第八章 女帝 十二
「あなたさまのご意思はよくわかりました」
伽羅は楊堅の顔をまっすぐに見つめると、そう言った。
「国の凋落は、民の生活や命を脅かします。
あなたさまが『国民の父』となって彼らを可愛がり、責任をもって食べさせてゆくとおっしゃるのであれば存分になさいませ。
しかしながら、天の意は、己の富貴のみを追及し、酒色に溺れる者の頭上には決っして輝かぬものなのでございます。
ゆめゆめお忘れなきように」
楊堅は妻の言葉に頷いた。その瞳には強い決意が宿っていた。
伽羅がもし『反対』を口にしたならば、楊堅は帝位の簒奪を思いとどまったであろう。
王朝の交代は『多くの血』を必要とする。
特に『皇族』の血筋は後の混乱を防ぐために絶つ必要がある。
いくら滅びに向かいつつある王朝と言えど、自分の手で長年仕えてきた血統を絶えさせることはやはり、後ろめたくもあり、恐ろしい。
もちろん、そんな『茨の道』など歩まず、王朝など見捨てて逃げ出す事だって出来た。
どうせ反乱軍が王都まで押し寄せれば、大多数の臣下は王朝を見捨てて逃げ出すのだ。
親子二代で北周を凋落させたのだから仕方が無い。
決定的に、信用と求心力がないのである。
そして国中が大混乱になっているところを諸外国が襲うだろう。
どのみち血統は絶たれるだろうが、楊堅は己の手を汚さなくてもよくなる。
他の臣下たちに習い、機を見て家族を引き連れて協力関係にあった他国に亡命するもよし。
どこかの田舎にでも名を隠して引っ込むも良し。そこで商売などを始めれば問題なく生きていけよう。
絶世の美女・西施と共に逃亡したと伝承にある范蠡のように、伽羅と手を取り合って別の人生を歩んでも良いのだ。
しかしそれは、民を見捨てて、自分たちの身のみ幸せになるということである。
楊堅にも、伽羅にも、到底容認し難いことであった。
また、悪皇帝の呪殺が成ったとき、その『帝位』がいずれ伽羅の元に運ばれてくるだろうと異母弟独孤陀は予言していた。
その流れが今まさに、眼前に迫っているのを伽羅は感じていた。
『騎虎の勢い』という故事を聞いたことはないだろうか。
この故事は伽羅の言葉から端を発し、遥か未来の世にまで伝わっている。
『大事すでに然り。騎虎の勢い、必ず下ることを得えず。これを勉めよ」
騎虎とは虎の背に騎乗するという意味である。
「いったん虎の背に乗ってしまったのなら途中で下りることはできません。あなた自身が喰われてしまいますよ。
根性を据えて、事が成るまでしっかりと勉めなされませ」
伽羅は楊堅にそう伝えたのだ。
この伽羅の言葉は『隋』の次に建った『唐』の時代に書かれた書物に残っている。
『隋書』というのがそれだ。
その書の『列伝第一 后妃伝 文献独孤皇后伝』に記載されている。
もっとも、唐の太祖・李淵の祖父の諱が虎(李虎)であったから、不敬にならぬよう、隋書には『虎』ではなく『獣』と替えて表記されていたのだが。
それはともかくとして伽羅は夫をそう励まし、楊堅は帝位簒奪に向てけてひたすら走り出した。
伽羅が少女時代に射殺した『巨虎』は、もしかしたら『北周王朝自体』を暗示するものであったのやもしれない。
では――――彼女の引き絞る弓につがえられた矢は、夫たる楊堅であるのだろうか。
かつて占術士が独孤信に言った『女帝の星』の予言もまた、当たることになるのである。




