第七章 悪皇帝 九
「良いぞ、通せ」
奥の間から、悪帝の酔っぱらい声が響いてきた。
どうやら近くにいたらしい。
もしくは騒ぎを聞きつけて、わざわざ取次ぎの間近くまでやってきて、聞き耳でも立てていたのだろうか。
「面白いではないか。
その乱れた格好とやらを見てやるから、ただちに通せ」
慌てて伽羅は姿を整えようとしたが、沓がない。かんざしも足りない。
とうとう、乱れたままのみじめな姿で、悪帝のもとに進み出ることとなったのである。
我に返った伽羅は恥ずかしくて消え入りそうな心地であったが、まずは身なりの非礼を詫びながら皇帝の前にひざまずき拝した。
そうして、自分より十歳以上若い悪帝に、額を床に擦り付けて『娘の命乞い』をしたのである。
さて、悪帝はそれで麗華を許したであろうか?
否である。麗華は別室に捕らえられたままで、傷の手当すらされていないという。
尉遅熾繁は、麗華が打たれるのを見て失神し、こちらは部屋に戻されたようだ。
「先ほど朕は宦官に『毒酒』を手配させた。
届き次第、麗華に飲ませる手はずとなっている。残念であったな」
悪帝は平伏する伽羅を見下ろし、にたりと嗤った。
「どうぞ、なにとぞ……なにとぞ麗華をお許しくださいませ。娘はまだ十代の若さなのです。
代わりにどうぞ、わたくしの命をお取り下さいませ」
伽羅の必死な様子を、悪帝は面白げに眺めた。
「なるほど。お前を殺してもあの『賢者ぶった』楊堅めが悲しんで楽しかろう。
その面も、あの生意気な麗華めに似ていて気に食わぬ。
しかし……まあ、どうしても許してほしくば考えてやらぬでもないが。
朕は優しい皇帝であるからなぁ」
その言葉を、額面のまま受け取るほど伽羅は愚かではない。
必ず条件が付くと予想出来た。
「ふむ。その頭の中には古今の知識が詰まっていると宮中で噂されておったな。
祖母の叱奴太后ですらも、くたばる前に、お前を随分と褒めておったわ。
馬鹿馬鹿しい。
そもそも、女の分際で学問を修めるとは生意気である。
臣下やその妻が質素に暮らすのも、水が低きところに流れて行くがごとく当たり前のことで、いちいち取り上げて褒めるような事柄ではない。
よし。こうしよう。
その自慢の頭を『流血』するまで床に叩きつけ、愚娘の非を詫びてみせられるなら許してつかわそう」
そう言うのである。
叩頭流血の謝罪は中国の歴史においては特別奇異というわけではない。
三国志で有名な司馬仲達や王象なども楊俊の助命を乞うて、叩頭流血を行っている。
後漢の桓譚などもそうだ。史書では度々目にすることがある。
しかし重臣の正妻に向けて、皇帝がそのような酷命を下すことは稀と言える。
伽羅は床を見つめた。
娘は何も悪いことをしていない。ただ、哀れで幼い尉遅熾繁を助けただけである。
しかし、詫びねば娘の命は無い。
娘の命が助かるのであれば、出来ぬことなど何も無かった。
額を床に叩きつけた。
大きな音と共に鋭い痛みが襲う。
気が遠くなりかけたが、伽羅は耐えた。
何度も何度も、血がしたたり、床に血溜まりを作るまで額を打ち付け続けた。
絶世とまで言われた美貌の面を血にまみれさせ、それでも伽羅はこの悪帝の言うままに従ったのである。
むっつりとその様子を見つめていた悪帝だったが、やがて声を立てて笑い始めた。
「皇帝の補佐につく縁戚は、時に皇帝よりも頭が高いことがある。
この国『北周』の皇帝なども、一代目から三代目まで、揃って腑抜けばかりであった。
父帝なども言うべくも無く、朕の年には臣下である宇文護めの言いなりで、奴の顔色を窺うばかり。
まことに無様で、みっともないありさまであったのう。
いや、みっともないどころか、醜悪ですらある。
だが、朕はどうだ?
幼帝の補佐をしている楊堅めは、朕に文句一つ言えずにかしこまっている。
その賢き正妻も、朕の命ずるまま、まるで卑しい奴婢のような振る舞いをしてみせたぞ。
これは愉快じゃ。
なるほど、このような愉快なものが今後も見られるのであれば、麗華の死は免じてつかわそうぞ。
麗華めも今回は泣かなんだが、色々と趣向を凝らせばお前のように床にはいつくばって朕に許しを請うだろう。
次の機会が楽しみじゃ」
そう言って大笑いしたのである。
伽羅は元々、誇り高い。こんな屈辱には到底耐えられそうにもなかった。
それでも伽羅は、娘のために耐えた。
耐えねばならぬと歯をくいしばった。
そうして悪帝に向かって、謝意を示すために再び叩頭した。
しかし腹の中は、煮えくり返るようだった。
この男は、これからも娘をなぶる気だ。なぶるたけでは済まず、殺されるやもしれぬ。
そうして、このような辱めや苦しみを受けるのは、きっと娘や自分だけではないのだろう。
この悪帝が即位してから、たった一年と数ヶ月。
質素で礼節を重んじた先帝様が逝去して『わずか』しか経ってないのに、宮中はもうこのありさまだ。
無法が当たり前のこととなっている。
こんなことが許されても良いものだろうか?
天に住まうという天帝様の意は、本当にこの男の頭上にあるのだろうか?
さすがに堪えたのか、伽羅はその後数日間寝込んだ。
……ということになっている。
その方が、悪帝の目を誤魔化しやすいからだ。
伽羅は、ある重大な決断をしたのだった。
お読みくださりありがとうございます。
次は逆襲の章『女帝』となります(^^♪
悪皇帝の息子は七歳で皇帝となりました。
三国志にも幼帝は出てきますが、このような幼帝は中国史においてけっこう見られます。
当然政治を担うことは出来ず、生母や養母、外戚、宦官、宰相などが実際は仕切ることが多かったようです。
さて、幼帝は珍しくないといっても、例外的に幼い皇帝がいたりします。
一番幼い皇帝は、なんと生後約百日。
これは後漢の第五代目皇帝劉隆(諡号は孝殤皇帝)です。
この皇帝は一歳ぐらいで病没してしまったので、自分が皇帝であることにすら気がつかなかったかもしれないですね(-_-;)(毒殺説もあり)
このあたりから国は乱れ、三国志の時代へと突入していきます。




