19
明くる日の朝。ファンテーヌを旅立つハレたちを、シンは街の入り口広場まで見送ってくれた。
「スチルバティクスはここより南西だ。一応、地図も渡しておこう」
巻物状に丸めて、紐で括った書物を、シンはそう言いながらハレへと手渡した。
「おう! 色々とサンキューな、シン。ドボロと新型フォルスチェインとやらも、しっかと拝借するぜ」
自身の背負うリュックサックを、右手の親指で差しながらハレは言った。心配そうに眉をひそめると、「まあ」とシンは返す。「精々壊さず返してくれ」
「モチ!」
次いで、ハレの左隣に立つドボロに視線をやると、「ドボロも」とシンは続けた。「ハレたちをよろしく頼む」
「任せるだ!」と、ドボロは自信ありげに答える。ドボロもその背には、巨大なリュックサックを一つ、背負っていた。
今一度、シンは心配そうな面持ちで、ハレ、ドボロ、トーマ、そしてノアへと順に目をやった。
本来ならばシンには、自分の目的(第五フォルスや五番目の大精霊の調査)の為に、自分が動けるのならそれに越したことはなかった。然しシンにはシンで(元素機構の研究をはじめ)他にやるべきことが、今は目の前に山ほどあった。そしてそれを終わらせてから行動し始めるのでは、夜明けの月光に対して後手に回ることになる。
事態はもう動き出している。根拠や証拠と呼べるものはない。が、一度は止まっていた歯車が、カチコチと音を立てながら再び回り始めているのを、シンは確かに感じ取っていた。今は少々頼りなくとも、自分の代わりに動ける彼らに、自身の為すべきことの一部を託すほか、シンにはなかった。
また、シンは特別、彼らの持つ可能性の少なさに絶望している、というわけではなかった。その逆で、シンはハレやトーマ、そしてノアに対して、寧ろ才能の原石とでも呼べるような、希望を見出してすらいたのだ。彼らなら、自分が多くを言わずとも、彼らの意志で彼らの目的を叶えてくれるだろう、というような。だからこそ、シンは彼らにその使命を託すことが出来た。
心配していても仕方がない、とでも言うように、一転して信頼の眼差しをハレたちに向けると、シンは次のように言った。
「スチルバティクスから一週間に一度出る、ヒマロス大陸、リヴィール行きの定期連絡船に乗ること。今日にもリヴィールに鳩を飛ばしておくから、行き違いにはならないはずだ。無事に合流出来るといいんだが」
「その方が、アビスシルクの流通ルートを知っているかも知れないんですよね」
確認するように尋ねたトーマに対し、シンは頷き返す。
「そうだ。なんでも服飾の勉強をする為に、世界中を飛び回っているそうでな。アビスシルクについても何か知っているかも知れない。少々口うるさいが、世話焼きでしっかりとした女だ。力になってくれるだろう」
シンの言葉には、その女性への鬱陶しさと共に、信頼や信用が込められていることが、ハレやトーマにも分かった。
ひとまずはリヴィールに滞在しているというその女性を訪ねるというのが、シンの言うところのエンデラの森への第一歩であった。話は、昨日の夜に遡る。
昨日、ドボロを連れて行くようにとハレを説得したシンは、再度自身の部屋へと三人を招いて、三人がこれから取るべき旅の進路と、その情報源について教えてくれた。話が終わったのが夕方近くになってしまっていたので、結果的にはハレたちはこの日も、シンの部屋の一部を借りて夜を過ごすこととなった。
リビングの中心に位置するテーブルに、アシリアの世界地図を広げて見せると、「では、改めて話そう」とシンは開会式の宣言でもするように言った。
「俺がその森の名前を知ったのは、ある御伽噺の本の中だった」
自身がそこに行き着くまでの経緯を、シンは順を追って、以下のように説明してくれた。
フォルスの流れの研究中に、通常の四属性とは異なる種類のフォルスを見つけたシンは、それを『第五フォルス』と仮に名付け、自身が本来受け持つ元素機構研究の片手間に、その研究をしていた。また、第五フォルスが存在するのであれば、それを司る『五番目の大精霊』がいるのでは、と或る人物から助言を受け、それらしき記述のある文献がないかという調査をも、同時進行で進めていた。そして或る時、アルバティクスの王立図書館で、シンはその御伽噺の本を発見する。現実に存在する『黒き爪の者』の話にも、それは重なって見えたという。
同じ頃、夜明けの月光と名乗る者たちが、世界各地で黒き爪の巫女の捜索活動を始めていた。彼らもが、この第五フォルス、ないしは五番目の大精霊を探し求めているのではと思い、シンは彼らに先駆けて黒き爪の巫女、延いてはエンデラの森へと辿り着けるよう、情報収集に努めた。然し、やはりというべきか情報は碌に集まらず、シンは巫女が現存するのならば、会って直接話を聞くことを望んでいた。そして昨日、シンはノアに出会った。その結果、既にノアの口から語られたように、シンはその御伽噺が、実際には御伽噺ではなく、御伽噺を装って語られた史実であるのだ、という確信を得るに至ったというわけである。
なお、夜明けの月光については、彼らは忍び隠れるというよりは、割と表立って行動をしており、(ただの武具商の男が知っていただけあり)ハレやトーマが孤児院という閉鎖的な環境で暮らしていた為に知ることがなかっただけで、この頃には既に、世界中にその名を馳せているほどだった。
「然し、情報はこの間にまったく上がらなかったわけではない。なんだかんだ、俺が第五フォルスやエンデラの森の存在を知って、もう一年以上になるからな。まず、その場所についてだが」
と、シンは作り物だろうか、緑色の羽飾りの付いた、大きめの画鋲のようなピンを一本、作業机の引き出しから取り出すと、それをテーブルの上の世界地図の、或る位置に突き刺した。アシリア四大陸の中でも最も広大で、九つの山脈をその身に抱えるパラム大陸――その西側の或る地点であった。
「パラム大陸の、西側半分。そこまでは分かった。然し、細かいポイントが未だ割り出せていない。ここに関しては、お前たちが事前に済ませておくべき、『二つの装飾品』を見つけるまでの間に、こちらで調査を進めておく」
「二つのソーショクヒン?」
ハレの問いに、「そうだ」とシンは頷いた。
「エンデラの森には、魔女プリマギアの呪いがかけられている。これも、既にノアからあった通りだ。黒き爪を持たない一般の人種が森に立ち入れば、たちまち木々の餌食となる、とされている。事実かどうかは行ってみないと分からないが、信憑性がまったくないわけではない情報源も中にはあった。そして、そこにはこう記されていた。一般の人種が魔女の目を欺き、森に入る方法はただ一つ。かつて巫女の一族が身に付けていたという、二つの装飾品をその身に纏っていくことだ」
更に続けて、シンは解説した。
プリマギアの目を欺くために必要となる二つの装飾品は、或る特別な衣と、或る特別な石である。それぞれ、『アビスシルク』という特殊な繊維から造られる衣服と、『カオスライト』という極めて希少性の高い宝石だ。
パラム大陸のごく一部の地域には、『黒蚕』と呼ばれる、全身が黒い蚕の変種が生息している。この黒蚕の作り出す黒い繭を元に造られる特殊な繊維。それがアビスシルクだ。黒蚕自体が個体数減少の一途を辿る中、アビスシルクはその希少性の高さから流通ルートが一般に公開されておらず、それを特定するのは(服飾業界に身を置くような人間にも)決して簡単なことではないとされている。
一方のカオスライトは、アビスシルクをも凌ぐ希少性の高さから、宝石マニアからは『この世の何処にも存在しない』、『幻の石』などと言われることもある代物だ。流通ルートは愚か原産地すら明かされておらず、その入手は困難を極める。奇跡的に市場に出回る時には、一見して読み切れないほどの桁の値札が付く。黒く透き通った光沢のある表面と、その内側からは緑や黄、青や赤など複数の色素が妖しい輝きを放つ(らしい)というのがその特徴であり、見た者は一瞬にして、石の持つ美しさに魅了されてしまうという。
これらはかつて黒き爪の部族が身に付けていたものであり、まだ迫害が始まる前、一般の人種がプリマギアの祀られる祭壇へ捧げものなどに訪れる際にも、身に付ける決まりがあったとされている。
果たしてそれが真実かどうか、真実だったとして、それが現代のエンデラの森でも通用するのかどうかは分からない。が、いずれにしても森の正確な位置が掴めない以上、ハレたちはそれまで(アーロン探しというもう一つの目的を別として)立ち往生することになるし、森の場所が判明してそこに向かったとして、抵抗虚しく木々の餌食になるよりは、有効な可能性のある対策があるのなら今のうちに取っておくのが得策だろうと、シンは語った。
「ですが、よろしいんですか?」
尋ねたのはノアだった。「先ほども仰っていましたが、或る程度の危険が予測されるのなら、そんな旅路にご自身のアーツであるドボロさんを、単身で同行させるなんて」
ふ、と鼻で笑うと、シンは返した。
「こんな成りだから信じられないかも知れないが、ドボロは強いぞ。四年ほど前、別件でとある事件に足を踏み入れた俺たちは、それから一年間、一緒に世界中を旅をしていたんだ。その俺が言うんだから間違いない」
信頼のこもった眼差しで、シンは右後ろに立つドボロを仰ぎ見る。恥ずかしそうに頭の後ろを掻きながら、ドボロは笑った。
「褒められるのは嬉しいだが、戦うのは久しぶりだから、オデもちょっと緊張してるだ」
「すぐに感覚を思い出すさ」
「それと」とハレたちを向き直りながら、シンは腰のベルトに提げられた、緑と白の楕円体に手を触れた。
「ドボロは俺のアーツではない。俺のアーツはこっち――」
楕円体――ドルミールは、光を放つと共に肥大化を始め、みるみるうちに、鳥類を思わせる特徴を持つ、アーツの姿へと形を変えた。
「風のアーツのクーランだ」
シンの左側に立ったクーランは、こくり、と一つ頷くと、「クーランだ。よろしく頼む」と言った。
「ドボロは、四年前に知り合った或る友人の使役するアーツで、今はわけあって、俺のところに来てもらっている。まあ身も蓋もない言い方をするなら、ハレには又貸しをすることになるな」
「大丈夫なのかよ。勝手にそんなことして」というハレの問いには、「あいつがこの場に居たとしても、同じ選択をすると思う」と、シンは答えた。ドボロもが、それには同意を示すように頷いていたので、ハレはそれ以上は言わなかった。
次いで、三人が手に入れるべきアビスシルクとカオスライトについて、シンは次のように語った。
カオスライトについては現状、シンの手札にはヒントのヒの字も掠っていない。その原産地、ないしは流通に関して、ハレたちがアビスシルクを探す間に、その調査をして明らかにしておく、とのことであった。
アビスシルクについては、シンの知人で服飾の勉強をしており、繊維の種類やその流通に詳しい人物が一人いるので、彼女を当たってほしいとのことであった。彼女は現在、ヒマロス大陸はその海の玄関口、『繁華の港町・リヴィール』に滞在しているという。ここで、話は冒頭の会話へと戻る。
「何度も言うようだが、ハレ」
ファンテーヌの入り口広場。新たなる旅立ちに高揚を隠せずにうずうずとしているハレに、シンは忠告するように言った。
「まずはアビスシルクだ。アビスシルクを手に入れたら、一旦ファンテーヌに戻ってくること。こちらではその時までに、次の目的地となる場所を調べておく。それと夜明けの月光に遭遇しても、撃退を基本として、深追いなどは絶対にしないこと。分かったな」
鬱陶しそうに嬉しそうな顔になって、「分かってるって!」とハレは答えた。
「シンってば、ちょっと心配しすぎじゃねーの? あんまり頭使ってると、脳みそ溶けちまうぜ!」
「お前と話してると、誰でも心配になるんだよ。シンさんの気遣いに感謝しろ」とトーマ。
「そんな心配しなくても、しっかり頭に入ってるっつーの! リなんとかって街の、ルなんとかって奴に会えばいいんだろ?」
残念ながら全く頭に入っていなさそうなハレに、シンは再度、その街と人物の名前を教えてくれた。今度こそ記憶した、と言い張るハレだったが、数時間後にはそれを忘れることとなる。ハレが忘れてもトーマが覚えていれば大丈夫だろう、とシンは仕方なしに彼らを見送った。
「行くぜ! トーマ、ノア、ドボロ! この世に悪がある限り、それを断ち切る正義もまたここにありだ! スチルバティクスまで競走な!」
勢いよく駆け出したハレの背中を、不安と期待の混じった眼差しで見つめながら、シンは四年前の自分たちを、そこに重ね合わせてもいた。自分たちの中には、あんなに快活で分かりやすい人間はいなかったが、年代的には丁度、彼らと同じくらいのはずである。当時、二人は十三歳で、自分は十六歳だった。
(俺たちも、こうしてファンテーヌを訪れたよな。アーツ泥棒のヒントを追い求めて)
それを懐かしむと共に、ハレやトーマ、ノアたちの旅は、謂わば自分たちの旅の続きなのかもしれない、とシンは思う。次代に繋ぐバトンを、シンは手放したような気持ちだった。
空は深い青に澄んでいる。新しい風が一つ、このファンテーヌに、そして東アンモス平野に吹き渡っていた。
(頼んだぞ、ドボロ。そして……――ルチカ)