第八章 女帝 五
さて、父帝が崩御したので、唯一の男児『闡』は正陽宮から、父帝の居であった『天台』に移り住んだ。
闡は父帝存命中にすでに譲位されていたので、東宮には住まず、正陽宮に住んでいたのだ。
現在の楊堅は『左大丞相』である。
丞相府を幼帝が住まう天台近くの正陽宮移し、引き続き幼帝の補佐として政務全般を執り行うことになった。
崩じた悪皇帝は日々酒色、遊興にふけって政治を省みなかった。
その息子も『幼帝』であったため、長らく実務を担っていたのは皇太后麗華の父として外戚関係を結んでいた楊堅である。
今後も、しばらくはそのままであろう。
しかし問題もある。
現皇帝闡は、皇太后たる娘・麗華の腹から生まれた子供ではなかったのだ。
これでは今後、外戚関係を維持していくのは難しくなる。
もしこの幼帝に『甘きことのみ』をささやく『悪臣』が取り付いたなら、皇帝の実母ではない麗華は排除されるであろう。
それはすなわち『揚堅の排除』にも繋がる。
諫言する者、民を愛することを説く者をしりぞけ、甘きことを囁く者のみをはべらせるとどうなるか。
歴史を鑑みても、まず、驕慢怠惰な暴虐者に育つだろう。
せめて実母に気概があれば良いが、それも難しい。
唯一の男児、現在の皇帝闡を生んだのは朱満月という妃である。
出身は宮婢で、父母兄弟は罪人としてすでに処刑されている。
性格はおとなしく、夫たる皇帝より十二歳も上だったため、その後の寵愛も薄いというよりは無きに等しい。
むしろ家族に罪人がいること、奴隷階級であったことで悪帝に苛め抜かれ、心はとうに壊れ果てている。
彼女も悪皇帝の気まぐれによって、罪無く『天杖』で打たれることが多かったのだ。
朱満月は麗華ほどには激しく打たれたわけではない。
それでも若い盛りの皇帝から見下ろされ、殴打されるのは、大の男であっても恐ろしい。
頼りになる実家も無く、大人しい性格の朱満月にはことさらにこたえたことだろう。
麗華たちがよく慰めに通っていたが、病んだ彼女はほとんど声を発しない。
序列は太子を生んだ功をもって、楊麗華に次いではいたが、全く存在感の無い女性となり果てていた。
それは息子が即位しても、変わることはなかった。
そんな母の影響、いや、恐ろしかった父の影響なのか、幼帝もおとなしい性格である。
いや、おとなしいというよりはむしろ、自分の世界にだけこもり――――無気力で目の輝きも無く、天の子としての器を持っていなかった。
そのようであったから大志もなく、皇帝としての教養を身につけるよりは怠惰を好む。
教育係から、ほんの少しでも厳しく言われると、優しい宮女の裳(腰から下にまとうスカート状の衣服)にたちまち逃げ込むのが常であった。
一方、楊堅は、その名の通り堅実な男で、宮中でも誰もが彼をそう見ている。
悪帝が酷すぎたので、謙虚で優秀な彼の元には心ある者が集まり、名声は益々高まっていた。
しかし、幼帝の後見人となった楊堅は、その頃から童の頃に一度だけ見た『夢』を繰り返し見るようになっていた。
その夢とはこうである。
幼い楊堅は一人、二股の道の前で立ち止まっていた。
岐路の前で、どちらに進むべきか悩んでいたのだ。
そこに白髪の仙人が現れた。
杖をふるうと、一方の道は赤く染まり、もう一方の道は雪を敷き詰めたかのような純白へと変わった。
仙人は言った。
「わらべよ。そなたが望むなら、長じては天下統一を成す皇帝となれるだろう」
皇帝――それは、すべての上に立つ国民の長である。
幼い楊堅は、無邪気に瞳を輝かせた。
「しかし、そのためには、多くの血を流さねばならぬ」
老人の厳しい視線と言葉に、楊堅はひるんだ。




