第八章 女帝 十一
さて、日も暮れ、すっかりと夜である。
一大事が迫りつつある中ではあるが、楊堅は久しぶりに館に戻り、伽羅の部屋を訪れていた。
その姿は憔悴しきっている。
「伽羅よ。
世の中とは上手くいかぬものだな。
悪皇帝が崩御したとき、私は喜んだ。これからは『明るき世』になるのだと、丞相たる私もその一端をになって人民のために働けるのだと――――そう思ったのだ。
しかし、あんな悪皇帝であっても、幼帝よりはまだましであった。
不穏の種をまき、大きく育てたのは悪皇帝ではあるが、少なくとも『内乱』の抑止力にはなっていたのだ。
宇文護もそうだ。
奴がいれば、悪皇帝はそもそも、あのような振る舞いには及べなかったことだろう。
私は宇文護こそが『逆臣』であり、『悪』であると確信していた。
そなたの父君を自害に追い込んだのも宇文護で、武具さえ持たぬ、身重の姉君を暗殺したのも宇文護であった。
陛下さえも侮り、勅も無く軍を動かす。気に入らねば、皇帝さえもその座から引きずり降ろして次々と殺害する。
その様は天をも恐れぬ悪辣なものであった。
しかし見よ、宇文護の時代には隆盛していた我が北周王朝は、今や内乱が数多起こり、このままでは滅びるやもしれぬ。
民は飢えに苦しみ、国土は荒れ果て、大勢が死ぬだろう。
そこにつけこんだ諸外国が、いっせいに押し寄せて、領民を奴隷としてちぎりとっていくだろう。
これは一体どういうことなのだろうか?
私はどうするべきなのであろうか……」
苦悶の表情を浮かべる夫に伽羅はささやいた。
「以前、あなたさまは『不思議な夢』をごらんになられたそうでございますね。
老仙人があなたさまに岐路を尋ねる、あの夢でございます。
今でもあの夢は――――あなたさまのもとを訪れておりましょうや」
楊堅はうなずいた。
「わたくしは、夢の不思議を一途に信ずる女ではありませぬが、それでも物の本に書かれた『夢占い』については読んだことがございます。
夢には『天の意』が含まれているのだとか」
その言葉に、楊堅はハッとした。
「なるほど……私は占いに興味を持つことはなかったが、そういえばそんな話を聞いたことがある。
して『天の意』とやらは、どうやって読み解けば良いのだ?」
楊堅の言葉に、伽羅はよどみなく答えていった。
「夢占いの方法は、大まかには三種にわけられるそうでございます。
一つ目は『直解』見たままのことが後に起こります。
二つ目は『転釈』見た夢を転じさせて解釈いたします。
三つ目は『反説』いわゆる逆夢でございます」
「ふむ。……なるほど。
夢解きとは中々に奥深いものであるのだな」
楊堅は感慨深げにうなった。
「ですが、よくよく考えてみますと、その夢をどう解くかは本人しだいと申せましょう。
あなたさまが『反説』と思われるのならそうなりましょうし『直解』であると感じたなら、それを『天の意』だと信ずれば良いのです。
わたくしが視ますところ、あなたさまのご意思はすでに決まっているように思われます。
――――古来より『民は食を天となす』という言葉がありまする。
あなたさまは、この言葉を『どう』思われるのでしょうか?」
伽羅は、ここで美しく微笑んだ。
その腹は、悪皇帝の呪殺を望んだときより、もうとっくに決まっていたのだ。
楊堅は、その不思議なまでに惹き込まれる微笑にしばし見とれたが『わが意を得たり』とばかりにうなずいた。
二人の見識は高く、くどくどと言わずとも通じたのである。
『民は食を天となす』とは二十四史の中の一つ『漢書』にある孟子の言葉である。(*発言元は漢の初代皇帝・劉邦の部下 )
民は自分たちを食わせてくれる皇帝のみについていく。
もっと言えば、国を凋落させ、民を飢えさせる無能な皇帝などはお呼びではない。
そういうことである。
伽羅は、紀元前の高名な儒学者・孟子の発言を基に、彼の『易姓革命論』を踏まえたうえで、幼帝を廃するのが良いでしょう、と言ったのだ。
『易姓革命』について、ここでもう一度述べてみよう。
古来より、中国では『皇帝』は無条件に崇められる対象ではない。
『天意』に基づいて、民衆の生活を善くする使命を持っているのが『皇帝』であり、ゆえに、皇帝は『自身』のためではなく『民ための政治』を成さならねばならない。
皇帝が『国の父』と別称されるのもそのためで、仁愛を持って臣民を慈しむ姿勢が求められる。
天(天帝)は、国民の中から最も能力が高く、民を幸せにする気持ちを強く持つ者を皇帝に定めるという。
そのため『血筋』だけが重んじられるわけではなく、異姓の者に易っても何の問題も無い。
これが実際に行われることを易姓革命と言う。
かつて斉の宣王は孟子に、
「湯、桀を放ち、武王、紂を討てること、これありや」
と、問うている。
殷王朝の湯王は、夏王朝の桀王を武力で放逐して王位に就いた。
周王朝の武王は、殷王朝の紂王を討って天下を簒奪している。
家臣が主君を殺すことを天は許しているのか、と宣王は聞いたのである。
(*皇帝を名乗ったのは始皇帝が始めであり、それ以前は『王』が最高位であった。)
孟子はこれに、
「徳を持たない者は、ただの賊でしかありませぬ。
彼らは天帝の意に従って『賊』を討っただけであり、『主君』を弑逆して世を簒奪したとは言えますまい」
と、答えたという。
楊堅は義理に堅く恩は忘れない性質であったが、鑑みてみれば、現帝は楊堅の足を引っ張るのが常であった。彼から受けた恩は少ない。
前代の『酔っ払い皇帝』に至っては、政務はろくに行わず、国財は使い放題。常に後宮に篭りっ放しであった。
それでいて罪無き妻子をなぶられたのだから『恨み』の方が遥かに強い。
そして――――ついに親子二代で北周を凋落させてしまったのだ。




