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47 アレンルードは早く大人になりたい



 大人っていう生き物は、子供に対して「あれしちゃ駄目です」「これしちゃ駄目です」を言うのが仕事だと思ってるんじゃないかって僕は疑っている。

 まあ、聞いてくれ。

 僕の名前は、ウェスギニー・インドウェイ・アレンルード。寮監をしている先生や友達はアレンって呼ぶし、家族はルードって呼ぶ。

 今はフォムルっていう町に来たところだ。夕食は(いのしし)だとか(きじ)だとか、ちょっと珍しいお肉が出てきた。どれも美味しかったし、夜食も用意しておいてくれるって約束してくれた。

 スチームサウナとかいうのも入ってみたけど、死ぬかと思った。何なの、あの水蒸気。それなのに叔父は平気そうな顔をしていた。今度は負けない。

 違う階に泊まっている父と妹は仲良く過ごしている筈だから、ちゃんと僕は昼寝もしておいたことだしと、明るく照らされたグラウンドに来てみた。やっぱり夜のグラウンドってちょっと特別感がある。


「叔父上。あのよく跳ねるボール持ってくればよかったよね。フィルもやりたいんじゃないかなぁ」

「こらこら。家に帰るまで気づかれない訓練だろ。とりあえずサークルゴールでやってみようか」

「うんっ」


 うちは父子家庭って奴だ。父親が自分の妹ばかりにかまけていたら、兄の僕だってぐれそうなものだけど、そうならずにすんでいるのは叔父のおかげだ。でもって反対よりいい。

 これで父が僕、叔父が妹の相手をして育っていたら僕の人生お先真っ暗だったね。思考回路がおかしい父と違い、叔父はいつだって僕の目標なんだ。


「ええーっ。叔父上、どうやったらそこまで高く打ち上げられるのさっ」

「慣れだなあ。このサークルを気にせず、ちょっと練習してみようか」

「えっと、何なに? 何かコツってのとか、そーゆーの関係ある?」

「勿論。よく見てろよ? これがまっすぐ打ち上げる時。・・・で、これがルードの打ち上げ方」


 膝でボールを上方に蹴り上げるのだが、何が違うのか。


「えーっと、も一回やって、も一回。何かが違うのは分かるけど、何が違うのか分かんない」

「はいはい。ほーら、じゃあもう一回やってみるぞ?」


 叔父はスポーツ全般が得意だ。やればできるっぽいのにルールも何も知らない父とは違う。

 うちの妹も体を動かすのは得意だけど、全身を満遍なくがどーのこーのと、裏庭でロープにぶら下がりながら体をくねくねさせていることが多い。だからここには来ないだろうと分かっていた。

 泥汚れとかあまり好きじゃないんだよね、アレナフィルってば。虫も好きじゃない。


「なんだ、アレン。まっすぐ蹴り上げたいのか?」

「あ、フォリ先生。えっと、あっちに円模様、描かれてるじゃないですか。あそこをボールを蹴り上げながら一周するって奴で、ボールをなるべく高く蹴り上げて、更にその回数が多い方が勝ちってやろうと思ったら、叔父上ってば進んでるように見せかけて実は動いてないってのをあの高さでやるんです。ひどくないですか? だから教わってたんです」

「ルードはいつだって我慢しきれず動いてしまうから、足踏みそのものが苦手なんですよ」

「へえ、意外だな。思ったところにパスできるから得意だと思ってたぞ」

「ルードは狙いを定めたら得意なんですけどね。目的なしにそこで待ちの姿勢とかが性格的に合わないんでしょう。苛立ってすぐに動いちゃうんですよ」


 叔父とフォリ先生が話し始めるが、他の寮監をしている先生達がそこにあったボールを試しにと蹴り上げ始める。


「あの高さまで膝で蹴り上げるとなると、けっこう筋肉使うな」

「アレン、あれは無理じゃないか?」

「いやいや、努力があればどうにかなる。うん、大丈夫」

「いや、無理だろ」

「お前の叔父さん、学生時代かなり鳴らした人だぞ」

「あと五年後に追いついてりゃいいだろ」


 寮監してる先生達とは世代が違うのにどうして知ってるのかと思ったら、親戚のお姉さん情報だとか。親戚のお兄さん情報じゃないの? いいけど。

 合計七人になればパスごっこしながら体も動かせる。

 だけど泥だらけになりたくないからラケットを使うものにしようと言われてしまった。

 シャワー浴びればいいだけなのにと思うけど、どうせプロテクターの練習前の時間潰しだし、服をあまり汚したくないらしい。そんなものなの?


「そんでこれがシャトル二つ使った、両手ラケットゲーム。父に教わったんですけど、シャトルを増やしていくと、わざと一人に集中砲火してきたりしたらすっごく面倒なんですよねー。父と叔父はボールでもやったりするんですけど、フィルは女の子だから当たったら危ないってことでシャトルだけなんです」


 仕方ないから僕が両手にラケットを持って、叔父と一緒にそれを実演してみせたら先生達が憐れむような眼差しになった。

 このホテルはかなりゲーム用具が揃っている。もしかしたらそれでこのホテルに決めたのかもしれない。大体、お風呂になんてそういつまでも入っていられないよ。


「先生? どしたんですか?」

「いや、アレン。お前、父親に騙されてるとか利用されてるとか思ったことないか? それ、遊びじゃないだろ」

「うちの父親、僕を利用したりはしませんよ。自分で動いた方が早いと思ってますから。叔父のことは利用しまくってますけど」

「兄の為に弟が動くのは当たり前だよ、ルード。兄上は昔からそういう優しい人だ」


 なんかフォリ先生が疲れたように尋ねてきたから、僕は真実を答えた。騙されているとしたら叔父だろう。いいように使われてないかなって、僕は叔父に対してたまに同情する。

 そんな僕の肩を、フォリ先生は深刻そうな顔でぽんっと叩いた。


「アレン。たしかに大佐は愛情が溢れすぎた人だ。だが、思い出せ。お前はエリーの護衛業務を学校生活のついでに押しつけられるのがイヤで男子寮に入って、それでもやっかまれないように距離を置いてたんだよな? それなのに今、なんでエリーが一人暮らしした時の行き帰りをさりげなく見守るどころか、こんな物騒なもんまで揃えられてるんだ? お前でも使えるプロテクターじゃなく、お前サイズのプロテクター。しかも前もっての意見を聞いてもいない。おかしいだろ? な?」

「え? それはフィルが・・・」

「妹を守る為にあそこまでの装備が必要だと本気で思ってるのか、お前は。危険なんてせいぜい声かけてくる男程度だろうが。それぐらい、あいつは自分で逃げてくる。しかも両手でラケットを使えるようにって、つまり両手どちらでも戦う為の訓練じゃないか。お前、軍に入る気ないんじゃなかったのか」

「そ、それは・・・いや、今も入る気はないですけど、強くなりたいってのは別ですよねっ?」

「限度があるわっ。これじゃお前、近衛すっ飛ばして部隊行きだっ」


 フォリ先生は僕をいずれ自分の部下に持ってきたいらしいけど、僕が違う進路を選びたいならそれを応援してくれると言った人だ。だからちゃんと僕の立場に立った意見を教えてくれる。

 やっぱりそういう懐の広さがあるんだなって実は思っていた。

 他の寮監先生より、やっぱりフォリ先生が一番信用できる。

 僕はちらっと叔父を見た。


「多分、兄上は何も考えてないと思うよ、ルード。単にお前が強さに憧れているみたいだから遊ばせながら鍛えておくかといったところだろうね。そもそも兄上はお前がどの進路を選ぼうと、そうかで終わるよ。私が軍に入った時も、私が乗りこむまで知らなかった人だからね」

「無関心なのはどうかって思います、叔父上」

「お前もいつか分かるさ。兄上はお前を愛している。そして実戦部隊には引っ張らないだろう。あれはかなり危険な工作を請け負う部隊だからね。フィルはお前が危ないことをするのは絶対に反対するだろうし、兄上はフィルのおねだりをほとんど叶える人だ」

「叔父上。父上の僕に対する愛が見えません」

「見えないぐらいに大きく広いんだよ、きっとね」


 それ、見えないぐらいによそまで広がって薄くなってるだけじゃないの? 薄まりすぎてもう存在してないと思う。

 そうこうしている内に、オーバリ中尉達がやってくる。

 なんか難しい話になるけど、フォリ中尉はこういった王宮から派遣されてきている使用人達がうろうろしている場所では、ある一定時刻より遅くなったら、フィルみたいな子供であろうと女性と共にいるのは全て報告されるのだそうだ。その場に他の男性達がいても関係ないらしい。

 だからさりげなく夕食時刻を早めて、それ以降の遅い時間は会わないようにしているんだって。

 アパートメントとかならどうにでもごまかせたことが、ここでは無理らしい。偉い人だからこその不自由さを僕は見た気がする。


「けっこう明るいんでびっくりしましたよ。こんな田舎で凄くないっすか」

「今はただのグラウンドだが、温室を設置し、夜でも明るい光に照らされ、花々の咲き乱れる中を散歩できるといったことを考えているそうだ。暗いと変なことを考える奴が出るが、昼間のように明るければ抑止力になるだろうと」

「へー。ま、まだ建設はされてないし、木々もそれなりにあるし、これならいけるかな」


 一緒に来たネトシル少尉が説明しているけど、本当に明るい。そうだよね。夜だからさっさと寝ろって言われても、折角旅行で来ていたらどうしても夜更かししちゃうよ。

 だけどさ、オーバリ中尉とネトシル少尉ってばなんでそこで他にも赤いプロテクター、台車で持ってきてるの? 


「せっかくだから十人分、借りてきちまいましたよ。あ、こっちは返却しなきゃいけないんで今夜だけっす。明日の昼過ぎまでには返さないとまずいんで。夕方にチェック入るんっすよ。なくなってたら始末書モン」

「なんでこんなにあるのか分かんないけど、ヴェインさん、誰から借りてきたのか聞いてもいい? この赤もかっこいいね」

「やだなあ、坊ちゃん。それは聞かないお約束ですよ。といっても借りてきたのは新人の練習用ですからね。戦うんじゃなけりゃ、屋上にある柵や街路樹、建物の反射を使って空中を跳んだりするのは注意を忘れず、連携が取れていればそこまで難しくないんすよ。でも新人用だから、目立つよう赤色なんです」


 お調子者のフリしてるけど、オーバリ中尉はいい人だ。三つしかなければ、動ける人は三人だけで、他の人は待ちぼうけになってしまう。それを考えてくれたんだね。

 だけどなんでそれが可能だったのかが分からない。どこにあったんだろう。この近くに基地とかがあるんだろうか。

 そういうことならと、離れて警護している近衛の人達も寄ってきた。


「俺が持ってきたの、ボスにも内緒にしといてくださいよ。ま、これでフォリ中尉が試す時でも護衛さん、何人かはついていけると思いますけど、縦横無尽に跳ぶことができるからって、それやって同士討ちしたら馬鹿すぎますんで、ちゃんと隊列組んで動いてください。自信がない時は地上から見学しといた方がいいっす」


 新人の練習用だからオーバリ中尉のダークブラウンのプロテクターや、先に渡されていた三つに比べてワイヤーや噴射のスペックが劣るらしい。


「なんで父にも内緒にしなくちゃいけないんですか? ほかの人も助かっていいことですよね?」

「そりゃこちらの方々にとっちゃいいことでしょうが、どこにでも品性下劣な奴はいるってもんで、ボスも融通する相手は選んでるんっすよ、坊ちゃん。後になって、あの時してくれたじゃないかとか、そんなウダウダぐちぐち泣きついてくる奴の相手なんざしてられねえんですね。今回もフォリ中尉だからこんだけ用意してくれたわけで、それも俺が坊ちゃんを教えるついでにフォリ中尉やネトシル少尉やレミジェス様がいざとなれば王子様の為に動けるようにという程度の配慮です。だけどそこまで。あくまでボスがその権限で配慮するのは第二王子殿下の護衛状況の厚みを増やす程度の対応までなんです」

「・・・難しい事情があるんだ」

「他の基地や王宮のそれは別分野の指揮系統っすからね。ボスは口出しも手出しもしません。いないものとして扱います。けど、それはそれ。護衛業務でありながら護衛対象についていけない悔しさも分からんではないんで、ここはこっそり俺が融通しときますが、あくまで俺の個人的なそれで変な裏切りかましてくれるなら二度としませんよってことっす」


 本当はこのプロテクターを使う前に自分の体だけでかなり動けるように鍛えられるそうだ。だけど僕は別に戦うわけじゃない。逃げる手段として使いこなすようにと言われた。


「たとえば夜間、何か襲撃とかがあった際、坊ちゃんは王子様と一緒に逃げることだけ考えてください。戦うのは大人に任せて。いいっすね?」

「・・・はい」


 まずはこのプロテクターを使いこなし、その後は土の入った大きな麻袋を抱えて動けるように訓練していくんですよと、オーバリ中尉が教えてくる。

 プロテクターから伸びるワイヤーがくるくると巻きついた木々の枝を利用して、ワイヤーを巻き上げながら空中を飛んだり、左手と右手と違うものにワイヤーを時間差で巻きつけては空中を移動したりとするそれは、かなり楽しかった。けっこう失敗して落ちちゃったけど、怪我もしなかった。

 

「周囲を見てねえと、何かに激突して墜落しますからね。鳥とかが飛んでくることもあります。また、他の奴と同じ方向に向かっていたら追突だってします。全方向に注意して」


 怪我人な筈のオーバリ中尉はかなり手慣れたもので、僕が見えてなかった小枝とか、直前で撃ち落としてくれた。一人だけそーゆー撃銃やウォーターカッター使ってるのずるくないかなって思ったけど、さすがに僕も実力が違うのは分かる。どのプロテクターにもそういう武器は取り付けられていなかった。たしかにこの動きは予測しにくい。


「使いこなすなら、ボール遊びも一つの手ですよ。ボールをワイヤーで弾き飛ばして、お互いに打ち合うわけっす。ソードをラケット代わりにしてもいい」


 けっこう楽しかったんだけど、僕は途中で、

「子供はもう寝る時間だ。汗を流してから軽く夜食を食べて休みなさい」

と、言われて叔父と一緒に戻って休むことにした。

 明日は山を一つ入山禁止にしてあるから、あのプロテクターを使って練習していいらしい。凄い崖とかがあってもひょいひょい駆け上がったりできそうだし、橋のない川だって濡れずに渡ることができると思う。

 

「ねー、叔父上。先生とか近衛の人とか使っちゃったら、アレ欲しいって思わずにいられるのかなぁ。かなり便利だよね」

「兄上のことだからそれを見越していたかもしれないね。危険な任務のわりに評価されないし、実力は認められても何故か侮られる。何かと任務が終わればあちこちに振り分けられるし、待遇改善を求める為にも、根回しとして恩を売るかな。だが、日常生活でああいった物を使うのはまずいだろう」


 シャワーを浴びながら気になることを持ちだしたら、叔父からはそんなことを言われてしまった。

 あれば使いたくなる。強さを求めずにはいられない。そんな気持ちを父は分かっていたのではないかと。


「非常時、ガルディアス様ならエインレイド様を抱えて戦いながら逃げることもあれで可能になるだろう。だが、ああいう奇襲的な物を使うのはいいようには思われない。しかし安全にはかえられないってところかな。何より犯罪的なことに使われかねないし、ああいった物は持ち出しや使用にもチェックが厳しく入る筈なんだが」

「・・・僕の、もしかして違法?」

「兄上のことだ。もしかしたらお前の名前を軍に登録してあるのかもしれない。実戦部隊の臨時採用者として。五年間はもしかしたら上等学校内のみで使用可能としてあるのかもしれないね」


 オーバリ中尉もどこに預けてあったのか、何故か自分のプロテクターを持っていたが、プライベートでは持ち出し禁止らしい。

 だから父が適当な理由をつけて持ち出し可能にしたのではないかと、叔父は見ていた。

 そこらへんは上司と部下だからいいけど、それなら上等学校生サイズの僕のはどうなるんだろう。ましてや上等学校生が臨時採用とかってできるんだろうか。


「未成年なのに可能なの?」

「外国に連れて行った時に何かしたのかもしれないな。私は元々レスラ基地に所属していたから、何かあった時にはそちらから武器などを提供してもらえることになっている。ただしエインレイド様やフィルに何かあった時だけだけどね。その際、レスラ基地だけじゃなく兄上の指揮下でも動くことができるといった条項が入っていたよ」

「僕、そんな契約書見た覚えがない」

「ルードは未成年だから保護者の代理サインかもしれないね。本来は未成年に危険な任務など絶対に許されないけど、あれは我が国にとってもかなりの成果だったから兄上が特例的に認めさせるよう迫ったなら、誰も反対できないんじゃないかな。ましてや殿下の安全もかかっていればね」

「ヂーヂーヴーエー」


 愛されていないわけじゃないとは思うんだ。

 でもさ、愛は全てを正当化するもんじゃないよ。父は子供の感情を考えずに駒を進めるところがあるって僕は感じている。


「僕、父上がスポーツしなかった訳が分かった」

「へえ?」

「ルールを守って戦うことができないんだよ、あの人」


 くすくす笑いながら叔父は、

「私もそう思ってたんだ。さすがに兄上に面と向かっては言えないけどね」

と、こっそり秘密を教えてくれた。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 夜の間にどこまでやってたんだろう。朝になって、山に行ってやってみようとなったら、もうオーバリ中尉がいなくても平気だという話になっていた。

 なんか深夜まで詰め込みで教えられてたらしい。夜に比べて明るい昼間なら楽勝だと、オーバリ中尉はいい笑顔だ。


「どうせ木々の間や峡谷を飛び跳ねてくるだけっすからね。まあ、楽しんで行ってくるといいっすよ。レミジェス様とアレンルード坊ちゃんは皆さんが教えてくれますから。いやあ、詰め込みで教えさせていただきました」

「じゃあ、ヴェインさんは何してるの? 父上やフィルとお出かけ?」

「えー。ボス、お嬢さんと一緒だとなんかもうこっちが胸やけするよーなことばっか言ってんっすよ。聞いてられませんね。だから健康的にお・さ・ん・ぽ。ばれない内にプロテクター返しとく必要がありますんで、夕方には返却できるようおやつの時間には帰ってきてください。昼食は山の中で魚釣りするといいっすよ。それ、先端に網をつけたら魚すくいできますから。はい、パンと果物と水筒。そして味付け用の塩っすね」


 単に美味しい昼食を食べたいから山に行かないだけじゃないの?

 そんな僕の思いは皆と共通だったらしいけれど、ちょっとわくわくもしたりする。


「これで魚もすくえるんだ。どんな魚がいるんだろう。いなかったらパンと果物だけかな」

「安心しろ、アレン。ちゃんと山から近い所にある料理屋もチェックしておいたから」

「メラノ先生。なんか疲れてますね」

「連携が取れないと本当に危なかったからな。何度コウモリとぶち当たりそうになったことか」


 そんなに遅くまでやっていなければよかったのに。あれ? だけどコウモリ?


「もしかして暗い所でもやってたんですか?」

「ああ。暗視ゴーグルをつけてのそれもついでとか言って。善良な町の人を起こすことなく静かに動けとか、いきなり初めての場所を勘で動けとか。全くプロテクターがなかったら骨折だった」

「大変だったんですね」


 ああ、父の部下だもんな。あの狂ったようなアレだったもんな。要求するレベルが非常識だもんな。

 僕は深い理解を持って、メラノ先生に優しい言葉をかけてみた。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 そんな始まりはともかく、僕は池だか川だか湖だか分からない場所に突っ込んでずぶぬれになって、山の崖から落っこちて無傷で立ち上がって、追いかけたウサギよりも先に行っちゃって、空中で鳥とこっつんこして、瞬く間にお昼になっていた。

 僕達とぶつかって気絶した鳥やウサギとかを持って料理屋に行ったら、そこは開店しているんだか閉店しているんだか分からない状態だった。

 

「あらあら。こんないい男ばかりが来るだなんてねぇ。ほほ、私も五十年若ければ・・・」

「いきなり大勢ですまない。あ、よかったらそこの山で獲れたものだが、迷惑料代わりにどうぞ」


 あまり客も来ないので、山菜を使った麺しかないと言われたけれど、野菜と鴨肉が入っててとても美味しかった。

 みんなかなりお腹が空いていたせいで、一年分の売り上げになったわねぇと、そのお婆ちゃんには言われた。

 途中から、鹿肉と茸のステーキも出してくれた。どうやら僕達が食べている間にどこかに連絡して持ってきてもらったらしい。僕達が渡した鳥やウサギと物々交換だったみたいだ。

 どこかのおうちの得意料理だとかいう猪肉を使った具が沢山のスープも珍味だった。パンと果物は持ってきていたから、そこのお婆ちゃんにも分けてあげた。


「えへへー。楽しかった。ご飯も美味しかったし満足満足」

「さ、帰りは目立たず戻る練習だな。人目につかずに移動するよう心掛けてみよう」


 ネトシル少尉が入山禁止な山部分とホテルまでのルートを簡単に説明してくる。僕はその後ろをついていく訓練だ。

 そうしてホテルに戻ってシャワーを浴びて着替えたら、父とオーバリ中尉がラウンジでのんびりとソファに座り、新聞を読んでいた。

 何でも父と妹は、朝の内に観光をして、昼食を食べた後は妹だけ出かけたとか。


「え。フィルだけなんて。迷子になったらどうするんですか、父上」

「町内放送が入るそうだぞ。観光案内所で預かっててもらえるらしい」

「大丈夫ですよ、アレンルード坊ちゃん。ちょうど入れ違いって感じだったから、今から追いかければ間に合いますよ。・・・お、来た来た。行けっ、そこだっ」


 よく分からないけど、耳に何やら通信装置をつけて、競馬の実況を聞いているような人がいた。

 オーバリ中尉はいい人だけど、いい所だけ学んで駄目なところは真似しちゃいけない人って奴だと思う。


「心配しなくても、クラセンさんの所なら迷子になりようもない。厨房に聞いたらアレナフィルちゃん、おやつにカスタードプディングと生クリームをお願いしたそうで、果物を沢山買ってきたって話だよ。すぐに戻ってくるさ。クラセン先生の奥さんには会ったことないけど、誘ってくるかもね」

「うーん。そうかも。仲がいいからよく泊まりに行ったりもしてるんですよ。ところで父上、そのおやつって僕の分もあるんですか?」

「十分あるから安心しなさい。フィルはおかわりすることも考えて、かなり余分に買わせたからね。おなかに入るなら今お願いしてくるといい。厨房も作ってくれるさ」

「そーします」


 その会話を聞いていた人が厨房に行ってくれて、僕は果物とアイスクリームとカスタードプディングの盛り合わせを食べることができた。

 他の人達はコーヒーを飲んでいる。


「叔父上、食べないの?」

「私は後で果物だけもらうよ。今日、ルードは頑張ったからね。それを食べたらお昼寝するといい」

「はい。こういうの、フィル好きな気がする」


 妹が戻ってきたらホテル内外に散らばっている警備から連絡が入るから、叔父と僕は落ち着いて過ごしていた。貸し切りだから会話に気をつける必要もない。

 これだけできるようになったんだよって話していたら父も新聞を読みながらうんうんと頷いていた。・・・ちゃんと聞いてる?

 けれどもいきなり父の左腕からビービーと、音が響く。

 羽織っていた広い袖口に隠れて分からなかったそれを、父は右手で操作した。


「この場にはヴェイン以外もいる。暗号は不要だ。状況が分かるよう報告しろ」


 腕にはめられたそれに向かって命じる父は、ここで何かしていたのだろうか。


(暗号は不要って、ここにフォリ先生がいるから? 父上、仕事中だったの? それって何の?)


 僕の背中に戦慄が走った。知らない声が、父の左腕から流れてくる。


「了解、ボス。アレナフィルお嬢さんはクラセン夫妻宿泊のホテルより二つ手前の路地から出てきた薄い金髪、ライトグリーンの瞳をした男にすれ違いざま、布を鼻に押し当てられ、瞬時に昏倒しました。抱き留めた男はお嬢さんを8カウント抱きしめていましたが、その後、両手で抱えて用意してあった移動車の後部座席に寝かせ、連れ去りました。打撲などはないものと思われます」

「今、何名が追っている? 危険性はあるか?」


 父はとても落ち着いた声で質問した。


「3名先行、3名追跡です。扱い方はとても丁寧で、寝かせた際、コットンブランケットらしきものをお嬢さんに掛けていました。危険性はないものと考えております。現在、ルート249を北上しています。使用している移動車は先日現金購入したもので、今も登録者は前の所有者のままです。このままヴェラストールに向かうと思われます」


 まさかという思いが、頭の中で回転し続ける。

 一人で出かけたアレナフィル、父もオーバリ中尉もここにいた。何故、父はアレナフィルを一人で出かけさせた・・・?


「分かった。そのまま追跡を行い、アレナフィルの居場所だけ特定しておけ。国外に連れだそうとした時のみ妨害しろ。私もこれから向かう」

「了解、ボス」


 気づけば父に殴りかかろうとしていた僕を、叔父が抑え込んでいた。


「父上っ。フィルをっ、フィルを囮にしたんですかっ。なんでっ、なんでそんなことができるんだよっ」

「落ち着けルードッ。兄上には兄上のお考えがあったんだろうっ。それにちゃんと追跡されてるじゃないかっ」

「一瞬で意識を失わされて何も起こらないわけないじゃないですかっ。自分の娘を誘拐させて何考えてんだよっ! そんでも父親のつもりかっ、クソ親父っ。あんたが言ったんじゃないかっ! 女の子ってだけでどれ程危険かをっ!!」


 暴れようとする僕を羽交い絞めにしている叔父が何か言っていたが、僕の耳には届かなかった。

 僕を見下ろしてくる瞳は僕と同じ色で、全くもって冷静すぎる。

 父はふっと鼻で笑った。


「落ち着いて話を聞けない子にはいい物をあげないぞ、ルード」

「父親ヅラすんなっ、この最低男っ!」

「そうか。じゃあ、フィルの服に取り付けてある居場所特定装置と盗聴装置のセットは、私の子供じゃない子に渡す必要もないだろうね。ヴェイン、移動車の用意を」

「もう出発可能です、ボス。あー、坊ちゃんもそう怒らない怒らない。誘拐しちまうぐらいにお嬢さんに執着してる男なんて、もうさっさとケリつけとかないと面倒じゃないっすか。お嬢さんと二人きりで話し合えば落ち着くだろうってのがボスの判断だし、俺も同意見っすよ。じゃあレミジェス様、後はよろしくお願いします。貸し出したプロテクターは、仲間が回収に来ますんで」


 むかつくことに父とオーバリ中尉はとっくに荷物をまとめてその移動車に載せていた。

 まさかと思うが、わざと僕達を追い払っていたのか。


「父上っ、僕も連れてってくださいっ」

「私の息子じゃないんだろう? とはいえ、私も鬼ではない。バーレンの所に行きなさい、ルード。盗聴しても会話が分からないなら意味がないね? 私はフィルが解放された時のお迎えに行くが、それだけだ。子供のやることに親がいちいち口出しするものじゃない。レミジェス、お前の部屋にフィルの居場所特定装置を置いてある」

「兄上。あまりルードをいじめないでください。可哀想じゃないですか。ルート249を北上ということは、ヴェラストール方面に向かっているってことですね。だから国外へは出すな、ですか」

「仕方ないだろう。まさか誘拐するとは思わなかったんだ。せめて声をかけて二人でお茶でもしながら語り合うのかと思ってたんだよ」


 嘘だ。それならどうしてここまでのものを用意していたというのか。荷物をまとめておく必要だってなかっただろう。

 いつの間にか集まっていた人達が唖然として父と僕を見ているのが分かる。だけどそんなこと、どうでもよかった。


「なんでそんな外国人に肩入れするんですかっ。フィルは子爵家の娘なんですっ。誘拐されたなんて、それだけでもどれだけ貴族社会からそしられることになると・・・!」

「肩入れした覚えはない。私はフィルの本当の願いを叶えただけだ。あの子はずっと後悔している。それなら二人きりで話し合わせた方がいいだろう? それに言ったはずだ。あの二人の気持ちが分かるのはお前だけだと。自分の頭で考え、より良い選択をするんだな」

「そんなのがフィルの名誉を汚す理由になるとでもっ!?」

「バカバカしい。今もフィルは部隊に守られ、向かっている先も把握済みだ。ずっと私の掌の中さ。だが、お前が助け出したいなら好きにしろ。その為の力は与えた。そうだな? ただし、彼には傷をつけるな。フィルに一生恨まれるぞ。行くぞ、ヴェイン」

「はい、ボス」


 一発殴らせろ。そう思っている内に、父は行ってしまった。


「クラセン夫妻のいるコテージに行って事情を説明し、呼んできてください。奥方にはそのまま滞在でも帰宅でも丁重にご要望を伺って」

「かしこまりました」


 ドルトリ先生の声が遠く聞こえる。

 父の考えることがさっぱり分からない。いいや、分かってる。あの人はアレナフィルを見てそうした方がいいのだと判断しただけだと。


「ルード、しっかりしなさい。フィルを追いかけるんだろう?」

「・・・叔父上」

「うん。大丈夫、兄上のことだ。フィルの安全は確保されてるよ」


 気づけば僕は叔父に抱きしめられていた。

 僕の涙が叔父のシャツに吸い取られていく。

 ああ、そうだ。この胸と腕は、いつだって味方になってくれる人のものだって僕は知ってる。


「もう、フィルを父上になんか任せらんない。大人になったら、父上なんて家長の地位から引きずり落としてやる」

「ああ、うん、頑張れ。ただ、兄上には何のダメージにもならないんじゃないかな」


 ネトシル少尉がどこかから戻ってきて、フォリ先生に話しかけた。


「確認取れました。ウェスギニー大佐、実戦部隊の出動を許可されています。プロテクターについても問い合わせましたが、任務遂行に伴う必要装備で許可が下りていました」

「出動理由はなんだ?」


 ネトシル少尉の答えが少し遅れる。だけど、その声ははっきりと皆の耳に届いた。


「現在、ガルディアス様、エインレイド様、双方の妃候補として名前が挙がっているウェスギニー子爵家令嬢アレナフィル殿及びファレンディア国のユート・トドロキ殿双方の安全を守る為となっておりました。

 ユート・トドロキ殿とは我が国と重要な取り引き交渉が行われており、その安全を担保することが外交上必要とみなされたとのことです。その程度で実戦部隊が動くものではありませんが、ウェスギニー大佐が家族として接触できることで適切な指示ができること、そしてその場に我が国の王位継承権を持つガルディアス様がいることから特例として許可が下りたとのことでした」

「ユート・トドロキとは誰だ」

「どうやら外見的特徴からして、我々の前ではトール・トドロキと名乗っていた男かと」


 その場に沈黙が満ちる。そこへ、厨房の人がひょこっと顔を出した。


「あのぉ、お嬢さんが買ってきていた果物とお菓子ですね、詰めてお持ちしましたが・・・」

「は? どういうことだ?」


 苛立った声でドルトリ先生が尋ねる。

 アレナフィルが誘拐されたと蒼白になっている時に、のんびりとお菓子の配達されたら誰だって怒鳴りつけたくなるというものだろう。

 だけどそんな事情を知らない人に八つ当たりするのはよくないって、僕は思った。


「えーっとあの黄色い髪をして暗い緑の目をしたお客さんがですね、予定変更して移動することになったからお嬢さんが食べたがっていたおやつを詰めておいてくれと・・・。えーっと、弟さんが持って行ってくださるって話でしたが」


 父の愛が分からないのは僕だけだろうか。

 娘のおやつを心配してあげる気持ちはあるのに、誘拐されるのはどうでもいいのか。


「そうでしたか。うちの子達は果物を使ったお菓子が大好きなんです。甥も先程大喜びで瞬く間に食べてしまいました」

「ああ、よかったです。ではこれが冷凍の箱、こっちが冷蔵の箱です」


 叔父が気を取り直して受け取っていたが、僕は、父が妹だけではなく様々な人に黙ったまま、事を運んでいたのだと知った。

 持って行きたければ自分で運べよっ!


「さすが、誠実そうな顔をした悪夢・・・」


 その言葉を発したのが誰か、僕は知らない。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 フォリ先生の権力ってば凄い。

 赤いプロテクターを回収しに来た人を捕まえて、こっちに味方させた。つまり、殿下として命じた。

 

「知っていることを吐けと言われましても、ボスの弟さんにちゃんと装置は渡されている筈なんですが」

「手間を掛けさせるな。アレナフィル嬢はどこに連れていかれているんだ。地図と照らしあわさなきゃいけないものを見るより聞いた方が早い。そして盗聴装置はどこだ」


 父が申請していた特別チームはそこそこまとまった人数で、出動理由として名前を使われていたフォリ先生は自分に全く知らされていなかったことにムカムカしている。

 大型の移動車に乗せられてしまったその人は、黒いシャツに黒いズボンと、なんだか黒が大好きそうな人だった。

 ネトシル少尉が運転しているんだけど、僕は制限速度について考えずにはいられない。

 周囲の車が停止してこちらを優先させて走らせてくれるんだけど、一体どうしてそれが可能になっているのか。これが王室の権力なのか。


「うちのボスは現場に放り込んで体で覚えさせるタイプなのですが、ガルディアス様から命じられては仕方ありません。

 向かっているのはヴェラストール駅近くにある貸しアパート、ロリザンナレードル809号室でしょう。ほとんどの建物が眼下にあるのですが、実はケスティアルナホテルの屋上が、その部屋の中をカーテンさえ閉めていなければよく見えたりしますね。高いところが怖くないなら、あのプロテクターのワイヤーを使ってロリザンナレードルの屋上に巻きつければ、窓をぶち壊して侵入することもできます。お勧めは、ちゃんと玄関からカラリンコロリンと訪ねていくことです」


 黒髪に黒いサングラスをかけたその人は、ロリザンナレードルの呼び出しチャイムは、カラリンコロリンと鳴るんですよと、にこにこしながら教えてくれた。なんでそこまで知ってるの? 押してみたの?


「久しぶりだね、ルー君。プロテクターは使いこなせるようになったかな?

 フィーお嬢さんの盗聴装置は、ボスが渡した三つのプロテクターの耳部分についてるよ。三つのプロテクターはそれぞれ通信できる。だけど盗聴できる距離は、サルートス上等学校の敷地四倍分程度。お嬢さんの服から回収したら、エインレイド様と使えばいい。

 盗聴装置というけど、要はそれを使えば三つのプロテクター使用者に指令を出せるってことでもあるからね。遭難する時には便利だよ」


 近くに座っていた僕に手を伸ばして頭を撫でてきた。

 今はアレナフィルに取りつけて盗聴できるようにしてあるけれど、本来は双方向で通話ができるものだとか。


「それって・・・」

「うん? ボスもほら、断れない筋で王宮勤務入れられたけど、そっちは手を抜きたいらしくてね。だけど何かあったら遠慮なく足を引っ張られるだろ? だからプロテクターはボスがエインレイド様護衛の件で陛下に報告する担当をしている間だけの貸与ってことになるけど、今回、それで性能を試すことができるってわけさ」


 多分、僕が勝手に外国に連れていかれた時の人なんだろう。あの時のことは悪夢として忘れたかった。

 とっくに父の権限で、父が指揮するエインレイド王子の在校時における警護用としてサルートス上等学校に三つのプロテクターが配備される手続きは終わっているそうだ。

 そっちはともかく、娘が誘拐されるであろうことも分かった上で止めなかったって、いったい何を考えているんだろう。


「どこまでうちの父は人をおちょくってるんですか」

「おちょくってはないと思うけどね」


 この車内で誰もが父に対して怒りを覚えているのに、やはり父の部下は父の味方なのか。

 物憂げにそんなことを言うのだからやってられない。


「実際、手を出すには面倒な相手でもあるんだよ、あの外国人。まだ真偽確認が終わってないけど、ある国で監禁されて一生その国の為に働けって強要されたことがあるらしいんだけどね。監禁されていた建物一つが全滅して、その建物があった地域もかなりの人数が亡くなったって話だ。さすがに300人近い人数を殺して逃走したとか聞いたら手出しを躊躇(ためら)っちゃうだろ? だから平和的に解決したいわけ。あの外国人を殺すだけなら簡単さ。だけど利はない。そしてあの外国人はフィーお嬢さんを何故か気に入っている。了解?」


 その人の属する部隊の任務は守秘義務がかなり厳しいそうで、軍でも他の所属の人達にも任務内容は話してはいけないそうだ。

 今回は特別に、父の子供であり誘拐被害者であるアレナフィルの兄を落ち着かせる為にお喋りするということにして、彼は状況を説明してくれた。

 どうやら片目をつぶられてしまったらしいけど、サングラスが濃くて分からない。


「分かりました。じゃあ、なんでそんな危険な相手の所に窓を割って侵入しろとか言うんですか」

「いや、だから一番いいのは玄関から訪ねていくことって言ってるんだけど。ただね、君はほら、一目でお嬢さんと兄妹って分かる。あちらとてお嬢さんの前で君に手出しはできない。そういうことだよ。彼はどうやらフィーお嬢さんがこの国で辛い目に遭っているんじゃないかって、変な気を回していたからね」

「フィルが辛い目に? なんで外国人がそんなの気にするんですか?」


 どこまで頭と目が悪い外国人なんだろう。うちのアレナフィルが辛い目に遭ってるとかいうなら、世界はもう楽園だよ。あそこまで自由気儘に過ごしている貴族令嬢なんていないんじゃないの?


「だからボスはお嬢さんへの接触を許したのさ。ボスの手の内で踊ってくれる分には対応できる。一番厄介なのは、無保護のお嬢さんを誘拐されたりして国外へ連れていかれたらもう取り戻せないってこと。あの男は一人で外国から脱出してみせたんだよ? ただし飛行場にいたほとんどを死亡させてね。勿論、噂の域を出ないから嘘かもしれない。そこまで情報を調べつくせるほど予算がなくてねぇ。予算を無駄に費やすよりお嬢さん使って本人から聞き出した方が安上がりって、みんな思っちゃうだろ?」


 いきなりせせこましい話になった。

 そしてかなり物騒な話だと思う。どうやったらそんなことできたんだろう。


「ヴェラストールといえば便利な街ですが、ずっと見張っていたのですか? 姪のことでそこまでさせていたとは。トドロキ氏はおとなしいタイプだと聞いていたのでまさか危険人物とは思いませんでした」


 叔父が事態を把握しようとそう尋ねれば、彼は軽く片手を左右に振る。


「いえいえ、ボスが説明しなかったんなら仕方ないことです。まあ、適度にこちらも手は抜いていました。慰安旅行も兼ねてってことで、俺達もフォムルで温泉に入ってのんびりしたり、ヴェラストールのボスの部屋使わせてもらって息抜きさせてもらったりしましたし、悪くなかったです」

「・・・危険な相手だったのでは?」


 思いやったつもりの叔父が、あまりにも平和な返答に疑うような顔になった。

 なんだか話していると、気負っていたこちらがおかしいような気分になりそう。相手は数百人を殺害し、飛行場にいた人達も殺して乗っ取った凶悪犯なんだよね?

 空を飛ぶそれは開戦といったことになりかねない為、どの国も軍の敷地内にある。つまりは軍の施設を無力化した上で逃げ出したということだ。数百人を殺して。


「要は険悪な関係にならなければいいだけですからね。敵に回したら何をやらかすか分からないっていうのなら、ボスも同じでしょう。できれば勧誘してくれるとありがたいんで、ルー君はそこんとこよろしく」

「なんで僕が妹を誘拐するような奴を勧誘しなくちゃいけないんですか」

「いい人材は貴重なんだよ。監禁なんてことしなくても、フィーお嬢さんに釣られて我が国に亡命してくれれば何よりじゃないか。ボスの部下、元外国人も多いよ? 有能だけど自国で冷や飯食いの奴をスカウトしてくるだけで部隊の成果が上がっていくからね」

「知りたくなかった、そんなこと」


 父の目的が分からなくなりそうだ。

 だけど飄々とこんなことを言われてしまうと僕も冷静になる。

 なんで父は僕にならあの外国人の気持ちが分かるって言ったんだろう。実は生き別れの兄とか?

 それとも亡くなった母の友達の弟ではなく、本当は亡くなった母の生き別れの弟とか? 僕と妹にとって母方の叔父とかいうのならたしかに分かるのかも?

 いやいや騙されるな、僕。どんな関係にしても薬を嗅がせて誘拐する時点で悪人だよ。

 そんなことを考えていたら、運転していたネトシル少尉が口を開く。


「たしかあの男、アレナフィルちゃんは毒物の専門家だと言ってました。大量殺人には薬品もしくは有毒ガスを使用したってことですか?」

「その可能性を疑ってるので、下手に追い詰められないんですよ。一般人を巻きこむわけにはいきません」


 そこへビービーと音が鳴り響く。黒髪にサングラス、黒い服と黒づくめな男は黒い腕のバンドに触った。


「こちら回収。現在、ルー君達とルート249北上中」

『お疲れさん。お嬢さんは809のベッドに移動した。誘拐犯が髪を撫でながら見守っている。お嬢さんは一度意識を浮上させたが、また眠った。薬が効いているらしい』

「後遺症や危険性は?」

『体温や脈拍、意識チェックしてたから、今のところゼロ。自然に目覚めるまで寝かせておくつもりらしい。ヴェインがルー坊ちゃんに、望遠鏡があるとよく見えるよってアドバイス。プロテクターのゴーグル三つ目を下ろして目盛り調節すればいいからねってさ。そしてトロトロしてる正規よりうちの方が機動性もあるしよく考えてほしいなあとか言ってた』

「了解」


 父の部下らしい人達の暢気さがむかつくのだが、同じ移動車内にいる父の親友はもっとひどい。到着するまで居眠りする構えだ。


「大丈夫なのかしら、フィルちゃん。何かあったら・・・。いきなり犯人が豹変するなんてよくあることよ」

「心配しなくてもフィルちゃん可愛いし、ちょっと二人きりで抱っこしてご飯食べさせてお喋りさせてみたかっただけだろ」

「変態じゃないっ。どうしてあなたはもっと深刻に考えられないのっ」

「そう言うけど、ティナだってよくフィルちゃん抱っこして、あーんとかやってたじゃないか。ローズガーデンとかで、『お姉ちゃま、フィルね、お姉ちゃまにこれ食べてもらいたかったの』とかって」

「私達とは違うでしょっ。フェリルさんもあなたもひどすぎるわっ。フィルちゃんはまだ大人に守られてなきゃいけない子なのよっ。まずはあなた達が防波堤にならなくてどうするのっ。目が覚めたらどんな恐ろしい思いをすることか・・・!」

「だから誘拐されたんじゃないかって思うんだけどねぇ」


 そこで妻に首を絞められている夫がいるのだが、加害者側に味方したいのは僕だけだろうか。

 アレナフィルといつもつるんでいたのは夫の方なんだけど。


「お、落ち着けっ、ティナッ」

「落ち着いてるあなたが人でなしなのよっ」

「いや、だから・・・、しょうがないなぁ。よく聞けよ? こちらにこちらの正義があれば、彼にだって正義はあるんだ」


 いや、本当に父の友人も部下も誰一人としてアレナフィルのことを心配してないってひどすぎない?

 自分の首を取り戻した夫が妻に向かって説明し始めている。


「ある所に姉を持つ弟がいました。その弟はある日、うきうきしている姉に

『どうしたの。なんか機嫌いいね』

と、尋ねます。姉は言いました。

『聞いて、昔の友達のお嬢さんから手紙が届いたの。亡くなったお母さんの日記を読んで、外国から私にお手紙くれたのよ。ああ、どんな子なのかしら』

と。弟は言いました。

『ふぅん。サルートスね。今度行くから、ついでに手紙渡してきてあげようか?』

と。

 そして手紙を預かった弟はサルートス王国へやってきます。まずは個人的な用事に付き合ってくれる通訳を探そうと思って税関で紹介所を聞こうとしたら、ちょうどその日、女の子が倒れたところに行き当たったのです。

 弟は思いました。あんな小さな子を倒れるまで働かせているとはひどい国だなと。

 そして通訳を雇って女の子の家を訪ねていったものの、家は無人で会えませんでした。だけど頑張って捜したところ、どうやらサンリラにいるらしいと知ります。

 彼は元来た港町に戻りました。そして見つけた女の子を見てびっくり、それはサンリラ到着時に倒れていた女の子でした。

 女の子は彼を食事に誘い、手料理をふるまいます。その滞在先には親戚の兄代わりの男達がぞろぞろといました。親戚と言ってはいるけれど、誰もが全く似ていません。まるで女の子がみんなの世話係です。

 やがて彼は、女の子が貴族の家の子だと知ります。ですが、不思議です。良家の子はバイトなどしないのがサルートスでは普通なのだそうです。彼は考えました。

『倒れる程に働かせて、しかも親戚と自称する大柄な男達の監視付き? もしかして奴隷みたいな扱いなのか? 姉に手紙をくれたのも、実はこんな国から逃げたいだけじゃないのか? 何よりあの年で家政婦のように料理まで作らされているだなんて、どんな辛い生活を送っているのだろう』と」

「え? ちょっと待って。フィルちゃん、小さい時からお料理得意よ。お掃除だって」


 ちょっと待ってほしいのは僕の方だ。小さい時からお料理得意ってどういうこと?

 そりゃアレナフィル、お片付けは得意だけど。


「だから小さい時から使用人のように扱われているんじゃないかって疑われたんだろ? 俺達みたいにあの子がずっと自由気ままにしているのを見ていた訳じゃない。貴族令嬢でありながら家事が得意だなんて、まず使用人代わりとして冷遇されていた以外にあり得ないって普通思うさ」


 焦ったような妻に対し、夫は軽く肩をすくめる。


「今回、何故か貴族経由の商談が幾つも持ちこまれ、ちょうどいいと思った弟は雑談に紛れさせながらウェスギニー子爵家についても尋ねてみました。すると妻が亡くなってから持ちこまれた縁談などには耳を貸さずに独身を謳歌しているウェスギニー子爵フェリルドは悪評の塊です。その娘である女の子も、貴族が通う幼年学校に通ってもいなかったことから、ひどい言われようでした。

 だから弟は偶然、サンリラの飲食店で再会したクラセンさんに尋ねます。

『実は冷遇されていたり、父親の為に働けと、何か強要されていたりするのではないですか』

と。クラセンさんは正直に答えました。

『そんなことないですよ。あの子はとても父親に溺愛されています』

と。

こんな頼りになるクラセンさんの言葉を信じなかったのは、やはり彼も同じように女の子を監視していると誤解したからなのか。

 弟は思い詰めます。自分には女の子一人ぐらい助けられる力がある。姉にとっても旧友の忘れ形見だ。そしてついに女の子を誘拐したのです」

「え? ちょっと待って。それじゃ・・・」


 どうしよう。我が家で一番我が儘で甘やかされているアレナフィルが悲劇の主人公になっていた。

 あれ? そしたら誘拐犯が正義の味方? アレナフィルが料理をし始めたのは最近だけど、それで先生達のお世話までできたなんてあるの?


「だからもう誰もいない所でフィルちゃんと話し合った方がいいと思ったんだよ。だって大人がいたら、それこそが監視付きかと思われるだけだろ? ティナは知らないだろうけど、フェリル、あれで嫌われてるから。ェスギニー子爵なんて何やるか分からないってのが世間の評価」

「どうして。あんなにいい方なのに」


 父の親友とはいえ、他人の口から父のそんな評価を聞かされるのって結構きつい。

 アリアティナさんが本気で戸惑っている様子に心が救われる。


「そりゃあウェスギニー子爵の地位を継いでおきながら、その仕事は弟のレミジェスさんに押しつけて社交の時だけ子爵として出席。レミジェスさんなんていい面の皮だと思ってる奴は多い。雀の涙みたいな給金で弟を働かせているんだろうって(もっぱ)らの噂さ。勿論それは事実無根で、フェリルは子爵としての代理権限を最大にレミジェスさんへ任せているが、そんなことまで外には分からない」

「ちょっと待ってください、バーレンさん。そしたらフィル、もしかして可哀想な子だから助けてあげたって、思われてるんですか?」


 僕の質問に対し、バーレンさんは軽く両手を広げた。


「さあね。あくまでこれは俺から見た彼の状況だ。ちゃんと話し合ってみなきゃ分からないさ。その調査とやらが正しいのなら、彼は自分が脱出する為なら数百人の犠牲も平然として受け入れられる男というのも事実なんだろう。

 快楽殺人狂なら、サルートス王国の記念にフィルちゃんを殺そうとすることだってあるのかもしれない。

 もしくは一目惚れで幼な妻を連れて帰りたいのかもしれない。

 実は姉の旧友に惚れてて、生き写しのフィルちゃんを手に入れようと思ったのかもしれない。そんなの分からないさ。

だからフェリルだって泳がせながら監視してるわけだろ。もしかしたら過去にサルートスに来たことがあって、小さなフィルちゃんを迷子センターに送り届けた際に、

『大きくなったら結婚してね』

とか言われたのを信じ続けてたら再会したってオチかもしれないじゃないか」


 アレナフィルは僕の半身。僕の片割れだ。誘拐なんて認められない。

 それでもバーレンさんの話を聞いている内に頭が冷えてきた。言われてみれば、うちの妹は貴族令嬢としてはおかしいのかもしれない。いや、おかしかった。

 サルートスの貴族社会では低く見積もられる筈のアレナフィルだけど、うちの家族からは何をしても許されるぐらいに甘やかされている。

 バーレンさんは、滞在先のアパートメントで大柄な男達に囲まれて監視生活とか言ったけれど、僕にしてみれば未婚の貴族令嬢なら狂喜乱舞するぐらいに独身貴族男性の最高峰が揃ったハーレム生活。

 そんなアレナフィルを外国人が見たらどう思うものだったのか。


「クラセンさん。到着したら僕もフィルとそいつが話し合うまで待ってみることにします。だから会話内容、訳してもらっていいですか?」


 どうしてバーレンさんが誘拐犯に好意的なのか。

 それは誘拐した外国人がアレナフィルを案じていることに気づいていたからだ。だけどその不安を解消するような説明はできなかった。

 アレナフィルの周囲にいる男達の正しい身分を外国人に教えてしまうわけにはいかなかった。

 それを告げることができたなら、外国人であってもアレナフィルはかなり貴族令嬢としては抜擢に近い状態にあると分かっただろうけど。


「いいよ。その為に俺が呼ばれたんだろ? さ、ティナ。これで安心したかい? 後はフォムルか家に戻って好きに過ごしときなよ。どっちにしてもこれからはウェスギニー家とその外国人との話し合いになる」

「そうね。私がいたら邪魔よね。それにここまで動いてくれてるならフィルちゃんも大丈夫だろうし・・・。それなら私、フォムルに戻るわ。書類を見なくていい生活を堪能しときたいの」


 やがてケスティアルナホテルに到着した僕達は、ホテルの支配人自らの案内で屋上を使わせてもらえることになった。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 ケスティアルナホテルの屋上は花壇もできていて、見下ろすようにアレナフィルの様子が見えた。良く寝ている。どこまでもアレナフィルは平和だった。

 すーっ、すーっという寝息とは別に、何やらカチャカチャしている音も聞こえる。だけど窓から室内を見ている方が分かりやすい。

 念の為、この辺りはちょっとした危険物が見つかったということで人を遠ざけたそうだ。避難していないのは、809号室の上階に部屋を借りていた父の部下達ぐらいだろう。


「わざわざ水を買っておいたのか。垂らしている小瓶に描かれているのはレモンかな」

「叔父上。そんなのどうでもいいよ。何なんだよ、あいつ。フィルの髪にべたべた触りやがって」


 寝ていたフィルがごろごろと寝返りし始めたことからそろそろ起きるだろうと彼も考えたらしい。水を用意しに行った。

 そしてアレナフィルが目覚めてきょろきょろとあたりを見回している。

 アレナフィルはピンクのワンピースを着たまま寝かされていたみたいだけど、特に乱れもないようだ。上半身を起こして、窓を見て首を傾げていた。トレイに水を載せた男が戻ってくる。

 

【ああ、起きたんだ? 気分はどう? はい、どうぞ。レモンシロップを垂らしたお水】


「起きたんだねと、彼は声をかけた。レモンシロップを垂らした水だと説明している」


 白いプロテクターのヘルメット、つまり通信装置部分だけを取りつけたバーレンが訳してくる。周囲にいる人達はそれを聞きながら注視していた。

 寮監してる先生達、みんな凄い撃銃持ってるけどね。いざという時には彼を射殺するつもりらしい。風向きまでチェックしている。

 

【誘拐犯の差し出す物を飲む人間がいると思う?】

【言っておくけど、ひどいことをしたのは君だろう? それにこれは何も入れてないよ。何かをしたいなら君が寝ている間に十分な時間があった。私が求めているのは君との会話だ】


「フィルちゃんは、誘拐犯の渡すものは飲まないと言った。彼は、何かするなら君が寝ている間にやる、私が求めているのは君との会話だと答えた」


 滑らかに僕が知らない言葉を話すアレナフィル。

 僕の片割れはそんな程度の説得であっさりと水を飲んでしまった。アレナフィルって騙されやすそう。


【ごちそうさまでした】


「いい味だったと、フィルちゃんは言った」


 空になったコップを小机に置いたアレナフィルが偉そうな態度なんだが、男も呆れたような声で、ベッドに座った。そう、アレナフィルが上半身を起こしているベッドに。


【警戒心がありそうでない子だね】

【近いです。離れてください】

【近い距離って親近感が増すと思わないか?】


「警戒心が足りないと彼が言ったら、フィルちゃんが、私に近づくな、もっと距離を取れと要求。彼は、近くにいると親近感が出るだろうと同意を求めた」

「フォリ先生。あの男、射殺したいので今すぐ僕にもロング撃銃を手配してください」

「あの程度なら別に学校の友達でも近づくだろ」

「フィルのベッドに座るだなんてことしていいのは僕と叔父だけです」

「落ち着け、アレン。お前がすべきことは、無事に戻ったアレナフィル嬢に、何を言われようが誘拐犯が出すものを全部平らげるような真似をするなと説教することだ」


 こちらの会話はアレナフィルには聞こえない。どんなに孤独で辛い思いをしているだろうと思ったが、あまりにもうちの妹は愚かすぎた。

 二度とうちから出なくていいと思う。


【誘拐犯との親近感を増すことなど望んでいないのですが、ところでここはどこでしょう】

【僕も地名はよく分からないんだよね。ほら、外国人だから】


「私は誘拐犯と親近感を育てたくはない、ここはどこだとフィルちゃんは言った。彼は、私は外国人だから地名なんて分からないと答えた」


 僕は頷いた。


「叔父上。彼には誠実さなどないと判明しました。殺していいと思います」

「頼むから殺人犯にはならないでくれ、ルード。やる時はやっても罪にならない人にやってもらいなさい」


 叔父は僕を愛している。その解決法に必要な父はどこだ。

 

「そうだよ。落ち着いて、ルード君。彼は窓のカーテンを開けっぱなしだ。つまりアレナフィルちゃんを怯えさせないよう開放感を感じさせている。通常はカーテンを閉めきり、自分しか頼れる人はいないのだと恐怖感を与える。あえて場所の特定に繋がりかねない外の景色を見せ、そして全く拘束していないことから、圧力をかける気はないと示しているんだ」

「リオンさん。だけどあんなに高い位置なら窓から逃げられませんよね?」

「そりゃそうなんだが、叫べば聞こえないこともないからなぁ」


 僕達の所感はともかく、アレナフィル達の会話は続いていく。


【ロッキーさん。何故、私は誘拐されてしまったのでしょう?】

【君が裏切ったからだね】

【裏切るも何も、何かを約束した覚えもなく、それでいて裏切りなど不可能。意味が分からないと、全世界の人が私に同意する。それに言いたいことがあったら、まずは誘拐せずに普通に声をかけて会話をする。それが人間関係の基本】


「フィルちゃんは、私は何故誘拐されたのかと尋ねた。彼は、君が裏切ったからだと答えた。フィルちゃんは、何も約束していないのに裏切ることはできない、意味不明だ、世界中の誰もが私の意見に同意するだろうと言いきった。そして言いたいことがあったら誘拐せず普通に話しかけて会話しろ、それが人間関係の基本だと言った」


 何故か溜め息をついたのがメラノ先生だ。


「アレルちゃんがいつも強気なのは性格として、誘拐犯を刺激してどうする。こういう時はあまり刺激するなと教えないと、もっと頭の悪そうな奴らだったら殴られるぐらいじゃ済まない」

「そうですね。アレン、ちゃんとアレルちゃんには教えておくんですよ?」

「ドルトリ先生。二回目の誘拐がある方が問題です。妹は間違ったことを言っていません」

「問題なのはいつでも相手に説教をかます君の妹の性格です。思えばガルディアス様にもエインレイド様にも初対面でアレルちゃんはあの説教をかましました。正論ですが、時と場合を考えさせなさい」

「・・・考慮しておきます」

 

 大人っていうのは自分のマイナスを棚に上げて、子供に対してアレしなさい、コレしなさい、アレしちゃ駄目、コレしちゃ駄目と文句しか言わない生き物だ。

 僕は大人の理不尽を思った。


【まずは私の無事を知らせないと、皆が心配します。だけど手っ取り早く聞きましょう。私の裏切りとは何ですか? 誤解は早めに解くべきです】

【あのね、アレナフィル。私はこれでも君に優しくしたつもりだよ?】

【いきなりの呼び捨てっ。大体、誘拐しておいて優しくしたつもりって、そもそも誘拐は犯罪ですよっ!?】


「私が無事であることを家族に知らせないと心配するが、先に聞かせろ、私の裏切りとはどういうことだと、フィルちゃんは尋ねた。彼は、アレナフィル、私は君に優しくしてあげただろうと言った。フィルちゃんは、呼び捨てにされる覚えはない、そして誘拐という犯罪に優しさがあろうがなかろうが犯罪は犯罪だと反論した」


 寮監をしている先生達が一斉に溜め息をつく。


「正論だが、どこまで刺激するんだ。大体アレルちゃんだって彼に会いたがってたんじゃなかったのか」

「ドネリア先生。変なこと言わないでください。うちの妹はあんな誘拐犯に会いたがってません」

「あー、はいはい。だがあれが誘拐された子の反応か?」


 たしかにアレナフィルは全く怯えていなかった。顔色もいい。


【そっちじゃない。だってアレナフィル。君、お母さんがうちの姉と友達だったって嘘でしょう? だけど私はあえてその嘘に乗ってあげたんだよ。あんな手紙の方を渡してまで話を合わせてね。それなのにひどくない?】

【う、嘘なんて・・・】

【嘘だよね。大体、日記にそこまで書いていた君の母親とやら、アイカをなんて呼んでいたのさ】

【そ、それは勿論、ロッキーと・・・】


「彼は、そっちの話ではない、私は君のアイカに対する嘘に対して話を合わせてあげたではないかと言った。フィルちゃんは、嘘なんて言ってないと言おうとして、失敗。言い逃れようとしているが言葉が見つからない」


 言われてみればアレナフィルの表情がおかしい。あれは、言い負かされそうになった時の反応だ。


「え? 嘘? フィルが? だって母上の日記に書かれてたって・・・」

「そういえばルード。その日記とやら、見たことあるのフィルだけだったね。兄上も興味ないとか言ってたし、しかもフィル、その肝心の日記はジュース零して汚して捨てたとか言ってなかったかい?」


 僕達の間に、アレナフィルに対するもやもやしたものが流れていった。

 その日記、本当に実在したの? 普通、ジュース零して汚しても捨てたりなんかしないよね? だって亡くなった母の形見なんだよ?


「まさかアレルちゃん、機密情報を盗んだところを彼に見られて、そこを可愛さだけで見逃してもらったとかじゃないでしょうね」

「ドルトリ中尉。子供に変な疑いをかけるのはどうかと思います。いくら何でも・・・」


マシリアン先生がアレナフィルを庇ってくれているが、いささか弱い。

僕は叔父をちらりと見た。叔父の顔は、アレナフィルを疑い始めている。実は僕もだ。


【そうだね。なら、君はまず指摘するべきだった。私がロッキーと呼んでくれと言った時に】

【そ、それは、だって、苗字だから弟だって同じ呼ばれ方してるのかなって・・・】

【・・・ねえ、アレナフィル。君のお母さんは、あの家に泊まることができる程に親しい友達だった。それなら知ってる筈だ。アイカに弟などいないことを。あの家に弟の部屋なんてない。おかしいってすぐ分かるよね? だけど君は言わなかった。どうして私のおかしい点を何も言わなかったのか。それは君自身が嘘をついていたから私の嘘も指摘できなかった。そうだね?】


「彼は、私はロッキーと呼んでくれと言ったりして君に自白を促していたつもりだよと言った。フィルちゃんは、そんなこと気づかなかったと答えた。彼は、私は君にだけは分かる嘘を言ったが君は指摘しなかった、それは君も嘘を言っていたから私の嘘を指摘できなかったんだよねと、畳みかけた」


 視界の隅でオーバリ中尉が腹を抱えて声を出さずに笑っている。

 今やアレナフィルは誘拐された被害者から、どっちもどっちな状態だ。違う国に行けば、妹こそが機密情報を盗んだ容疑で加害者になってしまうのかもしれない。

 だが、妹は反撃に出ることにしたらしく、きりっとした顔つきになった。


【おかしいと思っていたなら、受け入れなければいいだけです。私だって歓迎されていない所に行こうとは思いません。不快にさせたなら謝ります。だけど母だってもう亡くなっていて、私には日記だけが頼りだったんです。日記なんて全てを書き留めるものでもありません。それでいてあなたの思いこみをもって裏切りとか言われても、意味分かりません】


「フィルちゃんは、自分は嘘なんてつくつもりはなかったし、あなたの嘘にだって気づかなかった、そこまで買いかぶられても困る、おかしいと思ったなら自分で言えばよかったじゃないかと反撃した。あなたは思いこみがすぎるんだ、そんなの私は知らないと」


 どうしよう。オーバリ中尉がもっと笑い転げている。

 そういう強気な姿勢が通じるのは家族だけだって、お馬鹿さんなアレナフィルは分かってないんだ。

 彼はその話はそこまでと思ったらしく、アレナフィルに対して少し優しい口調となった。


【ねえ。あの君と同じ髪と瞳をしていたのが父親? とても仲良さそうだったね。私だって考えたんだよ。君はあの父親の歓心を得たくて、うちに仕掛けてきたのかなって】

【まさか。父は何も知りません。大体、歓心を得るも何も、うちの父は子供に対して何かを要求したりしないのに】


「彼は、君と同じ色の髪と瞳をしていたのが父親かと尋ねた。君は父親に喜んでもらいたくて、うちにトラップを仕掛けてきたのではないかと。フィルちゃんは、父は何も知らないし、子供をそんな理由で利用するような男ではないと答えた」


 僕を含め、皆の動きが止まる。

 ああ、アレナフィル。僕の片割れ、僕の半身。トラップを仕掛けにきたと思われただなんて、君は一体何をやったんだ。

 しかも父は何も知らないって、つまり君は自覚してたわけだよね? つまり何かをやらかした加害者側だって。

 もうおうちから二度と出なくていいよ、本当に。


【ふぅん。そうなんだ? だけどさあ、おかしいよね? 君が手料理を振るまってくれた時、私の職業を聞いたけれど、次の日にはいきなりうちの会社に対して資料があるならもらいたいとか、話を聞きたいとか、商談がひっきりなしで、君との時間など全くとれない有り様になった。トールなんて、もう泣きが入ってたよ】

【あ、あのう、あなたの名前がトールでは?】

【違うよ。トドロキの名前が欲しかったから、親戚筋を当たって、その姓を持ってるのを探し出したんだ。そしたらそこの息子がトールって名前でね。ホント、むかついたけど本人の責任じゃないし、実際、技術はあったからそこは目をつぶったんだ。ただ、私が来ているとなったらさすがに面倒だから、こっちでは彼の名前を使ってたのさ】


「彼は、そういうことにしておいてもいいけど、君の手料理を食べた時に答えた僕の職業に関係する商談が次の日から休みなく入った、トールはブチ切れていたよと言った。フィルちゃんは、あなたがトールさんでしょと言った。彼は、トール・トドロキは違う人で、名前を借りただけだと言った」


 なんだかうちのアレナフィルがとんでもないことをやらかしたかのような話になっているのだが、僕はどうすればいいのだろう。

 正義はどこだ。


【私を疑っていて、だけどどうして私とまた会いたかったんです? そして私の言葉を嘘だと思っていながら、私の言葉に合わせた手紙を渡した。・・・つまり、手紙は幾つか用意してあったんですね?】

【その通り。本当はね、身の程知らずにもうちに仕掛けてきた奴がどんなものかと思っていた】


 二人の口調が静かなものに変わり始めていた。


【だけど君の料理が懐かしかったから、いいかと思った。それなら騙されてあげてもいいかと思ったんだ。たとえ君がうちに入りこむ手段としてあんな嘘をついたのだとしても】


「フィルちゃんは、私を疑っていたのに、それならどうしてこんな風に会いに来たのかと尋ねた。彼は言った。大胆にもうちに仕掛けてきた奴は何者かと思ったんだけど、君がいい子だったから騙されてあげてもいいかと思ってしまったんだよ。たとえ君が誰の為に動いていたのだとしても、と」


 なんだかうちの妹が完全に加害者側になっている。

 誘拐して話を聞こうとしたのも、アレナフィルを救う為だったことになりかけている。

 

「叔父上。父上はフィルを利用してたんですか」

「そんな筈は・・・。いや、フィルのことだからまた変な誤解をして、変に動いちゃって変な結果になってるだけだろう。どちらかというと、子供が何をやったにせよ、それで騙されてもいいと言ってしまう大人の方が問題だぞ、これは」


 うんうんと頷いている周囲の様子にほっとしながらも、僕はアレナフィルがひどい子かもしれないと思った。

 騙されてもいいなんて言わせるなんて、一体どんなことやったらそんなことになるんだよ。

 だけどアレナフィルは彼の顔を見たまま、ぽろりと涙を流した。 


【どうして泣くの?】

【目の前にいる男が、バカすぎるから】

【そんな表情も懐かしいよ。あの人はもっと美人だったけれど。私に仕掛けてくるなら、いい人選だった。そこは褒めておこう】

【私は・・・っ】


「何故泣くのかと、彼は尋ねた。フィルちゃんは、お前が馬鹿すぎるからだと言った」


 オーバリ中尉がぶふっと笑い出してるんだけど普通に泣くこともできないのかな、うちの妹って。

 どこまでも強気なアレナフィル。普通、そんなこと言われたら誰だって怒るよ。


「彼は、そんな風に泣かれたら何も言えなくなる、私に仕掛けてくるなら君を使ったのは素晴らしい人選だったねと言った」


 うちの妹が悪女すぎるのだが。

 かっとなった妹の唇に、彼は指先を当てた。言わなくていいということなのか。

 黙って見てりゃ何を口説き始めてやがる。誤解があったにせよ、上等学校生に対して成人した男がとっていい態度じゃないだろ。

 そんな風に静かに泣かないでくれ、アレナフィル。誘拐するような奴の前で。


【だけどどうやら君の周りには色々な思惑の人が絡みすぎているようだ。誰の入れ知恵でうちに仕掛けてきたのか知らないけれど、君をうちと関わらせまいとする人も動いているようだね。子供のくせに、君はとてもアンバランスだ。今だって、子供らしからぬ泣き方をする】


 アレナフィルを責めておきながら、泣かれて困ってしまったのか。

 男の口調がどこか弱くなって反応を探るかのようなものとなり、アレナフィルはアレナフィルで、その唇を噛んで何かに耐えるかのような表情となっていた。


【あれだけの男に囲まれていながら、君はずっと私を見ていた。もしかして本当に年上の男にしか興味がないのかな。私に一目惚れした?】

【・・・あり得ない】

【それならどうして君は私をそんな切なさそうな目で見るんだろう。触れたら泣きだしそうで、ずっと触れられなかった。結局、こうして連れてきたら泣かせてしまったけれど】


「彼は、君の周囲には色々な思惑がありすぎるようだと指摘した。誰の思惑で仕掛けてくる役を割り振られたのか知らないが、それとは別に君と接触させまいとする動きもあった。君はバランスが取れていない。子供なのに子供らしくない泣き方をするし、あれだけの男に囲まれていても私を見ていた。それは私を好きになったからかと、彼が尋ねれば、フィルちゃんは、それだけは無いと否定した。彼は、それならどうして君は私を見たら泣きそうな顔になるのかと尋ねた」


 気に入らない。ただ、そう思う。本気で気に入らない。

 妹の理想は父と叔父だ。あんな男じゃない。僕は認めない。


「片手剣術すらできなさそうな体でフィルを口説けるとか思ってるなんて、あいつちょっと図々しくないですか、叔父上。もうぶん殴っていいですよね?」

「待ちなさい、ルード。これはみんなで話し合う必要が出てきている。彼ばかりが加害者とは限らない」

「事情など必要ありません。彼は貴族子女誘拐犯です。このまま彼を処理すれば一気に解決です」

「そういう解決法は社会の裏街道を生きるようになってから言いなさい」


 フォリ先生とかオーバリ中尉とかネトシル少尉なら分かる。強さをひしひしと感じる。

 ウェスギニー家のアレナフィルが欲しければ、まずは父と叔父を倒していけ。それだけだ。

 彼は座る方向を少し変えて、アレナフィルににじり寄った。


【どんな理由があっても、誘拐はだめです。騙されてもいいぐらいに私に惚れたとしても、未成年相手に恋だの愛だのは大人として恥ずかしいことです。そこまで言うのならばファレンディア国へ遊びに行ってあげてもいいですから、私を帰してください】

【・・・本当に、君って子は】


「フィルちゃんは、どんな理由があろうと誘拐は犯罪で、私に惚れても未成年に手を出す大人は最低だ、まずは私を家に返せと言った」


 僕が見ているというのに、あの男はアレナフィルを抱きしめた。

 どうして避けないんだよ。フィルならそれぐらい叩きのめせるだろ?

 もしかしたらアレナフィルは体が痺れているのかもしれない。

 そう思った僕だが、アレナフィルの手が彼の背中へと回ろうとして・・・。


「あっ、こらっ、ルードッ」

「アレンッ」

「待てっ、ルード君っ」


 僕はプロテクターのワイヤーを貸しアパート・ロリザンナレードルの屋上に伸ばし、一気に空中へと躍り出た。間違ってもアレナフィルにガラス片が飛ばないよう、空中で角度を変更し、アレナフィルがいる部屋の窓をハンマーで叩き割り、ブーツの熱噴射を最大にしてガラス破片を廊下側へと押し流す。


――― ドガッシャーンッ、バリンッ、ガシャンッ。


 たとえまだ父や叔父に及ばなくても、アレナフィルに手を出す奴などこの僕が許さない。





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