27 ボーデヴェインはボスの娘に衝撃を受けた
世の中、腕力や戦闘能力だけで生きていけるもんじゃない。そういうシステムの中に組み込まれちまうってのが、社会で生きていくってことなんだろうな。
俺の名前は、オーバリ・ベントソン・ボーデヴェイン。ドルロン基地に所属する中尉だが、現在は特別チームが組まれたってんで、リーセン基地に来ているところだ。
(あっちも敵地潜入のプロだ。ホント、野生動物になった気分だぜ)
それでもやりがいがある。このままリーセン基地所属に変更してくれて構わねえ。それが本音だ。
だからボス、つまりウェスギニー大佐に再会した時点で直属の部下で引き抜いてくれってお願いしたってぇのに、断られた。ひでえ。
まあね。特別チームってなあ、つまり実戦部隊だ。少数精鋭でどこぞの破壊工作だの潜入工作だのこなす時にしか必要とされねえわけだし、特に今、そんな必要がなければ引き抜けねえってのも分からねえわけじゃない。
普段から実戦部隊は実戦部隊だけで組ませておいてくれりゃいいのに、そこは大人の事情って奴だ。
実戦部隊に組みこまれる程の優秀な奴をどこも抱えておきてえって思いがあるっぽくってな、作戦が終わる度に振り分けられちまう。
ボスに言わせれば、
「あちこち回っておけ。いざという時に様々な経験がある方が自分の選択肢が増える。何より人脈は増やしておいて困らん」
っつーんで、俺も諦めちゃいたけどよ。
勿論、実戦部隊っつっても、沢山のチームがあるし、組み合わせだって毎回変更される。だけどよ、俺らがボスと呼んでるウェスギニー大佐フェリルド。この人のチームに入っちまったら、もうよそはクソだね、クソ。
本当はもう命令だけして現地に行く必要はないのに、ボスはメンバーを見て必要だと判断したら同行する。ただしボスが混じると本来の予定をオーバーして人使いは荒いし、要求度も高いし、死ぬかと思うことがてんこ盛りになる。
さすがに昔、命綱無しで崖から落っことされる目に遭い、
「そんなに現場が好きかよ、どこまで出世してえんだよ。俺らん命、なんだと思ってやがる」
と、病室で文句言ってたら、見舞いに来てくれた先輩に殴られた。
ボスが入る仕事は本来よりも要求度が高くなるが、それだけボスが動くから死亡率が低くなり、更には俺達に不得意分野の経験を積ませているのだと。長い目で見て、俺達を死なせない為なのだと。
先輩にちらりと見せられた、過去の作戦の資料。それによると、俺ばかりか、他の奴らの生存可能確率は6%とか、17%とか、多くて31%とか、そういうのがはっきりと算出されていた。どいつもまだ生きてるけどな。
先輩も出世してから作戦を立てる側になり、過去の資料として見ることが許されたらしい。だが、ボスと同じような作戦変更や人材投入、武器の追加は許されず、作戦通りの死者と重傷者を出して終わったそうだ。
先輩は、
「いいか。ボスはその変更に伴う武器投入費用、特別人材派遣費用、全て自腹でやってんだよ。だからできたんだ。てめえ、自分の給料数年分、自腹で出せるか? あの人はな、それをずっとやり続けてきたんだよ。そんで生かされてきたてめえが、知らなかったからって文句言うなら今すぐ死んじまえ」
と、俺を見下ろした。
言われてみればそうだった。
本来はそれなりの死人や重傷者も出る筈の作戦を、勝手に変更することなど許されない。決められたことを遂行しないで、何が軍人かってことになる。
だけどボスにだけそれが許されているのは、「一度として」変更したことにより、「損害を生じさせたことがない」からだ。そして、それ以上の結果を持ち帰る。
ウェスギニー家のフェリルド。けっこうな出世組じゃないかと思っていたが、ボスはその手柄を、実は毎回、その根回しをしてくれた相手に譲っていたらしい。だから誰もが、
「次も自分が融通しよう。いつでも声をかけてくれ」
となるのだとか。
それを、
「偉い奴にそこまで尻尾を振るのかよ」
と、蔑む奴もいるだろう。俺だってそうだった。
だけどボスがそうやって守ってきたのは、本来は使い捨てられるべき部下や兵士達の命だ。
どれだけの細心の注意を払って根回しし、そしてどれだけの見えない努力と手間と金を費やして、ボスはそれを成し遂げてきたのか。
作戦変更と一口で言っても、つまり別の作戦を自腹で立てさせたわけだ。それだけの頭脳を無料で貸し出してはくれないだろう。
金持ちの貴族だから? それなら他にも貴族出身の軍人はいるじゃないか。
(とはいえ、見切りをつけたらかなりドライだよな。出世させてくれるって近づいてきた奴は全員破滅させてねえか、ボスってば)
これはアレだ。懐に入れた者には優しいが、それ以外は切り捨てるって奴だ。
もしかしたら俺もボスの真意に気づかず、裏で悪口を言いまくっていたら、いつの間にか死亡予定者の中に組み込まれていたのかもしれない。恐らくは一定期間内にボスの気持ちを理解するかどうかも、篩の一つなのだ。
実際、俺はボスの作戦であっても仲間の死を幾つも見送った。誰もがボスに対して内心では不満を抱いていた奴ばかりだった。
30代の子持ちだが、全く家庭的なところのないボス。
虎の種の印を持つ者は気づいている。同じ虎であっても、ボスの方が強いのだということに。だからチームを外れようと、俺達はボスをボスと呼ぶ。
でもって信奉者を順調に増やしているボスは、そのやっかみから敵も順調に増やしまくりだ。いや、もう、すんません。俺も昔はそっち側だった。
だけど、上司に誰がいいと言われたら、ボス以外の名前なんて、俺達あるわけないっしょ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ボスの子供は双子で今度14才になるそうだ。アレンルード君とアレナフィルちゃんという名前らしい。
人懐っこい子犬みたいな子供達だと聞いたのだが、男の子の方は発信機仕込んで、外国の誘拐した子供達を兵士に仕立て上げる訓練村に放り込まれたことがあった筈だ。
(ボスの実家でお誕生日パーティ参加。なんかこれ、俺ってばかなり身内っぽくない?)
形だけでも誕生日プレゼントを渡したいから参考までにいつもは何を渡しているのか尋ねたら、ボスは何も渡していなかったらしい。
そういうのは弟がやっておいてくれるからしなくていいそうだ。・・・大丈夫か、この人。
仕方ないので他の奴らに14才ぐらいの男の子と女の子に何があげれば喜ぶかを尋ねたら、大抵はちょっと大人っぽい何かだとか。だけど貴族の坊ちゃん嬢ちゃんがどんな物を喜ぶかなんて、俺に分かるわけがない。
仕方ないから男の子には、ベルトの尾錠にした。隠しミニナイフが装着されているものだ。ベルトさえ取り上げられていなければ、縄ぐらい切ることができるだろう。女の子にはペンギンのぬいぐるみ。
正装なんて持っていない俺のことを考えてくれたのか、全員軍服で参加ということだった。
俺が所属しているドルロン基地は灰色がかった黒の軍服で、ボタンは赤色だ。どこか柔らかな印象がある上、帽子にも赤のアクセントがついているものだから、ちょっと目立つ。
黒い移動車で待ち合わせ場所まで来てくれたのは、ボスだった。
「ほら、後ろ乗れ」
「運転代わりますよ、ボス」
「いや、いい。運転手を使わなかったのも、本人確認があるからだ。私なら顔で通過できる」
「そうっすか」
後部座席に座れば、これからフォリ中尉とネトシル少尉を拾いに行くとか。あちらの移動車を使えば、行き先が皆に分かってしまうというのが問題らしい。
ウェスギニー大佐が運転した車で送迎を行うとなれば、誰しも仕事と思うだろうということだった。
「てか、そこまでしてボスんちに行くってことを隠さなきゃならねえって、どんだけっすか」
「仕方ない。ガルディアス様も複雑な立場だ。これで貴族の小娘の誕生日会に参加となったらどんな騒ぎになるか分からん。ネトシル少尉にはガルディアス様の私邸に行ってもらっている」
「私邸があるっつー時点ですげえって感じっすけどね」
「私邸を使う方が気楽なんだろう。仕事そのものが、気晴らしみたいなものだろうが」
「ケタが違いすぎてついてけませんや」
門で予約名と本人確認をされた後、玄関まで少し走れば、既に軍服姿の二人が待っていた。茶色味を帯びた黒の軍服と、明るい空色の軍服だ。
滑らかな減速で停止させると、ボスが二人に声をかける。
「どうぞお乗りください。それともドアを開けた方がいいでしょうか?」
「それには及びません。まさかウェスギニー大佐が運転してこられるとは」
「運転を代わりましょうか、ウェスギニー大佐?」
「いや、私の方が分かっているからこれでいい」
さっと自分達でドアを開けて乗ってきたのはいいが、なんつーか、うん、感じる。めっちゃ感じる。
俺は前部座席に移動していなかったことを後悔した。
漂う空気を読むこともせず、ボスが運転しながらのんびりと話しかけてくる。
「フォリ中尉、ネトシル少尉。走りながら、打ち合わせましょう。オーバリ中尉は私が特別チームに参加する時のメンバーの一人です。いいお友達になれるでしょう。正門ではなく、隣接する敷地の庭を通過して入ります。面倒でしたので、運転手を使わなかったのですよ」
何がお友達なのか教えてくれますか、ボス。まさか裏切らない友達は墓場にいるとかいう奴じゃないっすよね?
「オーバリ・ベントソン・ボーデヴェインと申します。ドルロン基地所属ですが、現在特別チームとしてリーセン基地に出向中です。・・・てか、ボス。なんすか、これ。めっちゃ強いの感じるんすけど」
既に俺が二人からライバル認定されたのが分かった。ちょっと待ってくれと言いたい。
勿論、本気でやり合うとなれば誰が勝つかなど不明だ。しかし雲の上な王侯貴族出身の虎の種相手にやりあって利することなど何一つない。
「だからどちらも虎の種だと言っただろう。お前だって虎の種なんだ、頑張れ。その二人に張り合って、うちの娘の婚約者を狙ってりゃ、きっとお前の上司も諦めてくれる。どちらも結婚相手にはそれなりのご令嬢達が狙っている超優良物件だからな。様々な家がお前の上司ぐらい撥ねつけて、うちの娘とくっつけようとしてくれるさ」
「いやいやいやっ、そん前に俺、二つの殺意向けられてますけどっ? どんだけの優良物件、お嬢さんは引っ掛けてんすかっ。13の子供なんざ相手にしようってんだから、てっきり子供しか相手にできねえ虎の出来損ないって思うじゃないっすか。虎が好むのは生命力溢れた肉食系女って常識っすよ。それともボスのお嬢さんって、めっちゃ発育いいんすか?」
一気にボスの声が低くなった。
「ヴェイン、うちの娘は男子生徒になりすませる子供にすぎんが、男は紳士であるべしという思考だ。あまりうちの娘の前で品性下劣なことは言うなよ。あれで娘は好みにうるさい。機嫌を損ねたらお前の女難除けに協力なんざしてくれなくなるぞ」
「了解です、ボス」
するとネトシル少尉が溜め息をつく。
「さすが一つで三つも四つも成果をもぎ取っていくと言われるだけはありますが、よりによってお嬢様を使ってまでこういうことをやらかしますか」
「どうせヴェインはうちの娘など好みじゃない。安心して恋敵として使えばいい。数で押されることはあるだろうが、そういう時は更に引っ掻き回せばいいんだ。こういうことでもない限り、実戦部隊と関与することはないだろう。人脈は多くて困らん」
「どこまでも私を排除しようとしているとしか思えませんが、それで伯爵家の息子達にくれてやるつもりですか」
「まさか。フォリ中尉も見ていれば分かったでしょう。娘はまだ子供です。家族に甘えて暮らしていたいだけなのですよ」
俺は思い出していた。このボスのやることなすこと、たまに信用できないことを。
大体、子供の誕生日プレゼントすら弟任せで自分は何もしない非常識人間だ。
「あのぅ、ボス。ちょっと待ってくださいよ。いくら何でもおかしくないですか。だってまだ13才でしょう? それでいてこんな成人した虎の種が二人、しかも他にも伯爵家とやらがいるわけですか? 別に美少女ってわけでもないって言ってたじゃないですか。俺だって自分で言うのも何ですけど、面のレベルチェックされましたよ? 貴族っつったら、子供のことも考えて顔や頭もいいのを選ぶって話なのに? おかしすぎますけど?」
「うちの娘は可愛いタイプなんだ」
「いやいや、考えてみりゃボスの美意識っていい加減でしたよっ。皺くちゃのババア、貴婦人扱いするし、かと思えば美女相手にぞんざいだったりするしっ」
「もう黙ってろ。どうせ本人とはすぐ会える」
「へーい」
そうこうしている内にボスが幾つかの門を通り過ぎて、豪邸の玄関口に移動車を停める。家令らしき男が寄ってきて、移動車の扉を開けた。
「本日はようこそおいでくださいました」
その斜め後ろには同じ顔をした男の子と女の子がいて、これが双子かと俺にも分かった。一人はいずれうちで確保したい男の子だが、問題は女の子の方か。
(嘘だろ。だってまだ子供だ。そんな筈がない)
だが、この感覚は・・・。俺は理解した。
顔見知りらしく、不思議そうな声で男の子の方がフォリ中尉と話している。
「あれ? 先生、どうしてここに?」
「アレン、俺達の本来の職業、忘れてるだろう。俺達の上官がお前の父親なんだが?」
「だけど着てる軍服、違いますよね?」
「色々とあるんだ」
「へー。あ、本日はようこそおいでくださいました」
「ああ。誕生日おめでとう。アレナフィル嬢も可愛いじゃないか」
「ありがとうございます。だけど兵士さんも、そういう服なんですか、先生?」
するとボスが、アレナフィルと呼ばれた娘に声をかけた。
「フィル。そちらは兵士じゃない。フォリ中尉は士官だ」
「ええっ!? パ、・・・お父様、本当に?」
「ああ」
先程までの冷ややかな気配を塗り替え、ネトシル少尉がほんわかした口調でお嬢さんへ話しかける。
「はは。フォリ中尉は、あんな服装でラフに対応していらっしゃいますからね。アレナフィルちゃん、お誕生日おめでとう。ルード君と一緒にいるところなんて絵になる一枚じゃないか」
「あ。おじさんなお兄さん。軍の人だったんですか?」
本気でボスは自分の子供達に何も教えていなかったようだ。
「ああ。ルード君も日頃のやんちゃさが噓のような紳士ぶりだね。お誕生日おめでとう」
「叔父のお友達だったんじゃ・・・」
「そうだね。また見に行こう。だけど君のお父上の部下でもあるのさ」
むぅっと、お嬢さんの顔が膨れ始めている。
「もしかしてお兄さんも兵士さんじゃなかったりするんですか? お兄さんの青空色の軍服って何が違うんですか?」
「王族の護衛に関する所属ってことかな」
「しがない用務員だから、うちの父には何も言えないって言ってたのに? 王族の護衛ってとても偉いんじゃないかなって思います」
「フィル。そちらはネトシル少尉だ。しがないどころか、出世コースだな」
「なんと・・・! 私は騙されていた・・・!?」
感情が顔に出るというのか、私を騙したのね的なそれだが、なんだか子犬がキャンキャン吠えているような可愛らしさがあった。
笑いを堪えながらネトシル少佐が否定する。
「騙してない、騙してない。大体、俺が大佐に何か言おうものならクビになるって」
「大佐? 誰が?」
「君のお父さんだよ。ウェスギニー子爵の地位も知らなかったのかな?」
「・・・知りませんでした」
あー、これは俺、めっちゃ対象外だ。そう思った俺は、礼儀正しく対応することにした。
目の前にいるのはボスの大切なお嬢さん。うん、そういうこった。
「そうなると私だけが初めてということですね。どうぞよろしく、アレンルード君、アレナフィルちゃん。ヴェインと呼び捨てにしてくれて結構ですよ。私はそちらのお二人と違い、平民ですからね」
「ヴェインは、オーバリ中尉だ。ちょっと遠い基地所属だから、軍服も違ってくる」
「よく分からないですけど、ようこそおいでくださいました。えっと、たしか上司に愛されてて困ってるお兄さん?」
「あははは。・・・うん、ちょっと忘れていたかったかな」
ボスと同じ針葉樹林の深い緑色の瞳が、「忘れていてもね、事態は好転しないもんなんだよ?」と、語り掛けてくる。
眼差しと表情だけで雄弁に語ってくる子だ。
「アレンルード、アレナフィル。まずはお客様を中に案内しなさい。お喋りはそれからでいいだろう。・・・当家にようこそおいでくださいました。歓迎いたします」
「この度はお招きいただき、ありがとうございます」
ボスの両親から声を掛けられ、フォリ中尉の挨拶に合わせて俺達も礼を取る。
その間、ぴしっとしたお仕着せで勢ぞろいした使用人達が目を伏せて敬意を示す礼を取り続けていたところが凄かった。
なんでこれで兵士だと信じることができたんだ、子供達。うん、後ろを振り返らないからだね。
「いえ、どうぞ、そのようなことは・・・。今日はくだけた子供達の祝いですので」
「皆様、ようこそおいでくださいました。まずはお入りくださいませ」
ボスは両親に全く似なかったようだ。
顔立ちはボスの父親によく似た男、恐らくはボスの弟がお嬢さんに手を差し出した。
「フィル、おいで」
「はい、叔父様」
フォリ中尉には、その二人がつくようだ。
ネトシル少尉には、ボスの息子のアレンルード君がついて、グラウンドのロープがどうのこうのと話し始めている。俺はボスと最後を歩きながら、手で会話し始めた。
[ボス。お嬢さん、蝶でしょ。早めに印が出てるんじゃないですか]
[まさか。どうしてそう思う]
[蝶を見たことがあるからですよ。あの年でもう印が出てるんなら、そりゃ虎だって惑わされますって。だけどそれならちゃんと本人にも説明しておかないと、とんでもない混乱を起こします。あの二人だって、蝶を知らないからおかしくなってるんですよ。知れば対応できると思います]
[そうか]
フォリ中尉とアレナフィルお嬢さんは、ボスの弟を挟んで何やら話している。
あのお嬢さんもフォリ中尉に向かってよくもあそこまでぞんざいに話しかけられるもんだ。そっちに感心した。
「先生。もしかして結構、身分が高かったりします?」
「そういう要らん気は遣うな。王子に自分の買った小麦粉だの蜂蜜だのジャムだのを両手いっぱいに持たせた奴が何を気にする」
「本当なのかい、フィル?」
「え? えっと、えっと、えっと・・・。記憶にございません」
どうやらボスのお嬢さんは嘘が下手らしい。ぷっと、ネトシル少尉が笑い出している。
「ごめん、アレナフィルちゃん。報告したの、俺だ。外出時にどこで何したとか、ちゃんと報告する義務があってね。うん、ごめんね」
「裏切り者が後ろにいた・・・!」
「ちょっと待ってよ、フィル。僕が悪いとか言ってたけど、その前にやってること、ひどくない? まさかエリー王子に荷物持ちなんかさせてたの? それ、完全に僕、無関係だよね?」
「だ、だって、だって、いいって言ってくれたもんっ」
もしかしてエインレイド王子に荷物持ちをさせたのか?
ボスの娘の育て方が、俺は一気に心配になった。一番前を歩いているボスの両親が胃を押さえているように見えるのは気のせいではないだろう。
「そう責めてやるな、アレン。エリー王子も楽しんでいた。両親だって笑い転げながらその話を聞いてたんだから、問題ない」
「それ、国王陛下もご存じってことですよね。父の身にもなってください、先生。殿下の護衛を兼ねているなら、ちゃんとうちの妹を止めてください。妹は世間知らずなんです」
「世間知らずな買い物じゃなかったそうだぞ? いいじゃないか。ちゃんとお前の妹は、人前とそうでない時ときちんと分けている。問題はない。お父上もそう判断なさって、アレナフィル嬢には何も言わなかったんだろう」
頑張れ、アレンルード君。きっと君だけがこの家に常識をもたらす救世主だ。
「何を言うも言わないも、私は不在だったのですがね。陛下から聞いた時には全て終わった後でしたよ。・・・フィル、気にしなくていい。全ての責任はフォリ中尉がとることになっている」
「はい、お父様。つまり、王子様が荷物持ちをしたのは、先生の責任だと」
「その通りだ。遠慮なくフォリ中尉に責任はなすりつけておけ」
「はぁい、お父様」
すげえよ、ボス。俺、たまにボスってば空気読めねえんじゃないかって思ったことあったけど、今、確信した。
あんた、最初から空気をぶった切る人だった。
「おいおい。あのなあ、なんでそうなる」
「子供は未熟なのです。だから監督している大人の責任です。そういうわけで先生、あとは先生が全て悪かったということで」
ああ、ボスの娘だ。うん。アレナフィルお嬢さん、いい根性だよ。
「レミジェス殿。ちょっとその可愛い姪御さんをこっち側に寄越してくれませんか?」
「うちの姪はとても人見知りが激しいのでお断りします」
無礼な却下にも思えたが、姪を渡した方がもっと厄介なことをやらかすと、叔父として判断したのだろう。
やるなら来い、やってやるという気配がアレナフィルお嬢さんから発されていた。
「自分のやらかしたことを、その場にいなかった人間のせいにする女子生徒が、いつから人見知りの激しい子と言うようになったんでしょうね? アレナフィルさん? ちょっとこっちへおいで?」
「すみません、先生。私、父か叔父から離れちゃ駄目って言われてるんです。女の子だから」
さすがに身の危険を感じたか。
俺もそこは助け舟を出すことにした。
「ちょっと、フォリ中尉? それ、やめておいた方がいいですよ。そこのアレナフィルお嬢さんにはあまり触らない方がいいです。私の推測が当たっていればですが」
「どういうことだ?」
フォリ中尉が歩きながら振り返る。俺はアレナフィルお嬢さんに笑いかけた。
ああ、やっぱり惹きつけられる。
「悪い意味じゃないよ、お嬢さん。家族以外の男は信用しちゃ駄目だ。君は可愛すぎる女の子だからね。いや、本当に私も今から口説きたくなったな。ここは最初から全力出すべきところか?」
「・・・ヴェインお兄さんは、ボンキュッボンなお姉さんが好みだって聞きました。人の本質的な好みは変わらないです。無理せず、自分の好みを貫いた方がいいと思います」
どうせお前、私のことなど好みじゃないだろ? と、その針葉樹林の深い緑色の瞳が俺を射抜いた。
分かっていない。そう、この子は分かっていないのだ。
それなのにどうしてこの子の瞳は子供らしからぬ意思を感じさせるのか。
「それはそうなんだけど、・・・まあ、いいか。後でお話しましょう、ボス。それより、結構しっかりした子達じゃないですか。まだまだ子供だって聞いたからぬいぐるみにしたのに、これだけしっかりしていたならもっと大人っぽいものにするんでした。アレンルード君はしっかりした子でスコアもよかったって聞いてたからそんなものかなと思ってましたが、アレナフィルちゃんもはきはきしたものじゃないですか」
そうして食堂に案内されれば、丸い大きなテーブルが一つ置かれていて、九人分の座席が作られていた。
「席はくじにしたよ。好きなリボンを取って、そこに書かれていた数字の席だ。まずは主役のルードとフィルが引いていいよ」
俺は8番の席だった。
1番席はフォリ中尉、2番席はボスの母親、3番席はネトシル少尉、4番席はボスの弟、5番席はアレナフィルお嬢さん、6番席はボス、7番席はボスの父親、8番席は俺、9番席はアレンルード君。
まずはトレイが各自に運ばれ、指先を洗う消毒水ボウルとフィンガータオルが載っている。フィンガータオルには、玉蜀黍の黄熟色の毛並みに針葉樹林の深い緑色の瞳の瞳をした子猫が二匹、刺繍されていた。片方は首元にタイを、片方は頭にリボンをつけている。
「わぁ、可愛い。見て見て、ジェス兄様。ルードとフィルが猫さん」
「ほほほ、ルードとフィルのお誕生日だもの。だから緑の目をした子猫達にしたのよ。よろしければ皆様も記念にお持ち帰りくださいませ」
「お祖母様。フィルはともかく、僕はもっと狼とかライオンとかの方が・・・」
やっぱり女の子だなぁと、喜ぶさまが可愛らしかった。
次に運ばれてきたのは、うっすらと黄金色がかったスパークリングワインだ。隣のアレンルード君には、ローズピンクの炭酸入りドリンクらしい。
「あまーい、しゅわしゅわしてるっ」
「フィルとルードには炭酸で割ったからね。他の人はスパークリングワインだが、気に入ったかい?」
「はいっ、お父様」
「シロップを一瓶、くれるそうだ。何なら小分けして学校に持っていくといい」
「うわぁ。はい、そうします。あ、ルードも寮に持っていく?」
「んー。持っていってもそのまま飲めないんじゃ意味ないからいい。家でフィルが作ってくれたらそれでいいよ」
甘いのが嬉しかったアレナフィルお嬢さんに比べ、アレンルード君はそこまでではないらしい。たしかにシロップをいちいち炭酸で割るなんて手間だ。
「うん、そうするね。あ、だけど学校のクラブにも持ってくからこっそり飲みに来るといいよ。警備棟の中にあるんだよ」
「・・・メンバーと鉢合わせした時にお互いに気まずいからいい」
「気にしなければいいと思うけど」
てっきり男の子の方が雑なのかと思いきや、女の子の方が無神経っぽい。
そこへネトシル少尉が話しかけた。
「アレナフィルちゃんは本当に料理が得意だね。クラブでも出してあげるつもりなんだ?」
「そうなんです。だってみんな、よく食べるし。シロップを水や炭酸や牛乳で割ってもいいけど、アイスクリームにかけてもいいかなって。ネトシルさんだって、暑い時期にはそういうのって喜ばれるだろうなって思うでしょ?」
「どうせ名前で呼んでくれるならグラスフォリオンだから、リオンの方が嬉しいかな。ただし、他の生徒の前で世間話はできないけどね」
「了解です、リオンお兄さん。では引き続き、お互いに空気のような背景と一緒ということで」
そう言いながらアレナフィルお嬢さんが、ボスのスパークリングワインを手に取り、しれっと自分の飲み干したグラスと交換したことに気づかなかった軍人はいなかっただろう。
一口飲んで、その美味さに感動している様子なので、隣の叔父も見逃してあげようと思ったらしい。
「ああ。その上で言わせてもらえるのなら、時期を問わず、あのメンバーは喜んで飲んで食べると思うよ。アレナフィルちゃん、実は彼らを太らせて食べてしまうつもりだろ? 一年後にはまるまる太った子豚さんが生まれていそうだ。アレナフィルちゃんの手料理が美味しすぎてね」
ウィンクしているネトシル少尉も、アレナフィルお嬢さんの表情を楽しんでいるようだ。
うーん。たしかに幸せそうな顔でこくこく飲んでいるよな。
「そうそう、子爵夫人。アレナフィルちゃんは本当にお料理の手際がいいと、みんなも感心していましたよ。一口、先に食べさせてもらうつもりが、皆が幾つも食べてしまうぐらいでしてね」
「まあ。本当ですの?」
「ええ」
「そういえばクラブ参観があったそうですね」
ネトシル少尉はボスの母親が気づかない内に飲ませてあげようと、そんな感じで話題を振る。
ボスの弟も協力するつもりか、会話に加わった。
興味深く観察に徹していた俺だが、隣にいるアレンルード君が剣呑な気配に変わったことに気づく。
「へえ、フィルったらそんなことしてたんだ」
ちょっとボス。この息子さん、なんかヤバそうじゃないっすか。
それにはアレナフィルお嬢さんも気づいたらしい。ご機嫌取りをすぐに始めた。
「あっ、あのねっ、ルード。多分ね、みんなにも褒められたし、二回目も美味しく作れると思う。やっぱり食べに来ない? それとも持っていってあげようか?」
「・・・うん。そうだね」
「フィ、フィル、ルードがお肉大好きだからっ。だからそこまでお肉食べないけど、練習したんだよっ。美味しいってみんな言ってくれたんだよ。ルード、責任もって食べてくれるよねっ?」
「ねえ、フィル。なんで成人病予防研究クラブで、フィルがお菓子や料理を作って男子生徒に食べさせることになるの? まさかと思うけど、その中に好きな奴でもいるの?」
「いないよっ。えーっと、えーっと、・・・食べたいからっ」
何なの、これ。同じ学校に通っていて、なんで兄が何も知らないのさ。ちゃんと話しておきなよ、お嬢さん。このアレンルード君、ヤバい気配出してるから。
さすがにボスが息子に向かって諭し始める。
「ルード。フィルは本気で成人病予防を考えて調べ物をしていた。だが、成人病を予防する為の料理を作ろうとすれば、やはり育ちざかりのメンバーには物足りないものばかりで、結果として普通の食事や菓子も作るようになってしまっただけだよ」
「父上。だからって、フィルが男子生徒にそこまで尽くす理由が分かりません」
「お前だって、フィルがだらだら寝転がって菓子を食べるのが好きなことは知っているだろう? 成人病予防の研究と言いながら、フィル達は砂糖だのジャムだの蜂蜜だの生クリームだの、甘いものを使いまくりで、こってりしたものばかり食べている。材料費に学校のクラブ予算を使っている以上、フィルは学校関係者やメンバーを共犯者にしているだけだ」
「それ、成人病予防の意味がないのでは・・・」
「無駄な努力でも、努力することに価値があるんだろう、きっと。どうせならお前もフィルに差し入れてもらえばいい。フォリ中尉やネトシル少尉だって毒見がてら届ける程度はしてくれるさ」
「・・・はい」
いやボス、それ意味がないですって。
これ、「自分にもしてくれれば許す」じゃなくて、「自分以外には何もしなくていい」って奴っすよ。
「あ、あのね、ルード。まだフィル、鶏さんしか作ってないの。お料理のご本、見ながらだから。だけどルード好きなら、豚さんとか牛さんもいいよね? 何がいい? そのまま食べられるものがいいよね。鶏の串焼きとかもいいかも? 辛いのとあまり辛くないのとどっちがいい?」
「少し辛いの」
「う、うん。パンとかに挟んである方がいい? パンは要らない? 水筒にミルクコーヒーとか入れておいた方がいい?」
「どっちでもいい。普通に牛乳でいい」
「そうなんだ。じゃあ、ルードがすぐに食べられるよう、パンにお肉とか挟んであげる。その方がいいよね? ルードがぱくって食べられるよう、お肉ことこと煮込んで作ってあげる。ね?」
「うん」
王子に荷物持ちさせて、しかもフォリ中尉に対してぞんざいな対応していたアレナフィルお嬢さんだが、さすがに双子の兄には気を遣うらしい。
どうにかアレンルード君の機嫌も直り始める。
そこでくっと笑い出したのがアレンルード君の隣に座るフォリ中尉だ。
「実は双子の兄が一番嫉妬深かったというオチか? それならアレン、お前も警備棟に来ればいいだろう。エリー王子だって気にしないさ」
「僕達はなるべく行動範囲がかぶらないようにしているんです。誰がどちらの友達なのか分からなくなるし、比べられるのも違うと思うから」
これでも俺はアレンルード君の七年後に期待しているクチだ。だから隣に座ったことを幸いと、観察はしていた。
子供だが、自分なりに好き嫌いがはっきりしているようだ。
「ここまで個性が違いすぎると比べようもないだろう。友達は中身で決めるものだ。双子だろうが、顔がそっくりだろうが、性格や生き様がここまで違うとあれば、一緒くたになる筈もない。
お前はどこまでも自分の力で手に入れる男になるだろう、アレン。なるべく手を抜いてぬくぬく生きようとする妹と混同する奴がいたら、そいつの目と頭を疑った方がいい」
「え。・・・あ、ありがとうございます」
おい、フォリ中尉。あんた、妹狙いじゃなかったのか。双子の兄も狙っているのか。
全員が二人の会話に注目し始める。
「いや。警備もアレナフィル嬢を楽しく見守ってはいるが、感心しているのはアレン、お前の方だからな。七年後には軍に入らないかと声を掛けようとして、お前が長男だと知り、がっかりした奴は多い。次男や三男ならば誰も躊躇わなかっただろう」
子供の誕生日会だからだろう。色々な味付けの小さな詰め物が、皿の上で動物の顔を模した盛り付けをされて運ばれてきたのはいい。だが、俺だってちょっと待てという気分だ。
さすがにこれは見過ごせない。
「パ、お父様っ、どうしようっ。ルードがたらしこまれてるっ。しかもこれ、とっても可愛いっ。どれから食べようっ」
「好きな物から食べていいから、その前にお前の本性がばれていることを嘆きなさい、フィル」
「ちょっと待ってください。ボス、フォリ中尉を止めてください。アレンルード君に目をつけたのはこっちが先です。いきなりぽっと現れて口説かれるのは困ります。大人になるまでは接触を控えているだけで、こっちはもう数年前から予約を入れているんですよ」
どうせ何でも手に入れられる存在が、この子まで取っていくというのはナシだろう。
アレンルード君が驚いて振り向いたものだから、俺は微笑みかけた。
「生憎と一緒に遊べなかったが、いずれ私ともボールゲームができると信じてるよ、アレンルード君」
「えっと・・・。僕には、ちょっとそちらは無理だと・・・」
「そんなことないよ。大丈夫、まだまだ先のことだからね。お父さんと同じ部隊の方が君には合っている筈だ。貴重な原石の成長を我々は待っている」
使える人材は宝だ。ボスの息子であれば、十分に将来性は高い。
その頃には俺だって指揮する立場だ。たとえフォリ中尉に睨まれようとも確保しておきたい。
「何を考え無しなことを二人共仰ってるんでしょうね。ルード君、どちらにも頷かない方がいいですよ。大切なウェスギニー家の跡取りに何かあっては大変です。その点、うちはいいですよ。王宮の近衛とあれば、王族の業務がメインです。国賓にも身近に接します。子爵家を継ぐ上でも学ぶものが多いことでしょう」
ネトシル少尉まで参戦してきやがった。
「ジェス兄様。どうしよう、ルードがモテモテ。これが青田買い」
「うーん。一体何があったんだろうね。・・・ところで、兄上、どうしてあなたの部隊にという話がここで出てくるんでしょうね?」
「ヴェイン。息子は自分で自分の人生を決めるだろう。どうせフォリ中尉も本気ではない」
「そうやってトロトロしている内にいい人材を搔っ攫われるのは間抜けすぎですよ、ボス。ここは退いておきますけど」
まだアレンルード君は子供だし、俺もボスを怒らせる気はない。
どれも一口というより半口サイズなので、ぱくぱくと食べれば、アレナフィルお嬢さんは一つ一つを大切に食べているようだった。
ボスの弟がアレナフィルお嬢さんに話しかける。
「幸せそうだね、フィル」
「うん。味的には緑、黄色、朱色の順番で食べるといい感じ。食べるの、勿体ないの。だけど食べるの。他の動物に比べ、人は手間暇をかけてでも美味しく食べたい、欲深い生き物」
「また言い出したな。そんなに咽喉が渇いているのかい? しかもちまちま食べているけど、今日は小食なのかな」
「ううん。一口食べるごとに水を飲む。お口、さっぱり。そして味を覚える。いつものお料理と違って、こういうの、お野菜も一口で食べやすい厚み。体で覚える」
ネトシル少尉も、そんなアレナフィルお嬢さんの食べ方を楽しく眺めていたようだ。俺と一緒で、とっくに皿は空になっている。
「アレナフィルちゃん、もしかしてそれもクラブで作ってあげるつもりなんだ?」
「ううん、こういうのは手間がかかるだけ。しかも男の子なんて味わうことを知らない生き物だから、大皿料理でいいの。これはね、自分の為なの。一人で飲むお酒には、一口サイズの酒の肴を揃えて、だらだらと過ごしたい。誰にも邪魔されない、至福のひととき・・・」
あちゃーと、誰もがボスの両親の顔を見て額を押さえる。何の為にアレナフィルお嬢さんのグラスに目がいかないよう逸らさせてあげていたのか。
本人もそこで祖父母の視線に気づいたようだ。慌てて言い訳を始める。
「ちっ、違うのっ。フィルッ、お父様のお酒っ、そうっ、お父様のお酒にねっ、作ってあげたいなって・・・」
「フィル、お酒は大人になってからだよ? 今日は見逃してあげるけどね」
「は、はい。お父様」
ボスがアレナフィルお嬢さんの頭に手を置いてキスすることで、見逃してやってくれと仕草で両親に伝えた。
そこで遊び心を出したのがフォリ中尉だ。
「たしかに酒の肴が一口サイズだとだらだら過ごせるか。大抵は燻製やナッツで済ませていたが。アレナフィル嬢、その卵の詰め物にはどの酒が合う?」
「・・・えーっと、上に山羊のチーズの欠片を一つか二つ散らして、ガツンとくる濃いお酒がいいかなって。私としては麦の蒸留酒で」
おい、お嬢さん?
「そっちの野菜の煮込みが入った奴は?」
「安いテーブルワイン。チープなワインを美味しく飲むのにぴったり。できれば水切りしたヨーグルトと青菜を一緒に揃えておきたい。口直しには安いチーズを火で炙ったものをクラッカーに添えておけば最高。高ければ満足度が高いわけではない。私はそう思う」
「なるほど。ちまちま味わっていたことにも意味があったか」
いや、アレナフィルお嬢さん。えっへんと、偉そうな顔をする前に、君はもうちょっと周囲の表情を見た方がいい。特にお祖父さんとお祖母さんの顔な。
今日で14才だったと思うのだが?
「アレナフィル。お前は家で一体何をしていたのだ。まさかここで住みたくない理由が、そんなことにあったのではないだろうな。その年で酒を嗜んでいたとは」
「え? えっと・・・、お、お祖父様っ、フィ、・・・私っ、おうちでお酒飲んだことありませんっ」
「飲んだことがないものの味を、どうして知っているのだ。正直に答えなさい」
その通りだ。
お嬢さん、あんたは場末で育ったわけでも何でもなく、子爵家のお嬢様だろ。
勿論、面白がって尋ねたフォリ中尉も悪い。俺とネトシル少尉の非難するような目つきに対し、フォリ中尉は肩をすくめて経緯を見守るつもりだ。
「フィルは嘘を言っていませんよ、父上。うちに麦の蒸留酒はありません。酔っぱらって口が軽くなっているようですが、あまり怒らないでやってください。どうせ客人もその程度で幻滅する程、お綺麗な仲間に囲まれてはいないでしょう」
ボスが娘を庇えばほっとした顔になり、これで話は終わったとばかりに、アレナフィルお嬢さんがぱくぱくと残りの前菜を食べていく。
これこれ、お嬢さん。君のしりぬぐいを父親にさせてどうする。
「おかしいね、フィル。マーサさんが管理している家で酒の盗み飲みはできなかった筈だし、寄り道もしていない筈だ。そんなものを君が飲むことができた筈がないんだけど」
「あまり責めてやるな、レミジェス。フィルはバーレンの所に行っていた。何かとフィルに夕食の用意を頼んでいた奴だ。つまみを食べさせながら、酒だってひとなめぐらいはさせていたんだろう」
「ご自分の友人ぐらい、ちゃんと管理してください、兄上」
「いいじゃないか。家庭教師としては優秀な男だ」
そこまではまだよかったのかもしれない。だが、その後が問題すぎた。
あんなスパークリングワイン一杯で、アレナフィルお嬢さんが酔ってしまったからだ。
「パピー、ルードの大好きなスープッ。あのねっ、フィルねっ、ちゃんとお願いしといたんだよっ。このスープって。偉い? フィル、偉い?」
うん、見てて凄かった。まあね、どうせ俺達だって酔っぱらいの醜態なんざ慣れたもんだ。たかが女の子の酔っぱらった姿程度で動じはしないが・・・。
いや、うん、凄かった。
酔ったアレナフィルお嬢さん、ボスをパピーって呼ぶんだね。そして笑い上戸になるお酒なんだね。
「ああ、偉い。偉いから落ち着きなさい。ちょっとお前は部屋で食べた方がいいな、フィル」
「やだぁ。今日はフィル、主役なのっ。だからフィル、何でも言っていいのっ。パピー、今日はフィルを大事にしなくちゃいけないのっ」
「ルード。お前も主役だと、フィルに言ってやれ」
「え? うん、僕、お酒をフィルに飲ませる時は考えようって思いました、父上」
アレンルード君。妹が何をしていようと気にせず食べる君はマイペースだね。
「お誕生日の時は誰だって王様、女王様なんだよっ。それがお祝いなんだよっ。フィル、パピーのお膝で食べたいっ。フィル、ちゃんと寂しくても我慢したっ。大体、お客様っていうけど、どうせ学校にいるのにっ」
「あー、はいはい。じゃあ、おいで」
ボス、お嬢さんには弱いんですね。本当にお膝に座らせるって、もう13、いや、14才でしょ?
「パピー、やっぱり黒が似合うーっ。黒い服って誰でも割り増しに見えるけど、パピーが一番色気があるのっ。パピー、自信もっていいっ。あ、フィルといる時は、前髪、一筋垂らして。うん、やっぱりいい男―っ」
「本当にフィルは兄上が好きだね」
「ジェス兄様も好きーっ。両手にいい男―っ。次っ、あーん」
「そうだな。沢山食べて大きくなりなさい。そして酒は二度と飲むな。ここまで酔いやすいとは」
「私が食べさせましょう、兄上。そのまま抱えていてください。ほら、フィル。お口開けて」
「はーい」
ボスの母親が恥ずかしそうに頬を赤く染めて、フォリ中尉やネトシル少尉、そして俺に謝り始めた。
「ああ、もう。うちのアレナフィルはまだ子供ですの。本当にお恥ずかしい。部屋に下がらせますわ」
「いやいや、お部屋でお腹を空かせたら可哀想ですよ。あの程度で酔うだなんて、自宅でよかった」
「ははっ。ボスが子守りだなんて笑かしますね。いやあ、いいものを見ました」
俺はなかなか楽しいものを見せてもらった気分だ。何より主役がここまでやってくれると、俺の礼儀作法も吹っ飛ぶ。
楽しい酔っぱらいは好かれるものだ。貴族令嬢としてはアウトだろうが。
「この通り、外に出せる孫娘ではないのです。どうか、そのあたりをお考えになっていただけませんか」
「私は承知の上です。フォリ中尉はともかく」
「私もアレナフィル嬢はまだ子供だと理解しているつもりです」
ボスの父親がネトシル少尉に話しかければ、フォリ中尉もまた譲る気はないらしい。
そりゃそうだろうな。俺だって貴族令嬢でなければ参戦した。
だが、何も知らなかったらしいアレンルード君が気色ばむ。
「ちょっと待ってください、お祖父様。フィルを外に出すってどういうことですか? 僕はフィルをどこにもやりません」
「落ち着け、アレン。アレナフィル嬢は、エリー王子の近くにいる。何かあった時、俺やネトシル少尉が防波堤になるといった話し合いがあっただけだ。お前だってエリー王子の恋人や婚約者の座を狙っている貴族令嬢のことは分かっているだろう」
「あ、はい」
あのー、フォリ中尉。なんでそこまでアレンルード君に信頼されてるんですかね。そしてもっともらしいこと言ってますけど、防波堤にならない立場ですよね?
「だからだ。たとえば成人した俺達が、婚約者だと言えば、そっちの関係で近くにいただけだと思われるだろう。エリー王子狙いだと思われたらどんな危険が生じると思う。だが、そういう場合、もてあそばれたと見なされるのも困る。だから色々と話し合いをもっていたところだ。縁組としては悪くないかもしれないだろう?」
「・・・そうかもしれませんが、そういう問題じゃありません。フィルは、ずっとうちにいるんです」
「だから落ち着け。基本的に18才前に婚約を決めることはまずない。当たり前だろう?」
「あ、はい」
酔っぱらっている割に、アレナフィルお嬢さんは出されたものを全て平らげた。
食べさせながら自分達も食べるという、ボスとボスの弟も器用すぎる。
だけどな、アレナフィルお嬢さん。いくらいい男でも、父親の首元のボタンを外してタイを投げ捨てるというのはどうかと思うぞ?
「僕もお酒飲んだらああなるのかなぁ」
「お前は大丈夫じゃないか? 少なくとも父親のシャツのボタンを外しはしないだろ」
「うちの妹、父の上半身がお気に入りなんです」
そんなボスはアレナフィルお嬢さんの歯磨きをさせて寝かしつけに行ったかと思うと、何かを思い出したかのようにお嬢さんを両腕に抱いたまま戻ってきた。
「忘れていた。フィルが酔っぱらってるならちょうどいい。証拠のフォトだけ撮っておくか、ヴェイン」
「そーっすね。ちゃちゃっと撮って、寝かしてあげた方がいいっすよ。変な恨みを向けられたら困るから、顔は見えない感じがいいですけど」
アレナフィルお嬢さんが酔っぱらった騒ぎで忘れていたが、俺はあくまで上司から結婚を迫られていることに困っていて、「この可愛いお嬢さんの成長待ちで、結婚するつもりなんです」な証拠フォトを撮りにきたのだ。
それを説明すると、ボスの両親や弟も納得したような顔になる。
納得しなかったのは、アレナフィルお嬢さんの方だった。撮影によさそうなリビングルームの一つに案内されたが、そこで嫌がり始めたのだ。
「やだぁ。フィル、こっちは好みじゃないー。フィルには分かるっ。フィルを大事にしない気配、ぷんぷんー。抱っこもドへたくそぉ。女に独り善がりな男って、キスもヘタクソって決まってるのにぃ」
「ちょっとちょっとっ!? 俺っ、お嬢さんにキスする予定なんてないっすよっ!?」
俺が一人掛けのソファに座り、お嬢さんを膝の上に座らせているという構図でフォトを撮るつもりが、思いっきり拒絶された。
なんで俺、キスがヘタクソって言われてるわけ?
「あー、我慢しなさい、フィル。ちょっとの間だけだ。キスなんてしなくていい。ただの椅子だと思ってなさい。ね? 兄上、撮る瞬間まで傍にいてあげてください」
「ジェス兄様の方がいいー。パピー、フィルをこの人に売ったぁっ。フィル、独り善がり系嫌いなのにぃっ。自分だけ気持ちよくなって、女の人見てない手抜きなんだよっ、こーゆー人っ」
「余計にひどいっ!!」
どうやらボスが俺の膝の上にお嬢さんを置こうとしたのが気に入らなかったらしい。
「聞きましたか、フォリ中尉。彼、自分だけ独り善がりな手抜きだそうですよ」
「恐ろしいな、アレナフィル嬢。俺が彼の立場でなかったことに安堵するばかりだ」
頼むからその口を閉じてくれ。俺に対する二人の士官の目が哀れみに満ちすぎている。
「なんですかっ、この子っ!? ボス、俺、何にもしてないのにひどいこと言われてますよっ!?」
「ルード、ちょっとドレス着てこい。顔立ちや瞳の色が分からない角度で、仲いい感じに寄り添ってやれ。フィルは酔っぱらってて、本音が駄々洩れだ」
「父上。フィルって酔ってなくてもこんな感じですけど」
ボスはお嬢さんの説得を早々に諦め、アレンルード君で代用した。まあね、一緒の顔だけどね。
しかしアレンルード君。そこでフリルひらひら、黒のレースたっぷりミニスカートってチョイスが凄すぎ。
そうなるとアレナフィルお嬢さんも文句はなかったらしい。三人掛けのソファに移動しろと言い出し、俺の軍服まで半脱ぎにさせやがった。
「ちょっとスプレーでシュッ。すると、汗をかいたかのような感じが生まれますっ。そしてここで片足だけソファの上にっ。手はルードの腰っ。斜めに手を置くことで、ちょっとセクシャルッ。シャツのボタンを外して、その中にルード、手の指先だけ置くのっ。表情が悪いっ。幸せなことを思い返して笑うっ。大好きな人とキスする瞬間、思い浮かべるっ。それによりっ、見る人の妄想力がパワーアップッ」
仲良くお膝に載せてるだけでは意味がないと、アレナフィルお嬢さんは言いきった。そしてアレンルード君の目が凄く嫌そうだ。
「フィルが自分でやればいいのに。なんで僕がこんな姿勢をしなきゃいけないんだよ」
「フィル、好みじゃない男は触りたくない。それにルード、細い手足と薄い胸をアピールしないと、相手が負けたって思ってくれないっ」
つまり成人女性には興味のないロリコン証拠フォトを撮るべきだとアレナフィルお嬢さんは力説したのである。
「ボス。俺、何をさせられてるんでしょう。なんか俺の名誉が・・・」
「うちの娘は、この家で自分の願いが叶わないことはないと思ってるんだ」
なんだかなぁと思いながら撮られたフォトだったが、・・・うん、たしかにこれは恋人同士だ。
俺はまさにソファでミニスカートの女の子から襲われそうになっていて、それを喜んで受け入れている図だ。ヤバすぎるだろ、これ。
「すげえ。なんつーか、俺、いかがわしさたっぷりなんですけど」
「フィルよ。お前という子は・・・」
「ああ、フィル。あなたって子はどこでそんなポーズを覚えてきたの」
「お祖父ちゃま、お祖母ちゃま。そーゆーのは色々なご本に載ってる。フィルはちゃんと読んだの。さあっ、これをカードケースに入れておくだけで、後は見る人が勝手に妄想してくれますっ」
鼻高々なアレナフィルお嬢さんに対し、アレンルード君はとても冷めていた。
「いいけどさ。ヴェインさん、これから同年代との恋愛ができずに子供に走った変態だって思われるよ」
「いい人スタンスで円満に諦めてもらおうっていうのが間違いっ。そういう場合は唾棄されるぐらいに軽蔑されないと諦めてくれないって分かってないんだよ、この人っ。パピーもねっ、仲いい証拠写真でどうにかなるって思ってる時点で甘すぎっ。変態だから大人の女性がダメなんだって前面に出さなきゃ駄目なのっ」
「うーん。さすがはアレナフィルちゃん。何故かオーバリ中尉に同情できる」
「そうだな。アレナフィル嬢はどこまでもぶっ飛んでいる」
酔っぱらってハイになっているアレナフィルお嬢さんだが、ボスにひょいっと抱っこされて思い出したらしい。
「ほら、フィル。そろそろ寝に行こうな」
「パピーは信用できないっ。ジェス兄様がいいっ。パピー、フィルをあんな弱い人に売ろうとしたっ。フィル、フィルを大事にしない人、嫌いなのにっ。ジェス兄様っ、助けてっ」
「ああ、はいはい。だけど兄上は別にフィルを売ってないぞ。それに彼は決して弱くない。実戦部隊といえば精鋭だ」
ボスの弟がアレナフィルお嬢さんを抱き上げれば、それで落ち着いたらしく首筋にすりすりとし始めた。
「ところでフィル。兄上はともかく、私のボタンまで外すのはやめなさい」
「だってジェス兄様の体も素敵。ここは口直しに胸板を堪能しないと」
「俺、これでも口直しされなきゃいけない程の体のつもりはないんですけどね? アレナフィルお嬢さん、ちょっと人のこと見くびってませんかね?」
俺だって弱いと言いきられるのはさすがにむかつく。
「だけど先生やリオンお兄さんより弱いもんっ。フィルには分かるっ。パピー、この中で一番強いくせに、フィルをあんな弱い人にあげようとしたっ」
「・・・うーん。兄上、最初からルードに頼めばよかったですね。フィルは兄上が大好きだからショックが強すぎたようです」
そこで口を開いたのはフォリ中尉だ。
「アレナフィル嬢。それなら、この部屋で強い順番をあげてくれないか」
「パピー、リオンお兄さん、先生、ヴェインお兄さん。他は知らない」
「俺よりネトシル少尉が強いと判断した理由は? 何よりウェスギニー子爵は、虎の種としてはそこまで強くないとされている。勿論、成果は凄いものだが」
「そんなの知らない。先生、鎖、つきすぎ」
「鎖? 俺には鎖があると?」
「リオンお兄さんにもヴェインお兄さんにもある。だからパピー、一番強いのに、・・・フィルを売ったぁっ」
「あー、ほらほら、泣かない。困った子だね、フィル。眠くて愚図ってるようだ。すみません、ちょっと酔っておかしくなっているんでしょう」
ボスの弟がアレナフィルお嬢さんを抱き上げたまま、部屋から出ていこうとする。
「ちょっと待ってください。恐らく、一緒に聞いておいた方がいい。ボス、やっぱりお嬢さん・・・」
「まさか・・・。蝶が、虎の判別をするなんて聞いたことないぞ」
「大抵は囲い込みます。もしかしたらその理由は・・・」
俺はボスを尊敬している。だが、強さについてはあまり感じられないと、最初の頃は思っていた。
勿論、一緒にチームを組めばそうではないと分かるし、一度理解してしまえばボスの強さはびんびんに感じる。
しかし昔の俺と同様、大抵の新人は本番に強いタイプなのだろうと思って侮るのが常だ。
なんてこった。
さすがボスの娘だ。ただの酔っぱらいじゃなかった。




