第十二章 高熲 二
真面目な男が女遊びを覚えたなら、転落も早い。
楊堅の息子たちほどとはいかずとも豪奢の面白味も覚え、老いた妻に隠れて様々な女と試すようになった。
しかし妓楼に病気はつきものである。
あるとき女に病をうつされ、冷や汗をかくやら肝を潰すやら。
梅毒が中国に出現したのは十五世紀以降のことであるから、幸いにして隋代には致死率が異常に高い性病はなかった。
楼主から良く効く薬を融通してもらって何とか回復出来たのだが、その楼主が余計なことを言った。
「妓楼の女は多数を相手に致します。
それゆえ病を持つ者もおりまして、これを完全に防ぐのは不可能なことなのでございます。
しかしながら、公は高貴な身の上。ご公務に差し支えるような病にかかっては困りましょう。
そこでご提案なのですが、妾を持ってはいかがでございましょうか。
妓楼に通うよりは、妾を持った方が安全でございます。
わたくしが、病の心配のない飛び切りの美女をご用意致しましょう。
それも飽きればいつでもご相談くださいませ。
次々とご用立てさせていただきます」
そうして楼主は売られてきた生娘のうち、特に美しい者を選んで着飾らせ、最低限の作法を仕込んだ上で高値で売りつけた。
美女を手に入れた高熲は喜んだ。
若い肌に白い胡粉が映え、口元は妖艶に紅く艶めいている。
彼が斬らせた『張貴妃』には届かぬが、十分に満足がいくものであった。
ただし、その存在はもちろん誰にも秘密である。
時の皇后の権力は強く、性格は潔癖。
知られればおそらく密偵を入れられ、太子や三男のときのように、有ること有ることすべて皇帝に伝えられてしまうだろう。
皇后は正妻をないがしろにする者は、我が子・夫ですらも許さない。
皇帝堅は初めて作った愛妾を惨殺されても、いまだ皇后の言いなりだ。
皇后に嫌われれば将来は暗い。
そうして、表では皇帝夫妻の『一夫一妻』を褒め上げて点数を稼ぎ、内心では皇后の狭量、皇帝の質素好きに、辟易しながら舌を出すような男に成り下がっていった。
一方、両親に睨まれている太子楊勇や病床にある三男楊俊には同情的であった。
すっかり自己を投影してしまったのだ。
官職を取り上げられた放蕩息子・楊俊は国都に戻って数年後には蟄居のまま病死してしまった。
楊堅はその死に対して、何度か哭するのみであったという。
「こんなことなら、もっと贅沢や女遊びに対しておおらかに許すべきだった」
とは決して言わなかった。
高熲は楊俊を大変哀れに思った。そこで、
「せめて、殿下には立派な葬儀を出して差し上げましょう。
そして殿下の名を刻んだ大きな碑を建てて、供養のひとつとなさるのが良ろしいのではないでしょうか」
と、上言した。
さて皇帝は何と答えたか。
「名を残すには一巻の史書で足りる」
と答えて決して許さなかった。
これには高熲も驚愕した。
元々皇帝堅は子煩悩な男であったのだ。
なのに息子の死に際してもこの態度。
一度は浮気を試みて緩んだにもかかわらず、妻に尻を叩かれたのか、益々厳しい男となっていた。
もちろん、皇帝夫妻とて鬼ではない。
息子の死は堪えたろうが、前王朝を滅ぼしてまで天下を簒奪したのはすべて民の安寧のため。
民から不当に税を絞り、女遊びに興じた息子のためにこれ以上税を使う気は全くなかったのだ。




