第八章 女帝 七
時は少し戻って約二年前である。
ところも変わってここは相州。現在で言う河南省安陽市付近。西を仰げば太行山脈がそびえ、洛陽・開封なども近い。
王都長安からは遠く離れているが、中国七大古都のひとつにも数えられている歴史ある場所である。
尉遅熾繁の美形な祖父・尉遅迥は、悪皇帝が即位した直後に、この相州に『総管』として出向させられていた。
どうやら悪皇帝も、尉遅迥の孫娘を無理矢理かっさらったことで彼からの恨みを受けていた自覚はあったようだ。
謀反を恐れ、それなりの地位は与えたまま『王都』から遠ざけたのだ。
「おのれ悪皇帝め」
老いてなお整った白眉を上げ、尉遅迥は今日も心中で毒づきながら、剣の鍛錬をしていた。
若き日より武道の誉れは高かったが、老いて益々技巧に磨きがかかっている。
芸術的で、それでいて力強い太刀捌きであった。
この男、平生は温和公正なので部下からの信望も厚い。
しかし、目の中に入れても痛くないほど可愛がってきた孫娘を奪われたうえ、悪皇帝に遠隔地に飛ばされたので、性格も少々荒んでしまった。
せめて孫娘が健やかに暮らしていれば良かったのだが、昔から熾繁に仕えていた気の利いた侍女を密偵として送ってみれば、聞こえてくるのは悪報ばかり。
曰く、「お嬢様は体調が優れぬのに、それを聞きつけた陛下がわざわざ嫌がらせのように寝所に引っ張っていかれたので高熱を出されました」
曰く、「お嬢様が特別に愛でて大切にしていらした牡丹園を陛下が馬で踏み荒らしてしまいました。驚きと悲しみでお嬢様は寝込んでいらっしゃいます」
曰く、「旦那様がお嬢様の慰めのためにと特別に手に入れられた孔雀は受け取っていただけませんでした。陛下なら情が移ったころを見計らって、必ず取り上げて惨たらしく殺害なされるでしょうから、受け取れぬとのことです」
これで主君を憎まぬ祖父はいないであろう。
常であれば少女が成人するのは十五歳。
幼げな垂らし髪を結い上げてかんざしを挿し、未熟さを残しながらもやっと大人の仲間入りをするのだ。
なのに熾繁はたった十二歳で悪帝に奪略され、飲めぬ酒なども強要されているという。
悪皇帝が没すると、尉遅迥はここぞとばかりに動き出した。
現在の『北周王朝』にもう忠誠心はない。
王都の兵にしたってそうだろう。著しく士気が下がっていることは、間諜からの報で手に取るようにわかっていた。
反旗を翻すのなら、決断力のない幼帝が立った今である。
しかも官庫が空に近く、今なら兵を派遣するための兵糧にさえ事欠くであろう。
一方、楊堅も尉遅迥の動向は気にして部下に探らせていた。
悪皇帝がどんなに悪辣なことをしても動きが無かったので安心していたが、ここにきて、まさかの反逆である。
尉遅迥が遠隔地に飛ばされてより二年後――――つまり『今まさしく』恐れていた知らせが届いたのだった。
その夜も楊堅は屋敷に戻ることにした。
夜間でも特別の通行証があれば坊門は開く。
左大丞相たる楊堅なら、通行証の一つや二つ、なんとでもなる。
屋敷にたどり着いた楊堅は、通路に面した館門を開けさせて早速伽羅の部屋を訪れた。
「なるほど。
相州総管殿(尉遅迥)には反意があると。
それは『確たる知らせ』でございましょうか」
まず伽羅は、確認から入るようだ。
ことは慎重に進めねばならない。
「それは間違いない。
相州総管である尉遅将軍を探るよう頼んだ相手は『韋将軍』であるからな」
猛将・韋孝寛は南豳州刺史(州の長官)の庶子の一人である。しかし度重なる功により出世し、柱国大将軍にまで抜擢された大物である。
武に長けるばかりではなく優れた間諜を多く持ち、情報戦を得意としていた。
この報も韋孝寛が抱える間諜がもたらしたものであった。
「では残念ながら、確定でございましょう。
尉遅将軍が敵にまわるとなると、北周は大打撃を受けること間違いなし。
民を巻き込んだ内乱へと発展しましょう。
しかし、戦わずに済む道があるならば、試してみとうございます。
また、戦うのであれば、早期に決着をつける必要がございます。
出来ればこのような方法は取りたくなかったのですが、その両方を兼ねた策がございますので、試してみるのはいかがでございましょうか」
さて、伽羅の策とは如何に。




