ゴブリングールの襲撃
「この辺りはゴブリン達が使う、死体棄て場だったようだな。ククルカン教、密典『根黒密魂』によれば、死んで魂魄が遊離した死者を弔わずに放置すれば、魂はこの世にとどまり、『レイス』や『ファントム』のような非実体系アンデッドに、魂を失い『魄』が残った肉体は、ゾンビやスケルトン等の下級アンデッドになると記されておる」
炒り豆をポリポリかじりながら、デルモンドは迷宮内の大部屋を映し出した羊皮紙を見ていた。
「さしずめ、アンデッドの苗床ね」
馬車の中でお茶をすすりミスランティアはあらぬ方向を見ながらそう言った。
彼女は今、ダンジョン探索中のソシエールが持つ、杖の先っぽの『ミーちゃん』を通してデルモンドと同じ部屋を見ていた。
「ふむ。難儀なものよ。魂を一つしか持たぬ者達は」
デルモンドの隣で、羊皮紙を眺めていた、クープがミスランティアに応じる。
「それにしても今後、旧デール候国へ探索者を送り出すのならば、この辺りに橋頭堡が要りますな。ダンジョンを清掃して砦でも作りましょうかのう」
「幸い整地されて、材木も、石材も豊富に有ります。いっその事、冒険者の街を作りましょうか?」
クープの提案にミスランティアは相づちを打つが、デルモンドはそんな二人を忌まわしげに眺めながら小言を言う。
「まさかお二人は、そのために昨夜暴れたとでも言いたいのですかな?」
「え? えへへへ」
ミスランティアは頬を赤く染めてテレテレ照れ笑いをした。
「しかし、師匠。藪の蛇をつつくような事にはなりはしないかのう。デール候国の跡地に、何らかの勢力があり、五候国に侵略を目論んだとして、この峠を通らねば侵攻は難しい。敵はこの場所の奪還を試みて軍事行動をとるやも知れん」
「ゴブリン達は明らかにここで練兵をしていました。冒険者で対処するには荷が勝ちすぎる段階まで、既に事態は進んでいるのかも知れませんねぇ」
おやつの皿が並ぶ馬車客室の床から立ち上がり、ミスランティアは窓から外を眺める。
若い冒険者が潜入したダンジョンの入り口がそこからは見えた。
「……あら?」
どうやら『ミーちゃん』からの映像は、ミスランティアがかけている大きめな丸眼鏡のレンズに映し出されているらしい。
ミスランティアは会話を一時止め、そのレンズの映像を確認している。
「どうかされましたか? 師匠」
デルモンドが問い掛けると、ミスランティアは少し困った表情で答える。
「ダンジョンの深部に、探知魔法を阻害する領域があるようです。迷宮内に魔法を使う何者かが潜んでいる可能性が高いわねぇ」
ミスランティアの言葉を受け、クープとデルモンドは顔を見合わせた。
※※※※※※※※
「あれ? ミーちゃん黙っちゃった……」
借り物の杖をフリフリしながらソシエールはつぶやいた。
「ところで次はどっちに行く?」
「なんで私に訊くのよ?」
アヴァンの質問にソシエールはムッとして問い返す。
「俺はその、杖の『ミーちゃん』だかに訊いたんだよ。あれ? 動かなくなっちゃったの?」
「まあ、選択肢は二つしかありません。進めそうなのは、今、入ってきた入り口のすく横の、あの扉と、ホールの奥に続く回廊ですね。扉は恐らくゴブリン達の寝床に、回廊は深部の迷宮に続いておりましょう。コウモリやアンデッド達は奥からやって来ました。多分ゴブリン達は奥には行かないはずなので。まず調べるのは手前の扉です。ミスランティアちゃん……。もとい、ミーちゃんもこっちを指し示していました」
パストールはそう言うとスタスタと先頭きって扉の方へ向かった。
近付いてみると判明したのだが、扉は剛力でこちら側から何度も打ちすえられ、半ば崩壊して向こう側へ半開きになっていた。
「ゴブリンの大半が去り、この先の領域に、奥の迷宮のモンスターが入り込んできたのでしょうか?」
そう言いながらパストールは扉の向こう側に足を踏み入れ、少しの躊躇の後、アヴァンとソシエールが彼に続いた。
パストールの足元には、ゴブリンの死体が多数転がっている。
「……?!」
冒険者達が侵入したのは、玄関ホールのような広い部屋だった。
その部屋の奥から物音がする。
ポキポキ、グシャグシャと何者かが骨付き肉を頬張るような音だった。
ソシエールが杖の先の光を差し向けると、灰色の小さな背中が闇の中からぼんやりと浮かび上がった。
「……ゴブリン?」
物音に反応し、クルリと振り返る灰色の小さな人影は、口の周りを赤黒い血でベッタリと汚した、蒼白い肌をしたゴブリンだった。
「これは珍しい。『小鬼』の『食屍鬼』ですか鬼カブりですね……わっ!!」
パストールが言い終わるのを待たず、片手に恐らくゴブリンの腕らしきものをつかんでいたゴブリングールが、驚くべき跳躍力でパストールに飛びかかってきた。
「シャァ!」
パストールの長い足が振り上げられ、革靴がゴブリングールの横面にめり込んだ。
クルクル風車のように回転しながら高いホールの天井まで吹っ飛び、熟れた果実が壁に当たったかのように、赤くベッチャリ拡がった。
「ウゲッ!!」
アヴァンが飛び退いた場所に、腐敗した臓腑の雨が降る。
「パストール……お前、もしかして、俺より格闘戦強いんじゃないか?」
血の臭いに誘われたのか、ホール暗がりからうなり声と共に多数の新鮮なゴブリングールが現れた。
「マルキス・ヴェルキス!!」
『ガキン!!』
「坊や、お呼び?」
柄から自噴して、剣形の悪魔、マルキス・ヴェルキスがアヴァンの右腕に絡み付いた。
「グールね。……汚いのは嫌よ。坊や、斬り刻むなら綺麗におやり!」
エリート・ホブゴブリン、アーゾックの遺品である赤い盾と、マルキス・ヴェルキスで武装したアヴァンは十数体のゴブリングールと対峙した。
「早く! 早く! 早く!! こんな柔らかい獲物に、大振りをしてんじゃないわよ!! 振り回されるのは、坊やの体が無駄に動いているからよ!! 動きを止めては駄目!! 相手がコマ切れになるまで切り上げて切り下げて! 切り上げて切り下げて! 右薙ぎ左薙ぎ! 右薙ぎ左薙ぎ!!!」
「うぎぎぎぎいいい!!」
アヴァンの体の周りを、轟音を唸らせてマルキス・ヴェルキスは乱舞し、剣形悪魔の斬撃を数限りなく受けたゴブリングールは、血飛沫と肉片を撒き散らし次々と崩壊してゆく。
人の限界を越える速度でアヴァンの肉体は活動し、彼は口の端から泡を吹きながら叫び声をあげている。
「もっと早く! もっと早く! もっと! もっと! もっと!! 思考より先に剣を疾走らせるのよ!!!」
「……いいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃいい!!」
高速の斬撃は軌跡を残し、残像の消え去る前に次の斬撃が追い付き、斬撃と残像はどんどんと重なっていき、アヴァンの周囲はとうとう濃密な殺傷空間へと変貌した。
恐れを知らぬゴブリングールは、そのアヴァンが作り上げた死の間合いに次々と躍り込み、血煙をあげて肉の小片へと分解されていった。
「悪魔的刀剣武技『致死空間舞踊』」
マルキス・ヴェルキスが誇らしげに技名を宣言する頃には、ゴブリングールは全て元のゴブリンの死体に戻っていた。
※※※※※※※※
「ゴブリングールか。珍しいな。単体脅威ランクはDマイナスくらいかのう」
馬車の中でクープがそう呟くと、ミスランティアが眼鏡を頭に載せてクープの首に両腕をまわして羊皮紙を覗き込んだ。
「クープ。このグールはかなり素早いようですよ。もう1ランクぐらい高いのではなくて?」
「実体系アンデッドの査定は難しいのですじゃ。死体の鮮度が能力を左右しますのでな。このグールは昨晩出来立てのホヤホヤグールなのでしょう。新鮮なので素早いようじゃ。あの、……師匠。抱き付かないでくだされ」
いつの間にか前に回り、クープの膝の上に座り込んだミスランティアがくつろいでいる。
「それにしても、魔剣の助力があったとしてもキンキラ剣士は、なかなか見所がありそうではないか。Aランクを与えても良いのではないか?」
そんなデルモンドの言葉にもクープは首を振る。
「いや、単体でドラゴン討伐。キンキラにはドレイクナイトの汚名を返上してもらおう」
クープは片眼鏡の位置を直す。
「この迷宮の奥に竜の気配がするのじゃ」
老紳士は不吉な予言をした。




