなし崩しに慣れた。

 実際、レミジェスのベッドは常に広い。時には三人、もしくは四人で寝ることを想定しているからだ。

 私は弟が結婚する時、全てのベッドを入れ替えてやらねばなるまいと、未来の義妹に対してそんなことすら考えている。


「ああ。彼は恐らくまだ偽っている。さすがにルードじゃブチ切れそうだろう?」


 アレンルードは嘘とか卑怯とかが大嫌いだ。

 今はアレナフィルが無料で差し出させる予定の兵器に誘拐犯への同情を抱いているようだが、私はわざと鷹揚に受け入れることであの外国人がアレナフィルとの縁を強固にしようとしただけだと感じていた。そんな男の言葉にどれ程の真実があるやらだ。


「それ以前にそんな男、フィルに近づけたくないんですが。いえ、監視下に置いておいた方がいいから仕方ないですけどね。おかげでフィルはポリシーをかなぐり捨てて、同世代との恋愛に前向きになってしまいましたよ」


 アレナフィルは自分よりも年上になってしまった弟を前に、本当は年上趣味な嗜好をなかったことにして、お前は対象外だアピールに励み始めている。


「勘違いしているくせにフィルを見つけ出してしまうような男だからな。お前のこだわりがあいつを黙らせるさ。たかが子供にあそこまでの部屋を用意する家庭環境にケチをつけられる奴はいない。所詮はフィルのお友達が増えるだけだ」

「あなたって人は・・・」


 弟はとても深く長い溜め息をついた。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 どんな夜も、明ければ朝が来る。コーヒーを飲みながら、弟と新聞を読んでいればいい天気だ。

 ボーデヴェインとユウトを連れて来たバーレミアスが、パンとコーヒーとベーコンと卵しかないと知って、

「ここなら朝市がある筈だ。エッセイで読んだ覚えがある」

と、ボーデヴェインと一緒に出掛けてしまった。

 朝食なら十分だろうに。


「ついでに子供達を起こしてってくれ。二人共、フィルの部屋だ」

「分かった。 

【ユウトさん、フィルちゃん達、起こしといてください。俺達はちょっと買い出しに行ってきます。フィルちゃん、朝ご飯は野菜ないとブーブーうるさいんで】

 てか、まだ一緒に寝てんのか、フィルちゃん達」


 ドアには名前プレートがかかっているので間違えようがないのだが、バーレミアスは頼まれたことをユウトに押しつける。


【えーっと、この部屋ですね?】

【そうそう】


 小さくノックしてユウトが入っていったが、アレナフィルが着替え中ではないことを祈るばかりだ。

 かなりアレナフィルが恐怖心を抱いていたファレンディア人の弟だが、それは姉に対する執着心が異常だというので恐れていたわけで、危害を与えるものとは正反対の状態にあったとか。

 たしかに姉だと気づいていないのに、姉を思わせるものがあるからと誘拐するばかりか、関係を近づける為にあそこまで譲ってくる男だ。あんな弟がいたらファレンディア人の頃のアレナフィルは一生恋愛も結婚もできなかっただろうなと納得する。

 それは姉が母親代わりだったこともあるのではないかと、私は睨んでいた。母親の手料理ではなく姉の手料理に親しんでいるということは、それしか考えられない。

 

「お。壁に埋めこまれていた不発弾を撤去する作業に、偶然この街に滞在中だったガルディアス様と近衛兵達が撤去作業に当たったことになってる。・・・王国の未来は安泰だな」


 新聞記事でそこにウェスギニーの名が全く出ていないことを確認し、私は微笑んだ。


「兄上。そんなことより、起こすのにかなり時間がかかってませんか?」

「一緒に寝始めたんじゃないか? もしくはルードとフィルの取り合いになったか」


 レミジェスが大丈夫なのかと案じているが、誘拐しても傷一つつけなかった男だ。心配は要らないだろう。

 やがて何やら三人が騒いでいるような声が響いてきたが、そうこうしている内にピンクなウサギのパジャマ姿な娘が、ふわぁあっと大あくびしながら後ろにユウトを従えてやってくる。


「おはよう、フィル。よく眠れたかい?」

「パピー、会いたかったっ。ジェス兄様も、おはようございますなの」


 ぴょんっと抱きついてくる娘はジャンプ能力的にもピンクウサギの名前に恥じない精霊だった。


「お転婆ウサギさん、レミジェスがカップを持ち上げてくれなかったら大惨事だったぞ。ほらパスだ」

「ジェス兄様、ナイス」


 いつものように抱きしめてから頬にキスし、レミジェスにぽんっと渡す。

 私とは違う側の頬にキスしたレミジェスは、ウサギフードを後ろに外して指でアレナフィルの髪を梳いてやり、リボンを結んであげていた。

 そのリボン、どこに持っていたんだ? たまに弟の溺愛が怖すぎるが、当然のように受け入れている娘の将来も心配だ。


「おはよう、フィル。兄上がパンとベーコンと卵は買ってきてくれていたんだけど、後で買い出しに行かなきゃね。ところでルードは?」

「着替えてから来ると思うの。卵とベーコンあるなら、目玉焼きとかの方がいいかも?」

「ゆで卵はメーカーにセットすればできるし、ベーコンは炙ればいいだけだけど、目玉焼きって人数分作るの面倒じゃないかい?」

「大丈夫、ジェス兄様。フィル、目玉焼き作れる」


 自宅ではいつも休日の朝は私が作って子供達に手伝ってもらっていた。だけどサンリラのあれを見た後では、レミジェスにアレナフィルの手料理を食べさせてやってもいいんじゃないかと思い、私は手を出さなかったのだ。

 レミジェスはアレナフィルが運んできたコーヒーだけでも喜ぶだろうが、手作りの朝食となったらもっと嬉しいだろう。たまにガス抜きさせておかないと、叔父と姪の禁断愛だけはヤバすぎる。

 そこへ賑やかな気配が現れた。


「お、フィルちゃん。おはよう。ユウトさんが起こしに行ってくれただろ。ほら、野菜とヨーグルト、買ってきたぞ」

「おはよう、アレナフィルお嬢さん。先生が、絶対ここは朝から市がある筈だって言うから一緒に出掛けてたんすけどね、うん、ありましたよ。これでサラダはどうにかなるかなって」

「おはようございます、レン兄様、ヴェインお兄さん。よかった、これで朝ごはんもしっかり食べられる」


 バーレミアス達が大きなヨーグルト瓶や野菜の入った袋を持って戻ってきたので、アレナフィルが笑顔になる。


「うふふふー。しかも今日のフレッシュジュースは南国フルーツ入りだからとっても甘くて美味しいの。期待してていいですよ」

「手伝おうか、フィル?」

「大丈夫、ジェス兄様。みんなでお喋りしながら待ってて。フィルの朝ご飯、とっても元気になるんだよ」


 クラブ参観でアレナフィルが料理できるのだと実感していても、レミジェスは心配性だった。アレナフィルが火傷したり指を切ったりするのではないかと、おろおろし始めている。

 アレナフィルはレミジェスにサービスする気満々だ。


【ロッキーさん。今から朝ご飯を作ってきますから、ここで待っててください。卵は目玉焼きとゆで卵とスクランブルドエッグズとどれがいいですか? ベーコンは何枚?】

【・・・スクランブルドエッグズで。ベーコンは一枚】

【分かりました。ジュースと紅茶も今から出すから大丈夫ですよ】

【ありがとう】


 キッチンルームへ買ってきた物を運んでから戻ってきたバーレミアスに、レミジェスはあの二人が何を話していたのかと尋ねた。


「え? ああ、朝食のリクエストみたいですね。今からジュースが出てくると思いますよ。ほら、フィルちゃん、マイペースだから」

「その前に兄上、フィルはどうして着替えないんでしょう」

「いつも朝御飯はパジャマで食べてたからじゃないか? 朝ご飯を食べてから、ゆっくり今日の服を選ぶ方がいいらしい」

「家族だけならともかく・・・」

「本人に言え、本人に」


 どうしてアレナフィルに嫌われそうな注意を、私に言わせようとするのか。

 アレナフィルは朝食を取ってからシャワーを浴びて着替えたいのだ。私にとってはどうでもよかった。ゆえに何も言う必要はない。

 体の線が透けて見えるようなネグリジェタイプなら問題だが、赤ちゃん用のふんわり生地でできたうさぎパジャマだ。どこにも色気がない。

 そこへ着替えて顔を洗ってきたらしいアレンルードがやってきた。ベージュ色のシャツにチェック柄のズボンと、少し大人びた印象のチョイスだ。


「おはようございます。父上、叔父上。バーレンさんとヴェインさんも」

「おはよう、ルード。お前はちゃんと着替えてきたんだな」

「パジャマでご飯を食べていいのはおうちでマーサおばさんの目がない時だけです」

 

 寝る前は可愛く抱きついてきたのに、息子がツンツンしてくる。幼児の頃はいつも抱っこをせがんできたのに息子とは薄情なものだ。


「残念。愉快な森の子ウサギ達が見られると思ったのに」

「ヴェインさん。ウサギパジャマはフィルだけです」

「そっかぁ。ここ、キッチンルームは別なのな。ダイニングルームにキッチン設備がある方がちょこちょこ動くお嬢さん見られて楽しかったのに」


 そんなことを言ってキッチンルームに行ったボーデヴェインが何やらアレナフィルに声をかけ、トレイにどろどろしたジュース入りのジョッキを載せて戻ってきた。


「今日はフルーツどっちゃり野菜ジュースだとかで特別美味しいって自慢してましたよ。ははっ、本当に可愛いですよねぇ」

【野菜と果物のジュースだそうですよ、ユウトさん。いつもはバナナミルクなんですが、大丈夫ですか?】

【いただきます。あの子は飲まないんですか?】

【私達が飲んでいる間に朝食の準備して、後でゆっくり飲むんでしょう。普段はご飯を作りながらこくこく飲んだりしているんですが、ここは初めて来た別宅だから、使いこなすので精一杯じゃないんですか】


 新聞を畳んでから配られたジュースを飲めば、果物の甘みでごまかしているが野菜が沢山入っていることに気づく。

 いつもはここまで野菜を入れないのに、それがユウトという弟への情なのか。


「美味しいけど普通ジュースってもっと小さいコップじゃないですか、叔父上?」

「ジョッキで出してくるジュースだなんて、フィルは独創的だねえ。お腹壊さないように飲みすぎには注意しときなさい」


 ぐいっと飲み干したユウトがキッチンルームに消えて、しばらくしたらヨーグルトが入ったミニボウルを人数分運んできた。うちの娘、人使いの荒さは完璧だ。

 アレナフィルがいるキッチンルームからは、ジャーという炒めているような音が響いてくる。

 ユウトの顔が強張(こわば)った。


【あの歌は・・・】

【ああ、フィルちゃん、ファレンディアの人に教わったそうですよ。時間を計るのに歌を使うそうですね。卵を焼く時間とか、歌で覚えるんだとか。ユウトさんもそうなんですか?】

【・・・ええ】


 やがてトーストされたパンが籠に入ってどんっとテーブルに置かれ、それぞれの卵料理とソーセージやベーコンが入った皿がやってくる。

 アレナフィルも席について、幸せそうにジュースを飲み始めた。


「んー。やっぱり朝のジュースは体がさっぱりするの。ああ、目覚めていく」

「堂々と一人だけパジャマで朝ごはん食べるフィルに、僕はびっくりだよ。ここ、家族だけじゃないんだよ?」


 ジュースにはそこらのサラダ並みの野菜が入っていた。小食な女性ならそれだけで朝食になるかもしれない。

 アレンルードの苦言を気にすることなく、アレナフィルは幸せそうだった。


「アレナフィルお嬢さん、毎日こんな感じでしたからねえ。朝から森の動物さんがご機嫌で朝ごはんを歌いながら作ってるって感じで」

「もしかしてヴェインさん、またフィル、変な呪文歌ってたんですか?」


 ちゃんとサルートス語でも歌詞を考えたらしいが、気を抜くとファレンディア語で歌っているものだから、アレンルードには呪文にしか思えないのだ。アレナフィルは隠しているつもりで、お茶を淹れたり、コーヒーを用意したりしながら、うっかりファレンディア語で歌っている子だった。


「たまに普通の歌の時もありましたけどね。俺達にしてみれば、『おお、女の子とはこんな可愛い生き物なのか』って感じでしたよ。普通の女ならもう朝はシリアルとコーヒー出してくれりゃあ(おん)()ですからねぇ」

「そうなんですか?」

「・・・いつかアレンルード君にも分かる日が来ますよ。自分もしくは恋人しか朝食を用意する者がいなくて、お互いが相手にしてもらえると信じていたら何もなかったという悲しい朝を」


 朝食がなければ食べに行けばいいのに。

 以前、同僚に似たようなことを言われてそう言ってみたら、

「誰もがてめえみたいに二人で迎える朝が昼前なんかじゃねえんだよっ。どうせお前は夜明けまでムードたっぷりなんだろうよっ」

と、(ののし)られた。事実無根だが、繊細な問題らしいと知り、それから私は口を挟まないことにしている。


「子供に朝から変なことを聞かせるんじゃない、ヴェイン」

「いやいや、ボス。こんなのはすぐですって」


 私達はマスタードソースやトマトケチャップソース、塩や胡椒など好きなもので味付けできるようにと調味料が中央に置かれていたが、ユウトの皿には最初から赤いトマトケチャップソースが卵にかかっていた。


「フィル、一人だけソーセージとジャガイモあげてないのっていじめてるの?」

「違うもん。朝からそこまでお肉は食べない人だからベーコン一枚でいいって言ったんだもん。ジャガイモも朝はそこまで食べないんだよ」

「ふぅん」


 妹を誘拐したというのでかなりユウトにむかついていたアレンルードだが、一晩経ったらそれなりに落ち着いたようだ。公平的な視野で、彼の食事を減らすのはひどいと思ったらしい。


「ソーセージ沢山食べて筋肉つけたらフィル好みの体になるんじゃない?」

「そーゆーことは言っちゃ駄目。ルード、人には体質ってのがあるの。食べすぎたら吐く人に向かって無茶は言っちゃ駄目なんだよ」

「そうなんだ。うん、ごめん」


 みんなの皿にはソーセージだけじゃなく、角切りベーコンが角切りジャガイモと一緒に炒められて入っているのに、彼は薄切りベーコン一枚だった。

 他は目玉焼きなのに彼だけスクランブルドエッグズで、その中にはチーズが入っている。

 皿の余白が多くて可哀想だとアレンルードは思ったのだろうが、あまり肉や内臓料理が得意ではないと言っていた彼に合わせた朝食は、アレナフィルの思いやりを感じさせた。


【ユウトさんはベーコン、薄切りタイプが好みですか? 俺もそうなんですよ。ただ、他の奴らがみんなベーコンは厚切りとか角切りとか言い出して、薄切りの俺はまるで非常識人間のように扱われましたがね】

【たしかに少数派かもしれないですね。私はミートプレスでカリカリに焼いたのが好きです】


 肝心のアレナフィルの皿には、カリカリベーコンが半分とジャガイモと角切りベーコンが少なめに入っていた。

 バーレミアスのカリカリベーコンが一枚と半分だったところを見ると、アレナフィルはどちらの味も食べたかったのだろう。


【へえ。卵のトマトケチャップ、なんか薄そうですね】

【これぐらいでちょうどいいのですが。どうもこちらのトマトケチャップは味がきついですね】

【なるほど。そういうお国柄の違いがありましたか】


 言葉が分かるからどうしてもバーレミアスがユウトの話し相手になっているのだが、それで納得する。ファレンディア人だった頃、アレナフィルは彼の舌に合うような食事をわざわざ作っていたのだと。

 ファレンディア人ならではの味覚の違いかと思ったが、もしかしたら彼が今も求めていたのは姉の手料理の味だったのかもしれない。


「なあ、フィルちゃん。ユウトさんのトマトケチャップ、これぐらい薄めでちょうどいいって言ってるけど、薄めて美味しいもんなのか?」

「うーん。人によるんじゃないかな。レン兄様もあんまり体を動かす方じゃないから、もう少し年を取ったらそれぐらいの方があっさりしていていいって思うかも? だけどヴェインお兄さんとかには薄くて食べられたもんじゃないって思える味だと思う」

「へえ」


 レミジェスが少し考えるような表情で口を開いた。


「そうなると外食はどれも味が濃いってことかな? 昼は食べに行こうと思っていたんだが」

「大丈夫、ジェス兄様。食べられないわけじゃないから。だけどおうちで食べるの、外食とは違うでしょ? ロッキーさんも、おうちで食べる時は薄味で食べたい、そんな人なだけ」

「そういうもんなのか?」

「うん。朝の野菜と果物ジュースでけっこう体すっきりしてる。塩分もかなり控えめ。だからお昼、多少味が濃くてもちょうどいいぐらい」


 うちのうっかりウサギがどこまでもうっかりなのだがどうすればいいのだろう。

 どうして一番会話しているバーレミアスすら知らない、そしてユウト自身が語ってもいないことをお前が語るのか、娘よ。

 その不自然さにレミジェスも気づいている。


「そうか。ならいいんだが、・・・よく分かるね、フィル」

「うん。フィルね、そういう食生活のお勉強のクラブ長、やってるから」


 胸を張る我が家のウサギ精霊は、父親や叔父よりも若い男を成人病認定することで辻褄を合わせた。

 娘よ、薄味好みな彼は恐らくそういう成人病からかなり遠い場所にいると思うぞ?


「へえ。アレナフィルお嬢さん、何のクラブに入ってるんですか?」

「えっと、成人病予防の・・・あっ、そうだ。フィル、ジェス兄様の為に、紅茶淹れるつもりだったのっ」


 自分でも言いかけてそれに気づいたらしいうっかりウサギの声が止まって強引に話を変える。

 ボーデヴェインのオレンジ色の瞳は、不憫な生き物を眺めるものと化した。それでも子供を追い詰めない優しさぐらいは持つ男だ。


「そんならアレナフィルお嬢さん、俺、アレがいいな。火をつける奴」

「あれはお酒入れるからみんなにはいいけど、ロッキーさんとルードには、・・・まあ、いいでしょう。どうせアルコール飛ぶし」


 そしてアレナフィルは紅茶の入ったカップの上にピックを二つ渡してその上にスプーンを固定し、スプーンの上に砂糖とブランデーを入れて火をつけ、その砂糖を紅茶に入れてかき混ぜるという飲み方で出してくる。

 そのまま紅茶にブランデーを入れた方が早くないか?


「あっ、ブランデー垂れてる垂れてるっ。ジェス兄様、それじゃアルコール飛ばないっ」

「ああ、ごめん。ちょっと動いただけでピックからスプーンが落ちちゃうんだね」

「そうなの。専用スプーンはさすがに無いの」


 気づけ、娘よ。レミジェスはもう飲まないとやってられないという気分なだけだ。

 それでもしょんぼりしたアレナフィルにレミジェスは甘かった。もう砂糖要らないだろ? 


「欲しければ買ってあげるよ、フィル」

「大丈夫。フィル、子供だからブランデー飲まない。開封して時間経ったブランデーだと火がつかないの」


 うっかりウサギが、まるで開封してから時間の経ったブランデーを知っているかのようなことを言う。


「よく知ってるね、フィル」

「フィル、今、毎朝お茶会のお勉強、してるから」


 レミジェスの言葉の中に含まれる「どうしてそんなことを知っているのかな?」という思いを察したか、アレナフィルはお勉強したのだと言ってのけた。

 いくら何でも王妃が教えるお茶会の作法でブランデーを使うとは思えないのだが。

 うちの子の言い訳があまりにも粗忽(そこつ)すぎて父は辛い。


「ルード、お酒は燃えてアルコール飛んじゃうけど大丈夫だった?」

「うん。大丈夫だけど、僕、ミルクでいいや。フィル、大人に囲まれすぎて、僕達、子供ってこと忘れてない?」

「あまり美味しくなかった? じゃあ、おやつの時間にはルード、フィル特製、とっても素敵なミラクルスイート、フルーツたっぷりおやつ出してあげる。ルード、拗ねちゃ駄目」

「別に拗ねてなんかないけど」


 アレンルードは、当たり前のように酒瓶に手を伸ばすなと言いたかったのだろう。フィルは紅茶に入れるならどれがいいか、瓶のラベルを見ながらじっくり選んでいた。まるで瓶を見ながら紅茶に合う酒を選ぶ知識があるかのように。


(ウェスギニー家、子供に酒を飲ませている疑惑が本格化するかもな。バーメイドまでやらかしたわけだし)


 レミジェスは、もうアレナフィルを外には出せない、この子に理由説明や言い訳をさせたら終わりだと、そう判断したようだ。

 普通の子供と違い、アレナフィルの嘘は嘘になっていない。

 アレナフィルを見つめるレミジェスとアレンルードは、何やら疲れたように首を横に振っていた。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 食事を作ってもらったから後片付けはやっておこうと言ったら、娘は笑顔で私の頬にキスすると洗顔しに行った。

 食器を洗浄機に入れてテーブルを拭くだけだが、皆で手分けすればすぐに終わる。


「兄上。顔も洗わずに人前に出るなと教えてあげてください」

「本人に言え、本人に」

「ルード。ちゃんとフィルに教えておきなさい。マーサさんは何をしていたんだ」

「マーサおばさんの前ではちゃんとフィル、ご飯の前に身支度できてるよ? パジャマでご飯食べるのは、マーサおばさんが来ない時だけ」

「つまり兄上。あなたが悪いんじゃないですか。家族だけならともかく、客人もいる前であれだとは」

「お前も同罪だろう。フィルは、私やお前なら怒られないって思ってるんだから」

「僕ができてるのにフィルができてないのって、父上と叔父上の躾け方の差別を感じます」


 ウェスギニー家内における責任問題の押しつけ合いはあったが、ベージュ色のシャツと茶色いチェック柄のズボンだったアレンルードを意識したのか、アレナフィルはベージュ色のワンピースに着替えてリビングルームにやってきた。

 お揃いとまではいかないが、花の模様が描かれたワンピースなので、レミジェスが髪を結んであげたリボンとも合っている。一度解かれたリボンは可愛らしく編みこみに使われていた。

 早速バーレミアスが目を細める。


「お。可愛くしてきたじゃないか、フィルちゃん。ルード君とお揃いかい?」

「お揃いじゃないけど、これなら双子って感じがするでしょ? ねー、パピー?」

「ああ。とても似合ってるよ、フィル。髪はちょっとまとめてみたんだな」


 部屋に影響されたのか、ちょっとお姉さんモードらしい。だけど所詮は子供なのであまり意味がなかった。


「そーなの。リボン、長かったから、こうやって使えちゃうの」


 リボンのついた髪留めならともかく、ただのリボンは消耗品だ。それなのにレミジェスは何かとアレナフィルに可愛いリボンをあげるものだから、アレナフィルはレミジェスといる時はリボンを使った髪のおしゃれに貪欲である。

 リボンなんて小さな布切れだろうと思っていたら、一度レミジェスが買っている値段を見て弟の経済観念に脱力したのはいつだったか。

 発色がよく、酷使されてもへたれにくく、使いやすいように張りのあるリボンは、常に玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の髪に映える色が厳選されていた。


「とても可愛いよ、フィル。私のお姫様。さあ、おいで」

「うんっ」


 笑顔で腕を広げたレミジェスに抱きつき、持ち上げられてくるくると回してもらっているアレナフィルを見て、

「ボス。よくアレナフィルお嬢さん、これで我が儘に育たずにすみましたね」

と、ぼそりとボーデヴェインが呟く。


「結局は叱られることなくあそこまで大事にされてるって凄くないですか?」

「弟は昔から二人に対して甘くてな」


 何をやっても怒られることなく、全ての願いが叶えられる貴族のお嬢様。普通ならば全てを使用人に命じて自分は威張り散らしていることだろう。

 そこでユウトがバーレミアスに話しかけた。


【双子それぞれのお部屋をちらりと見せてもらいましたが、女の子はお金をかけて育てられる風習があるのですか? 男の子より女の子が大事なんですか?】

【それはないです。ウェスギニー子爵家を継ぐのはルード君ですからね。だけどフィルちゃんはウェスギニー家のただ一人の女の子だから可愛がられているんですよ。それでもルード君が低く扱われていることはない筈です。 

「ルード君。もしかしてフィルちゃんの部屋とかなり違ったりする?」 】


 バーレミアスはまだアレナフィルの部屋を見ていないのでアレンルードに確認する。


「え? はい。フィルの部屋はなんかわざわざベッドにレースカーテンついてるし、大きな鏡ついてるし、無駄に凝った家具使ってますけど、僕の部屋はそういうゴテゴテはないです」


 アレナフィルが狂喜した部屋も、アレンルードにかかれば装飾性過多としか思えないようだ。

 ここの家財道具を決めたレミジェスがそこで割り込んでくる。


「ここは数年後、子供達が社交界に出てから舞踏会などがこの街で行われたりする際に使うことを想定してあります。ルードの場合は兄のように仕事の拠点にすることも考えられるから丈夫な家具だけを入れてあります。フィルはせいぜい旅行の際に泊まるとか、そういった程度だからその頃のフィルが使えそうな家具を入れてあるのですよ」

【この街では大掛かりな舞踏会が開かれることもあって、数年後、子供達が使うことを考えて部屋を用意してあったそうです。だけどルード君は仕事で使うことも考えて丈夫な家具を、フィルちゃんはせいぜい旅行の際の宿泊とドレスに着替えて舞踏会に出席することを考えての家具と、そういった違いがあるそうですよ】


 この地域で行われる舞踏会は、まさに恋の季節の舞踏会だ。よその虫が提供する客室に惑わされないよう、レミジェスはアレナフィルの部屋を調えた。


【そうでしたか。アレナフィルさんの部屋にはケレンルグフェンのライトがついているのに、アレンルード君の部屋はシンプルな天上埋め込み型だったので、女の子の方が大切に扱われているのかと思ったのです】

「フィルちゃんのライトはケレンルグフェンなのに、ルード君の所は天井埋め込み型だったから女の子が大事なのかって思ったそうだが」


 ケレンルグフェンは外国の有名なガラス工芸メーカーだ。

 熱狂的なファンもいるが、私には高いだけだとしか思えない。そんなものを子供部屋に取りつけていたのか、レミジェス。お前の経済観念はどこまで故障中だ。


「パピー、ケレンフェンってなぁに?」

「ケレンルグフェンは幻想的なデザインに特化した、外国の無駄に高いガラスメーカーだ。小さなテーブルライトでも、そこらのメーカーなら2ロン (※) 程度で買えるが、ケレンルグフェンなら最低5ローレはする。つまり値段としては最低25倍だな。私なら買わん」

「僕も、それなら2ロンでいいから、残りのお金でラケットとかが欲しい。それに天井埋め込み型の方がカッコいいよ」


(※)

2ロン=2千円

5ローレ=5万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として、2ロン=3千円、5ローレ=7万5千円

(※)


 いい加減まともな感覚を取り戻してくれ、弟よ。アレンルードだってこう言っている。


「女の子は大事にされていないと、それが自分の価値だと思ってしまいますからね。実家で低く扱われていると嫁ぎ先で辛いことがあっても我慢してしまいます。何かあったらすぐに戻ってくるようにという思いもあって、それなりのものを用意しているつもりですよ」

「ジェス兄様っ。フィ、フィル、やっぱり結婚するならジェス兄様っ。もうおうちから離れられないっ」

「ははっ。いずれ年頃になっても、うちより悪い待遇の所なんて行かなくていいからね。だってフィルは幸せになる為に生まれてきたんだから」

「ジェス兄様」


 腕の中にいる姪と熱く見つめ合い、その髪にキスしているヤバい男がいるのだが、それが弟だったりする時はどうすればいのか。

 テーブルライトですらその値段ならば、天井から吊り下げられている煌びやかなライトはいくらになるのかと、アレナフィルだって考える。レミジェスはいつだって姪に良い物しか用意しないのだ。

 たかが貴族出身というだけの寮監達にアレナフィルが何の魅力も覚えないわけである。

 私はもう考えないことにして新聞を広げた。

 こそこそとボーデヴェインが囁いてくる。


「ボス。あそこでとんでもない禁断の恋が始まってます」

「昔からだ。おかげでフィルはそこらの男なんぞ(はな)()()けない。レミジェスこそが、フィルの恋愛をぶち壊している張本人だな」

「ひどいですね、兄上。それでもフィルは、恋人にするなら兄上って言ってますよ」


 その会話内容をバーレミアスから説明されて、ユウトの眉間に幾つかの筋が生まれていた。

 ここまで家族に愛されているとなると、誰かに脅されてアレナフィルが利用されているとは考えにくいからだろう。

 どれ程に言葉を尽くして説明するよりも、現実を見た方が納得することはある。自分がそう思うからそうなんだといった漠然とした感覚は最後のもので、ユウトは恐らく基本的にデータを信用する人間だ。


(ケレンルグフェンを知っているならあのライトの値段も見当をつけたか。恐らく朝から色々なことを見聞きしながら推測を重ねていた筈だ)


 今、これだけの建物だというのに使用人を使わずに娘に食事を作らせるということは冷遇されていそうだと思いながらも、そこに悲愴感がないことでウームと悩み、更には物質的に愛されていることでウェスギニー家の資産はどれ程なのか、そこの娘とはどういう立場なのか、様々なことを考えているに違いない。

 いい家具が置かれた部屋など、ちょうどあったものを流用することだって可能だ。

 だが、私達でさえ知らない彼好みの味をアレナフィルが当たり前のように作り上げられる理由はどうやって説明できる? 

 冷遇されている子爵家の娘なら誘拐されたところで保護者が気づくのも遅れるだろうが、いなくなったと見るや、すぐさま軍を出動させる程に愛されている娘。政略結婚としての利用価値があるのならともかく、大事にしてくれない相手と結婚しなくていいと言い切ってしまう叔父。

 色々と考えずにはいられないだろう。

 そんな家庭から引き離そうものなら、どれ程の憎悪をアレナフィル本人からも向けられるかも。アレナフィルからの好意を望むなら、もう彼は誘拐という手を諦めるしかない。


(ウェスギニー子爵家の噂を仕入れたとして、いい噂など全くなかっただろうからな。どうしても疑わずにはいられないだろう)


 いつしかリビングルームには沈黙が満ちていた。

 幸せそうなのはレミジェスによしよしと肩や背中を撫でられているアレナフィルだけだ。

 やがてアレナフィルも周囲の沈黙に気づいたらしい。

 ハッと顔を上げて、きょろきょろと周囲を見渡し、少し考えて、レミジェスにきょとんと首を傾げてみせて、レミジェスからも同じように首を傾げられて、あれっと思ったようだ。

 

「そっ、そういえばレン兄様、姉様は?」


 特に通訳の必要もなさそうだと思ったらしいバーレミアスは本棚の本を幾つか抜き出してパラパラめくったり、戻したりとしていたが、呼びかけられて振り返る。


「ああ。自宅まで送ってくれるってことだったから任せてきた。一応、あのコテージ、あと三泊分は支払われてるってんで一人でも堪能してから帰るそうだ」

「戻らなくていいの?」

「俺がいると眠れないとか言ってたから大丈夫じゃないか? やっと書類を見ない生活だとか言ってたし」


 雑誌をぱらぱらめくっていたボーデヴェインが目も上げずに、

「旦那さんが眠らせなかっただけっしょ」

と、茶々を入れたが、誰もが聞かなかったフリをした。


「なんて哀れな姉様」


 その通りだが、どうしてバーレミアスが戻ることができないかといえば、通訳が必要だからである。

 アレナフィルはやっとそこに思い至ったようで、てくてくと私の所へやってきた。


「あっ、あのね、パピー。ごめんなさい、心配かけました」

「いいや。何でも偶然、フォムルの町で再会したユウトさんに、フィルがもっと性能のいい遊泳道具をねだったんだって? そこのユウトさんから話を聞いたが、彼は全て自分が悪いと言っている。サンリラでお前と出会った時からもっと一緒に話してみたかったので、再会した喜びについ連れて行ってしまったのだと。そのお詫びにと言っては何だが、あのサンリラのアパートメントにいた男達、そしてルードに、遊泳道具をくれるそうだが、・・・何でもそれは救助用どころか、軍が購入しているシロモノだそうだね。ウミヘビという名前が示す通りの兵器だとか」


 仕方ないといった顔になったバーレミアスが、ユウトに対して私達の会話を訳し始める。


「ふぇっ? へ、兵器じゃないよっ。だってあれっ、救助用で、そりゃ軍でも使えるかもしれないけどっ、あくまでみんながお水遊びする為のものだもんっ」


 そうだな。この子では兵器ですら平和な利用法しか思いつかないだろう。

 私は新聞を畳んでからアレナフィルに手を広げて、おいでと示した。

 いつものように私の膝に座って見上げてくるアレナフィルは、うっかりウサギなのだ。脳みそが小さいから仕方ないのだ。

 だから分かりやすいように説明する。


「初期のトビウオはそうだったかもしれないが、今や攻撃能力も有しているそうだ。あくまで彼が研究用として持っている物を渡すだけだからお金は要らないと言われたが、・・・フィル、どうして子爵家の娘を誘拐したとかいう彼が今、解放されて自由にしているかを考えなさい。お前は誘拐されていないと言う。そして彼もただお話をしたかっただけで、醜聞になるぐらいならお前と婚約するとまで言い出している。だが、そんなことは問題ではない」

「問題にならないの・・・!?」


 何やらショックを受けている娘がいるのだが、ウェスギニー家にとって大切な娘も、サルートス国といったレベルから見れば数えきれない程にいる少女の中の一人だ。


「わが国では流通していない兵器が手に入るんだ。ただ寝こけていただけの貴族令嬢の誘拐という罪で国外退去させるより、兵器を入手する方がメリットを見出せると考えることはある。・・・フィル、今回のことは無いことになった。あくまでそこのユウトさんは我が家の客人だ」

「なんと・・・! これが大人の政治的配慮・・・!?」


 普通ならここでなんという事態を引き起こしてしまったのかと、蒼白になるものだ。

 だが、うちのうっかりウサギは朗らかな笑みを浮かべてユウトを振り返った。


【よかったですね、ロッキーさん。トビウオ改良バージョンを渡すことでどうにかなったそうですよ】

【うん。昨日の内にそれで終わったんだけど、今、聞いたのかい? もしかして昨日、誰かに聞く前にもう寝ちゃってたのかい?】

【・・・子供は夜になったら寝るもので、朝ご飯はしっかり食べなきゃいけなくて、だから今聞いたというのは正しいことなのです】

【ひどいな。どうせ何も考えてなかったんだろう】


「フィルちゃんは、トビウオの最新版を渡すことで結果オーライ、最高だねと言った。ユウトさんは、それが決まったのは昨夜だけど今まで何にも聞こうとしなかったのか、まさか気にせず寝てしまっていたのかと尋ねた。フィルちゃんは、子供の健やかな成長に睡眠と食事は不可欠だ、後回しにされて当然だと言った。ユウトさんは、何も考えてなかっただけだろうと言った」


 アレンルードが、ユウトに対してとても憐れむような目になっている。

 まるで心変わりを悲しむかのような口調になったユウトが立ち上がり、アレナフィルの前までやってくると、さりげなく空いていたソファの所まで連れて行き、右手首から左手で艶消し加工された銀色の腕輪を抜いた。


【何してるんですか、ロッキーさん】

優斗(ゆうと)って呼び捨てにしていいよ、アレナフィル。君にはこれをあげる】

【そんな危ない物を持つ必要がないのですが】

【心配しなくても、これにもう危ない機能はないよ。昔は色々な機能を持たせていたけれど、私も成長したらどんどん小さくなっていって、結果として機能を取り外すしかなかった。だけどアレナフィル。今の君にはちょうどいいだろう。眠り薬と解毒薬が入ってる】


「フィルちゃんは、ロッキーさん何やってるのと尋ねた。ユウトさんは、ユウトって呼べばいい、これあげると言った。フィルちゃんは、危険物など要らないと言った。ユウトさんは、そこまで危険なものではない、眠り薬と解毒薬しか入っていないと言った」


 頼まれてはいないが、通訳した方がいいと思ったのか。バーレミアスがこそこそとレミジェスの近くで囁いている。つつつと、アレンルードもレミジェスの側に行った。

 アレナフィルの腕に銀の腕輪が通されたが、上腕部でもまだ緩い様子だ。


【世間一般の善良な生徒は、そんな危険なお薬を持ち歩かないのです】

【だけど誰かにさらわれちゃった時、服に隠れる部分にこれを装着しておけば、逃げられる可能性は高くなるよ?】


「フィルちゃんは、私はいい子だからそんなお薬は持ち歩かないと言った。彼は、誰かに誘拐された時にこれがあると逃げやすいよと言った」


 目の前で娘が誘拐犯から、誘拐犯から逃げる為の薬をもらっている。何の喜劇だ。

 しかも娘は説明されてしまうと惜しくなったらしい。


【入っているのは眠ってしまうお薬だけ、と】

【そう。先に解毒薬を飲んで、それから食べ物の入った鍋や水のピッチャーに眠り薬を放り込めばいい。五日間は目覚めない。十分逃げられるだろう】

【だけどこれをもらってしまったら、ロッキーさんの分は?】

優斗(ゆうと)だよ、アレナフィル】


「フィルちゃんは、眠り薬だけかと確認した。彼は、先に解毒薬を服用し、後は水の入ったピッチャーや鍋に放り込めば、他の人は五日間は目覚めない、その間に逃げろと言った」


 それは睡眠薬が溶けてそれを口にした人間が眠ってしまうのではなく、ガスのように立ち上るのではないか?

 誘拐されて、誘拐犯達が口にするものに手を出すことが可能とはとても思えない。この場合、水をかけたら反応する薬物ということだろうか。

 レミジェスが悩むような顔になっていた。


優斗(ゆうと)さんの分はどうなるんですか?】

【それは思い出の品だから修理しつつ使っていただけだよ。誘拐対策なら十分にしている】

【そうですか】


「フィルちゃんは、ユウトさんの分がなくなると言った。彼は、他にも持っているから大丈夫だと言った」


 さて、我が国の法律上、そんな薬物を所有することは許されるのか。

 このメンバー的に漏洩しそうにはないが、子供になんというものを渡してくれやがる。 


【せっかくのお気持ちですからもらってあげましょう。いつまでも過去に囚われて生きるべきじゃありません】

【うん。だけどちょっと緩いのかな。服の上からでも落ちてくるみたいだ。女の子なら腕章みたいにしておけば可愛いかなと思ったんだけど】

【大丈夫。女の子はすぐ大きくなるし、リボンで結んだ方が可愛いから】


「フィルちゃんは、そこまで言うのならもらってやると言った。彼は、ちょっと緩そうだね、腕章みたいになるかと思ったのだがと言った。フィルちゃんはリボンつけるから大丈夫と言った」


 バーレミアスは、本を読みながら小さな声で訳してくれていた。そしてアレナフィルは彼との会話に夢中というより、その腕輪に夢中で私達の様子を全く気にしていなかった。

 だからだろうか。

 笑顔で今度はこちらを振り向く。


「パ、・・・お父様。ユウトさんが、もう使わないからってこれをくれました。綺麗な腕輪。ファレンディア国では、これをつけてると災厄が逃げていくっていうお守りだそうです。ルードにだけ水泳グッズをあげるのは不公平だからって」


【フィルちゃんは、ユウトさんが不用品をくれた、この綺麗な腕輪はファレンディア国で災難を防ぐお守りである、ルード君にだけ遊泳グッズをあげるのは不公平だからだと、父親に説明した】


 腕輪に見入っていたアレナフィルは気づいていなかったが、ユウトはバーレミアスが訳し続けていることに気づいていた。そして自分の為にバーレミアスが訳してくれたことで、余計にアレナフィルに対して不信感を抱いたようだ。


(ちゃんと周りを見なさい。お前は言葉が分からないから何を言ってもばれないと思ってるんだろうが、バーレンはずっと訳し続けているだろう)


 その場にいた誰もが、大切なことを言わずに済ませようとした愚か者に対し、憐れみの表情になる。

 私も諦めという境地に至った。


「フィル。お前って子は・・・。まあ、いい。くれるというのであればもらっておきなさい。だけどちゃんと管理するんだぞ」

「はい。ちょっとぶかぶかなので、お部屋で適当なリボンとか使って調節してきます」


 ご機嫌で部屋にパタパタと駆けて行った娘は、ドアを閉めてから鍵を掛けたらしい。カチャッという音が響いた。そういう警戒心は立派だが、それ以前の問題が山積みだ。


「父上。フィル、もうおうちから出さない方がいいと思います」

「学校ではちゃんと監視の目があるから大丈夫だ。お外に行く時はお前がフィルと手を繋いでおきなさい」


 ウェスギニー家の跡取りがまともで良かった。

 アレンルードの頭を撫でる私を、ユウトが見ている。


「五日間も眠るとはなかなか危険な薬ですね。何故、娘にそんなものを渡したのです?」


【フェリルは、五日間も人が眠ってしまうような薬を渡すとはどうしてかと尋ねた】

【使いこなせるのかと思ったのです。だってその子はあれ程の装備を使いこなしていた。私はあの腕輪の使い方を教えなかった。それなのにどうしてあの子は部屋に持って行ったのですか?】


「ユウトさんは、ルード君があれ程の装備を使いこなしていたのだからフィルちゃんも使えるのかと思った、自分はあの腕輪の使い方を教えていない、どうしてフィルちゃんは部屋に行ったのだろうと尋ねている」

「それならこの場で使い方を説明してもらいたい」


【フェリルは、それならこの場で使い方を説明してくれと言っている】

【そうなのですが、・・・アレナフィルさんの部屋を開けてください。あの子は誰と繋がっているのですか】


「ユウトさんは、フィルちゃんの部屋を開けてくれ、誰にこっそり連絡しているのかを知りたいと言った」

「あの部屋に通話装置はない。娘の部屋に入りこもうというのは感心しない」


【フェリルは、あの部屋に通話装置はない、娘に手を出す気か、一昨日(おととい)来やがれと言った】

【そのような真似はしません。私はただ、彼女を私にぶつけてきた黒幕を知りたい。・・・それだけです】


「ユウトさんは、そうではない、自分はフィルちゃんの背後関係を知りたいだけだと言っている」


 要求は強気だが、彼の表情はとても頼りないものだった。

 彼の気持ちは分からないでもない。

 それなりに価値のある自分に対し、アレナフィルのような子供が接触してくるには誰かなりの思惑があると考えるのは妥当だ。問題は、保護者である父親、叔父、そして一番身近な双子の兄が、外国人である自分に接触させたくないと考えて行動しており、アレナフィルの暴走にしか見えないところだ。


(正解が分からずに戸惑うしかできないのだろう。何より私が全く彼を警戒していないからこそ、不安も抱いていた筈だ)


 仕方ないかと私は立ち上がり、ぽんっと彼の頭を撫でてみる。うん、別に可愛くも何ともないが、情を理解してやれない程、私も鬼ではない。

 海を渡ってまで姉の痕跡を辿りにきた青年だ。


「レミジェス。フィルの部屋の鍵を解除してやれ」

「はい、兄上」


 緊急時用に鍵を解除する方法がある。レミジェスによって鍵が外から解除されると静かに扉が開いた。

 椅子に座ったアレナフィルが机に腕輪を置いて中身を開け、ふんふんと鼻歌を歌いながら中に詰まっていた物を机の上に広げている。

 説明書付きのようだが、薬は一種類だけではなかった。他にも入っていたのが分かる。


【ありがとう、(かず)おじさん。優斗(ゆうと)をずっと守ってくれてたんだね】


 空洞になった腕輪にキスしながら呟いた娘に驚いたような顔になって、ふらふらとユウトが室内へと入っていった。

 唇を噛み締め、信じられないといった顔で。


【そういう名前なんだ? 誰に注文したかも分からなくて、恐らく愛華(あいか)が正規じゃないルートで作ってもらったんだろうって言われたよ。そうなると、もう追跡できなくてね。前センター長の人脈はあまりにもありすぎた】


 私はレミジェスとアレンルードを促し、リビングルームへ戻ることにした。

 二人きりでないと語れないこともあるだろう。小さな会社の事務員だったと語っていたアレナフィルの不自然さは、弟が兵器開発もしくは製造に関与していることで分かったような気がした。

 どこにでもあるような小さな工場でとんでもないものを製造していることもあると語っていたアレナフィル。それはそういうことではないのか。

 ユウトが後ろ手で扉を閉めて鍵を掛けた。


――― 綺麗な腕輪。ファレンディア国では、これをつけてると災厄が逃げていくっていうお守りだそうです。


 弟にとっての災厄、つまり危険を退(しりぞ)ける為、姉はお守りとして腕輪を用意し、贈ったのか。

 あの腕輪の開け方を知っているのは、それこそ製作者と姉、そして贈られた弟だけだったのだろう。


「父上。あれ、危険なお薬なんでしょう? 取り上げなくていいんですか?」

「どうせフィルは使わない。変な男に誘拐されたなら遠慮なく五日間ぐらい眠らせてくればいいだけだ。腕輪を寄越した相手に対して使った日には皮肉だな」

「それもそっか」

「お前も欲しいのか、ルード?」

「別に。フィルに何かあった時、それで時間を稼げるならそれでいいです。だけど、・・・・・・フィル、けっこう薄情ですよね。あれだけ貢がせといて黒幕がいるとか疑われてたぐらいに、あの人の気持ちなんて思いっきり無視ですよ、無視」


 アレンルードも、言葉は分からなくても気づいたのだろう。恐らくあの腕輪を開けられるのは家族だけだからユウトがあんなにも驚いた顔になったのだと。

 そして、そこまで大切な物をもらっておきながら自分からは何も言うつもりがなかったアレナフィルに対し、男としての正義感で思うものがあった。

 自分もまた兄だからこそ、妹に知らんぷりを貫かれたらどう思うかを考えたのかもしれない。


「そうだな」

「そういえば子供の頃もフィル、僕にいいこと言って習い事に行かせて自分はのほほんってしてた」

「・・・そうだな」


 アレンルードはアレナフィルを愛している。だが、そんなアレンルードもアレナフィルを全面的に信用してはいなかったのだと、私は知った。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 二人きりの室内でどんな会話があったのかは分からない。部屋から出てきたユウトは、いきなり私とレミジェスに対して好意的な表情を見せるようになっていた。アレンルードに対してもだ。

 その空気は伝わるらしく、アレンルードも身近にいなかったタイプの外国人に興味が出てきている。

 

(頼むからアレナフィルの養育費を負担するとか言い出さないでくれよ? これはもう二人の時間を持たせて、今はこれ以上引っ搔き回されないようにしておかないと。誘拐騒動の後始末だけでこっちは手一杯だ)


 せっかくおめかししたのだから昼食は食べに行こうと連れ出したものの、ユウトはずっとアレナフィルから目を離さなかった。アレナフィルの上腕部には服に隠れて分かりにくかったが、ピッタリサイズになった銀の腕輪がはめられている。

 通訳にバーレミアスではなくアレナフィルを使うようになったユウトだったが、アレナフィルも気にせず受け入れていた。

 バーレミアスはレミジェスの隣でこっそり通訳に励んでいる。アレンルードがユウトを受け入れた今、後はレミジェスの感情だけが不安材料だからだ。

 しかし私にとっては弟よりもこの外国人の方が不安材料だった。まずは落ち着かせた方がいい。


「フィル、街をぶらついてみたらどうだ? この辺りはおしゃれな店が多い」

「そうなの? 行きたいっ」

「駅周辺には特に店がある。お昼はそっちで食べてもいいだろう」


 アレナフィルを誘拐したユウトがカーテンを開けて窓からの景色を見せていたように、私もまた自由にさせることで彼の信頼をスピーディに得ることを選んだ。

 皆でアパートメントを出て付近を散策すれば、ヴェラストールならではの街並みが双子にとってはワクワクするものだったらしい。

 

「うわぁ。あちこちにドレスショップがある。冬のドレスってゴージャス」

「まだ夏だよ、フィル。それよりブーツが厚底でカッコいいよ」

「子供なのに厚底なんて足首ひねったら大変だよ、ルード。それより服だよ。厚手の生地だからストイックにいける」

「服より中身だってば」

優斗(ゆうと)もこっちの服見た? デザインがとってもおしゃれなのが多いんだよ、サルートスって】

【ビジネスなのにドレッシーなスーツが多いとは思ったね。それでも宝石とかバシバシつけないだけ革新的なのかな。国王が治めている国って衣装文化が華やかなところが多いんだけど】

【そーお? 学校にジュエリーつけてくる子もいるよ。私やルードはそういうのつけていかないけど、ペンダントタイプが多いの】

【盗難問題が出そうだね。ペンダントやネックレスなら大丈夫だろうけど。気に入ったジュエリーがあるなら買ってあげるよ】

【学校では男の子っぽくしてるからいらない。それよりこれだけ長くこっちにいたならお詫びの品ぐらい買ってきなさい。そういう心遣いがないと社会人としては駄目なんだからね】


 バーレミアスはレミジェスにそんな二人の会話内容を訳して伝えていたが、途中で馬鹿馬鹿しくなったらしい。再会した二人の会話があまりにもどうでもいいことだったからだ。


「なあ、フェリル。俺達、あのお子様達をまだ見てなきゃならないのか?」

「アレナフィルお嬢さんっていつでも偉そうっすよね」

「ちょっと別行動にするか。普段ならレミジェスに引っ付いてねだりまくるんだが、二人に分裂できない以上これが限界なんだろ」


 さすがに弟がいる場では、いつもの舌足らずな甘えん坊モードは忘れ去られるらしい。


「フィルちゃん。俺達ちょっと本屋行ってくるからお昼前にここで集合な。ルード君、そこの二人をちゃんと監督しといてくれ。そこのお兄さん、フィルちゃんの言いなりすぎて信用できない」

「それなら僕も叔父上と一緒がいいです、バーレンさん」


 監視役を押し付けられると見たか、アレンルードがむぅっと頬を膨らませた。バーレミアスは少し腰を屈め、アレンルードと視線を合わせる。


「いいかい、ルード君。ユウトさんはお金持ちで、フィルちゃんは()()ぎガール。そしてここは貴族の避暑地。ウェスギニー家の名誉を守れるのは君だけだ」


 アレンルードは私とレミジェスを見た。基本的に私は身内の者がアレナフィルに何かを買い与えることに対して関与しない。レミジェスのアレナフィルに対する財布の紐は常に緩みっぱなしだ。

 次のウェスギニー子爵としての自覚があるアレンルードはがっくりと項垂(うなだ)れた。


「そうだった。フィルってばとっても非常識な子だった」

「フィル、非常識じゃない」


 その気性から男に好かれやすいアレンルードだ。アレナフィルと一緒に育った双子の兄を邪魔だと思われるより、ユウトからの好感を抱かせた方がいい。

 ただの誘拐犯ではない優秀な外国人、それがユウト・トドロキだ。

 三人で買い物でもしてきなさいと別行動にしたが、それでウェスギニー家は二人が連絡を取り合うのを遮断する気はないのだと理解してもらいたい。


「ボス。本当に大丈夫っすか。なんなら尾行しときましょうか?」

「子供の買い物なんぞ見ててもつまらんだけだろうよ。それよりもさっさと打ち合わせよう」


 誘拐犯を放置して大丈夫かと問われたが、どうせ工作部隊の目はつけてある。

 室内スケート場で滑りながら打ち合わせすれば、周囲の耳を気にする必要もなかった。


「兄上。ケレンルグフェンはファレンディアでも売られているのですか? あんな遠くの島国まで輸出しているんでしょうか」

「あ、レミジェスさん。聞いたらユウトさん、サルートスに来たのは初めてでもこの大陸の他の国は来たことあるみたいですよ。ケレンルグフェンの本社で職場用の物を買ったことがあるそうです」

「そうでしたか、本社で。だから本物を見分けられたわけですね」


 商談用の部屋の内装として買い求めたらしいと説明するのを聞きながら、レミジェスが頷く。

 取扱店ではなく本社で購入できる時点で資本力のある職場なのだろう。


「出国したらそのまま放置ってことも考えられたが、あれだけフィルに執着してるとなればな。ウミヘビとやら、本気で寄越すつもりかもしれん」

「かなり所有しているようなことを言っていたのでは? 誘拐犯として国際手配されない為に渡すってことでしたよね?」

「いやいや、そう言って出国したら行方をくらますってことはあり得ますからね。空手形ってヤツですよ。ボスもそれでいいって思ってるから手加減してたんすけどね」

「ああ。ファレンディアの兵器はそうそう買い付けられるものじゃない。どうせなら陸上用のが欲しいところだが、ここはそういう欲は見せるべきじゃないな。あれはあくまでフィルがねだったから寄越すのであって、他の思惑なんぞ全く受け付けるものじゃなかろうよ」

「それならうちに招待しましょうか、兄上?」

「いいや、早急に帰国させた方がいい。あの会話を聞いていたメンバーを考えろ。フィルは目立ちすぎた」


 亡くなったと思っていた相手と会ったのだ。今は一緒にいたいという彼の気持ちは分かるが、今のウェスギニー家の状況を考えると、ユウトには早く帰国してもらいたかった。彼の保護までしていられない。

 大臣とやらを巻き込んだ商談をすっぽかせばいいと言ってのけられたのは、彼が異邦人だからだ。

 

「あの外国人も理解しているだろう。フィルに近づいただけで二度と会えないぐらいに商談を持ち込まれたんだ。ましてや兵器の譲受があるとかいう話まで出たら身動きが本当にとれなくなる」

「となると、誰もが納得する帰国理由が必要ですね」

「俺達の行方を聞き出す為に使った身分だけでも学校長が特別講演をと言った相手ですからね。俺も仲介させられるのは遠慮したいですよ」


 やがて買い物をしてきたらしい三人と合流すれば、アレナフィルはとてもご機嫌だった。

 買った物はコンパクトにまとめてもらったらしいが、それでも沢山の量だ。


「ここって外国の雑貨も沢山売ってるの。ボタンも彫りが入っててとっても可愛かった。クリスタルのビーズもいっぱい色があったんだよ」

「あんなの服についてたら邪魔なだけじゃないか」

「んもう。ルードはおしゃれが分かってないっ」


 そんな双子を、ユウトは物静かに見守っている。

 途中にある店を冷やかしながら多国籍料理の店に到着すれば、私達は二つのテーブルに分かれて座ることになった。


「ボス。これ、どーゆー組み合わせっすか?」

「大人組と子供組だな。食前酒を子供に盗み飲みされても困る」

「そーいやお嬢さん、前科がありましたね」


 四人掛けテーブルだったので、ユウトとアレンルードとアレナフィルの三人を別のテーブルにしたのだ。どうせ隣のテーブルなので目は行き届く。


「あ。ルード、海老と野菜どっちゃりのネバネバスープがあるよ」

「えー。そーゆーの海老に殻がついてるんだろ。面倒だよ」


 アレナフィルは外食の時、今まで食べたことのない物を選びたがる傾向があった。早速見たことないメニューを指差している。


「大丈夫。殻付きじゃない気がする。そこは自分の勘を信じていこうよ。・・・あっ、ここ、蒲公英(たんぽぽ)のお茶もあるっ。これも頼もうっ」

「少しはユウトさんの希望も聞いてあげたら?」


 訳の分からない外国人にむかついていた筈のアレンルードが同情してしまうぐらい、アレナフィルは自分の欲望に正直だった。しかもユウトの意見を一切聞かない。

 考えてみればそこまで物事に貪欲そうには見えないファレンディア人だ。姉がいつも先導してあちこち引っ張り出していたのだろう。


優斗(ゆうと)、海老のスープとタンポポティー、頼むけどいい?】

【よく分からないから任せるよ】

「大丈夫。それが飲みたいって言ってる。あ、夏大根のサラダもある。これも頼もう。豚と青菜の炒め物も美味しそうな気がする。ルード、豚、食べたいよね?」

「いいけど、ユウトさんにも聞いてあげたら?」


 ユウトの口調と表情から、アレンルードはアレナフィルに対して懐疑的だ。


優斗(ゆうと)、豚の炒め物だけどいいよね? 大根サラダで消化もばっちり】

【今はそこまで胃弱じゃないよ】

「大丈夫。とっても食べたい、楽しみだねって言ってる」

「・・・ねえ、本当に?」


 バーレミアスの通訳もアレだったが、アレナフィルも大概だ。言葉が分からないアレンルードも表情ぐらいは見えるわけで、アレナフィルをかなり疑っている。

 アレナフィルは一品料理を幾つか頼み、三人で分けるつもりらしい。


「私はAコースでいいか。レミジェス、適当に注文してくれ」

「はい。お二人はどうします?」

「俺はCコースで。Aはくどそうだ」

「そーっすか? 俺もボスと同じAで」

「私はDコースにしておきましょう。・・・すみません、Aコース二つ、CとDを一つずつ。食前にこの中サイズを一つ、食後にパセリティーを」

「かしこまりました」


 料理が運ばれてきたら子供達は賑やかに、コレ()っぱい、コレ甘いなどとやり始めた。


「ところで兄上、後で話があるとか言ってましたけど何なんでしょうね」

「さあな。本来は外国人の色男に(たぶら)かされた世間知らずな娘が愚かにも・・・というところだが」

「ボス。なんかあっち、どう見てもお嬢さんが仕切ってますぜ」

「あれじゃフィルちゃんが年上の外国人を誑かして、男が愚かにも・・・って感じか? この先が恐ろしいな、フェリル」


 双子はそっくりだから分かりやすいが、色合いを薄めたユウトとは顔立ちも雰囲気も何もかもが似ていない。

 三人で食べている様子はどう見ても引率者だ。双子の向かい側に座りながら、ユウトは何を考えているのだろう。


(日頃のゴロゴロ甘えておねだりするそれが薄れている。やはり弟の前では姉でいたいのか。しっかりしているところが出てきてるが、弟はそれに従っているというより、一歩引いて見守っている感じなのか? いや、観察しているのか)


 たまにちらちらと、ユウトが私に何か問いかけたそうな視線を向けてきている。

 何も言わないのは、通訳を介して尋ねられることじゃないからだろう。彼も考えている筈だ。私が小さなアレナフィルに何かをされたのではないかと疑ったように。

 ショックが原因で生まれ変わったことを思い出す? それなら世界中に様々な記憶持ちが溢れているだろう。

 体験したことのない記憶というのであれば、種族的な記憶というものが存在する。そして後天的に他の記憶を植え付ける手段もないわけではない。だが、この場合はあまりにもおかしすぎるのだ。

 当時の事情を聞き出すなら保護者である父親だと、彼は考えているに違いない。

 

(ファレンディア人だった頃のフィルについて調べるつもりはあった。ちょうどいい。私よりも詳細に調べ上げられるファレンディア人だ)


 どれ程に賢くてもアレナフィルはうっかりウサギだ。あの様子だと、ファレンディア人だった頃からそうだったと察せられる。

 いずれ私とユウトは話し合う必要があるだろう。ただし、私が知りたい情報を彼が調べ上げた後に。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 昼食後はせっかく出てきたのだからと駅に近いマーケットをぶらつきながら買い物をし、帰宅すれば咽喉が渇いたと、アレンルードがぼやく。


「なんであんなに買う必要があったのかな。別にご飯なんて毎回食べに行けばいいのに」

「いいじゃないっすか、アレンルード坊ちゃん。お嬢さんの手料理もいいもんですよ。あと十年後ぐらいに俺への愛に気づいてくれればサイコーっすね」

「ヴェインさん、そういう尽くしてくれる人は鬱陶しいとかって言ってなかったですか?」

「・・・坊ちゃんも大人になれば大人だからこその矛盾と葛藤を理解するようになるんすよ」

「そうなんですか?」

「・・・多分」


 レミジェスがフォムルから運んできてくれたカスタードプディングと果物、そしてアイスクリームを盛り合わせたものを、みんなにおやつだと言って出してきたアレナフィルだが、アレンルードの皿にはこれでもかとばかりにそれらが彩りよくふんだんに載っていた。

 それを見た途端、誰もが賄賂だと察した。アレンルードもだ。

 

「つまりフィルは僕が怒るようなことを言い出すんですね、叔父上」

「しっ。気づかないフリしておいてあげなさい。フィルなりに考えたつもりなんだよ」


 子供が狂喜乱舞して喜びそうな豪華デザートに、アレンルードは現実を把握しようと呟く。姪を愛しているレミジェスは、甥に配慮を求めた。

 アレナフィルの行動は分かりやすい。

 お菓子をもらったら子供は嬉しい。だから賄賂になると信じている。つまりこの後のアレンルードの発言をおやつで封じ込める気だ。

 アレナフィルの思惑は常にあからさますぎて、誰もが罠だの嘘だの詐欺だのと怒る気にもならないくだらなさである。


「ボス。やっぱりお嬢さん、面白すぎないっすか?」

「いいんだ。うちからもう出さないから」


 ボーデヴェインの憐れむような眼差しが私にまで向けられた。

 紅茶のポットを取りに行っているアレナフィルだが、巻きこまれたバーレミアスの苦悩も深い。

 ユウトから何やら言われたバーレミアスの表情は固まっていた。


「はい、みんなにも紅茶なの。フィルね、とっても美味しく淹れられたんだよ」


 素敵なティーポットだとむふむふしていたアレナフィルは、早速それを使っている。カップに注ぎ入れられた茶の香りが馥郁たる余韻をテーブルに漂わせた。

 私は知っている。このとても高い紅茶の葉をアレナフィルがマーケットでこっそり買っていたことを。

 それはレミジェスが実は一番気に入っている紅茶だった。

 皆にもアイスクリームとカスタードプディングとフルーツの盛り合わせはそれぞれに少し深さのある皿に盛られて出されている。アレンルード程に豪勢ではないが、それを見ていなければ十分に豪華だ。

 つまりアレナフィルはレミジェスとアレンルードが強敵だと踏んだわけである。父親とは寂しい立場だ。

 

「あのなぁ、フィルちゃん」

「レン兄様が言う方が説得力あるんだもん。お願いっ。ねっ?」


 部屋の隅でそんなやりとりをこそこそとやっている子ウサギがいるのだが、ユウトの笑いを堪えている表情を読む限り、ファレンディア人の時からそうだったのか。


(訳の分からない外国人の少女だと警戒しつつも放置できず、処理したい気持ちと手放したくない気持ちとでうだうだしていたが、正体を知ってしまえばあの中身が変わってないことが嬉しいんだな)


 ユウトはアレナフィルをずっと見ている。一つ一つの思い出を辿るかのように、その笑い方、考え方、やることなすこと全てを。

 双子の兄という存在には複雑な感情もあるようだが、排除したいわけではなさそうだ。昼食時もお互いに気を遣って調味料や水のピッチャーなどを言われる前に回していた。

 そして誰もが何を言い出すのかと思っているところへ、席に着いたバーレミアスが嫌そうな顔で口火を切る。


「こちらのユウトさんに言わせると、フィルちゃんと結婚を約束したので、まずは帰国して、その証となる贈り物を手配すると、そう言っているわけだな」

「えーっと、その贈り物とかそういうのは脇に置いておいて・・・。ちょっとね、フィルね、ユウトさんと半年だけ婚約するの。あ、だけど半年後に解約するんだよ。その半年の婚約期間にね、ウミヘビっていうのを贈ってもらうってことでお話つけたの」


 その兵器とやらにしても売国問題が出ないかどうかを考慮しなくてはならず、実は繊細な問題だった。

 それだけに私も眉間に指を当てて悩まずにはいられない。

 何が姉弟で婚約だ。そりゃ今は赤の他人だが、そうなると本当に結婚までいくことが可能じゃないのか?


「フィル・・・。動く前にまず相談しなさい。大体、そこまでして欲しい物じゃない。お前が犠牲になることなど何一つないんだ。お前がユウトさんを犯罪者にしたくない様子だったから、こっちも適当に辻褄を合わせただけだ。私はお前に我慢させたり、犠牲にさせたりするつもりはない」


 頼むからこれ以上引っ掻き回さないでくれ。

 お前が無理なく以前の弟と交流できるように配慮しようとしていれば、なんでお前はわざわざ面倒くさい関係を持ってこようとするんだ? 


「あのね、パピー。そんなんじゃないの。ユウトさん、フィルの婚約者ってのをやってみたいだけだから、半年で自動解約だからかまわないの。どうせフィルの生活、それ関係ないし」

「えーっと、アレナフィルお嬢さん、その婚約って意味あります?」

「気にしないでください、ヴェインお兄さん。世の中には意味がなさそうなことに意味を見出して生きる人もいるんです」


 ボーデヴェインが常識人に思える日が来るとは思わなかった。長生きはするものだな。

 アレンルードに至っては、妹に変な虫がついたと怒る以前の問題として、非常識な生き物が二頭もいるといった顔になっている。


「叔父上。半年後に自動解約される婚約って、僕、初めて聞きました」

「私もだよ。思いついたのはフィルだろうが、婚約届にしても外国人とでは届け出が受理されるのもかなり面倒で、その手続きで半年が経過する」


 レミジェスの返答に、アレンルードは自分の感覚が正しかったと納得したようだ。

 サルートス国では子供の人権にも配慮がされる。未成年の婚約届は幼ければ幼い程、慎重な調査が入るのだ。

 本来なら、何があろうとアレナフィルの婚約など認めないと騒ぎ立てそうな二人が騒がないのは、私がユウトをアレナフィルの家族であると明言してしまったからだろう。

 どうやったら自分達とは他人だけどアレナフィルとは家族というものになれるのか、興味津々だ。

 詳細について今は話せず、そして他言しないようにと伝えてあるせいか、それぞれに謎を解こうといった気分も生まれている。


「大丈夫、ジェス兄様。サルートス国に婚約届は出さないの。あくまでファレンディア国に提出するだけだから。ちゃんと婚約届と半年後の婚約解消届。同じ日に提出しても大丈夫なの。そうしたらその半年間は譲渡とかにも税金がかからないの」

「・・・なるほどな。つまり、そういうことか」


 要は偽装婚約だ。法律の抜け穴をアレナフィルは突こうと思ったらしい。

 さすがに同じ日に提出というのはまずいと思うが、そこは提出するユウトが配慮すればいい。


【ええ。ウミヘビを無料であげるとは言いましたが、運搬を委託する以上は金銭的価値を記載しなくてはなりませんし、その税金がかかります。ですが婚約者への贈り物であれば、ファレンディア人になる予定の女性に対するそれですから婚姻関係に準ずることになり、税金がかかりません】


「ユウトさんは、ウミヘビをタダであげるのはいいが、国際間の運送を手配する以上、中身と価格は記載しなくてはならず、贈与もしくは販売どちらでも税金もかかる。だが、外国に暮らす婚約者への贈り物ならば婚姻関係に準ずるから私物となって税金がかからないと言っている」


 ユウトの言葉を通訳しているバーレミアスは、アレナフィルから説明を強要されたといった気分らしく、かなり嫌そうな顔だ。反対にアレナフィルはバーレミアスが通訳してくれていることで、自分の味方が増えた気分らしい。

 

「聞いたらね、大臣様が持ち掛けた商談にしても、ファレンディア人の作れる人をサルートス国に連れてこないと工場ができないでしょ? だけどそういうのって、ファレンディア人の工場の人が嫌がったら終わりだし、ユウトさんもまずは帰国しないと何も言えないみたいなの。それに、そういう取り引きは専門の部署があるんだって。だから商談なんてしても意味ないみたいなの。それならもう、色々と迷惑かけちゃったし、ウミヘビだけまずはもらった方がいいかなって・・・」


 娘よ、そのウミヘビがどうこうというのは、お前がみんなを黙らせる賄賂として考えついたもので、私達から欲しいと言ったことはない。くれるなら喜んでもらいはするが、だからこそお前は深みにはまりこんだのだと理解すべきだ。


【勿論、可愛らしい婚約者の為ですから、帰国次第、すぐに発送手配はさせていただきますよ。たとえ半年で私を捨てる薄情な婚約者であってもですね】


「たとえフィルちゃんに半年で捨てられると分かっていても、帰国次第、すぐに発送手配すると、ユウトさんは言っている。うん、半年でユウトさんを捨てる薄情な婚約者でも可愛いから仕方ないって言ってるな」


 うちの娘があまりにも男を使い捨てていく件について、父たる私は誰に相談すべきだろうか。

 実は高い買い物をしたい時と寂しい時だけ呼び出される都合のいい男なのかなと思っていたレミジェスと、王子エインレイド達に気に入られてしまうようになった初対面からのアレコレをグラスフォリオンから聞き出していたアレンルードが、アレナフィルに対して疲れきった眼差しを向けている。

 それで得する人間はアレナフィルしかいないからだ。

 

「何故、二人きりで寝室にこもって話し合っていたと思ったらそういうことになるんでしょうね」

「ジェス兄様。場所がどうであろうと、人は大切なものから目を背けられない。税金はとても高いの。そしてフィルもユウトさんも、お金は大事って思ってる」


 要は自分の物を移動させるのにどうして国へ金を払わなくてはならないのかと、二人は思っている。弟の物は姉の物。弟が姉に何を渡したところで自分達の勝手だ。そういった感覚なのだろう。

 赤の他人として考えたなら色々とおかしいことも出てくるが、姉弟間のやりとり、もしくは融通だと思えばそんなものだ。

 私とて自分の持っている何かをレミジェスにあげるとして、そこで国へ税金なぞ払う理由がないように。


(小さな会社の事務員だったと言いながら、弟に爆発物を渡していたのがアレナフィルだ。どうも常識を期待できん)


 こっそりとバーレミアスが眠り薬入りの腕輪のどこが凶器なのかとアレナフィルに尋ねたところ、以前はもう少し幅広で爆発物も取りつけられていた腕輪だったとか。そんな物騒なシロモノを弟の為に作らせて贈ったのがアレナフィルだ。

 シスコンだった弟が怖いと言いつつ、見つかってしまえばそれなりに仲良くやっているのだから都合よく弟を利用していたのだろう。

 しかし弟も利用されるばかりではないようだ。


【アレナフィルは私を利用することしか考えていませんからね。まあ、いいでしょう。婚約者であっても、ファレンディア国で届け出を出したならば、準ファレンディア国人として扱われます。手続きもかなり簡略化してもらえるでしょう。外国人にはなかなかしてもらえませんが、そういうメリットはありますよ】

【ええっ、何それっ】


 外国人だと何か面倒なことがあるのかと、アレナフィルが早速食いついている。せせら笑うかのような表情で見下ろす淡いグリーンの瞳は、愚かなサルートス人の少女より優位をとった自信からか。


【当たり前でしょう。外国人はその身元や思想をチェックする為に、入国時に隔離地に10日間、留め置かれるのですよ。だけどあなたとあなたの同行者は、あなたが婚約者としての身分証を持つ限り、それを免れるわけです。ああ、とりあえず婚約期間は半年でしたね、アレナフィル】

【・・・・・・・・・】


 物をもらったら終わりにしようと思っていたアレナフィルに対し、これから半年間しかそのメリットは提供されないのだと告げるファレンディア人は、かつての姉のことをよく理解しているようだ。

 ぐむむむと、アレナフィルの顔が歪んでいる。


【言うまでもありませんが、外国人は利用できない公共交通機関もあります。観光地はそうでもないですが、観光地以外はかなり厳しいでしょうね。ああ、婚約者としての身分証を持っていれば話は別ですよ】

【・・・・・・・・・】


「ユウトさんは、フィルちゃんは自分を踏み台にして、ファレンディア準国民としてのメリットを使いまくればいいさと言った。フィルちゃんはどれだけ優遇があるのか尋ねた。ユウトさんは、外国人がファレンディアに来た時は10日間の隔離及び思想チェックがあるが準ファレンディア人なら同行者も含めてスムーズに入国できるし、観光地以外の外国人訪問は本来難しいが、婚約により公共交通機関も使って好きに移動できる、ところで婚約期間は半年でいいのかと、言った」


 観光地以外は身分証が必要とは思わなかった。

 私達と同じように驚いているアレナフィルだが、何故知らなかったのだ。いや、身分証を提示すればいいだけなら、何も気づいていなかったのかもしれない。

 たしかアレナフィルはバーレミアスに語っていた。

 地域的な発音だけで、よそ者かどうかが分かると。それはそういうことではなかったのか? ただ、アレナフィルが分かっていなかっただけで。

 考えてみればファレンディア国はその技術こそが国を支えている資源。


(あのな、フィル。お前、リーナが彼の姉とお友達だったとかいうの、そもそも無理がある話すぎたんじゃないのか? どうやったら外国人旅行者がそんな国の女性と友達になって家まで遊びに行けたんだ? そりゃ外国であろうと弟だって乗りこんでくるだろうよ。意味不明過ぎたんだ、お前のやったことは)


 今、ユウトは言外に、アレナフィルの亡母と自分の姉が友達だったというのは不可能だと告げたに等しい。

 つまりこの婚約にしても、あくまでアレナフィルが望んだから応じてあげただけだよと、そっちのスタンスを取ったのだ。変な疑いを掛けられたくないのだろう。

 私やレミジェス、そしてボーデヴェインがそれに気づいているというのに、10日間の隔離生活しか気にしていないアレナフィルは、どこまでもうっかりウサギだ。

 ウェスギニー家の未来はお前にかかっている、アレンルード。


【その10日間、ファレンディアの美味しい料理が出てくるとか?】


 こちら側の考察に気づきもせず、かつての弟に負けたくないアレナフィルは隔離期間におけるメリットを考えていた。


不味(まず)くはないと思うけど、ちゃんと食堂でお金払わなきゃいけなかったと思うよ。遊びに来てくれと外国から招いた学者がいたんだが、最初は観光で来ましたとか言ってて食堂の食事が有料だったけど、やがて色々な会話の中でうちが招いたと知られたらいきなり部屋のグレードが上がって豪勢な食事が無料で提供されるようになったって言ってたから。そして発行された身分証も公共交通機関全てパスってことになってたしね。私も知らなかったが、高速トンネル急行は基本的に外国人不可だったのさ。だから喜んで乗りに行ったよ】

【ええっ。全員無料じゃないのっ!? それに高速トンネル急行なんて私だって乗ったことないっ】


 どうやら公共交通機関に関してもサルートスとはシステムがかなり違うらしい。しかし姉の威厳も何もないな、この二人。弟の方がしっかりしてないか? そりゃ今は弟の方が年上だが。


【毎月の無料乗車分、使い果たしていただけじゃないか。お金払えば乗れたよ】

【お金は大事なんだよっ】


「フィルちゃんは、その10日間の隔離生活は快適かと尋ねた。彼は、食堂は有料だが、ファレンディア国にとって利益をもたらす人間だと分かったら無料となり、待遇も変わるし、入国後も外国人不可な乗り物に乗ることができると言った。フィルちゃんは、差別だと言った。ユウトさんは、国が国の利益を考えるのは当然だと言った。フィルちゃんは、サービス精神が足りないと言った」


 私も決意したことがある。

 ファレンディア国についての情報収集は、アレナフィルではなくユウトから行うべきだと。

 私達がアレナフィルに何も言わずにすませているように、ファレンディア人だった頃のアレナフィルも周囲からそうやって守られていたのかもしれない。

 だとしたら彼女の常識はファレンディア国の常識とは限らないのだ。今のアレナフィルの常識が、サルートス国の常識ではないように。

 かつての弟から物だけせしめて婚約解消するつもりだったアレナフィルは、ついに自分への執着を抱いている男へ負けを認めていた。


【その婚約期間、三年間でお願いします】

【ふふ、別に種の印が出てからのことも考えてもっと長くてもいいのですよ?】


 未成年だからこそ婚約であって成人してしまえば婚姻届けだ。何なら婚姻届を出してもいいと微笑むファレンディア人と、かつての弟から自分の思考まで読まれていると察しているアレナフィル。


【三年以内にお金を貯めてファレンディアに行って、その足で婚約解消してやるっ】

【頑張ってくださいね、アレナフィル】


 半年あれば十分だという本来の予定を捻じ曲げて、アレナフィルは彼と三年間の婚約を了承した。

 勿論、それはサルートス王国では認められない。だが、ファレンディア国に行った時には有効なのだ。


(ファレンディア人だった頃のフィルはかなり色々な職業に就き、そこそこ人生経験がある筈だったんだがな。そりゃ今だってクラブメンバーに勉強を教えて、料理もできて、書類仕事や秘書作業も有能っちゃ有能なんだが、その根本がなぁ)


 今は未成年のアレナフィルは、保護者の管理下にある。

 いずれ成人した時、この子はどちらの国を選ぶのか。三年間としたのは、未成年の間に全てを終わらせるつもりだからだろうが、かつての弟がどう出るのかは不明である。





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