第八章 女帝 一
その夜、伽羅は、密かに用意させた男の服を身にまとっていた。
額には痛々しく包帯が巻かれているが、気弱さなどは微塵も感じさせぬ眼光を放っている。
当時の長安は碁盤の目のような『条坊都市』であり、各坊の四方は高い壁がそびえていた。
坊門は夜間、閉じられる。
もちろん坊外の通行も禁止されていた。
ただし、大貴族には抜け道がある。
大貴族や寺院などは館壁から直接、街路へ向けて門をつけることが許可されていたのだ。
これは皇宮からの急使などを迎える必要があったからかもしれない。
伽羅は腹心の供のみを護衛に連れ、目立たぬ馬車に乗って、館からこっそりと街路へと抜け出した。
夫の楊堅は丁度、地方への巡回に出ていたが、明日の夕刻には帰ってくる。
楊堅はまだ今日の事件を知らないはずだが、あれだけの騒ぎになったのだ。間もなくどこからか伝わるだろう。
そうすれば楊堅は馬を駆けさせ、予定より早く戻って来るだろう。
しかし今回は、夫にすら秘する必要のある事柄だ。
だから急いだのだ。
馬車を走らせ、夜道をただ往く。
人気は全く無い。
そうして、とある坊の近くまできて夜が明けるのを待つ。
坊門が開いた頃合を見計らって入り、伽羅はとある小邸宅の門を叩いた。
「わたくしの異母弟・独孤陀に会いに来ました。
このことはどうかご内密に」
応対に出た召使にはそう命じた。
しかし伽羅は今、男のいでたちである。独孤陀にこの年頃の兄はいない。
しかも、伽羅が異母弟と会う時は屋敷の者を使いに出し、呼びに行かせていたのでここの召使とは面識が無い。
召使は伽羅の顔を見て一瞬、不審そうな表情を浮かべたが、異母弟だけあって、伽羅と家の主は面影が似ていたのだろう、
「少々お待ち下さいませ。ただ今、確認して参ります」
と言い置き、いったん奥に引っ込んでいった。
しばらく待っていると、果たして、独孤陀がやって来た。
彼は『猫鬼』など、呪術を操る家系の長子である。
今は母も祖母も亡くなり、術はすべて彼に引き継がれていた。
ただし、彼は好んで呪術を使いたいと思うような人柄ではなかった。
当然、貧しい暮らしとなる。
そこで伽羅は異母弟が呪術で生計を立てずとも生きていけるよう、それなりの官への推薦を取り付けてやっていた。
元々教養はあった彼である。今は良く仕事に励み、自力で更に出世して、小さいながらも屋敷と呼べる家に住んでいる。
だが伽羅も忙しく、また、嫁いだ身でもある。久しく彼には会っていなかった。
稀に文を交わす程度である。
現れた異母弟の顔にはやはり幼い頃の面影があり、伽羅は懐かしく思った。
「姉上、お久しゅうございます。
それにしても、こんな早朝にそのようないでたちでのご訪問……いかがなされました?
見れば額にお怪我をなさっているご様子。
これは何としたことでしょうか」
亡き父を若くしたような美しい面で、異母弟が優しく尋ねる。
伽羅は思わず涙し、異母弟・独孤陀の手を取った。




