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10話前後の連載になる予定です。
「リゼット、お前は俺の番ではない」
夕暮れの応接室に、グレアム・コードウェルの冷ややかな声が響いた。
紅に染まる室内で、私の時間だけが止まってしまったかのようだった。
目の前にいるのは、銀灰色の髪と金色の瞳を持つ精悍な青年。コードウェル伯爵家の次男で、王国の騎士でもある。
そして、つい先ほどまで、私の番だった人だ。
平民である私と、貴族である彼。
身分の異なる私たちが出会ったのは、一年前のことだった。
初めて出会ったその日、彼は私を番だと告げた。
コードウェル伯爵家は、先祖に獣人の血を引く者がおり、嗅覚も通常より鋭い。それで、番の存在を香りから感じ取ることができた。
けれど、ただの人間である私は、番だと言われても、すぐには実感が湧かなかった。
彼のように、香りを感じるわけでもない。
最初は彼の言葉を信じきれず、戸惑うばかりだった。
そんな私を、グレアムは根気強く誘い続けた。
やがて少しずつ言葉を交わすようになり、一緒に出かけるようになった。
長身の彼は小柄な私の歩幅に合わせて歩き、不器用ながらも、そっと私の手を握ってくれた。ぶっきらぼうな口調の中にも、私を気遣う優しさがあった。
そのうちに、私の胸の中にも、抗いがたい不思議な感覚が芽生えてきた。
それが番の絆なのだと、彼は教えてくれた。
共に過ごす時間が増えていくと、彼の存在が私の心を満たし、離れている時間は、まるで自分の半身を失ったかのように寂しかった。
彼の控えめの笑顔に胸が躍り、憂いを帯びた表情を見れば胸が痛んだ。
番の絆に囚われてからは、彼しか目に入らなくなっていった。
そんなある日、グレアムは私の前に跪き、騎士としての誓いを立てた。
『番の絆に誓って、君を永遠に愛する』
涙に濡れた私の頬を、彼はそっと指でなぞり、優しく拭ってくれた。
あの日の言葉も、あの指の感触も、今もなお鮮明に覚えている。
それなのに――。
「……今、何て言いましたか……?」
聞き間違いであってほしかった。
けれど、グレアムは私の一縷の望みを踏みにじるかのように、もう一度、冷たく言い放った。
「お前との関係は、今日限りで終わりだ」
「どうして……?」
彼は苛立たしげに眉を寄せた。
「真の番が見つかった」
その言葉を聞いた瞬間、私の心臓が早鐘を打った。
「……真の、番?」
「偽物のお前とは違う、かぐわしい香りで俺を惹きつけた。彼女と出会って、番の絆の本当の意味が分かったんだ」
「私が、偽物……?」
その言葉に愕然とし、身体から力が抜けていった。
グレアムはそんな私を見下ろし、口を開いた。
その瞳には、かつて私に向けてくれた優しさなど、欠片も残っていなかった。
「平民のお前が、俺と付き合えただけでも、幸運に思え」
「……っ」
「偽りの番ごときが俺を騙し、俺の隣に立つことが当然だとでも思っていたのか? それとも、俺を嘲笑っていたのか?」
番だと告げた男の言葉に、かつて恋人だった男の言葉に、私の頭は真っ白になった。
「私は騙してなど……」
「身の程を知るがいい!」
彼は目の前の机に両手を叩きつけ、勢いよく立ち上がった。
「パルミナを正式に俺の伴侶として迎える。偽物のお前は、二度と俺の前に姿を見せるな」
「グレアムッ……!」
「今後、俺に縋るような真似をすれば、お前の生活がどうなるか保証できないぞ。伯爵家を敵に回したくないだろう?」
あれほど愛を囁いてくれたその口で、今は脅しの言葉を吐いている。
まるで三文芝居を見せられているかのようだった。
あまりにも話が唐突で、現実味がなかった。
この人は本当に、あの日、私に永遠の愛を誓った人なのだろうか。
どうしても、思考が追いつかなかった。
「……私を、愛すると言ってくれた、あの言葉は……あの誓いは、どうなるのですか……?」
最後の望みを託し、私は震える声で尋ねた。
「そんなものは、過去の話だ」
グレアムは怒気を孕んだ表情で、私を強く睨みつけた。その姿には、かつて愛した人の面影など微塵も感じられなかった。
「お前が番だと騙していたんだ。誓いなど、無効に決まっているだろう!」
その言葉が頭の中に響いた瞬間、私の中で何かが崩れていった。
積み重ねてきた思い出も、この気持ちも。
胸の奥で大切に育んできたものすべてが、空虚な幻でしかなかったのだ。
溢れそうになる涙を、私は唇を噛みしめて必死にこらえた。
今の彼にだけは、泣き顔を見せたくなかった。
「……分かりました」
私はゆっくりと立ち上がった。
足元は頼りなく、今にも崩れ落ちそうだった。それでも、どうにか頭を下げた。
「……今まで、ありがとうございました」
「二度と顔を見せるな」
そう言い捨てると、グレアムは私を一瞥することもなく、応接室を出ていった。
扉が勢いよく閉まる。
その音だけが、いつまでも耳の奥に残っていた。
その後、どうやって屋敷を出たのか、ほとんど覚えていない。
ただ、グレアムの前では一滴の涙さえこぼさないと決めていた。
唇を噛みしめ、血の味がしても、泣くものかと耐え続けた。
そして、行く当てもなく歩き続けた。
ふと気がつけば、見慣れた路地にたどり着いていた。
そこに並ぶ店も、行き交う人々も、いつもと変わらない。
変わらぬ日常。
変わってしまったのは、私だけだ。
「……っ、う……」
張り詰めていた糸が切れ、喉の奥から嗚咽が漏れた。
こんなにも彼を求めているのに、この心は、どこにも行き場をなくしてしまった。
私の中の絆は偽物だと言われても、あなたへと向かっているのに。
「……グレアム……」
溢れ出した涙は頬を伝い、地面へと、とめどなく零れ落ちていく。
涙を止める術もなく、私はその場に立ち尽くしていた。
「リゼット、こんなところで何してるの?」
不意に、場違いなほど呑気な声が耳に届いた。
涙で霞む視界の先に、一人の青年が立っている。
肩まで伸びた癖のない黒髪に、アッシュグレイの瞳。中性的な美貌に、どこか掴みどころのない薄い笑みを浮かべていた。
シオン・カブラギ。
東国出身の彼は、若くして商会を切り盛りする実業家だ。
飄々としていて、何を考えているのか分からないと評される。それでも、私にとっては誰よりも頼りになる幼馴染だった。
「……シオン?」
「ああ」
彼は私の顔を見ると、すっと目を細めた。
「……原因は、アイツか」
それだけで、すべてを察したらしい。
彼の唇がわずかに引きつった。
シオンの言葉に頷き、唇を震わせながら、どうにか声を紡いだ。
「……振られちゃったの」
シオンの笑みが、ほんの一瞬だけ消えた。
けれど、すぐにいつもの笑みを浮かべ直し、彼は優しく私の手を取った。
「おいで、リゼット」
「シオン……」
「唇から血が出てるじゃないか。ちゃんと手当てをしないと」
彼は懐からハンカチを取り出し、優しく私の唇に押し当てた。
「今日は僕の言うとおりにすること。ね?」
私はためらいつつも、小さく頷いた。
シオンは私の手を引き、ゆっくりと歩き出した。
幼い頃から、私が困っていると、彼はいつもこうして隣にいてくれた。
変わらない温もりが手を通して伝わり、壊れかけた私の心をそっと撫でていった。
明日も更新します。




