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第十七話

 食事を終えた後、マタリ達は一旦自室へと戻って寛いでいた。

 ベッドが一つ増え部屋は狭くなったが、まだまだ余裕はある。あと一つぐらいは入りそうな広さがある。

 窓の側にはこの前勇者が買った、不細工な白カラスの置物が飾られている。


「勇者さん、今日はこれからどうします? 私達も認定試験を受けられるみたいですけど」


 マタリとしては早速試験を受けに行きたかった。さっさと正式な認定証を貰いたい気持ちが強い。


「今日は一日休息に当てましょう。たまには休みも必要でしょ。賞金首を倒したから当分お金の心配は要らないしね」


 勇者がそう告げてベッドに腰掛ける。賞金首を討ち取ったので、金貨がかなり溜まっている。

 金貨二十枚もあれば、そこそこの家が一件買えてしまう額だ。

 それをポンと床に放り投げているので、マタリは慌てて金庫へとしまいこんだ。

 勇者はお金に対する執着があまりない。あればある分だけ使ってしまうだろう。

 刹那的な生き方をしているように見える。後悔することがないように、今を必死で楽しもうとしているような。

 冒険者達にはそういう人間が多いと聞く。だが、彼らともどこか違う気がする。

 時折、マタリには勇者が無理をしているように感じるのだ。

 マタリが考え込んでいると、勇者は両手を上げて大きな欠伸をした。


「ふぁーあっと。と、いう訳で今日は絶対に休むわよ」


 勇者が目を擦りながら宣言した。

 エーデルが自嘲しながら呟く。


「……休みといっても、私はまだ何にもしてないのだけれどねぇ」

「何言ってんの。一緒に賞金首倒したじゃない。だから役立たずなんて思ってないわ」


 役立たずという言葉に、エーデルの頬が一瞬引き攣る。


「……ま、それは良いんだけどね。貴方はどうしてまたベッドに潜り込んでいるのかしら。しかもいつの間にか寝巻きに着替えたりして」


 その言葉にマタリが視線を向けると、勇者は既に布団の中に入り込んでいた。服は水色の寝巻き。もう寝る準備は万端ですといった表情を浮かべている。


「ほ、本当だ。い、いつの間に着替えたんです! しかもどうして寝る体勢に入ってるんですか!」

「良いじゃないの。寝る子は育つって言うわよ。私はまだまだ成長期だからね。というわけでお休みなさい、また明日」

「ゆ、勇者さん! まだ昼間にもなってないですよ!」

「これは寝るんじゃなくて、休息よ。アンタ達は適当にプラプラしてて良いから。ここではうるさくしないでね。寝るんだから」


 寝るのではないと言い訳をしながら、最後に出た言葉は寝るからうるさくするなという矛盾を孕んだもの。

 勇者は布団から手を出してヒラヒラと振ると、返事を待たずに芋虫になってしまった。

 マタリがどうしたものかと立ち尽くしていると、エーデルがベッドに近づいていく。楽しげに笑いながら芋虫から布団を豪快に引き剥がす。


「はいおはよう勇者ちゃん。さぁ、起きた起きた。今日は皆で街に出かけるとしましょう。親睦を深めるためにもね。ついでに買い物もしましょうか。折角大金を手に入れたんだから」

「それは良い考えですね。私も兜を買いたかったので。勇者さんのダガーナイフもボロボロみたいですし。代わりの武器を探しに行きましょう!」

「あー、それはまた次の機会に。ナイフはボロボロだけど、私の身体はもっとボロボロよ。それに拾い物だからどうでも良いし。さて、布団布団っと」


 水色の芋虫が再び布団を纏い、冬眠に入ろうとする。


「買い物が好きだって言ってたじゃないですか!」

「買い物は好きだけど、惰眠を貪るのはもっと好き。あーまずい、そろそろ眠くて死んじゃいそう」


 勇者はゆっくりと目を閉じた。


「そんなに眠いのなら仕方がないわね。私の魔法の力をちょっとだけ見せてあげましょう」


 エーデルが妙な植物を取り出して独り言を呟き始める。マタリには分からないが、恐らく魔法の詠唱なのだろう。


「ん?」


 勇者が上半身を起こし、首を傾げる。


「フフ、眠気覚ましのおまじないよ。どう? 効果はあったかしら。頭が驚くほどスッキリしたんじゃない?」


 エーデルの手にあった植物は、魔法行使と同時に枯れ果て、そのまま崩れてなくなってしまった。魔法の効果は見事に発揮されたらしく、勇者の眠そうな表情はすっかり消えている。


「な、なんて余計な真似をするのよ。こんな気分爽快なスッキリ感はいらないのよ。私はとろけるようなマッタリ感を楽しんでいたのに!」


 勇者の言葉を聞かなかった事にして、マタリはエーデルに語りかける。


「便利な魔法もあるんですね。それを使えば、寝なくても大丈夫なんですか?」

「そんな甘い話はないわよ。ただ強制的に頭をスッキリさせるだけ。後で眠気は倍になって襲ってくるの。素敵でしょう」

「あー、そうなんですか」

「魔法の基礎術の一つよ。他にも一時的に空腹を紛らわしたり、便意をなくしたり、酔いを醒ますのもあるわ。後で倍になるけど」


 得意気な顔で指を振るエーデル。マタリは魔法が万能だと思い込んでいたので、現実を学んだような気がした。


「……なんだか便利なような、そうでもないような」

「なんていう魔法を掛けるのよ、この馬鹿ピンキー!」

「さ、着替えなおして出かけましょう。貴方の眠気が倍になって襲ってくる前にね。フフッ」


 エーデルの言葉に、勇者は口を尖らせながらも着替え始める。眠気がとれてしまい、布団に入り続けるのが苦痛だったらしい。

 鎧は着用せず、普段着に着替えて剣を腰に差した。彼女は水色系統が好きらしく、服もそれに合わせたものだ。

 ひらひらした服は嫌いな様で、動き易さを重視したものばかり。胸の小さな膨らみがなければ、美少年と言っても通じるかもしれない。生意気な表情をなんとかすれば。そんな事を言ったら確実に抓られるので、決して口にしないが。

 エーデルは言うまでもなくピンク一色。マタリはというと、明るい色が好きだ。特に髪の色でもある金や、それに似た黄色が好みである。だが、金の鎧は趣味が悪いので身に着けるつもりは全くない。


「それじゃ、行きましょうか!」

「お化粧品を揃えないといけないわ。後は日用雑貨ね」

「それと武具店です!」

「分かったわよ。アンタに一角つきの兜を選んであげないといけないからね!」


 勇者が仕返しとばかりに大声を張りあげた。



 結局、マタリが選んだ兜は普通のものになった。勇者は角つきやら、赤い羽根が天井まで伸びている、目立つものばかり勧めて(押し付けて)きたが、マタリは実用性重視で決めることにした。

 耐魔鎧の色に合わせた、眉庇が着いた鈍色の軽兜。後頭部から耳元は布で覆われているだけだが、その分だけ軽量化されている。自慢のポニーテイルも邪魔にはならずに済む。眉庇もついているが、雨の心配が無い迷宮では、飾りのような物だ。常にあげておくことで、視野を広く取る事が出来る。実用性重視の買い物が出来て、マタリは満足していた。

 鏡で見たところ、まるでどこかの騎士のような分不相応な装備になってしまったが。恥ずかしくないように実力をつけていこうとマタリは決意した。

 勇者はというと、目立つ兜を買わせることが出来なかったので少々不満そうだった。だが、痛んだダガーナイフを捨て、新しい剣を買うときには既に機嫌を直していた。値段はそこそこ、質もそれなりの鋼の長剣を彼女は選んだ。今回もどうせ使い潰すから適当に選んだと語っていた。

 前回に買ったばかりの鉄の剣は既に処分済みである。魔物に思いっきりぶん投げてしまったから。


「しかし、アンタ本当に地味な鈍色装備ね。兜から鎧まで同じ色。金髪だからそこだけ目立ってるわ」

「でも、質実剛健な武人ぽくて格好良いわよぉ。背も高いし。これで男だったら誰も放っておかないでしょうねぇ」

「……そう言われても褒められている気がしません」


 マタリが複雑な表情で答えると、エーデルが顔を綻ばせる。

 エーデルは実に女らしく、誰が見ても美人と思える顔つきをしている。身体には余計な筋肉などついていないし、女の魅力に溢れている。胸も大きいし、長い銀色の髪はエーデルの妖艶さを増しているように思える。


「逆に勇者ちゃんは、元気な感じがして良いわね。小生意気な表情が実に憎たらしいわぁ」

「何が言いたいのよ。はっきり言いなさいよ」

「別に何でもないのよ。フフッ」


 エーデルが勇者に茶々を入れ始めると、勇者も挑発に易々と乗る。

 だが、勇者は怒りながらもどこか楽しそうだった。本当に嫌ならば相手をしないだろう。エーデルを仲間にいれたりはしなかったはずだ。その性格は承知しているのだから。

 マタリはもっと勇者のことを知りたいと思っている。初めて出来た大事な仲間なのだから。名前に限らず、もっと色々なことを。

 という訳で、相手を知ることが出来る、一番手っ取り早い方法をマタリは提案してみることにした。


「ゆ、勇者さん!」

「な、何よいきなり。おやつはまだ買ってないわよ。もう少し我慢しなさい」

「どうかしら。その袋に一杯のお菓子が入ってるんじゃないのぉ? さっき素知らぬ顔して、行商人から買ってたじゃない」

「……流石はピンキー、年を取ってるだけあって目聡いわね。仕方がない、アンタにも分けてあげる。ほら、豆は一杯あるからね」


 エーデルの顔が険しくなるのを確認すると、勇者は笑いながら豆を取り出す。


「ち、違います! 実はお願いが」

「だから、今――」

「豆ではなくて、手合わせをして欲しいんです」

「て、手合わせ?」

「はい! 一度勇者さんと戦ってみたかったんです。是非お願いします!」


 勇者は出した豆を齧りながら、視線を逸らす。


「そ、そうねぇ。どうしようかしら。どちらかというと気分が乗らないけど。というか、お断りしたい感じ。なんか嫌な予感が」


 勇者が拒否しようとすると、エーデルが横から話しかける。


「良いじゃないの。付き合ってあげれば。減るもんじゃないんだしねぇ。私も貴方達の戦いぶりを近くで拝見したいわぁ」


 エーデルがニヤニヤ笑いながら促すと、勇者は顔を顰める。

 マタリは後一歩だと思い、更に深く頭を下げた。


「勇者さんの戦い方、しっかりと勉強させて頂きます!」

「あー、やっぱりやるの? まぁ適当にやりましょうか。ほら、軽く運動する感じで。無理は良くないものね」

「いえ、全力でいかせて頂きます!」

「折角の休息日に、そんなに張り切らなくても。身体を休めることも、戦士にとって大事なことなのよ? ……と、言ってもアンタには無駄なんでしょうけど」

「はい、勿論です!」


 勇者の言葉に元気良く返すマタリ。勇者は何故か目元を掌で覆っている。隣ではエーデルが顔を背けて身体を震わせている。

 マタリは剣の柄を力を篭めて握り締める。勇者はサルバドとラスを一人で討ち取った、超一流の実力者だ。魔法を使いこなし、熟練の戦いぶりを見せる少女。今の時点では実力差がありすぎるのは間違いない。確実に叩きのめされるだろう。

 だが、自分はどこまで戦えるのか。今の自分の剣は彼女にどこまで通用するのか。マタリは楽しみだった。

 思わず口元が歪む。闘争心が漲っていく。昂ぶる精神に赤が混じっていくのを感じる。今すぐにでも剣を抜きたくなるのを何とか堪える。


「ちょっと、アンタなんかおかしくない? 熱でもあるの?」

「あ、いえ、大丈夫ですよ。何も問題ありません」


 訝しげな表情の勇者に、マタリは取り繕った笑顔で返す。


「……まぁ良いけど。それで、どこでやるの? ギルドの訓練場?」

「いえ、街の外にしましょう。近くに大きな河が流れてますから。その河原なら誰にも迷惑がかかりません」


「じゃあ私は見物しながら釣りでもしてようかしら。運動の後はお腹が空くものね」


 エーデルが指を鳴らすとどこからか釣竿と魚篭が現れた。


「私達の分も釣っておきなさいよ」

「まぁ、最善を尽くすわ。勇者ちゃんもしっかり付き合ってあげるのよ」

「はいはい、分かりました」


 勇者は気だるそうな声で呟く。マタリは案内すると告げると、河原に向かって歩き始めた。





 釣り人やら行商人達がまばらにいる河原。マタリと勇者は剣を抜いて相対する。鎧や兜はつけていない。

 エーデルはというと早速糸を垂らして釣りを開始した。だが顔はこちらを向いている。


「私は剣術に関してはほとんど我流みたいなもんだから。細かい助言は出来ないから期待しないように」


 勇者は鋼の剣を正面中段に構えている。我流と言っているが、構えには全く隙がない。

 マタリも盾を前に出し、愛剣を斜め下に出す。ロブから叩き込まれた盾を駆使した戦闘術。

 強引に間合いに入り込み、盾で強打して態勢を崩す、相手が避けたならば剣を突き出して追撃する。

 一撃もらうことは覚悟する、強者に対しての戦法。


「…………」

「そうそう、魔法は使わないから安心しなさい。それと、怪我しても私なら治せるから全力で来い」

「…………」


 勇者の言葉が聞こえるが、頭には届いていない。先ほどから目を鋭くして、勇者の隙を窺っているのだ。だが、どうしても飛び込むタイミングを掴む事が出来ない。限界まで待つ。


「手合せしたいって言ったのはアンタでしょ。ほら、さっさと掛かってきなさいよ」


 勇者が構えていた剣を肩に乗せ、手招きして挑発する。

 ――隙が出来た。


「行きますッ!!」


 利き足で大地を踏みけり、一挙に距離を詰める。勇者はまだ剣を構えようとしない。

 左手の盾を突き出し、押し潰そうと勢いを増した瞬間。盾目掛けて勇者が剣を振り下ろしてきた。鈍い金属音が響く。衝撃で盾を持つ左手が痺れる。


「――ッ」

「そこで動きを止めたら駄目よ。捨て身の攻撃なんでしょうが」


 咎める言葉と共に、勇者の放った拳がマタリの側頭部を捕らえる。本気ならばこれで勝負は決まっていただろう。

 ふらつく身体を堪えて右手を振るい、剣を何度も突き出す。今度は勇者も剣で受け、そのまま数合打ち合わされる。剣筋は完全に読まれている。


「剣同士でまともに打ち合うのは久々かもね。魔物で剣使う奴なんてあんまりいないし」

「――ハアッ!」


 勇者の剣を突き崩す為に、突きと同時に身体を滑り込ませ肉薄を試みる。だが、後僅かというところで剣は巻き上げられてしまい、逆に身体を捻らせた勇者の剣がマタリの右脚を切りつけた。動きが止められた。

 痛みを覚えて思わず呻き声をもらすと、勇者が懐に飛び込み笑みを浮かべる。


「剣術って対人だと色々考えられてるのよね。覚える苦労の割に、魔物相手には殆ど役に立たなかったけど」

「くっ」


 マタリが慌てて剣を繰り出す。それを容易く回避すると、背後に回った勇者はマタリの首元に腕を回して、押さえつける。


「これで一回死亡。さて、アンタはこれから何回死ぬのかしら」

「まだ終わっては――」

「いや、終わってるわよ。私が腕に力を入れればアンタは死ぬ。さて、どんどんいきましょうか。これくらいで音を上げてたら訓練にならないでしょう」


 勇者はマタリの背中を蹴り飛ばし、再び剣を構えた。激しく地面に叩きつけられたマタリは苦悶の声を上げるが、気合を入れて立ち上がる。まだまだ終りじゃない。勇者が真剣に教えてくれようとしているのだ。だから、マタリも命懸けで取り組まなければならない。


「も、勿論です。まだまだこれからです!」

「来なさい。アンタが今出せる全力で」

「はいッ!」


 マタリは落ちた剣を拾い上げ、戦闘態勢に入った。


 一時間が経過してもまだ訓練は続いていた。マタリは勇者に一撃も入れる事が出来ていない。届いたと思った剣撃はそのまま受け流されて、手痛い反撃を喰らってしまう。汗だけしか流していない勇者に対し、マタリの身体は青痣だらけで悲惨である。

 勇者は剣での攻撃をしてくることはないが、容赦のない打撃を行ってくる。体の芯まで響く重い攻撃を。鎧を身につけていても、衝撃を殺すことは出来なかっただろう。

 打撃の回数だけ、勇者は剣で攻撃する事が出来た。マタリはその回数分死んでいるのだ。彼女の鋭い剣撃ならば、マタリなど一撃で屠れるだろう。

 手加減されても、まだ天と地ほど離れている実力差。泥だらけになりながら、悔しそうにマタリは唇を噛み締め、顔を歪める。


「アンタは、細かい事を考えすぎなのかもしれないわ。試しに型とか戦法に拘らずに、本能のまま全力でやってみたら? 最初に覚えたのがアンタに合った戦法とは限らないでしょ」

「…………」


 マタリは無言で盾を放り投げる。息を荒げながら、敵の顔を睨みつける。殺意と怒りが心に満ちていくのが自覚できる。


「良い顔になったじゃない。よし、次で最後にしましょうか。私に一撃でも当てられたら、アンタの勝ちにしてあげる。どう、嬉しいでしょう? アンタの勝ちになるんだからさ。そんな情けないザマでも、勝者になれる好機到来よ。おめでとう」


 勇者が馬鹿にしたように嘲る。マタリの中で何かが弾ける。気付いたときには既に走り始めていた。

 マタリが考えているのは剣を全力で振り下ろすことだけ。勇者は剣を鞘に入れ、右肩に乗せて鍬を構えるような態勢を取っている。

 だが関係ない。マタリは全身全霊を篭めて攻撃を叩き込んだ。


「――喰らえッ!」

「今までで一番ね。それを磨いていくと良いわ」


 勇者が利き足を踏みしめ、上半身を勢い良く捻り、鞘を地面から空中へと振り上げる。その凄まじい勢いで河原の砂利が土ごと深く抉り取られている。唸りを上げる鞘は振り下ろしの態勢に入っていたマタリの左胴を完全に捉える。カウンターとなってしまった。

 左の肋骨が砕けたのが分かる。口内に血が溢れてくる。浮遊する感覚と共に、激痛が脳を駆け巡る。

 鞘の一撃で身体を持ち上げられるとは夢にも思っていなかった。薄れる意識の中で、マタリは水の冷たさを感じていた。





「……ちょ、ちょっとやりすぎたかしら。いや、間違いなくやりすぎよね」


 鞘を振り上げた態勢のまま、思わず冷や汗を流す勇者。試しに挑発して怒らせてみようと咄嗟に思ったのが悪かった。

 勇者も目を見張る振り下ろしの速度に、つい本気になってしまった。本当は鞘で受け流しての体落しで決めるつもりだったのに。

 マタリの骨をやってしまった。確実にへし折ったという嫌な感触がある。鎧をつけていないから、生身に直接鈍器を叩き込んだようなもの。しかもそのまま河に放り込むというおまけ付き。


「別に良いんじゃないのぉ、愛の鞭ってやつで。彼女も敬愛する貴方に倒されて、きっと本望だったはずよ。さぁ、一緒に彼女の冥福を祈りましょうよ」


 釣竿を横に置くと、白々しく天へ祈りを捧げ始めるピンキー。その仕草が実に様になっていた。

 いつの間にかエーデルの隣にいた白髪の釣り人も、困惑した様子で河を眺めている。殺人現場を見てしまったというような表情で。


「べ、別に殺しちゃいないわよ!」

「でも浮かんでこないじゃない」


 河から浮かんでくる様子がないマタリ。意識を失っている可能性が高い。ということは早くしないと溺れて手遅れになる。


「う、た、助けにいかないと」


 勇者が河に向かって駆け出そうとした瞬間。河底から水浸しのマタリがゆらゆらと現れた。結んでいるポニーテールがほどけてしまっている。いつもの朗らかな雰囲気は全くない。


「…………」


 剣を掴んだまま河から上がり、虚ろな瞳でこちらを見てくる。頭部からは血液が流れ落ちている。どうやら河底の岩にぶつかってしまったようだ。幸い重傷ではなさそうなのが救いだろうか。

 だが肋骨あたりは折れているはずなので、すぐにでも治療をするべきだと勇者は判断した。


「ちょ、ちょっと、大丈夫? ほら、今日はこれでお終いにするわよ。さっさとこっちにきなさい。すぐに治療するから」

「血。血が――」


 マタリが頭を抑えた後、手に付着した血痕を眺める。


「大丈夫よ。それぐらいならすぐに治せるから。ほら、こっちに」


 勇者が手招きするが、マタリは反応を示さない。

 その目はいつもとは違い、どこか視点が定まっていない危うさがある。掌を凝視すると、付着した血を舐め取った。


「……血。血が出てる。この前と同じだ。私の身体から、血が流れ落ちてる」

「ど、どうしたのよ。打ち所でも悪かった?」

「そうか、だから私は。なら、今の私ならきっと――」


 その時、勇者の身体に寒気が走る。マタリの様子が激変した。目は充血し、口元は攻撃的に歪み、獲物を狙う目つきへと変貌している。いつもの間の抜けたお人好しの姿はない。好戦的な戦士の姿にしか思えない。勇者は思わず剣を構えてしまった。


「フフ、もう一度行きます。勇者さんの身体で、試させてください」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 一体何を――」

「ハアアァァァァァッ!!」


 先ほどまでとは段違いの勢いと速度で迫ってくる。迷いが一切ない。勇者の助言どおりにしているのだろう。本能のままに、全力で飛び掛って――いや、襲い掛かって来ている。マタリの剛剣が振り下ろされる。

 勇者が受け流そうと翳した剣身が、真っ二つに叩き折られる。安物ではない鋼の剣が容易くへし折られた。

 そのまま肩に達しようとした刃を、寸前の所で勇者は身体を捻って回避を試みる。

 だがマタリはそれを読んでいた。勇者の身体を左手で掴み、強引に押し倒そうとしてくる。精一杯抵抗するが、振り払う事が出来ない。


「このっ! 骨折してる癖にどこにそんな力が――」

「アアアアアアアアアアアッ!!」


 猛々しく咆哮するマタリ。元々体格差があるため、受けきれずに勇者は地面へと押し倒された。

 仰向けの勇者を押さえつけながら、馬乗りになるマタリ。その両手には剣がしっかりと握られている。

 勝利を確信した満足そうな笑みをマタリは浮かべていた。


(や、やばい。この馬鹿、これ振り下ろす気だ)


「アハハ! 今度は私の勝ちですね! 試させてくれてありがとうございました。それじゃあ、勝利の証として、その首、頂戴しますッ!」


 高揚したマタリが死の宣告を行なう。目の色は完全に赤い。殺意と闘争本能に満ち溢れている。


「ちょ、ちょっと!」

「死ねッ!」


 喉元目掛けて振り下ろされた強烈な剣撃。勇者が首だけ動かして何とか避けると、次は拳を入れてきた。

 馬乗りのまま、勇者の顔面目掛けて繰り出される鋭い拳撃。全体重を掛けた重い打撃だ。回避しきれず、顔面に直撃が入る。

 勇者の脳が揺らされ、視界が揺れた。


「――ッ!」

「当りました! 当りましたよ勇者さん! それではどんどんいきますね!」

「グッ、こ、この猪女、調子に乗るのも――」

「アハハハハッ! 勝者は私、敗者は勇者さんです!」


 腕を十字に組んで防御している上から、マタリは拳を何度も振り下ろしてくる。上半身に体重を掛けて。

 反動で勇者の身体が何度も浮かび上がる。それでも攻撃が止む事はない。

 勇者の頭に血が上ってくる。このまま大人しくしていたら、死ぬまで止まる事はなさそうだ。

 勇者はマタリに治癒術を掛けて骨折した箇所を回復してやった後、防御を捨てて本気でぶん殴った。

 拳が交差して相打ちとなる。痛みに慣れている分だけ、勇者が僅かに勝ったようだ。


「――う、うげっ」

「勝者気取ってる癖に吐きそうな顔してんじゃないわよ! ほらほら、さっきの余裕はどうしたッ!」


 下から顎へ肘を入れ、ふらつかせた所へ頭突きを入れてマタリをよろけさせる。馬乗りから何とか逃れると、勇者は慌てて立ち上がり戦闘態勢を取った。


「さぁ、続きをやるわよ猪娘ッ! 潰してやるからさっさと来なさい!」

「貴方達、本当に元気ねぇ。なんだか凄まじい戦いを見ちゃった気がするわぁ」

「…………あれ?」

「今度こそ死んじゃったんじゃないの?」

「そ、そこまで強烈な一撃は入れてないわよ」


 本気は本気だったが、態勢が悪かったので威力が殺されているはずだ。

 だがマタリは起き上がって来なかった。拍子抜けした勇者が近づいていく。あの程度で果たして意識を刈り取れただろうか。

 勇者は屈んで、マタリの肩を揺する。


「ちょっと、大丈夫? もう終りってことで良いわよね。流石の私も――」

「…………」

「目、覚ました?」


 勇者がマタリの顔を確認する。視線が合うと、マタリはニヤリと嗤う。獰猛な獣の如き笑みを浮かべて。罠に掛かった獲物が赤い瞳に映し出されている。

 慌てて身をそらそうとするが間に合わない。仰け反る勇者の身体を、マタリの短剣が貫いた。

 

 



「ふぅ、本当エライ目にあったわ。こいつの手合せには二度と付き合わないことにしよう」


 治癒術で自分の肩の傷を回復した後、勇者は地面に倒れこむ。エーデルは、最後まで釣りをしながら観察していたようだ。実に薄情な女である。


「名勝負だったわよ。女同士の本気の殴り合いなんて中々みれないものね。特にマタリちゃんの変貌。あれはとっても良かったわ。何かの特性かしらね」


 心底楽しそうに笑うエーデル。ぶん殴ってやろうかと勇者は思ったが、そんな気力は出てこなかった。


「知らないわよ。河に叩き落して、自分の血見た瞬間にああなったんだから。聞くなら、この馬鹿に直接聞きなさい」


 隣で寝転がっているマタリを指差す。実に幸せそうな寝息を立てている。人の肩を突き刺した後だというのに、能天気なことである。


「そうするわ。後、貴方が今使った治癒術。いきなり完治なんて常識外れも良いところよ。聖職者が見たら泣きながら教えを乞うんじゃないかしら」

 最後の一撃を受けた後、勇者は即座にマタリの首に手刀を叩き込み昏倒させた。

 その後で気絶しているマタリに治癒術を用い、傷一つない身体へと戻してやったのだ。


「そんなに便利なもんじゃないわよ。確かに身体は完全に治すことが出来る。でも、精神までは治せないからね」

「身体が治せれば問題ないんじゃない?」

「腕が引きちぎられても、腸を食い破られても、目をくり貫かれても。私の治癒術があれば戦うことは出来る。身体だけは元通りになるからね。でも、普通の人間はとてもじゃないけど耐えられないわよ。繰り返される激痛に、やがて心が折れてしまうから」


 勇者は近くに遭った小石を拾い、河に向かって投げ入れる。石は波紋を起こした後、静かに沈んでいった。


「……じゃあ、貴方はどうして耐えられるの?」

「普通じゃないから。だって勇者だもの。痛いから嫌だなんて言っていられないわ。――それにね」


 勇者はそこで言葉を区切る。


「痛みなんて慣れる事が出来るのよ。身体も心もそのうち麻痺してくるから。私はね、それに気付くことが出来たのよ」


 勇者はエーデルに笑いかける。


「…………そう」


 隣でマタリが身体を動かし始めた。どうやら目を覚ましたようだ。

 一応警戒しながら目を確認する。赤かった目は元通りになり、漲る殺意も感じられない。どうやら正気に戻ったらしい。

 勇者は取りあえず説教から始める事にした。


「い、いひゃいです、ゆうひゃひゃん」

「うるさいわね。この程度で許してもらえるなんて幸せよ? あんな戦い方してたら死ぬのを早めるだけよ。自分の意志で制御しなさい」

「そ、そんにゃあ。ひ、ひどいでひゅ」

「ほらほら。まだまだこれからよ」


 マタリが目覚めると、勇者は存分に私刑を執行した。顔面を馬乗りで強打されれば、誰でも腹が立つだろう。しかも剣の突き下ろしのおまけつきだ。

 訓練だから仕方ないとはいえ、腹が立つものは腹が立つ。

 気の済むまで頬を目一杯に抓っている。隣のエーデルはその光景を生暖かく見守っている。自分に害が及ばないことを最優先としているのだろう。

 隣の見知らぬ白髪の釣り人は楽しげに眺めている。どうやら物好きな人間のようだった。


「ふー。今日はこれぐらいで勘弁してあげるわ。さ、温泉に行って汗を流すとしましょう。それでエーデル、魚は釣れた?」

「今日の晩御飯は美味しい魚料理に決定よ。マスターに頼んで捌いてもらいましょう」

「それは良いわね。それを食べながら、浴びるほど飲むわよ!」


 肩をグルグルと回して、凝りをほぐす仕草を取る勇者。マタリは両頬を押えて、無実を訴えていた。


「い、痛いです。どういうことなのか誰か説明してください。なんで私は抓られなければいけないんですか!」

「嫌よ。自分で思い出しなさい」

「ひ、酷いです。エ、エーデルさん、見てください。頬が真っ赤になってるでしょう? きっと痕になってしまいます!」


 マタリが、エーデルに向かって顔を見せ付けている。確かに赤く腫れ上がっている。涙目の顔と、その真っ赤な頬が絶妙に合わさって、妙な可笑しさを作り出している。

 隣にいた釣り人が、もう堪えられないといった様子で爆笑を始めた。釣竿を放り出し、腹を押さえている。

 マタリがきょとんとしてその釣り人に視線を向ける。


「いやいや、申し訳ない。先ほどの猛将の如き苛烈な戦いぶりとはまるで別人だったのでね。突然笑ったりしてすまなかった」

「え、ええと、どなたですか?」

「ただの暇な釣り人さ。笑ったりしたお詫びに、私の魚も君たちに進呈しよう」


 魚篭をマタリに手渡し、釣り人は立ち上がる。年齢は三十から四十といったところか。顔立ちは若いように思えるが、白髪頭のせいで老けて見える。腰には立派な剣が携えられているが、腕は細く身体も痩せている為、とても使いこなせるようには思えない。

 何より顔色が良くない。何らかの重い病を患っているのは間違いない。笑みを浮かべてはいるが、何かを堪えるような素振りを時折見せている。


「どうもありがとう。アンタも冒険者?」

「ああ、剣士ギルドなんてものをやっている。もし良ければ遊びに来ると良い。君たちのような素晴らしい使い手なら喜んで歓迎するよ」

「剣士ギルドの人ですか?」

「ふふ、まぁ細かいことは良いじゃないか。……ん、あれは――」


 そう告げると釣り人は髭を撫でた。やがて何かに気付いたらしく、土手の方へと視線を向け、右手を上げる。


「どうやら迎えがきてしまったようだ。今日の釣りはこれまでかな」


 土手から修道服を纏った女が慌てて駆けつけてきた。


「ラ、ラムジさん! また抜け出したりして! 先生に怒られるから止めて下さい!」

「何、一日中薄暗いところに閉じこもっていると、むしろ気が滅入って――」


 そこまで話すと釣り人――ラムジと呼ばれた男は口を抑えて激しく咳き込む。押さえていた掌には赤いものが混じっている。落ち着いた様子でそれを拭うと、どこか悟ったように顔を綻ばせる。


「その気があるなら、本気で尋ねてきてくれ。君たちが望むなら、仕官の手伝いも出来るはずだ」

「私は遠慮しておくわ。誰かに仕えるなんて死んでも嫌よ」

「わ、私も有難いですが、まだまだ修行中ですし」

「そうか、だが人生は長い。もし気が変わったら来てくれ」


 その場を後にしようとするラムジ。だが、暫く歩いてからこちらを振り向き、声を上げる。


「……そこの、勇者を名乗る娘さん。君は、どこでその剣術を?」

「昔、強制的に叩き込まれたのよ。それがまだ身体に染み付いてるだけ」

「そうか、中々興味深いものを見せてもらった。どうもありがとう」

「アンタ……」


 勇者はラムジからある臭いを感じ取った。それは腐臭ではない。


「私に、何か?」

「いや何でもないわ。いずれにせよ、後悔のないようにね」

「ふふ、そうだな。確かにそうありたいものだ。お互いに」

「…………」

「それでは、また」


 手を上げ、修道女に支えられながらラムジは去っていった。

 それを見届けると、エーデルが呟く。


「やっぱり、噂通り病状は深刻みたいねぇ」

「アンタ、あいつの知り合いなの?」

「違うわ。ただ、この街ではかなりの有名人よ。剣術ギルドマスター、ラムジ。伝説の三勇者の末裔。知らない人間の方が少ないわねぇ」


 勇者がその言葉に、表情を強張らせる。エーデルが興味を示したようで、目を細める。


「あ、あの人がラムジさんですか!? 私が昔見たときと全然違うような」

「長いこと病気がちだったからね。黒かった髪は全て白髪になってしまってたし。最近は全く見かけなかったけれど」

「……伝説の、三勇者?」

「そう、あの三本の角と四枚の羽を持つ強大な魔物――最強の魔王を打ち倒したという勇者達。大陸の者なら誰もが知っている大昔の伝説。勇者ちゃんは知らなかった?」

「知らないわ」


 勇者は無表情で、一言だけ告げる。何か聞きたそうなエーデルを無視してマタリを促す。


「マタリ」

「え、な、なんでしょう」

「さっさと温泉に行くわよ。汗と泥塗れだし。ピンキーも早くしなさい!」

「はいはい。今行くから待ってて頂戴。まだ釣竿を片付けてないのよ。それにピンキーって言わないで頂戴」

「いいから早くしなさいよ。私は先に行ってるからね!」


 勇者は魚篭を手に取ると、温泉目指して走り始めた。

 嫌な物を洗い流した後は、浴びるほど酒を飲んで、全てを忘れてしまおう。そうすればきっと幸せでいられる。



マウントポジションからの剣の突き下ろし、更に乱打。

エグイ攻撃です。


しまったエイプリルフールネタ仕込めば良かった。

劇場版 勇者VS死神 ~失われし赤き果実~

ルパ○VSコナ○並に戦わない感じで。

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