表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「夕日の道で…」  作者: 源三郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/20

第11章 夕日

 透けていく手。薄くなっていく体。

 時間は、もう残り少ない。

 それでも、夕日はこんなにも美しかった。


 午後の光が傾いていた。


 二人は歩いた。田んぼ道から、小川沿いの道へ。小川沿いの道から、山裾の林道へ。子供の頃に歩いた道を、記憶を辿るように。


 ゆりが、いろいろなことを話した。


 東京での仕事のこと。出版社の事務をしていること。休みの日は一人で映画を観に行くこと。猫を飼いたいけど、アパートがペット禁止なこと。どれも取り留めのない話だった。けれど優は、その一つ一つを聞いていた。ゆりが十年間、どんなふうに生きてきたのかを。


 「優くんは? 東京で、何してたの」


 「リモートワーク。家からほとんど出なかった」


 「友達は」


 「いない。……いなくなった、が正しいかな。連絡を返さなくなったら、みんな離れていった」


 「寂しくなかった?」


 「寂しかったよ。でも、寂しいって気づくのも面倒くさくなってた」


 ゆりが黙った。少し歩いてから、小さな声で言った。


 「もっと早く、声をかければよかった。病院で見かけたとき」


 「僕だって、もっと早く帰ればよかった。一年も放っておかないで」


 「お互い、臆病だったんだね」


 「うん」


 二人は笑った。笑えることが、もう奇跡のようだった。


 林道を抜けると、視界が開けた。棚田が、夕日を受けて金色に輝いている。水面に空が映って、田んぼ一枚一枚が小さな鏡になっている。赤と金と、稲の青。


 「きれい」


 ゆりが言った。何度も言った言葉。安房峠の谷を見下ろしたときも、平湯の集落を見たときも。けれど今回は、声の質が違っていた。この景色を、二人で見られることへの感謝が、声の奥に滲んでいた。


 「うん」


 優も頷いた。


 ふと、自分の手を見た。


 透けていた。


 夕日の光が、優の手の向こう側に見えた。棚田の金色が、指の輪郭を通り抜けて届いている。完全に透明ではない。薄い硝子のように、向こう側がうっすらと透ける程度。でも、朝には見えなかったものが見えている。


 優の体が、薄くなり始めている。


 ゆりも気づいていた。優の手を見ていた。視線を逸らさなかった。唇を結んで、何も言わなかった。


 「……薄くなってきたみたいだ」


 優が言った。隠しても仕方がなかった。


 「うん」


 ゆりの声は、静かだった。


 「夕方になると、薄くなるの。朝はもう少しはっきりしてた」


 「前から気づいてた?」


 「……今朝、田んぼ道で。優くんが一人で歩いていったとき。背中が、少しだけ向こうが見えた」


 優は、自分の手を握ったり開いたりした。感触はない。最初からなかった。でも、見た目まで失われていくのは、別の重さがあった。


 「時間が、あまりないのかもしれない」


 ゆりが言った。声が震えなかった。泣かなかった。ただ、事実を受け止めていた。


 「やりたいこと、まだある?」


 優は考えた。


 「……もう一度、父さんの墓に行きたい。それから、母さんに……伝えたいことがある」


 ゆりが頷いた。


 「行こう」


 二人は、夕日の中を歩き出した。優の影は、もちろんなかった。けれど、ゆりの影が長く伸びて、まるで二人分の影を引き受けるように、道の上を歩いていた。


 お読みいただきありがとうございます。

 優の体が透け始めました。残された時間が、目に見える形で減っていきます。

 感想・ブックマークいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


『夕日の道で…』を最後まで見届けてくださった読者様へ

五メートルの距離から始まり、ゼロになり、そして現世での「ただいま」に辿り着くまで。二人の一途な愛の軌跡をお読みいただき、本当にありがとうございました。[cite: 112]

もし結末に感動していただけましたら、以下のリンクや画面最下部の評価にて応援の声を届けていただけますと幸いです。

■ 作品トップ(ブックマーク)

■ 感想を書く・読む

■ レビューを書く・読む


― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ