第五章 酔っ払い太子の妃 一
「宇文護一派を一掃せよ!」
皇帝、邕の猛々しい声が辺りに響き渡った。
それ即ち『勅命』である。
皇太后宮の外で控えていた宇文護の護衛たちは、あらかじめ待機させておいた楊堅配下の衛士たちに捕らえられた。
主たる宇文護を失えば、腕利きの護衛たちといえども逆らいようは無い。
卑小の身分である彼らやその一族の今後は、皇帝邕次第なのだ。
宇文護に連なる親族や奸臣も、皇帝の一声により排除されることとなった。
先頭にたったのは楊堅である。
掃討後の王朝には権威が戻り、あるべき姿に成ったと言えよう。
このとき皇帝邕は二十九歳となっていた。
楊堅はその二歳上なので、まだまだ男盛りの三十一歳である。
そうしてまた一年がたった。
国難と言えるほどの事件も起きず、新体制もほぼ整った。
伽羅は念願の宿敵を倒し、晴れ晴れとした顔をしている。
宇文護誅殺事件を機に、伽羅と皇太后は益々親しくもなった。
漢風が広まってよりは『役にも立たぬ女人の手』と認識されていたのに、息子を侮り、傀儡とし続けた宇文護にとどめを刺す事ができたのだ。皇太后はもう、飛び上がるほど嬉しかったらしい。
皇太后の手柄は結局、今後を考えて秘し、皇弟の宇文直に譲ったが『自ら手を下したい』と言い出したのは、実は、この皇太后であった。
伽羅は皇太后の奮闘に影響されたのか、大貴族の夫人としてはどうかと思うほどの鍛錬を益々楽しげに行っている。それも少女時代に良く好んだ麻の胡服を着ての鍛錬だ。
「まあ。勇猛で有名な孫夫人(劉備玄徳の妻の一人。孫堅の娘)もこのようなお方だったのでございましょうね」
侍女たちも、そんな女主人にもう慣れているのか、微笑ましい目で見るばかりであった。
一方、ここ数日の楊堅は、気分がすぐれぬことが多かった。
この日もそうだ。
欝々と深酒などをし、食事も喉を通らぬ有様なのだ。
楊堅はその名の通り堅実で、日ごろは酔うほどには酒をたしなまない。
「後で覚えてもいないのに、大酒を飲むのは危険な上に無駄でございます」
とは、伽羅の言である。
身も蓋もない言葉ではあるが、花のような美しい顔でそう囁かれると、楊堅も骨抜きになって『ふむふむ』とうなずいた。
実際に酒で失敗、失脚する臣下は多かった。
楊堅は、自身の目でも見てきている。
うっかり宇文護への愚痴などを言い散らさぬよう、用心を重ねて過ごしてきたので深酒はせぬのが習慣となっていた。
とりわけ酒の失敗が多かったのは、実は臣下ではなく皇帝の長子――つまり太子・宇文贇であった。
齢は十四。丁度、伽羅が楊堅に嫁したのと同じ年頃である。
同じ年頃と言っても、分別には天地の差があった。
贇は昔は目立たぬ少年であったが、宇文護が排斥されると間もなく『太子』としての地位を利用して臣下に威張り散らすようになった。
それはきっと、宇文護にへいこらしていた父帝を見続けた反動でもあったのだろう。
威張ることで『自らの権威』を見せつけようとしているかのようだった。
また、思春期を迎えたせいか色にも目覚め、女と見れば手あたり次第に喰いまくる。
酔っぱらった折に、東宮で働く倍ほどの年の宮婢に手を出したかと思うと、今度は見習いとして上がったばかりの童女にも手をつける始末。
大人ぶって酒をあびるように飲むが、その際は元々少なげだった品格をどこぞに投げ捨てて恥ずることも無い。
楊堅は、この『酔っ払い太子』が大嫌いであった。
「父君であられる皇帝陛下は、宇文護を排斥しても威張り散らしたりはせず、益々素晴らしい君子にお成りでいらっしゃるのに」
楊堅は、ため息をつくと同時に、昔、少しだけ接したことのある宇文泰のことを思い出していた。
――そう、皇帝邕の亡父であり、宮廷を牛耳るほどの力を持ちながらも酒色に耽らず、自邸ではボロを着続けたあの上官のことだ。
宇文泰は、とある腹心を失ったことからこのような節制に磨きがかかったようだが、それにしても、そこまで自制できる者は宮中でも稀である。
その記憶は時が経っても鮮烈に残っていた。
皇帝邕もまた、宇文泰のように節約を好み、驕奢を嫌う質である。
何と似ている親子であることか。
面影を誰かに重ねるというのは往々にしてあるものだ。
皇帝邕もまた、楊堅の中に亡き父の面影を見ていた。
質素を好む振る舞いが、一々父によく似ていたのだ。
一方、誅殺した宇文護は大変な切れ者であったが、専横が過ぎるその様に臣たちは眉をひそめていた。
贅沢好きで、民からの人望もこれまた薄い。
宇文護は我が子たちにだけは異常に甘く、その結果、子息たちは夜ごと郎党を引き連れて街に繰り出すようになっていた。
あげく民たちに喧嘩を吹っ掛けては叩きのめし、見目の良い女などが通りかかろうものなら、問答無用でさらっていくのだ。
それでも宇文護は『己の権力・財力』でそれらをもみ消し、問題にしなかった。
このろくでもない子息たちも、宇文護暗殺が成功したのち、全員粛清されている。
皇帝から始末の指揮を任された楊堅は、民衆から大喝采を浴びた。
このように楊堅の将来は有望で、人望もある。宿敵も倒した。夫婦仲も良い。
それなのに鬱々と過すのにはわけがあった。
それは少々長くなる。




